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最新の絵日記ダイジェスト
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2010/01/31(日) 何だか春?
 5日続いた天気は家の外に立つと春のように感じさせた。1月の半ば頃から降る雪は少し赤みがかかって黄砂が混じって来ていた。1月の初めのブルーの雪面はスコップを使ってひと掘り、ふた掘りしなければ出てこない。これは春の近さを思わせるものだ。因みに今朝は気温は1℃。昼になって4℃に上がった。中津川の右岸の斜面は雪が切れて土が多くなった。去年の小雪の冬に似てきた。
 そんななか私は水タンクの消毒用の小屋の除雪をした。先日は屋根を掘り起こしたがきょうは屋根が雪の上に出ていた。こうなると池の水を使って周りの雪を放り込んで溶かすだけが仕事になる。あとは本を読んだりTVを見たりとつまらない時間を過ごすことになる。秋の忙しいときは冬の呑気を願うが、そうなったらなったで厭きてしまう。面倒な人間だ。
 玄関前に置いたカモシカへの食料はナシはみんな食べられたが、カビの生えた芋やみかんの皮はそのままだった。大根は半分はなくなっていた。ただ足跡はテンのものだった。右岸にはハトよりは大きいがハヤブサかチョウゲンボウのようながカラスから逃げるように飛んでいた。オレもどこかに飛んでゆきたいと空を見上げた。
 名言
  相手を安心させてあげられれば人は伸びる。
                   春風亭小朝

2010/01/29(金) 仕事をこなす
 9時に起きるなんて書くとみんなに怒られるかな。でも降っていなければ何も早起きして燃料を使うこともないだろう。こんな日が此処の暮らしの贅沢というものだ。誰でもいいからここで暮らしたいと思う人は名乗りをあげてみればいいことを教えてあげるのだがナー。
 池の周りの雪を放り込んで、裏の池を突いてから索道のワイヤーを掘り出した。雪で圧されたワイヤーはビュンビュンと音たてて復帰した。これからはこの状態を積もった分だけ掘って維持してゆけばいいということだ。
 湯は外出中なので福一さんと切明まで湯に行った。久しぶりに「捨て丸」に逢えた。今日の捨て丸は外に繋がれたいて玄関内のストーブの側にはいなかった。少し太った支配人はタミコの代わりにこの猫どうかと世話した。此の猫は雪の中を飛び跳ねている茶サバの血つながりの子供らしく床下で鳴き叫んでいるのを困って引っ張り出したようで、比べるとまだまだこれからの猫でしかない。もちろん世話をするわけには行かない。私は20年も生きないから。でもこの不倫から生まれた「倫子」は首輪なんかして切明の宿の看板娘?になりそうだ。
 福一さんのところでビールを飲んで、車を置いて歩いて帰ってきた。いい気持だったが二度ほど斜面で転んだ。車に乗っていた方が安全だなと感じた。
 今日は筑波のW氏が教えてくれためずらしい文章を
  夏目漱石がかわいがっていた黒猫(名前はないが 描いている)が亡くなった際、墓標をたてた。表に、「猫の墓」と書き 
 裏に「此の下に稲妻起る宵あらん」と認める。
 東京朝日新聞 明治42年1月25日、26日に掲載された「永日小品 猫の墓」より抜粋
「…眼附も少し変わって来た。始めは近い視線に、遠くのものが映る如く、悄然たるうちに、どこか落付が有ったが、それが次第に怪しく動いて来た。けれども眼の色は段々沈んで行く。日が落ちて微かな稲妻があらわれる様な気がした。…」
全文は「webM旅 2007年11月号 東京の文学 夏目漱石 永日小品 猫の墓」で読めます。

2010/01/28(木) 予報どうりに気温が上がった
 外の気温は5℃。霧雨になったりポッと晴れたり。去年の2月はさして降らず、いい塩梅だったが今年も大雪さえなければいいのだが。
 9時まで布団のなかで長谷川伸の股旅ものなんか読んでいた。呑気なものだ。オバマ大統領の教書演説なんか聴いていたけれど選挙線の頃の分かり易い演説ではなかったので台所の雪消し用の池を出した。屋根の雪が溶けて落ちてくるので嫌になって家に入ってしまった。降っていなければやることはない。でも明日は索道のアンカーを出そうと思う。
 昨日の朝だけれど冷えて凍った雪面にカモシカの足跡が家の周りに玄関を伝って残っていた。先日大掃除をしたときカビの生えたサツマイモを出しておいてそれを食べたカモシカが探しながら周回しているようだ。こんどネコの残したカリカリの餌を出してみようか。馴れて居ついてもらっても困るけれど。
 名言
  しかし子供いうもんはおらにゃおらんで寂しいし、おればおったでだんだん親を邪魔にしよる。
  ふたついいことはないもんじゃ
                    「東京物語」

2010/01/27(水) 朝に気温は−11℃。晴れてまぶしい。
 昨日出来なかった続きを午前中行った。弁当作りがない分朝寝をしていたが6時半になって外の温度計を覗くと−11℃。今年最も冷えた。雪はパリン、パリンで車のドアが凍って開かない。暖気をするのだがなかなかゲージが上がらなかった。旧仁成館からの急な登りでタイヤが空転する。気温の下がった朝は日が昇るまでは色々と障害が起こる。いつも寝坊の私にはあまり経験がないがこんな時はゆっくり、時間を気にしないで準備をするに越したことはない。たとえ遅刻をしてもである。そこで今朝は30分遅れてしまったが屋根に残った雪はそのまま私を待っていた。何時も見る鳥甲はちょっと違った感じで輝いた。
 いまどこかでカサカサと小動物の動く音がする。彼らにとってタミコは大きな存在で彼女亡き今、巻き返しを企むのは当然の成り行きだろう。そこで私はタミコから習ったネコの鳴き声を四つんばいになってしてみた。またカサカサとどこかで音がした。
 名言
  頭を切替えるには 年を取りすぎた
                  映画「ハリーとトント」

2010/01/26(火) 雪下ろしをどうしよう。
 積雪、新たに20cm。風強し。気温朝8時−5℃。
 仕事があるという。索道を渡って仕事に出た。小赤沢の留守家屋の除雪であった。大きな家でほんの少し離れたところに建つ二軒の家は今回の雪の降り方が大分違っていた。下にある家の雪はほぼ30cm。そこから20mほど上がったところにある家の積雪は60cm。どうしてこんなに違うのと組頭に聞くと側にある山が雪を起こすのだろうと云われた。自然の条件はそこに長く住んで何年も雪堀をした経験が加わって「暮らす」「暮らし方」の答えが出てくるのだろう。
 都会で仕事がなくて困っている人に此処に来てもらって雪掘りをしてもらって日当を出せば問うと、それはいいけども日当の額は違うよ、と云われた。仕事の出来方が違うだろう。それはそうだと私も思った。都会の若者にスポーツ雪下ろし大会でも企画して、メダルや賞品を与えて遊びながら雪下ろしを楽しませれば技術も向上して、結果日当も上がるだろう。雪下ろしの日当はいい。スポーツ雪下ろしと話したのは栄村屋敷の村会議員の方でした。
 名言
  本当の故郷は場所ではなく心の中にあるのよ。
               映画「モンタナの風に抱かれて」

2010/01/25(月) 重い雪に閉口した
 晴れにしては日差しは左程強くはなかったが雪が溶けてカンジキにスノーダンプにくっついて往生した。
 福一さんから寄れとメールが入り、行くとタミコ宛の荷物が届いていた。ブーケのような花でこれならいい塩梅に寂しくなかろう。あれから毎晩酒を飲んでいるのでどうも胃が重くて仕方がない。ブーケに添えられていた「これから先はタミコニャンコがあなたを心配するよ・・」とありました。もう少しこうさせてくださいと思いながら外に出ると気温0℃。天気予報通りの雪が降り出しました。
 名言
  孝行のしたい時分に親はなし、さればとて墓に布団も着せられず。
                      「東京物語」

2010/01/24(日) 花を手向けて
 今朝からいい天気で雪がズンと沈んだ。電話で三角小屋が崩れていないかと言われ、おっとり刀で見に行ったけれど小屋は半分雪の中で壊れた様子はなかった。小屋の隣に積んだ薪の東側の雪が溶けて遠くから見ると小屋と勘違いしたのだろう。取りあえず良かった。出たついでに池の雪を突いて台所裏の雪を引っ張り出して家の周りを一周できるようにした。こうして置けばひとつの盤が出来たということで今度降っても片付け易いのだ。1月内に出来たのは良かった。
 東京の姉からネコに手向けてくれと花が送られてきた。寂しい祭壇に色が付いて何だか生き生きしてきたように感じた。早速、灯明と線香で報告した。だけれどネコはニャーとは啼かなかった。
 名言
  最後に女を抱いたのは いつだ!
                  ハリーとトント

2010/01/23(土) 大掃除を始めた
 ふわふわと降ったりまた止んだり。気温も昼には0℃だった。きょうと明日はひとつ掃除をして久しぶりに掃除機や箒で忙しくしていた。ストーブの煙突はほとんど煤がついていないのには驚いた。去年までのステンレスの古い煙突を横の部分だけホウロウに替えたのがいいのか知らないが、煙突はせめて3年に一回は替えた方がいいようだ。それで薪を焚いておでんを煮て、ネコの砂やら食事セットを片付けた。まだまだ半分も終わらないが明日もゆっくり掃除を続けようと思う。ただそこここにネコを見つけてちょっと困ったがそんなときは線香をあげて掃除を続けた。
 少しご酒の量が増えたが今日も抑えながら少し飲もう。何せおでんがある。
 名言
  昨日は過ぎ去り、明日はまだ来ません。あるのは今必要とされる愛だけです。
                          マザー・テレサ

2010/01/22(金) さらば、じゃーな
 今朝、雪のなかタミコを見送りました。
 これですっかり済んだ。みんなありがとう。

2010/01/21(木) 山房不幸
 終日閉門。

1月絵日記の続き


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