来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
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2009/08/14(金) もはや秋風
 洗濯爺になって2回ほど洗濯をした。昨日の敷布も再度干したりして昼まではグツグツしていた。その時気付いたのだが日差しがいやに柔らかかった。3時になって日も陰ったので草刈を始める。久しぶりに刈る草はよく繁って何とも刈りにくい。今日の客も来たので4時半にやめて家に入った。その時に汗が出ていないのに気がついた。気温は22度で山の感じは秋も深まりゆくある日のように思えた。お客は多くはないがひとりふたりと続いて気が抜けないが、昨日は殊にここではめずらしいご婦人がふたりも知人の車で9時過ぎやって来た。手際よく食事の準備をして一杯ご馳走になった。私はもうご先祖様に近い存在ですがやはりご婦人が一枚噛むと幅が広がって賑やかしく面白いものだと感じた。
 今日の名言
  若い女は美しい しかし老いた女はもっと美しい
                  ホイットマン

2009/08/13(木) みやげもの
 当もっきりやでは秋山郷に関係した品物を宿泊したお客さんに提供しております。 
 まず、版画家松下和弘氏の秋山で見られる花や木の実の4色摺りの版画5種類。そして和山の新作さんのキハダの木の「半コウツキ」(猟師の雪上杖)。不肖私がこの辺りの枝で作った「にぎりん棒」。津南の友人高波氏が自分の畑で出来た大豆サトイラズで作った「いり豆」と「味噌」。これが美味い。どうぞお越しの節は恥ずかしがらず「おみやげ」とひと声掛けてください。
 100円のにぎりん棒、700円の手摺りのオリジナル版画、7000円の半コウツキ(もう出来ません)、300円のいり豆
500g500円の味噌。安いと思いますよ〜。で今日は穴山の高波氏の所に寄って売り切れたいり豆と味噌を取りにいった。穴山が会場にひとつになっている大地の芸術祭に台湾のRINさんが作った作品がありましてその「門」という作品には穴山の全ての住民の顔が画かれていました。もちろん高波氏もそこにいました。
 今日の名言
  仕事は自分の”めしのたね”だから、これを大切にし、粗末にしてはならない
            東京鉄道管理局長 渋沢誠次 S42  

2009/08/11(火) 半日仕事お釣りでドライブ
 朝の地震は新潟地震を体験したここでは大した揺れではなかった。それでも静岡は震度6弱だという。一昨日宇都宮のお客と話した地震が震度4だからこれはと思った。安政の大地震の後、駿河湾での大地震、しばらくして瀬戸内海辺りでの大地震と続いたことを思いだした。「始まったか」と感じた朝、外では「鵺」(トラツグミ)が嫌な声で鳴いていた。
 仕事はほぼ盆休み状態で今日は半日で終わった。特別サービスで志賀高原から渋峠(2172m)までドライブした。天気は落ち着いてきて青空も見え隠れしている。帰って来て中津川で下ろした竿に岩魚が掛かったという。小学4年の女子が初めて釣り上げようとした魚は手元で逃げたが彼女は充分楽しげだった。努力してそれなりの手ごたえがあれば明日に続く課題が生まれるのだ。サービスは大変だが結果が私を支えてくれる。
 今日の名言
  ねェあなた、話をしながらご飯を食べるのは楽しみなものね
                     永井荷風

2009/08/10(月) 台風崩れ
 大雨が降ると以前いじめられたMロードの無残な姿を思い出す。嫌な記憶だ。それでも何とか今日までここで生きてきた。今朝もいい振りっぷりだった。客が帰るまで道の塩梅を気にしていた。客は何の連絡もなく帰っていった。つまり道は安全なようだ。友人を12時のバスに送って、16時のバスに乗るお客を迎えにいった。このところ大忙しだ。一泊三千円が定着したかと思う人はいるがそんな甘いものではない。みんな知り合いみたいな客なのだ。それでも気を使うことは人並み以上だ。この天気の中でお客が無事に過ごしてもらえることだけが大切だ。せっかく来てくれたのだから少しくらいサービスしてひと時夏らしく輝いてくれないものかね、お日様。
 川は土を含んで黄土色に流れその上を渡る索道に乗る小学4年生の女子は何も恐れることなくサッサと川を渡った。大したたまげた。
 今日の名言
  国はパイロットに恐怖を忘れる訓練をするが、妻に恐怖を
  忘れさせる訓練はしてくれない。
         映画「ライト・スタッフ」

2009/08/08(土) ノラネコの夏
 一向に夏らしくならないままもう8日、節句です。今日はお客さんが来ます。それも山に登ります。それで天気が気になるのですがどうもあのなつかしい「八月の砂」はやって来ません。それでも山に登る人にトロロご飯を食べさせるべく津南に下りた。長芋を昨日忘れたし、友人がバスで来るというので下りたのだ。バス停で待っている和山の人も乗せて帰って来るとノラネコの某君が道端に端然と座っていた。彼は去年の秋頃からここの出作り小屋でネズミなんかを獲って生き延びたネコで、心配した冬をどうにか乗り越えた強者である。ただ人間を信じていないのかいくら手を差し伸べてもこっちを振り向くことはない。そこが雄川閣の捨て丸との大きな違いなのだが、人もそれぞれのように小動物もいろいろだ。その独居の姿に敬意を払って帰って来ると家のタミコはなんの屈託もなく眠っていた。「だめだな〜」と感じつつおにぎりを含めたご飯を炊きだした。明日は4時起きだ。晴天を祈る。
 今日の名言
  他人のために暮らすのはもうたくさんだ。
  せめてこのわずかな余生をみずからのために生きようではないか。
                  モンテニュー

2009/08/06(木) 花を手向けてねんごろに
 ラジオからヒロシマの8時15分の黙祷の声が聞こえた。人間という奴はそこに出会ってしまった悲劇から逃れられないようだ。たまたまそこを歩いていたり、その時代に生まれたりその都度人は事故にあったり大きな時代の渦に巻き込まれたりと悲劇はきりがない。ここでも同じで大きな工事があって働いていて事故に遭ったりしたものだ。吉村昭の「高熱隧道」を読んでみると様々な事故で亡くなっていく人たちが描かれている。それは全国に慰霊碑といった型で残されている。何だか紋切り型の仕様ではあるけれど亡くなった人と残された人との違いは歴然だ。僕らが亡くなった犠牲者の無念に答えるのはもちろん二度と過ちを繰り返さないことだが慰霊碑に花を手向けて忘れないことも大切だと思う。事故は明日私を襲うかもしれないから。
 今日の名言
  人間は大きな苦難にとざされている
  それよりも私は天国にいたい
       マーラー交響曲2番「復活」

2009/08/04(火) 汗の雨
 昔、まだ常磐線経由青森行急行「十和田」が走っていた頃のことだからまだ若かったのだろう。常磐線沿線に住む友人と上野で飲んで列車を見た瞬間に乗ると決めて青森に向かった。友人は北千住で下りて、「バンザイ」何かしていたと思う。気がついた時は列車は仙台を過ぎていたと思う。車掌に聞かれて青森までの切符を買って下りた青森駅は「ねぶた祭り」の日だった。その日の「十和田」で帰る私は日が暮れるまで青森を随分歩いたように記憶している。港の近くに梁山泊という飲み屋があってたしか一杯飲んでいた。いい店だったと覚えている。その夜の「ねぶた祭り」は圧巻だった。棟方志功の言うねぶたが街を離れて賑わいが遠ざかっていく祭りの余韻を楽しむまでいられなかったがあれはいい旅だった。十和田が廃止されたのが1985年だというからきっとあれは84年か83年の夏だった。ちょうど今頃のことだろう。東北はまだ梅雨が明けていないという。あの青森のねぶたは今頃雨に打たれているのだろうか。25年以上も前の話だ。もうあんなちょっとした旅は出来ないだろう。 
 仕事をしているとヘルメットをかぶった頭から雨のような汗が流れてきた。ふと手を休めて手ぬぐいを取ると目の前に黄アゲハの幼虫と見たことも無い形のカメムシがセイキ(シシウド)に群がっていた。


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