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2009/07/04(土)
都会では深夜に人が死ぬ
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どうして山手線の電車に乗っていたのか、そこのところが分からないのだが北千住に向かう道筋は切れ切れに覚えていた。たしかホームに立って電車が入ってきたのを覚えているからたぶんそこは日暮里だったろう。普通なら私は千代田線丸の内線で新宿に出るのだが電車が巣鴨に止まったときは座席に座っていたのだ。その泊まり方が何というかスムーズではなかったということまで覚えていた。電車に飛び込んだ人がいて電車が動かなくなった。時計は11時20分を指していた。田舎に住んで15年も経つとこういった時の臨機応変が衰えるのだ。電車の車掌は事故の対応にでも忙しいのか連絡線のあんないをしなかった。私は巣鴨に都営三田線が走っていることを思い出せなかった。私にとっては三田線はあまり乗らない線でもあったけれど何しろ田舎暮らしが長すぎた。警官に「死んだ奴よりも、生きている方に気を配れ」と悪態をついたのを覚えている。どうもよろしくないが、この時間に電車を使って自死する人に同情はしない。何だか我儘な子供がおもちゃ売り場で買ってくれとひっくり返って足をばたつかせているようなものだ。結局40分其処で遅れて0時20分に新宿に着いたが私鉄の終電はチョッと早すぎるのだ。昔から。酔った頭をフル回転にして深夜バスに行き着いた。2時半になってふらふら帰って7時に墓参りを済ませ8時に池袋へと向かった。バスは定時に出たのだが関越が事故渋滞でここでも1時間チョイ遅れた。楽しいことの後だけにバスが関越トンネルを抜けた風景が田舎田舎しているなとドカンと感じた。 今日の名言 葬式の類は一切無用のこと。 弔問、供物の類はすべて固辞すること。 生者は死者のためにわずらわさるべきにあらず。 梅原龍三郎
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