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最新の絵日記ダイジェスト
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2013/08/07 他人の力で生きてゆく
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2009/06/16(火) 友三郎さんのハエ取り
 もう昔になるのだろうが郵便をやっていた小赤沢の友三郎さん話である。仕事が終わって事務所で休んでいると急に増えだしたハエがとにかくうるさくなった。そんななか組頭が思い出し笑いをしながら話し出した。
 いやー小赤沢に友三郎さんという郵便屋さんがいて、この人は郵便を配った家ではどこでもお茶を呼ばれた。お茶を呼ばれながら囲炉裏の回りに止るハエを一匹ずつ指で押さえながら囲炉裏の縁に並べていった。あとで見るといつも10〜15匹ほどのハエが数えられた。それをどこの家でもやるものだから家の子供達は目を丸くして見ていたものだと。福一さんもこう話した「この人は薬缶頭で頭にハエが止るとゆっくり人差し指を回して必ずそのハエを押さえつけたものだ。まねしてもこればっかしは出来なかったナ」。組頭も福一さんも友三郎さんのこの話をする時は遠い可笑しい思い出を懐かしがるようだった。初夏のこの時期、禿頭の郵便屋の静かな武勇伝を思った。
 そう云えば信州中野には金串でハエを刺す人の話や、仁成館に反口から手伝いに来ていた女衆は雑巾がけをするとき一俵の米俵を片手で持ち上げその下を拭いたという。
 私も栃木の八丁の湯に来る「強力」で背丈の2倍ほどの背負子に100キロ(1キロ何円)以上の荷をつけて運んで来たのを見たことがあった。自分では30キロ米と20Lの醤油を運べない20代の頃である。
 昔は色んな人がいてそれぞれ違った能力を持っていた。日本だけではなく世界中がそうだったから現在があるのだけれど、今ではそんな人間を誰も必要としないのか平均化されたつまらない人たちが何の能力にも気付かないまま死んで行くようだ。保健所の検査が済むと安心してしまうような人間ばかりだ。つまらないな〜
 今日の名言
  私が優等生になれるの バレーだけだったのかも知れませんネ
           草刈民江 ダンサー

2009/06/15(月) 残業掃除。
 今日こそ遊んではいられなくなった。それで8時ごろからまず玄関内の残った薪を片付け、風呂、部屋、台所、トイレと夜の10時半まで掛かってしまった。疲れた。今日は休肝日1日目なのだが一杯飲んでしまおう。構うものか。どっちみち明日は当局の係官にお小言を頂くわけだから、明日も自棄酒になるのは必定。
それでもこういった検査は仕方がないと思うようになった。そうでもなければ大掃除はやらないだろう。そんなものだ人間なんて。オレも老いたってことか。
 ネコは足元をうろついて邪魔をするばかりだ。困った奴だ。

2009/06/14(日) 当店前釣尺岩魚
 朝は何処から来るかしらという歌があった。小学校の教室で覚えたのだが今朝は尺岩魚と共に川からやって来た。先日の友人のように玉浮きは使わないようだ。玄関が開く音に起きてみるとまだ6時半だったが客のためには朝飯を用意しなくてはならない。ハムエッグ、納豆、漬物、海苔こんなものだろう。すると名人は尺の岩魚を捌いてフキの葉っぱなんかを取ってきてお皿を要求した。彼の魚篭から魚の尾っぽが出ていた。名人の割には少し気分を嵩じて何回となく釣り上げた感触を語った。格闘している間が30秒から1分と長引いてきたので朝食を勧めた。それにしても名人の釣りは明るくて屈託がなくて私は好きだ。
 そのあと小学校で運動会に参加して昼過ぎに帰って来たのだが片岡知恵蔵の「大菩薩峠」を見てしまった。保健所は明日に掛かっている。がんばらねば。
 今日の名言 
  謙遜は傲慢に打ち勝つ   アウグスチヌス

2009/06/13(土) 道路褒められ、池清掃
 ほんとはこんなことをしている時ではないのだけれど、今日は保健所の検査官が水を抜いたブルーシートの池を見てどう思うかと考えたら居ても立っても居られず、砂や泥を掬いだしてシートを外し昔の姿に戻した。おまけに先日の大工工事の残材を片付け、木片が燃え尽きるまで大豆を植えていた。
 16日には保健所の立ち入り調査で台所殊に冷蔵庫、風呂場、客室のクモの巣と忙しいのだ。もっとも保健所は指導に来るので免許取り消しに来るのではない。あんまり神経質になってはいけない。それでも立場を考えてやるべきところは集中してやらなければならない。身はひとつだ。今日はもう仕方がないから明日、明後日に向けて努力しようと思うしかなかった。来年から素泊まりの宿にしてしまえばいいのかも分からない。
 昨日来た客が云うには「道をよくしてくれて、ありがとう。これで落ちることはなくなった」と喜んだ。そう云えば、彼は一度車を落とした張本人だった。

2009/06/12(金) 忙しい水場整備
 半日仕事を終えて帰ってきた。帰りがてらカブトムシ牧場を通るとなんとも、若いアンちゃんがどうもカブトムシを掻っ攫って行くとこだった。「あんまり持っていかないように」と要請はしたけれど。何処かへ売り飛ばすのだろう、肥料袋に落葉と一緒に隠すようになん袋も軽トラックに積んでいた。これでは秋山の昆虫は蝶と同じように絶えてしまう。たった一人の為に。
 帰って来てから家の前のブルーシート池を壊した。コンクリートで補強する為水を抜いて乾かさなくてはいけないので。飲料水のオーバフローのパイプも切ったのでついでに水場の整理もやって暗くなって家に入った。保健所の検査があるのでこれから掃除三昧だ。
 今日の名言
  「覚有情」(情け有るを覚える)バロン吉本 柔侠伝

2009/06/11(木) 捨て丸かチビ太か
 仕事の帰りに雄川閣を見ると観光客が何と「捨て丸」を写真に撮っていた。給料袋から「捨て丸育英会」にカンパをしようとに寄ってみた。すると名前が「チビ太」に変わっていると言う。「捨て丸」では可愛そうだということらしい。何を云ってるんだと私は怒った。捨てられた犬をみんなが痛みを分かち合って保護育成しようということはその犬の境遇に魅せられたからなのであって、万全と望んで飼う犬とは違っているのだ。「捨て丸」はそのことをよく理解して必死で保護を求めたのだ。その健気さを忘れない為にも犬の名前は「捨て丸」でいいのだ。と私は強く要請して帰ってきた。
 今度は友人が岩魚を釣るという。それではと私も付き合った。ところが仕掛けが多摩川のオイカワ用しかなく目印の代わりに何と玉浮きを使ったのだが渓流に玉浮きは似合わないと感じた。
 夜にタミコが布団の中に入って来た。タミコに捨て丸の境遇を話して聞かせたのだが一向に同情する様子もなく図々しく眠っている。そう云えばタミコも野良猫だったのだ。今度はノラと呼ぼうか。

2009/06/09(火) 帰りました
 先日工事した箇所を通って帰って来ました。日記もそこそこに今日はビンちゃんと一杯の飲もう。

2009/06/08(月) タミコは怒っている
 家には老いたイヌがいて老いたネコと相性が悪い。以前のタミコならもっと大きな顔をしていたのだけれど今回は借りてきた猫を地でいっていた。朝に私に文句を言いに来る。

2009/06/07(日) 母と兄もこれですっかりすんだ
 いい天気だった。これですっかり済んで何だかさびしくなった。今度は僕らの番だと胸でも張ろう。

2009/06/04(木) 作業仕事法事忙中無閑
 昨日の作業を終えて今日は仕事に向かった。帰って来てチョッと落ち着いたら法事の為東京に向かう。疲れているので何時辿りつけるか分からないが久しぶりの街に気分が高まる。いつまで経っても東京のオッサンが抜けない。
 山奥でカブトムシの団地を発見した。写真のあとまた枯れ草をかけておいてやった。カブトムシも前より見なくなったがいなくなったわけではないようで安心した。都会の子供には自然のカブトムシは渡したくない。彼らはデパートで買えばいいのだ。
 今日の名言
  歌舞伎町はネオンの荒野   寺山修司

6月絵日記の続き


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