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2009/06/01(月)
草津街道2
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草津街道は歌人長塚節が通った明治の後半には誰も通らなくなり節も案内を頼んだ六合村の猟師に一度は断られている。ただその猟師が以前役人が行ったことを思い出して案内に立った。三国街道の裏街道は北にある清水越えと南の草津街道があった。もっとも街道と言える道ではなくここも草津越えと言ったほうがよい。清水越えは上越線が水上までしかなく清水トンネルの開通までは信越線を回るより早く越後に抜けられるというのでよく使われた道であった。蛮社の獄で投獄された高野長英も脱獄した後案内を立ててこの峠を越えている。 草津街道は千沢を避けるように道がつき、渋沢を過ぎると魚野川の右岸を1,300m辺りの高さで佐武流沢と桧俣川を越えて続いている。上野原の知り合いの孫じいさんは米を牛に積んで4日かけて草津に運んでいたと聞いた。昭和の30年代頃まで秋山郷では冬はクマ猟、夏は岩魚を獲って発哺温泉やらに売って生計を立てていた。遠い昔の話である。写真は草津街道のあった山である。 今日の名言 他人は 他人さ 「カサブランカ」
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