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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
2013/08/04 僕はツールド栄村でいいと思う

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2009/05/30(土) 予定をこなす
 9時に起きてやった。2回タミコが起こしに来たがその都度布団の中に押し込んだ。
 野球を見ながら食事をして松井選手について考えた。どうも彼は楽しんでいない。野球道に足を捕まれてでもいるように考えすぎだ。根が真面目な選手だから余計にいけない。
 昼から草刈を始めた、今日は「ウスバシロチョウ」「ギフチョウ」「アサギマダラ」をみた。毎年草刈をすると決まって蝶がやって来て刈るな!と命令する。私は西洋タンポポが嫌いである。少しになったが日本タンポポがある以上、西洋タンポポは駆除するのだ。咲き出したハルジオンとヒメジオンもついでに刈ることになる。そこで蝶が怒るのである。蝶にしても植物にしても私がここに住み始めてから随分と減ったようだ。昆虫や草木は人間なんか大嫌いなのだろう。人間さえいなければ地球はきれいな星なのだ。

2009/05/29(金) ひと月よく働きました
 今日で今月は終わりになります。仕事ですが。よくがんばりました。初めは疲れて疲れてアゴが出ましたが、今となると少し慣れたようで疲れは手のひらの瘤に変わりました。
 仕事を終えて津南にチェーンソの修理に、また混合ガソリン作成用のオイル、掃除薬品なんかを買いに出て7時に帰りました。風呂に入って、洗濯して、干して、さて明日はMロードを除草する予定です。お客も来るし、それまでどのくらい終えるかで今年の草刈りが決まります。疲れるけどもやり終えた達成感はいい感じであります。でも明日は遅くまで寝ていよう。
 今日の名言
  「冒険とは生きて帰ること」
      植村直己「極北を走る」

2009/05/28(木) 諦めてもイカン
 仕事は自宅の道路工事となった。何年に一回は溢れる暗渠になっている沢に40cmのヒューム管を埋設した。以前レオンなる旅の人が車を落としたり去年は知らない人が勝手に入り込んで路肩を壊したりと忙しい箇所を60cm幅員を伸ばそうと考えた工事の手始めである。来月には三角小屋から沢を越したところまで道を直す。8月に駐車場と側溝、玄関までのタイヤ接地面の舗装をやろうと思う。今日は施主として組頭の仕事を手伝った。早めに終わったので、昨日の草刈を続けようと機械をいじっているとだんだん本体とヒモの器具との隙間が開いてきた。その間に金具を突っ込んでゆっくり器具を回すとどうにか浮いてきて外れたのである。3万円が助かった。どうにか工夫していると先に進むものだと実感した。
 今日の名言
  いつもここに居るよ
         「ET]

2009/05/27(水) アセッチャイカン
 久しぶりに5時に帰りついた。久しぶりである。そこで草刈を思いついた私は燃料を入れた機械を持ち出し家の周りを刈り出した。歯で刈るには柔らかいこの時期の草はヒモの方が効率が上がるので途中風呂にお湯を入れながらその間ヒモで刈ろうと思った。新しいヒモの機械を草刈機につけるときに急ぎすぎた。ヒモの機械が外れなくなった。本体の回転部と供回りしてしまう。しょうがない私のミスだ。今度の休みにラニーイの同じものを買ってくるか。3万円の出費だ。怪我ではないのだからと諦めた。何でもアセッチャイケナイと肝に銘じた。チクショウ!
 今日の名言
  どんなときでも きっと誰かが愛してくれる。
        ジェシカ・アルバ

2009/05/26(火) 捨て丸大変、宿迷惑
 その犬は私も知っていた。連休の頃に秋山に捨てられた犬である。顔はなかなか可愛いのであるが足が短く、尾が平べったくブサイクナ犬で、生後6ヶ月ほどの身体で必死に尾っぽを振る姿に困ったことを思い出した。
 犬は切明の雄川閣につながれていた。若い支配人はリックを持った外国人にはあんまり親切ではないようだが、弱いものにはその分とても判断力があると思った。「捨て丸」と名付けられたその犬は連休の頃から宿の駐車場にやって来る車、来る車に突進して尾を振って飼い主を探していたという。雄川閣は宿泊施設で犬を飼うことは本意とはしなかったが、その姿を見た従業員があまりの健気さに緊急保護を提案して全体で承認されたということである。
若き支配人は安易に生き物を捨てる人間に対して宣戦布告をして駐車場に録画機構付きの監視カメラを駐車場に設置し、今後の対策にするという。
 若き支配人の立場上の苦しさもあるのだろうが一丸となって捨てられた命を守ろうとする山奥の雄川閣には泊まってみたいと思った。旅は人間との出会いで食事や設備だけではない。設備的には割高な宿だが、こんないい奴の世話で安心して泊まってみることは幸せのひとつである。

2009/05/25(月) 私も山を歩きながらムッシュを思った
 6月1日が苗場山、鳥甲山、佐武流山の山開きだとお知らせが届いた。今日仕事からの帰りに山を歩いていると苗場山の方向から何度となくヘリの音が聞こえてきた。今日は山小屋の荷揚げの日なのかもしれない。とするとムッシュ・ブオノは苗場経由で赤湯に下りられたかも知れない。しかしそれはしょうがないが今日は平標を越えて仙之倉も越して万太郎下のシェルターにでも潜り込んでいるのだろう。
 考えてみれば日本にたくさん住んでいる外国人の休日の過ごし方を志向してみると高尾山から始まってそこから見える日本の山へと目が移っていった時ここの苗場も鳥甲も岩菅もやがてジョンとかピーター。アンナやピエール、テレサやギルが歩き出すのだろう。勿論朴さんや金さん、周くんや劉さんもだが。その時の為に道標には漢字やハングル、ローマ字表記にすることが好ましい。昭文社のエリアマップも英語版やハングル版などがあれば日本の美しい山々を訪ねて人がやって来るのだろうに。ハワイのように。その為には登山道の整備、避難小屋の設置維持を国が主体となって行えるようになれば少しは自慢できる国になるのだろうが。私はその頃まで生きてはいないが。写真は近所の避難小屋である。
 今日の名言
  贅沢は体がすぐ覚える。
     ナヒード イラン人映画監督

2009/05/24(日) 週末は楽しかった
 昨日から今日は面白かった。相撲も久しぶりに手に汗握った。日本人が絡まないのが良かったし客も良かった。薪も二日間で軽トラ8台分運んだし、有名な釣り師の姿も確認できた。
 YEBI大王が昨夜薪運びの手伝いに来てくれて同級生のような年代が4人も集まった。ひとりのご夫人は先にお休みになったが悪ガキ的おじさんが旧知の友のように酒を酌みあった。
 今日は今日で武雄さんと大王の手伝いを受けて5台分の薪を運んだ。湯にもらい湯に行くとリックを持ったフランス、ポアティエ市から日本の山を上りに来たムッシュ・ブオノが湯の歓待を受けていた。ムッシュは岩菅山で1泊し。烏帽子から切明に降りたという。この頃の岩菅から切明単独行はチョッと大変です。明日は苗場から赤湯、元橋、平標、仙之倉から谷川に向かうという。今年の苗場は雪が多く果たして赤湯に下りられるか危ぶんだものは赤湯山口屋に連絡を取って状況を確認した。苗場赤湯間はセッピがあって通れず、赤倉周りはひとりでは無理だという。さてそのことをボデーラングエッジで伝えるのに苦労したが、谷川方面は尾根に雪はないというので今日帰る大王が元橋まで送って行ってくれた。ムッシュは今頃あの駐車場のトイレの傍でテントに入っていることだろう。大王は三国峠を越えた頃か。
 疲れは心地よく今日は一日面白かった。

2009/05/23(土) 休みナシ
 いつものように早く起きてブナを玉切って運んで来た。チェーンソが切れれば簡単なのだがだんだん切れが悪くなってくるといけない。それでも私の分は大きさも30cm程で扱い易く軽トラ3台分を運んで来た。昼になったのだが先日畑に撒いた肥料と石灰をテーラーで混ぜ込んだ。2時になって昼を食べていると客から電話で今日泊まれないか?と。「疲れてるから何も出来ないですが」というといいと言う。それから部屋を片付けて箒を使った。休みはないのかと上司を探した。
 今日の名言
  所詮 生身の一生は幻想である。
           辻井喬

2009/05/21(木) 草津街道1
 明治42年だったか長塚節が群馬から強力を頼んで切明に来た。彼はここに七日ほど滞在して信州に抜けている。そのことは藤沢周平が「白き瓶」という小説に書いている。また幕末の勘定奉行小栗上野守の細君が長岡藩で官軍と奮闘中の亭主に会いにこの道を通った。関八州に追われた国定忠治はこの道に入って追っ手から逃れた。それから四十年ほど前か文政年間には塩沢の庄屋鈴木牧之が二度ほど訪ねて「北越雪譜」「秋山紀行」を残している。北越雪譜は今で言う「るるぶ」みたいなもので何処にもいけない江戸市民の好奇心を爆発的に花開かせ、本は現在まで出版され続けている。
 草津街道は現在草津から野反湖を見て渋沢に出る。魚野川の右岸を道は続いて切明と和山の中間に出ると昭和8年の大日本帝国陸地測量部の五万分の一の地図には心もとない破線で記載されている。現在では渋沢からの道は深い緑の中に消えてしまっている。昭和30年代の電源開発のダムの巡視路を便宜的に使わせてもらうしかなくなった。

2009/05/19(火) 毎日毎日テクテクてくてく
 今日も疲れました。足をかばいかばいよく歩きました。天気も良く予定の仕事をどうにか終えました。もう志賀方面は終了です。これからは野反方面に掛かるのですが少し息がつけます。疲れてしまって直行で帰りついたのですが。倒れている雪囲いの柱を片付け洗濯物をたたんで2階に上がると、どうもカメムシが多くゆっくりはしていられないな〜と思うのです。

5月絵日記の続き


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