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2009/11/16(月)
知床の岬に〜浜茄子の咲く頃…
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仕事を終えたら寒いので直ぐに帰ってきた。帰って来ると先日亡くなった森繁久弥の追悼番組を見た。日記なんか後回しにした。 そりゃ違うのだが、どことなく亡くなった父親に似ていた。同い年の大正2年生まれの父親は生きていれば今年で95歳になったはずだった。森繁を見ていると父親がダブった。親には反発したが、tvの森繁の意見には聞き入った。父親に言われているように浸みてきた。 私が子供だったころ、無為徒食でいられたころに帰るように錯覚した。森繁にはそれだけの力があった。面白くてやんちゃで教養があって人情家だった。そんな森繁の映画や歌、芝居や朗読を聴いて育った。新宿のあのころ。どことなく小便臭く、傷痍軍人の白衣、ガード下の靴磨き、デパートのアドバルーン、西と東に行く繋がっていない都電。明治通りにはトロリーバスが走り、新宿通りに沿った伊勢丹には昔、売血所があったな〜と番組を見ながらあのころの自分を探していた。このところtvでは緒方拳、向田邦子、安井かずみや鬼籍に入った歌手達が出てきて私の時代の最後の10年を盛り上げてくれているけれど、私を育ててくれた映画人や小説家、詩人達がひとりひとり消えてゆく。それでも私は彼らの残した仕事を覚えていられる。感謝である。 今の20歳は森繁も向田も安井も何にも知らないがこれからどうするのだろうか。ドキドキしてしまう。敬称を付けないのは他人のようには感じないから。すみません。 今日の名言 自分が死ぬってことがわからないうちに死ぬというのは大往生なんだな 「大往生」森繁久弥氏の口調で
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