来るなら来てみろ もっきりや
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2008年5月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
2013/08/04 僕はツールド栄村でいいと思う

直接移動: 20138 7 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200811 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200711 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200611 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200411 10 月 

2008/05/28(水) ご搭乗のお客様にはマイレージが付きます
 思ったより大きなヘリコプターには16人分の座席が用意されていて、荷揚げのスタッフや山岳救助隊員など50人は越えるような人間が3回に分かれて山頂に向かった。
 シートベルトを締めて3分もすると機は小赤沢上空から登山道沿いに
9合目を掠めて山頂に下りた。3分の飛行のマイレージはあんまり意味がないが、天気もよく順調に作業は進んだ。荷は食料やビールなどの飲料、燃料や水、作業用木材などで苗場山山頂にある二つの山小屋に分けて下ろされた。それらは10分おきに飛んで来る。その間にすべての荷を片付けて次を待つのであるが50名ものスタッフの必要性がこのとき分かった。大きなヘリの下に立つと60キロの私でさえ飛ばされそうになる。人が見ている中で吹き飛ばされるのはちょっと恥ずかしい。そこで踏ん張って目をつぶることになる。
今日はいつもと違った状況での仕事に気持ちが浮いた。映画に出てくるような本物のヘリコプターに戦争映画を思い出した。そうだ帰って「ブラックフォークダウン」を観よう。
 10時頃に山頂から小赤沢に向かって下山した偵察隊は12時過ぎにザイルなどを設置して下りてきた。いよいよ登山シーズンになる訳である。
 早く終わったので帰って草刈をやっていたら、くるくる回る草刈機の歯の回転とヘリのロータリーの回転が重なって目が回った。それでも2時間半も草刈ヘリコプターをやったことになる。
 エヘン。

2008/05/26(月) 平日の方が
 山の緑はここに来てボワッと厚みを増して夏の装いに近づいたようだ。川の水は徐々に引いて来たのだが切明の河原の温泉は水の中だ。
 土曜日曜のもっきりやの仕事と比べるとご普請組はずっと人間的だ。一人でやる草刈なんかだと終わるまでは休めないしグチョグチョに疲れても誰もほめてもくれない。きょうは昼飯の後休憩も取れた。平日の方がずっと楽しい。そこでもっきりやの看板は「準備中」にしたままである。疲れる観光客はいらないのだ。

2008/05/25(日) 若い人たち
 若者たちと話してみた。言葉は通じるのだが意味がすれ違っていた。それでも若い世代は彼ら独特の言い回しとか笑いのなかで付き合い方を確立していくのだろうと感じた。私らのような終わりに近い世代と比べてこれから半世紀も生きなければならない若者たちを取り巻く環境の厳しさを織込み済みの考え方で生きていく方法は私には理解不能であっても差し障りはない。厳しさは彼らが乗り切ってゆくのだから。そう云えば私の若かった頃と比べると自分が恥ずかしくなるくらい子供だったな〜と感じる。どっちがいいのかなんて分からない。

2008/05/24(土) ギフチョウ異変?
 山菜を探しながら歩いて行くと捕虫網をもった愛好家に会う。ギフチョウを探しているという。そう云えば連休中に放した蝶を見たけれどその後ギフチョウを見たことがない。愛好家も探しているのだがひとつも見ないという。ひとしきりどうやって増やすのかというような話をしたが彼の云うのには蝶が蛹になる直前にタッパーに入れるとそのまま越冬するということを言っていた。そう云えば去年のひとつは発砲スチロールの中で蛹になって倉庫で越冬したのだった。あまり湿り気は気にしなくてもいいようだ。彼が言うのにはもうすこし別の方法もあるといっていたが失念した。湯の兄に聞いてみたのだが彼も見てないという。どうも変だそのうち一気に出てくるのではとも云うのだが今年はギフチョウには厄年なのかもしれない。帰りに右岸側旧仁成館までの車道、歩道の草刈を6時までやってしまった。疲れる訳だ。

2008/05/23(金) 肝を冷やす
 山奥の渋沢に向かった。残雪が道を塞いで、乗り越える時、肝を冷やした。今は沢の流れも多く覆った残雪も空洞になってそこを渡る時は落ちないように注意しなくてはならない。皆立ち止まって状況を確認してこわごわ渡るのだがどうも気分が良くない。渋沢までの道はまだまだ安全の道にはなっていない。それでも先に行った人の足跡だけは在った。渋沢で火を焚いた跡を見て釣り人の根性を見た感じだった。

2008/05/22(木) ここはまだ春
 山の中を歩いている。弁当とスコップを持って木もれ日の中を歩いている。はるか足元に白き流れが見え、青い空の一日。
 淡い新緑は深みを増して、夏の山の装いまとい、流れる汗はすでに季節が走っていることを実感させた。
 傷んだ道を直す手は腰にかかり、坂道にのこす重い呼吸は一日の仕事の終わりを意味した。
 ブヨが付きまとってタバコを止めた私に集まってくる。この分では蚊取り線香をぶら下げての作業となるようだ。写真は山の中で見たちょっとした園である。コゴミとウドが生えていた。

2008/05/20(火) 飲み水止まる直す水出る
 雨でも仕事というので弁当を作って待っていると止まない雨に流れたという。空を見るとやはり出たくない雨降りだ。何ということもなく池の水を見ていると飲料水のオーバーフロー分が止まっていた。このところの雪解けでどうも水の勢いがないと感じていたのだがやはり水場に上がってみなくてはならなくなった。
 毎年雪解けが終わった頃には集水装置の掃除をするようになっていて今日の休みはそう云った意味では良かった。原因はU字溝に穴の開いたパイプを入れて小石で覆ってコンクリの蓋をするだけなのだが小石を取り出して洗って砂を除去して、勿論手でだ、3ッつあるバックの砂も取って流しっぱなしにするとおいしい水が只で手に入る訳である。2時間掛けてきれいに直した。自分で作ったシステムは自分でも直せる。それは大切なことだ。
 昼に弁当を食べて、町にゴミを捨てに行った。冬の間のビン、カン、壊れたステレオ、新聞の折込広告だけなどだが雨に濡れないよう気を使ったのだが、雨は止んで道は乾いていた。
 帰りはガソリン節約の為湯に置いて索道で帰ってきた。

2008/05/18(日) 津南の田植えが始まっていた
 帰りは爆弾処理の影響で道が混んでいるというので、出発を遅らせた。タミコはゲージに入れて車に乗せようとしたところまた吐いた。俺に対する面当てなのかも知れない。それでもタミコは車に乗せられた。1時半に出て2時半に関越に乗った。4時半に17号に出て6時に和山に着いた。途中津南でほぼ半分の田んぼが田植えを終えていた。今日の月が中天に上がって田んぼに映るところは見ものだ。

2008/05/15(木) 作業は続く
 今日は寒いのだが日中は日が射して昨日とは大違いだ。志賀方面の道路管理の作業だが何台もバイクや車が走っては帰ってきた。まだ村での路面整備が残っているようで今週中の開通は無理かも知れない。建設事務所に連絡してください。
 帰り道、猟師小屋が潰れているのを見た。もう建てかえされることはないだろう。

2008/05/14(水) 霰にたたかれる
 硫黄温泉に入った。それも草津っぽいいい風呂である。
 というのも、雨のなか川を渡って盗み風呂をする元気がなかったからで本物の温泉の方がいいのだがこれもなかなかに効果的であった。先日遊びに来てくれた友人のお土産の温泉なのだがこれをもってお礼としておこう。サンキュー。
 東京も寒いとTVでお天気お姉さんが仰っていましたが、こちらでは布団のなかにいても毛布をもう一度引っ張り出したくなる薄ら寒さのなか、朝から氷雨となりました。そのなか80を越えら信一さんはバイクで葉わさびを取りに来ました。作物を作り出荷する責任なのか私は負けます。
 仕事も雨のなかでしたが雨は10時には上がって青空が出ます。そして3時になって霰を先触れに再び降り出してしっかり濡れました。
 晴れ間に撮った烏帽子だけです。昨日から今朝の雪が光を反射させたように感じました。

5月絵日記の続き


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.