来るなら来てみろ もっきりや
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2008/04/30(水) 来れるから来てみろ もっきりや
 当方への道は本日、開通の運びになりました。ブルドーザーでの除雪でありましたので、細かなところはバックフォーで直さなければなりませんが軽トラを外の世界に出すことが出来ました。
 ここに来て15年近くここの道を除雪してもらっているわけですがこの時期になると何にも良くなっていない道だと感じるのです。側溝を掘り出して道を乾かせばいいのですがまだ時間がかかります。資金も使ったのですが個人の力では限界であと何年生きられるのか分からないし、まぁー咲き出した桜でも見ることで、つまらんことは考えないようにしようと思います。
 で奥志賀林道についての情報ですが、すでに奥志賀からカヤの平までの除雪は終わっているようです。つまり県の道路調査の車が斜面の岩や石の状況を判断してOKが出れば通行可能になるようです。その時期が問題なのですが、多分連休明けになるのではないかというのがもっぱらの噂です。

2008/04/29(火) 道路状況
 日が出て暖かくなった。そこでMロードに張り出したボヤを切った。崖上でツルに足を取られながら往生した。切った雑木を燃そうとしたのだが親火がないので燃せなかった。そう云えば朝ゴミ捨てに出て湯のサクラを見ると咲き出していた。紅山桜という木だ。
 明日は予定ではMロードを開くのだけれど、志賀への秋山林道はまだ駄目らしい。雪を割って奥志賀林道との分岐まで通れるようになったのであるが、管轄の信州中野の国交省の役人多分そこでのトップなのだろうが事故の責任が取れないということで5月一杯は通れません。何年か前は一度通れたのだが、トップが替わるとなかなか難しいものらしいという噂が聞こえてきます。だけれどもここの405号線だって何時何処で事故があってもおかしくない道で、何年か前10月の終わりに降った大雪で何台もの車が滑って落ちたり樹にぶつかったりしたことがあった。それで裁判で国を相手にしたとも聞こえてきません。奥志賀林道が有料道路ならいざ知らず、開通以降に事故があったとして、国は責任を取るとも思えません。こういった時代に高いガソリンを使ってつかの間の緑を求めてくる都会の人たちに一本の道を明けて「浩然の気」を感じてもらった方がこの国の為になるのではないでしょうか。まーひとつ考えてもらえないでしょうか。

2008/04/26(土) 蝶ちょは蝶チョで生きてゆく
 朝にはマル福商店の福一さんとコゴミを採った。帰ってまだ8時半だった。蝶チョ学の教授とギフチョウを掘り出した。ひとつカビが生えていたが残りの4っつは羽化しそうだ。去年のギフチョウマンションを取り出すと何とひとつのメスのギフチョウが羽化していた。蛹は乾いた発砲スチロールのなかで春を待っていたのだ。考えられない状況に教授ともども驚いた。明日は越後国境に蝶を探しに出張ってみる。

2008/04/25(金) 俺にも天使が必要だった
 朝から用足しに出た。なんだか追われているようで、咲き始めたサクラも見ていられなかった。こんなことでは天使に助けてもらわなくては身が持たないと感じた。
 津南で銀行に寄った。頼まれごとだった。北野天満温泉では働き手が10時のお茶をしていた。戻って友人の処では、不在の夫君の代わりに細君が用事を受けてくれた。つかの間の値段のガソリンを入れて旧高柳町の門出まで走った。例の壁紙を仕入れて十日町を目指した。時間は1時を出ていた。食料やネコの砂を積み込んで津南に戻ったのが2時に近かった。そこでもそそくさと用事を済ますと3時に屋敷の小学校にたどり着いた。PTAの総会だという。私はたまたま公民館の主事をやっているだけでズーっとひとり者を通しているのだけれどPTAというものに出る羽目になった。場違いだと思って深く沈んでいた。早く帰って壁を張らなければならない。結局4時間近くかかってようやく一部屋をやっつけた。しかしこれは深い意味があってやり終えたというよりも、何というのかある種の「のり」のようなもので勢いといった感じだ。意地とか使命感なんと言うものではなく考えてみるとどっちかというといやいや終えたようなものだ。勿論上手下手は関係ない。人生はほとんど思いつきのようなもので進んでいくのだ。考えすぎてはいけない。眠いからもう寝ようか。答えは返ってこなかった。

2008/04/24(木) 仕事で水槽に上がる
 昨日は暖かく今日は寒く感じた。都会では冷房だ暖房だと忙しいのだろう。ここではまだまだ豆炭コタツは手放せないのだからまだ冬に近い春といったところか。安全な電力を届ける為に今日は山を上って水槽からの枯葉や小枝を片付けた。秋から春までの落ち葉は固まってなかなか頑固だった。それでも去年の枯葉が出て来ると、如何にもきれいなオレンジで秋の紅葉の美しさが思い出された。上がって行く道にはイワウチワが咲いていて良く見るとピンクの強い花の葉は赤っぽく、白っぽい花の葉は緑だった。山のものは山菜も花も同じ種類で色の濃いものと薄いものがあったんだと思い出した。

2008/04/20(日) 連投
 Mrが帰って、私は村長選挙から帰ってきた。湯で話なんかして四時過ぎに昼飯を食べ、六時から居間の残った壁を張った。糊もあることだし中途半端で止めるよりと残り21枚をイカルの間に張り始めた。それから延々日が変わっても2階で和紙と格闘する羽目になった。やりだすとむきになってやり終えるというのは如何にも気分屋丸出しで計画性がなさ過ぎるのだがだれも止めてくれないし、ここまで来たら致し方なかった。後10枚あればシラシラ夜明け頃には完成したものをと残念がった。

2008/04/16(水) 山菜カレンダー
 信一さんのところに用事が出来た。途中散歩をしていた新作さんを乗せて気分転換に屋敷まで出掛けた。帰りに初雄さんのところで昔の話を聞いて湯に帰って来ると旧仁成館のご主人がこごみを採って帰ってきていた。ご主人は山に入るというだけで元気になるらしく泥だらけの靴のまま山の話に興じていた。コゴミは秋山のものではないがこの位の暖かさだと何処の何処かのコゴミは出始めているという山菜カレンダーを持っているようだ。

2008/04/13(日) 薪について努力する
 天気は良くないが、降ってはいない。予報では午後から降るといっているのでなるべくがんばってと思って外に出た。時計を見ると10時なのだが、仕事対応の朝飯の腹ごなしに汗をかこうというわけだ。
 3年もシートを被せられて放置されたカエデの薪はボケはじめているのだけれどとにかく重くて、切らないと時間ばかりかかって進まないので、雪の上で玉切った。運ぶ距離はほんの5・600Mなのだが杉林の中で雪が多くなくデコボコの斜面を暴れる薪をなだめながらの薪運びはあんまり面白くはなかった。一時間にせいぜい4回運べればいいところだ。3時を過ぎて雨が降り出すまで運んだが、まー後10回は必要だろう。ひとりでの仕事はこんなものだろう。いい方だ。

2008/04/12(土) ホップ、ステップ、ジャンプ作戦
 3月に車のマフラーが壊れた。その時、N自動車の担当者がジムニーの下取り値段を教えてくれた。もう13年も乗っている車はそろそろ大修繕をしないと問題が出てきそうな感じなのである。12月の車検には出費を覚悟しなければならない。そこで先日乗ったカローラの感触が甦った。新車で勝負と考えてお財布を開けてみたのだが、手元不如意なのである。友人のジムニーを狙っているのであるけれどもまだ5年は手放さそうにない。その5.6年先を読んだ作戦を考えた。
 下取り価格でジムニーを手放す。(ホップ)状態のいい中古の軽を探す。(ステップ)何年か先のジムニーを待つ。(ジャンプ)なのである。どうだろうか。そして今日N自動車の担当のH氏が車を持ってきてくれた。下見である。悩むほど高い車ではないので決めてもいいのであるけれどそこは考えどころなのだ。この辺が普通の大人の対応でもある。あんまり悩むようなら決めてしまうのだ。
 午前中は昨日借りたソリに薪を積んで雪のあるうちに道まで出そうと奮闘した。霧が出て熊でも出そうであったが二やまあるうちのひとつを終えた。でも残った薪は4倍はあるだろう。明日がんばってやり終えたら、中古の車を発注しよう。車が来たらまた何処かへドライブしよう。ネコのタミコとではなく、誰か手を上げてくれた人と。

2008/04/09(水) さくら、さくら、ふきのとう
 指折り数えると10日も留守にしていましたが今日帰り着きました。ネコのタミコもこの頃はすっかり車をあきらめてズーッと寝ていました。
 今回の東京では片付けと掃除、大事な資料の整理に随分と疲れました。父の残した昭和6年頃からの山旅の記事は別のコーナーに「すえちゃんの昭和旅日記」というページを作って10日に一回をめどに続けてみたいと思っています。また父の著書「汽車が好き、山は友達」は図書館か草思社、古本屋のネットで探してみてください。宣伝はこれくらいにしてなかなか良い頭を持っているせいか自分の力ではこのホームページの改築が出来ません。不器用なのです。ですから右から左というわけには行かないのでそこのところはお含み下さい。
 東京の桜は終わりました。去年、兄と共に見た多摩川の桜も昨日の茂木の桜もやはりしっかり見ないわけには行きません。後何回も見れないのです。桜は昨日の富田さんの説明では、はなれて植えないといけないらしく、それはどうも日当たりなのだと思うのですが、苔が生えたり花をつけないボヤのような枝が生えて樹勢を削ぐようでソメイヨシノのような園芸種の作られた樹は手を掛けないといけないということでした。車で走りながら群馬県では沼田辺りまででした。秋山はフキノトウが勢いづいて、こぶしもサクラも連休辺りになるのだろうと思っています。

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