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2008/03/28(金) 二輪草の場合
 寒い日が続いていて、ストーブに火が入った。午後になったら雪になって、盗み湯は止むまで行こうとは思わなくなった。
 先ほど宮崎県の方から二輪草について問い合わせがあった。この当りでは極よく見る山野草であるけれども、その芽吹きを見たいということなので去年の5月の頭の日記を見直したりしている。確かギフチョウの放蝶の頃に花は見たようだ。つまり連休の頃なのだが去年は殊のほか雪が少なかった今年とは差が出るだろうがどのみち連休にはいいだろう。でも芽吹き新芽といえば4月の20日頃になるのだろうか。お金を使って見に来るのだからなるべく正解を出したいが二輪草の新芽なんか分からないのだ。また行者ニンニクもその頃なのだが中津川右岸の雪の消えた斜面ではもう出ているものもあるようだ。とにかく、なるべく物知りの人に聞いて逐次情報を届けるとしよう。
 外を見ると二輪草の新芽も行者ニンニクの芽も消すように雪が積もりだした。

2008/03/24(月) 反省の一日
 のどが渇いて目が覚めた。夜中だった。しばらく酒を止めるとして、このまま止められないかと考えた。それでもだらしなく毎日癖のように飲むのは止めよう。メリハリのある飲み方にすべきだ。それだけ昨日の酒は応えた。
 朝から強風と時より激しく降る雨が雪を随分と消していた。ゴミを捨てに出て温泉を借りて帰ってきただけで何だか一日が終わった。雪囲いを仕舞ってまた寝た。来週はチョッと東京に出ようかと考えた。

2008/03/21(金) 今年のMロード
 国土調査に触発されて近所の見回りに出てみた。いつも雪崩のかかるMロードまで行って見た。カモシカ、サルの群れいろんな生き物に出会える。見るとフキノトウを見つけて援軍のYEBI大王と天ぷらにでもして春を食べようと思う。味の濃いこの時期の山菜の初物である。
 橋を引き上げて踏み板をまとめて何時大水が出てもいいようになった。

2008/03/16(日) 釣果と水かさ
 昨日のつり人たちはそれぞれ栃川、中津川(もっきりや前)で竿を下ろしたようである。10時頃に帰ってきたつり人の話では栃川では尺級3尾、中津川ではゼロであったといいます。中津川の水かさが雪解けで増えおまけに濁りが出て釣りには難しいのかもしれない。このまま天気が続けばこの水かさは減らないだろうし、雨でも降れば橋は流されるだろう。とにかく雪の消え方がすさまじい。河原は歩きにくいことこの上ない。昼に用事で栃川に架かる橋を通ったのだが車が多く止まっていた。
 掃除洗濯に忙しい私は疲れていた。

2008/03/12(水) 腐った雪の歩き方
 仕事は昼前に終わって寄ると福一さんは昼寝の最中だし、湯は医者に行ったようだった。カンジキをつけて新しい索道への道を付けるのだがザラメのようになった雪はカンジキを付けてもズンと沈んだ。この時期は言う事を聞かない不良少年のようで始末が悪い。まだまだ長靴は放せない。
 今朝外へ出るとモヤが湧いて家も川も山も幻想的な感じだ。これからのひと月が嫌なのである。外は暖かく何でも出来るのだが雪がまだ2M以上あって何にも出来ない。本ばかり読むわけにも行かないし何処か旅行にでも出るしかないようだ。もう降らないだろうしほんとに行くか。
 索道用のメインロープも発注したし明日は中野にパスポートを取りに行こう。夕方盗み湯に川を渡ったのだが川が少し濁っているようだ。上流でなだれでもあったのかもしれない。鳥甲のなだれもすっかり恒常的になった来た。湯への道は暖かさですっかり駄目になってズボズボと膝までもぐった。歩幅を狭く小さく歩くしかないようだ。

2008/03/09(日) 大一大万大吉
 春の香りが流れて、雪はズンズンと沈んでいく。冬にこんな日はめったにないが、あれば上々吉である。まれにあるから嬉しいのだ。後の冬の日はウンウン唸る毎日なので、雪国の人は毎日自然の力教え込まれるのである。都会の人が環境についてNPOに教えられるのとはチョッと違う。でも今日は不在なようで大吉である。
 公民館活動の役で会計の監査や来年の予定やらでいろんな人に会った。それぞれ忙しくこの時期働いていた。それでも日差しにウキウキしている。
 明日は水槽まで上ることになった。なかなか急な斜面で夏でも大変なので明日は泣かされることだろう。着替えを持ってお弁当持ってピクニックとはならないようだ。

2008/03/08(土) サルの五目御飯
 街からお見舞いの人が来ていて、湯では指先のリハビリに四人が取り組んでいた。美味しそうな佃煮や京都の和菓子、生きのいい鰤、元気が出そうなすっぽんのスープ。都会ではなかなか口に入らない上物が此処では集まってくる。私のところとは違った湯の歴史と人々を感じた。云っとくけど僻みではない。湯に行けばお相伴に預かれる。ちょっと恥じる。
 湯をもらってからリハビリを終えた患者達とケモノのについて話が盛り上がった。
 サルの五目御飯、香ばしくて旨いと言う。最近この辺りでもよくみるハクビシンもまた旨いと云う。たぬきは匂いがきつくて食べられないと言う人と、内臓や血を肉につけないように処理して土に埋めておけば大丈夫と言う人もいる。子供の頃よく「たぬき汁」の話を聞いたり話したりしたが食べたと言う人はひとりもいなかった。たぬきによく似て鼻が伸びたような狢(ムジナ)は旨いそうだ。冬に車に轢かれたムジナを見かけるが次の日には消えている。ケモノではなく人に食われたのかも知れない。
 熊やカモシカ(今は獲れないが)は云うまでもないが、ムササビ(晩鳥)もいいそうだ。勿論、若い熊と年取ったそれでは随分違ってくるのは当たり前だ。
 私は肉は豚の三枚肉と決めているから必要ないが、昭和30年代頃までの秋山の人々の暮らしのなかで岩魚やたまに食べる野生の肉は、それはお御馳走だったのだろう。ケモノの肉はどんなに美味しくても癖がありスーパーでパックに入ったそれとは雲泥の差があると言う。でもそれ以上に此処の人々の暮らしは質素で色のないものだった。現代の我々はきっとこの時代に向かってターンバックして行くのだろう。
 写真は40代の彼です。誰だったのか忘れました

2008/03/07(金) そうじ、ソウジ、掃除
 そうじとなると屋根と同じでこの家は大きくとても大変なのだ。掃除機というのは、やれフィルターを洗え、コードが届かないと文句を言われているみたいで、私は茶殻を使って箒での掃き掃除をするのだ。茶殻は上等のお茶よりかすぐでなくなってしまう庶民的なそれが掃除には向いているようだ。
 まず煙突掃除から始める。出たり入ったりして煤を散らかさないようにするにはコツがある。これをしておかないと幾ら薪を使っても一向に暖まらなかったり、火が点かなかったり大変なのだ。二階の客室から始まった掃除は畳の雑巾かけまでやって順次廊下、階段。下に降りて台所、居間、トイレと大体終えて6時になっているのだ。とても疲れた。掃除は嫌いである。洗濯も嫌いである。炊事だって好きではない。困った。生きるということは実にめんどくさい。60になっても70になってもこうして泣きながらやっているのだろう。生きることは大変なのである。

2008/03/04(火) 寝言猫
 猫は豆炭炬燵が暑いのか外に出て寝言を言っている。台所の温度計は7度を指している。薪ストーブが消えていてもゾッとする寒さは感じない。薪を大切にすべく豆炭炬燵と灯油ストーブで映画を見ていた。ただ炬燵に肩まで入って少し爺くさい。
 晴れてはいないが昼になると屋根からの雨だれが激しくなるので朝飯前の2時間外の雪を構った。3時になって索道で右岸に渡りそこで除雪機を使っている湯のご主人を手伝った。露天風呂が雪で埋まって機械を入れてそれを片付けていた。ほんの10日前に屋根から落ちた当人はやはり痛い胸を庇いながらがんばるのである。「いや〜放って置いてもいいんだが、何だかすっきりしないからな〜」ご主人は風呂の周りを片付けると再び雪の山に挑んでいった。私は湯を貰いながら内湯を掃除して風呂代とさせてもらった。


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