来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
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2007/07/31(火) 順調 索道
 7月も今日で終わりになってしまう。4ヶ月経つとまた伊達巻戦争ということになる。いやー年を取るものだ。私も定年になりたいのだが、好きに生きてきたせいか終わりはないようだ。
さて、今日は右岸側の基礎と支柱、手すりのコンクリートを終えることが出来た。硬化を待ってワイヤー張り駕籠の取り付け、右岸側の埋め戻しを行えばどうにか索道は完成ということになる。この分だと盆前には終わりそうだ。

2007/07/30(月) BAGDAD CAFE
 朝から雨が降っている。効率を考えて今日の索道工事は中止になりました。その後、雨は時に激しく時にゆるゆると一日中降り続きます。組頭が来て今使っているターンバックが応用出来るか見に来てくれた。索道用の金具を注文して明日の天気に作業を委ねた。
そうなるとのんびりしようと久しぶりに映画を見る。「BAGDAD CAFE」別にイラクの戦争とは関係ない。ラスベガス近郊の砂漠に建つモーテルで夫と別れたドイツ人観光客と女主人のやり取りなのだがこれがいい。ドイツの監督パーシー・アドロンと挿入歌「コーリング・ユー」はたいしたものだ。
家で弁当を食べて昼寝して起きると貧乏性が出て何か作業をと窓枠のペンキ塗りを始めた。準備と片付けでほんの2時間。ミドリの色は古い家には合うようだ。

2007/07/29(日) Dr.イッコウこそ
 Drイッコウさんは今回もちゃんと作業を手伝ってくれた。前回は索道の支柱の穴を掘ったりアンカーまで手伝ってくれたのだ。もっと大事にしなくてはいけない。どう大事にするのか分からないが非常に助かる。
やることは沢山あるのであるが今日は支柱のさび止めを二人で塗ってみた。大した大きさではないがそれでもありがたい。おまけに昨日は蕗の皮むきまで手伝ってもらって感謝感激なのである。蕗の味噌漬けとキャラ蕗はお土産に出来たが今日のさび止め塗装のお土産は無いのだ。さて困った。長い目で見てもらって彼の汗を借りておこうと考えている。
湯の兄に頼んで手動式のサイレンを貰ってきた。津南の技術主任に渡して索道の緊急用に取り付けてもらうよう頼もう。選挙に出掛けてそのまま津南に下りたが、技術主任は津南祭りの後片付けで大忙しだった。大学に行っているアニと高校のオジを動員して大きな舞台の解体は大変である。私はイッコウさんと主任を見舞って「じゃーナッ」と分かれた。今もパジェロを駆って走っているのだろう。いわきは何せ遠いのだ。

2007/07/24(火) あ〜インタナショナル もっきりや
 友人が4人のお客を連れて来てくれることになっていたのだが仕事を終えて帰ってみても誰もいない。洗濯して風呂に入ってゆっくりしているとばたばたとやってきた。そのまま鉄索で湯を貰いに行ってからの食事で日を跨いでの夕食となった。勿論漆喰壁と新畳のご馳走つきであった。日本の学校で英語を教えているアメリカ人ともう直ぐ帰国するイギリス人がいたせいか私のテンションは随分上がっていたようだ。

2007/07/21(土) 畳は生きている
 今日ちょっとした晴れ間ねらって畳を入れ替えた。勿論注文畳である。私は10時頃から古畳の整理と掃除で随分汗をかいた。午後の2時に畳屋さんと大工さんが来てくれた。休みの息子さんも来てくれて一気に32枚の畳を敷き詰めた。雨は降りそうもない。70前の感じのいい職人だと感じた。
「畳は生きていて、新しいうちはカビにやられるからホウキではいたらからぶきしてください」松之山の畳屋さんは福一さん武雄さんの家の仕事もしたといった。ひと部屋ひと部屋新しい畳になってきっちり隙間がなくなっていくのを見ているうち、初めてこの家が自分のものになったと感じた。12年を経てこの家は旧川西荘から現山房もっきりやへと質実ともに移行した。
 しかし考えてみると二階はすべてお客さんの為の部屋で下の居間はひとりの時は使わない。みんな来るだろう人たちのために壁やら畳を替えたことになる。YEBI大王、カナモノヤ氏、千鳥足会の面々、暇人協会の諸氏。ハナちゃんやらドクトルM氏、大田のNさんや滝の写真家のHさん、パジェロを買ったイッコウさん。ここに来るすべての人たちがいい感じで一晩過ごすために奮発してみたのです。お金はこうやって使うべきであると感じます。
 ほんとは私の兄が強く指示してくれたことなのです。兄からのみなさんへの贈り物であります。それでも今日は新しい畳の上でひとり布団を敷いて眠ろうと考へてます。

2007/07/18(水) ぐるっと一周志賀高原
 猫が股間をなめている。年を取った猫といえども痒いところは痒いのだろう。それが蚤にたかられていて私は蚤捕りに忙しい。嫌な役目である。雄川閣のお姉さんは「人にも移るわよ」と涼しく言った。
 朝の6時前に組頭から中越沖地震の余震を考えて遠いところでの作業は中止になったと連絡が入った。そうなると年金免除申請に役場、火災保険の支払いに町へ向かった。群馬のお客と志賀から中野、飯山から栄村、津南とグルリ一回りした勘定になる。朝に時間が在ったのでお弁当を作っておいた。飯山の湯滝温泉の千曲側べりで弁当を食べたのだが弁当はいいものである。おにぎりはあくまでおにぎりで弁当の卵焼きにはかなわない。このところの御普請組みの仕事で弁当作りに磨きが掛かったのか友人も褒めてくれるのである。万歳。もっきりやにいらっしゃるお客の皆さんはお弁当箱を持ってくれば私が作ってあげましょう。

2007/07/17(火) 日常の大事さ
 この所随分と寂しい想いの日々が続いたせいか、久しぶりの御普請組の仕事がやけに面白く感じるのだ。このまま楽しく生きおおせればいいのだがそうも行かないのが人生なのだろう。今日は朝から梅雨空でいつ降り出してもおかしくはない。案の定昼過ぎから雨となった。今日は草刈ということなのだが昨日の草刈と違って今日はお金になった。ただ私の草刈機の使い方はどうも半人前なようで組頭から使い方の指導を受けた。何でも自己流では無駄が多いようだ。また自分の仕事と稼ぎ仕事のやり方は違ってくるのは仕方がない。仕事が終わって見上げる斜面に誰かが刈り残した百合の花が風に揺れていた。

2007/07/13(金) 帰郷
 午後5時帰りました。台風から家、道を守る為です。何だか緑が濃くなっているのには嫌になりました。また草刈です。
 ギフチョウは生きていましたがちょうど体を固定させて蛹になる準備をしていました。フンや食草の整理でまだ毛虫のギフチョウを水苔に移しました。チョッと早かったかと考えます。どうにかなるでしょう。


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