来るなら来てみろ もっきりや
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2006/09/10(日) 来るなら来てみろ保健所
 もっきりやは平成16年に簡易宿所の認可を取得して公の規則のなかで営業しておりますので、年に一回は保健所の査察を受けなくてはなりません。これは決められた約束事でその時期になるとひとりでてんてこ舞いになる訳です。この間普請組の仕事もなくてまたお客さんも有って少しずつキレイにして来ましたがなかなか疲れる作業でもあります。どうにか明日の検査に間に合わすように掃除を終えてホットしてます。明日は少し早起きして風呂場の掃除をすれば、後はゴメンナサイと頭を下げるだけです。
 東京のカプセルホテルは一泊4000円ということらしいのですがもっきりやはこのまま頑張って今のままで行くつもりです。が、先のことはわかりません。それでもカプセルホテルというのは街を旅する人や、外国人には合理的で安価で、この宿所の利用料の手本としようと感じました。畳を新しく出来れば値上げも考えるのですが、客からの苦情、保険所の指導が無いうちは一泊二食三千円はあまりにもごろが良過ぎて捨てがたいフレーズとわたしは考えます。出来たら外国の旅行者にここの暮らしや風景を紹介してみたいと考えてもいるのです。どうかご指導ご鞭撻をお願い致します。

2006/09/09(土) 若い人はよく食べる
 昨日は、7時から夕食の準備となった。ここはなにしろ来るなら来てみろであるので、顔を見てからスイッチをONにするのである。
 で、3合のご飯では足りなかったようだ。長野原から渋峠を越えて来た青年にはひとり1合では充分ではないかもしれない。そこで、朝は5合の米を焚いたのだが、それもペロリと平らげてしまった。私の分が無いのだ。最もトロロにしたのがいけなかった。山芋は「釜泥棒」といって普段の2倍は飯を食うというくらいのもので、サービスより経済を優先させなくてはならん。これからは若い人の朝食は、納豆、オムレツ、塩辛で済まそうと今朝の体験を経験にまで持ち上げて私の心の引き出しにしまった。
 若い者を育てる親の苦労は大変で幾ら米があっても足りないだろう。時間、お金、涙、全てを注ぎ込んで育てて逆襲にあって冷たくなってしまうのでは「いい加減にしろ」と怒りたくもなるだろう。

2006/09/08(金) 客は来てみなければ分らない
 朝起きると戦友はすでに出発していた。昨日の事がなんだか嘘のように風が吹いていた。
 一日中、台所の掃除をしながら客を待っていた。ワサビ畑に来ている信一さんは午前中舞茸を探しに山を歩いてみたが静かなものだったと言った。今年は気温がまだ高いようで、早生の舞茸の気配も無いと笑った。
夜になって客はもう来ないだろうと食事を始めると電話が鳴って、自転車3人組が来るという。軽トラで迎えに出ると切明で温泉に入った3人組のライトに出くわした。見ると山の端に大きな月が昇るところだった。
明日は6時に起きて自転車3人組を送り出さなくてはならない。

2006/09/07(木) なんとなく冬の準備
 普請組の仕事が雨で流され、十日町まで買出しに出る。玄米30kを精白して、灯油を60ℓ、ティッシュ、トイレットペーパー何となく冬に向けての買出しになった。灯油の心配をするようになるとあの長い冬を考えてしまうのだ。だってあと2ヶ月もするといつ降ってもおかしくない季節がやって来るのだから。
 帰り道電話で「伊達巻戦争」の戦友二人がやって来るという。ゆっくり眠ることは今日も出来ないようになった。晩には嫁さんを求めて見合いをするというので、傾向と対策を話し合ったのだが、果たして作戦は順調に進むのだろうか。戦闘に不向きな彼のここ一番の奮起を期待するしかなかった。
 ところで先般ドコモのフォーマが使えると書いたのだが、お客は使えないじゃないかと苦情を言われた。ここは「すいません」と謝っておく。
 蕎麦の花は咲きそろい始めて、空を見ればすっかり秋の風である。

2006/09/06(水) 平成壬申の乱にならないように
 紀子様は親王を御出産されて、これで天皇家も男子直系という系譜が守られたようである。そう云えばつい最近まで皇位継承者の男女平等化について議論が喧しかったのだがあれは何処に行ってしまったのだろうか。私としては知り合いの嫁さんが紀子様の母上と同窓で紀子さんを抱いたことがあったというだけだ何か紀子ちゃんといった親近感があるから親王派になるつもりなのだが、愛子様の利発そうな姿も支持したくなってしまうのである。男女を問わず第一子が王位を継ぐ西洋の王家を戴く国からまた何かとこの国のうやむやさが攻められないように、また後年、壬申の乱のような皇位を巡っての争いが起きないようにここははっきりとけじめをつけるべく次の安倍ちゃんは努めねばならないだろう。でも安倍ちゃんならキット‥‥。つまらない首相になりそうだな。
 昔ならここ秋山でも提灯行列が行なわれただろうに。今の小赤沢のGSの手前の沢から尾根に出てその山道を紋付を着た人たちが一列になって旗を振りながら上の原まで行進したことだろう。真っ暗な山道を一列になった提灯の列はどういう眺めなのだろうと考えてみた。

2006/09/05(火) 千客万来?
 一日中洗たく、掃除、食事の準備と忙しかった。東京から岩魚釣りの名人と仲間、南信より若いご家族と満員という盛況であった。名人とはもう何回か一緒に飲んでいて、気心も知っていて呑気なもので楽に過ごせたし、同世代の気楽さもあった。同行して来た中年に近い青年にはその元気さに負けるのだが我ら団塊がいじめてきた世代のせいかなかなか鋭い逆襲にあって、我らの論法は暫し腰を折られるのであった。我らの世代としてはこの15〜17年後に生まれた世代の論客をどう料理するかが今後の団塊王国建設の宿題になりそうだった。名人は腰を折られながらも「様(ザマ)」について思いを巡らせていた。
 一方南信のご家族はおとなしく、ひと目でその人柄に好感を持った。その晩は名人が持ち来たった刺身を均等に分けて皆で食べることが出来た。議論も面白いのだが、上手いものはもっと生活に華を添えるものだと感じた。

2006/09/04(月) ムジナ家畜化運動
 妖刀村正宅にムジナが同居している。村正宅にはムジナの来る前に熱帯魚が生息していて飼い主に似ずどんどんと子供が生まれた。水槽のなかは何か安アパート然として見苦しいのであるが妖刀村正殿は意気軒昂で、この魚の「ネズミ講」的増殖で一儲けを画策していたはずである。だが、この所その話題が聞かれなくなった。と、思ったらこれである。妖刀村正殿はグッピーという値の付けられないくらいに安価な熱帯魚の養殖から一気にムジナに転向して犬との混血、はたまた猫との合体。ウナギイヌがあるくらいだからとウナギとの掛け合わせを考えているのではなかろうか。そこでまだ当歳のムジナは犬用の首輪と引き綱を付けられて家畜編入教育の真っ最中だった。まず慣らして芸の一つも(チンチンでもお手でも)やれるようになったらエッチな写真でも見せながら中等科に進ませるのだろう。Hな写真は週刊ペットに載っているものです。
 計画を秘する為、彼は「食する!」と何かに付けて叫ぶのだが、妖刀村正の切れ味は鈍る一方なのだ。先般熊の解体を見たという彼は、それに習ってムジナを捌けるのだというのだが、私の見たところに依れば彼の性向は観察者のそれで、自らの手を血で染めてまでの戦闘性は無いだろうし、ムジナ家畜化計画も結局、ブタのように太ったムジナを毎日散歩させながら手を洗って「ケモノ臭くてたまんねーな」というのが精一杯だろう。
 ところでムジナにはまだ名がない。私が近寄るとグーグーと鳴いたので「goo」がいいだろう。村正氏が好きなGoogleである。この辺でシャンシャンと手を打っているのが身の丈にあったムジナとの付き合い方なのではないだろうか。
 私はである、一日も早く何処か遠い他国に放すべきと考える。

2006/09/03(日) 毎回こうは行かない
 が!どうも仲間意識が出てサービスにこれ努めるのである。
 朝、お客は釣りに出て3尾の岩魚を釣ったという。どうも梅雨末期の大雨で魚が流されて?少ないとは客の仕入れてきた情報なのだがこの所あんまり釣れないらしい。ともかくも昨日と今日で4人で4尾の釣果があってよかったと思った。ここまでお金を使って来た甲斐があったのかは分らないが、釣り人には釣果、登山者には晴天が第一のご馳走なんだから。
 みんな帰って部屋の掃除、洗濯をして11時に遅い朝食を食べた私は少し疲れたと感ずるのであった。

2006/09/02(土) 9月になれば雪の心配
 どうにか暑さも一段落して、空にも風にも秋が見えるようになりました。初雪が降るまで後2ヶ月もなくなります。
 昨日の客が雑魚川に去って、今日は4人の釣り人がやって来て、入るなり「早実優勝おめでとう」とウイスキーをプレゼントしてくれた。お返しに早実の校歌とも思ったのだがそれよりも夕食のオカズを一つ増やしてお礼とした。
 魚は釣れなかったが、湯の露天風呂に入ってきて、客はいい顔をしていた。夕食後、秋山の話などをしている内にお客が聞きたがっている話しをしてあげなくてはいけないと感じた。「平家伝説」などはよく聞かれるのだが私としてはむしろ南北朝時代の話に振ってしまうのだ。ここの平家落人伝説は私の周りに資料がなくよく分らないのである。今度「えーのかみ」のご主人に教えを請わなくてはならないと思う。
 その夜は一人残ったお客と「あじさいの花」を見ながら映画の話をした。

2006/09/01(金) 作業部屋片付け
 ダラダラと作業部屋の片付けに入る。お客がひとり来るというのでまず部屋の掃除をサッサと済ませて外を見ると見慣れない車が止まっている。はて!お客なりしか?と思っていると大家さんが朝にきた人だろう教えられた。お客は昼に雨に打たれて川から上がってきた。お茶を飲んでのち彼は再び川に向かった。
 さて作業部屋の片付けだが何処から手をつけていいのか分らないくらい混乱していた。それでもどうにかやっつけて同年輩の客の食事の準備をする。新たに買った象印の炊飯器を初めて使った。
 二人でウロチョロとこれから先のこと、これまでのことなど話しながら夜は更けた。どうも酔っていて何を話したのかよく覚えてはいないのだが、「絆」、人の絆を求めて生きる、絆はあるのだろうか?隠れ家としての小屋なんかの話だったように思う。


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