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2006/09/29(金)
写真取材
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今日はひと組、私の大家さんの写真を撮る。今は此処から離れて屋敷で暮らす信一さんはキヤさんとここで田んぼを作り山菜を採り、きのこを打って暮らしてきた。私が蕎麦を蒔いた畑は50年以上前信一さんがひとりで夜電灯を付けながら作ったものである。ここで二人の写真を撮ることが大切だと私達は考えたのである。 昨日の続きを考えてみるならば、お年寄りだけの村になりつつある秋山郷でも育つ子供の数は現在9人となって学校の存在も危うくなって来るのです。暮らす人たちが居なくなった風景は、人と自然との調和が作ってきた美しい風景ではなくなり、地方の文化が音を立てて崩れていくことでもあり、それは山村の崩壊であり山里の消失なのではないでしょうか。「ああーさびしいな!これも時代の流れ、しょうがないだべ」 風景には村人が何百年もかけて作ってきた精神性があって、それこそ、風景そのものなのではないか。
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