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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
2013/08/05 貧すりゃ鈍する
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2006/09/29(金) 写真取材
 今日はひと組、私の大家さんの写真を撮る。今は此処から離れて屋敷で暮らす信一さんはキヤさんとここで田んぼを作り山菜を採り、きのこを打って暮らしてきた。私が蕎麦を蒔いた畑は50年以上前信一さんがひとりで夜電灯を付けながら作ったものである。ここで二人の写真を撮ることが大切だと私達は考えたのである。
 昨日の続きを考えてみるならば、お年寄りだけの村になりつつある秋山郷でも育つ子供の数は現在9人となって学校の存在も危うくなって来るのです。暮らす人たちが居なくなった風景は、人と自然との調和が作ってきた美しい風景ではなくなり、地方の文化が音を立てて崩れていくことでもあり、それは山村の崩壊であり山里の消失なのではないでしょうか。「ああーさびしいな!これも時代の流れ、しょうがないだべ」
 風景には村人が何百年もかけて作ってきた精神性があって、それこそ、風景そのものなのではないか。

2006/09/28(木) 山村をどうしよう
 続きの「秋山に生きる」の結果はこの一週間が勝負で、天気もさることながら元気なお年寄りと出会えるかにかかっている。金物屋氏は頭を刈って気合が入ったままバスから降りた。
 この間秋山の其処此処を歩いていると今日元気なお年寄り達がズーッと元気でいられる訳ではなくこれからの秋山郷は引いては日本の風景が壊れていくのではないかという不安がわいて来るのです。70年以前の秋山に暮らすことの厳しさ我慢、諦めが今のお年寄り達のゆるやかな暮らしぶりと表情を作っているのですが次の世代が飽食時代のなかで確実に違ったスタイルをとらざるを得ない現代、自然と人間が折り合いをつけた暮らし方がこの国の至るところで消えつつあるように感じるのです。殊に山村の風景は今年の大雪でTVが報じたようにもう支えきれない所まで来ているようなのです。もっとも、ここ秋山郷でこの大雪に騒いだのは私らの世代の役人の目線で、ここのお年寄り達はせいぜい薬が無くなる、病気の時はどうするかといったことでした。昔は全集落の人間が力を集めて病人を町まで下ろしました。近年ヘリも来るようになって充分暮らしぶりは改善されたのですが、町のようにはいきません。でもそれが山の暮らしで知恵と工夫の源だったように感じます。
以前秋山の人たちの暮らしを取材していたとき「もう20年前だったら」と言われたことがありました。でも20年前には戻れないわけで今しかないのですから私らは「秋山に生きる」写真と暮らしぶりを行ないながら今までの秋山とこれからの秋山を考えていこうと思うのです。写真は仁成館の前にある大きな水管理の井戸のなかになったアケビです。網の蓋から伸びた弦が井戸の中ほどで実をつけました。何か今の山村の現状のようです。

2006/09/25(月) 機械は生きもの
 キャタピラが外れる時は予兆がある。それに気づいた時は、そのまま逆に戻っておかしい方のキャタを浮かせて空転させる。石を噛んでも、グリースが抜けていてもキャタは外れやすくなる。何かやる時はオレの休みの時にしてくれ。これは学校では教えてくれないよ。
 今日は一日ユンボを構うと決めて外に出た。転覆すること、転落すること、死んじゃうことも考えて作業を始めた。道の凸凹を均して、排土板を使いこなせるようになりたかった。狭い道で転落で死ぬことは考えたのだが、キャタが外れて身動き出来なくなることは考えなかった。敵は何時も予期しない所に上陸してくる。技術主任が5時過ぎに来てくれてバールと鉄パイプ、レンチとグリース差し、経験と技術でユンボは3時間後に復活した。またひとつ大切な体験をした。

2006/09/24(日) ストーブ付けてナメコ汁
 このところ寒い日が続いて、一昨日の東京も秋の気配を感じたのだが、ここではすでに冬の予感を抱くようになった。我慢強くない私はすぐにストーブに火を入れていた。この分だと給湯器は早速取り替えということになりそうである。
 このところの疲れか、いつものことか目が覚めているのだがなかなか起きられなかった。年なのだと気付いたが知らん振りをしておこう。ナメコが出ているのでその周りの草を刈って道まで足を伸ばした。すると雪が来るまでにやらなければならないことが沢山あることに気が付いた。水道タンクの周りのコンクリート伏せをやるための準備、水場の整理、バックフォーで道路の山を均さなくてはならない。薪を割ったり、灯油を買ったりすべて冬の為の作業である。忙しくなってきた。もう目をそらしてはいられなくなった。
 ナメコは早生で味としてはイマイチなのだがそれでも今年の新物である。どうでしょうそろそろストーブに当たりながらナメコ汁なんかを食べに来てみては!

2006/09/20(水) 好日
 天気が良くて、山遊びをする人、稲刈りに忙しい家々をまわって来る。
話を聞きながら写真を撮らせてもらうのだが、一日に何人もの人生に接すると私の胸が壊れてしまうのではないかと感じる重さがあった。人の一生は何分何時間で聞き遂せるものではないからだろう。でも、写真を撮り進めるうちに確信に似た想いが浮かんできた。ここの自然のなかで暮らしてきたご夫婦の40年、50年が僕たちに教えている感動は確かに人の正しい生活の結果なのだと。私もこうして老いて行きたいものだと感ずるものなのだけれど、どうもこの奥山住まいのウグイスは、一生忘れぬ片思いで終わりそうなのである。それだけが困った問題として残っていく。
金物屋からの一言「カメラマンは道楽や遊びでないことがやっと分ったようです」

2006/09/18(月) ネクタイ締めて上着きて
 公民館活動の大事な事業は敬老会を無事に終えることです。私もネクタイ締めて送迎から司会、演芸と大忙しな訳です。それでも新参者の私を受け入れて面白がってくれるここのお年寄りの為なら心地よい疲労というべきなのだと感じます。
 秋山の厳しい自然のなかで育ち経験を重ねた顔にはその皺のひとつひとつに人間の味があると感じました。短い夏の畑仕事や、喧嘩していては超えられない冬の厳しさが夫婦の思いやりを育みます。これこそが秋山の宝ものなんだと感じた瞬間熱いものがこみ上げてきます。マー泣き虫の私としてはそんなものなのですが、ここに住んで12年。どうにか秋山の人間になって来つつあるようです。
 シマンチュ楽団は今日も敬老会を盛り上げて頂き沖縄の先島を秋山に思い出として残してくれました。

2006/09/17(日) 音の調子が心を開く
 思うのですが沖縄の音楽には人たちの気持ちを和ませるものがあります。例えばアイヌ民族のユウカラを聞いても、郡上八幡の風の盆唄を聞いても、その哀調に心を動かすものがあるのだが真から楽しめるものとは違っているように私は感じるのです。沖縄(琉球国)は薩摩(もとはといえば宇喜田の残党が薩摩の庇護を受ける為に)の強烈な支配下で苛め抜かれた歴史のなかでも失わなかった人に対するやわらかさが残っているようにおもわれるのです。大戦での被害、その後のアメリカ統治と厳しい時代沖縄の人々の心に続いていた平和への想いが文化伝統となって沖縄のメロデイーに残っていると感じるのです。このリズムは人々を引き付け和ませる力があると酔っ払う前のシマンチューに感謝するのです。
 海人から山人へのプレゼントとして今日の台風にゆれる島を思いながら楽しませてもらいました。ありがとう!

2006/09/14(木) 東京はお忙し!
 たまの東京はあれもこれもと忙しいのです。でもこのところ老いた伯母や伯父の見舞いばかりでそんなに東京も楽しくはありません。でも東京は充分刺激的なことは事実です。病院の近くにあるこの遊園地も苦戦中と聞きました。明日は大王とあって一杯飲もうと考えます。

2006/09/13(水) お見舞い抜歯法事
我が家のヘルパー「タミコ」は私が親不孝を決め込んでウロチョロしている間ものんびりとおっかさんの面倒をみてくれています。たぶんおっかさんより年老いているのですが、私の嫁さんを気取って襷掛けであります。人間よりも人情を心得た老猫であります。タミコ万歳!

2006/09/11(月) 開けられたパンドラの箱
 今保健所の優秀な検査官はお帰りになりました。2、3の改善点を指摘して頂き今後の課題となりました。
 さて、5年前の今日はパンドラの箱が開けられた日でありました。WTCで3600人の犠牲の結果はアフガニスタン、イラク、パレスチナ、イランと限りなく憎しみの連鎖が続きます。力の報復が引きずる混乱はまだ続くのでしょうか?国家とか政府といった巨大な組織がひとりの能天気な指導者の言動によって確実に組織され反対する者を弾き出して進む先は荒涼とした原野でしかありません。1932年A・ヒットラーは演説の中でこう言ってドイツ国民を鼓舞しました「共和国は今、危機に直面している」。 ジョン・レノンはこう歌います。「We all shin on・・」
 この、17日に切明温泉で昼からちょっとしたお祭り予定されています。私の友人「多良間三線の会」(私は密かにシマンチュ楽団とよんでますが)の快諾を得て、ここで沖縄の唄をみんなと楽しもうということになりました。鄙びた切明温泉で山人秋山と海人多良間の気持ちが融け合います。是非見に来てください。
 そんな打ち合わせや法事、抜歯なんかを済ませるべくこの前線を離脱いたします。用事は急ぐものに限って携帯に下さい。

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