来るなら来てみろ もっきりや
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2006年8月
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最新の絵日記ダイジェスト
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2006/08/14(月) 人も流れてどこどこ行くの
楽団は来た時と同じように帰っていった。何だか寂しさが残った。昼寝をしていると山屋さんが来て一晩の宿を頼まれた。その後秋山の支所から宿泊の問い合わせがあったのだが、予約の客もいて定員5名のもっきりやは折角の依頼を断る羽目になった。前回も丁度東京行きのバスの中で断ったことを思い出した。なんだか折角のお客さんには申し訳なく、世話してくれた支所の方には頭が下がった。
夜になってマメ柴犬を連れたお客さんが到着して暗くなった中津川を鉄索で渡って湯に向かった。その間「ハナ」と呼ばれたマメ柴は実におとなしく可愛らしく主人の帰りを待っていた。佐武流山に登るという山屋さんは林道を車が走れないはおかしい?と苦言を呈したが、もっともだと思う。

2006/08/13(日) ユンボで遊ぶ
暑さが続いて夕方になると蚊やアブが元気だ。大王は仕事で帰ったが、楽団は河原で厳しい三味線の稽古だ。昼過ぎ八重山商工の試合に間に合わせるべく切明温泉に向かった。河原はバーベキューをする人、釣りをする人、何だか河原に沸く湯と同じに人も沸いて出てきたようだ。
そう云えば昼飯前にバックフォーの運転をしてみた。楽団の坊のママと主演奏のうちナンチューはとても楽しそうに見えた。八重山商工の勝利を見届けてやってきた主任を交えて三味線の講習会が続いた。みんなこれからの10年を見据えた集中力を見せ付けた。今年がその1年目である。
写真も壊れてライブの映像が送れなくなった。東京に帰ったとき中古のデジカメを探しますので古い写真で勘弁してください。

2006/08/10(木) 待った甲斐があった
 千住時代の友人、安藤昌益の研究家がやって来た。彼は原稿を書くという。
 もう12年も前になるのだが、私が千住の「もっきりや」を閉めたのには私なりの理由があった。あんまり儲かる店ではなかったがいい仲間には恵まれていた。経営はなかなか大変でこのまま後何年続けられるかが大きな問題だった。よしんば続けられてもここで知り合った友人があと何年かするとひとり減りふたり減りして私だけが残ってランチやらコーヒーを作っていることに寂しさを感じた。儲かりもしないもっきりやで帰ってこない仲のよい客を待っていられないと思った。店の隣にあったAOTSという法人に遠くから通ってくる仲間のような客が定年を迎えて散らばって去る前に私が定年を迎えてみんなが集まれる場所を作ろうと考えたのだ。それも、元気のあるうちに。そして12年経った今日友人が本を抱えて帰ってきてくれた。それも自分の仕事を持って。待った甲斐があった。
 畑を見ると6日に蒔いた蕎麦が目を出していた。ただ山鳥の家族が5.6羽、畑の中で蕎麦を食べているのだ。彼らにしては待った甲斐があったのか。そういえば今日来ると予約をくれたお客は何の連絡もなく到着していない。これにしては待った甲斐はなかった。

2006/08/09(水) 二足の草鞋
昨日釣りから帰ってきたお客さんは河原で熊の足跡を見たといって「まいったなー」を連発していました。熊はここの原住民で私等よりかズーット長く住んでいるので驚くにはあたらないのです。熊の野郎はきっと朝早く水を飲みにやって来たのだと思うのですが、この時期多くの釣り人が川に入っているので熊は恐れて出て来ないはずです。山には食べ物もあるといいます。でも人間の食べ残した残飯をまだ若い熊は食べに出るともいいます。さてそうなるとなかなか経験則が当てはまらなくなってきます。人為的なことも含めて環境の悪化は野生生物にも人間にも直ぐそこで影響を与えます。
 彼らは朝7時に釣に出発しました。食事を出して片付けて部屋の洗濯物を洗って、今度は普請組の準備に掛かります。忙しいのです。
 今日は山廻りでスコップ担いで往復5時間の行軍でした。「普請組は歩くのを億劫がっていたら山廻りは勤まらない」「この分では脛毛ののびるひまがないだろう」と藤沢周平の一文を思い出して皆で笑いました。汗を拭き拭き見上げると対岸のはるか彼方に苗場の峰が浮かんでました。多分ここより歩いて7時間もすればあの頂にたどり着くだろうと感じます。

2006/08/08(火) 暑気払い
 仕事を終えて今日は暑気払いだという。ところが今日はお客さんが来るというので私はどうするべきか考えた。早めに家に帰ってお客さんに事情を話すと了解してくれた。もっきりやはこういったところであります。一泊3000円で泊まるのは皆さんにもご不便をおかけしてしまいます。そこのところは何卒ご容赦願いたくお願い申し上げます。
 生きていくことは付き合い、危なさ、迷惑を皆にお掛けしていることだと思いました。明日の台風が去年のような災害をもたらさないように節に願います。

2006/08/07(月) 厳しいところには
郷廻りの仕事は、それでも秋山の山中、里方とは違った風が吹いて暑さでボーっとなった身体を生き返させます。汗まみれのシャツも風を感じているようです。
50万分の1、岩菅山の地図では雑魚川取入口からつり橋を渡って雑魚川右岸を外川、その先へと巡視路が続いています。渋沢とは違って第七横口までしか行けず、その先切明までの道は度々の雪害、土砂崩れで寸断されて行くこと叶わないのです。行った先に何にも無いのです。でも、こういった厳しいところには美しい花や、見事な断崖絶壁を見ることが出来ます。自然は私達の思惑などと違ったところで在るがままの姿を見せます。
歩きながら古兵殿や組頭の熊猟の話しを聞きながら帰途に着きます。

2006/08/06(日) 蕎麦種蒔貫徹
 今日の秋山の天気は日の下では辛いものでしたが、家の中に入ってしまえば極楽です。それで外の作業は普通の人たちは5時や6時頃から暑くなるまでやってまた、日が傾いた頃に続けるようですが私は朝が遅いのでそれは出来ません。今日は無理して9時半から蕎麦の種を蒔きます。「ごんべい」という種蒔機を使っていつもの手蒔きを勘弁してもらって楽をします。あんまり暑いのでひと畝ごとに麦茶を頂くわけです。頭には風通しのいい帽子を被って頭に濡れた手ぬぐいを載せて午後2時に漸くヘロヘロになって貫徹しました。誰も褒めてくれないので勿論自分で褒めるのです。早実も勝ったし何だか達成感に包まれました。
 知事選に行く途中で大家さんに寄ってこの天気で蕎麦の種は大丈夫かと聞くと蕎麦は大丈夫だと請合ってくれました。後は天に任せて発芽を待ちます。でも、ホンとに百姓とは大変なものです。こんだけ努力をしても天気ひとつでガッカリさせられてしまうのです。私にはヤッパリ向いていません。

2006/08/05(土) 百姓仕事は向いてない
一昨日援軍一押氏と共に天地返しをした蕎麦畑を今日再び耕して、湯から借りたクワで均しての4時間の炎天下の作業で私は何十回と立ち止まり、天を仰いだことだろう。私には百姓仕事は向いてないと感じる瞬間であった。しかし、そうすると私はどんな仕事が向いているのだろうとはたと考えてしまうのだ。困ってしまう。もう57だ。
ようやく慣れてきた普請組の仕事を続けさせてもらって「もっきりや」と上手くリンクさせてやるしかないなと考えた。
考えてみると御普請組、もっきりや、百姓、家庭内掃除人とひとりで四つは無理かなと行く末を考えた。

2006/08/04(金) 労働安全衛生法
 この間普請組では刈り払い機を使うことが多く、組内では刈り払い機の安全な使い方の講習を受けてくるようにということで津南まで下った。世の中には労働安全衛生法という法律があって働く側も使用者側もこの法律の下、仕事の安全性、働く者の健康を守っている。事故はそれでも起きる時は起きるのだが、少しでも安全の意識を高めながら仕事を進めるしかないのだ。
炎天下にS&Sの工房に寄ると津南藩の三箇所で行なわれるイベントを抱えて大忙しで動き回っていた。村正殿は有名になった左程広くは無いひまわり広場とクワハウスのSATA6ライブの音響のセットで時間に追われて汗みどろになって働いていた。重い音響機器や証明セットを配置するのだが私には手伝うことが出来なかった。ひとり忙しげに働くS&Sの村正殿の労働安全衛生法はどうなっているのだろうか。駐車料金が去年の倍の200円になったひまわり広場の主催者はそこのところどうしているなだろうかと気にしつつ暗い秋山林道を帰った。
満月に向かう月が、煌々と輝いて、明日も暑いぞ!と教示を垂れた。

2006/08/03(木) ひとりは一人ふたりは三人
 今日夏の暑さが帰ってきました。早い内から蝉が鳴いて一気に真夏にあえいでいます。
 援軍でイワキの従兄弟が来てくれました。軟弱な彼にとっては耕運機もチェーンソも、バックフォーも疲れる作業であるのは分るのですが、天気もいいことだし手伝ってもらうわけです。まず、蕎麦畑を起します。天地返しを昼前に終えて、午後から道に張りだした木を切ってバックフォーの練習も終えました。ひとりでは二日分の仕事を終えて切明の河原の湯に向かいました。ここは私の嫌いな観光客が沸くところで、人が少なくなった頃パンツを脱いで湯に浸かっていると続々とおばさんおばあさん大おねえさんが河原に来ます。みんな水着を着てアッケラカンと近づきます。素っ裸の私はパンツをはく時大事な小物を見られてしまうのです。見る方は嬉しさと驚きで済むでしょうが、見られる私としては何とも人生の一部を盗み見られたようで面白くありませんでした。観光客は何の努力もしないで自分が楽しければいいというようで、そんな観光客は私は大嫌いです。
 少し酔っています。ゴメン。

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