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2006/08/02(水)
想像してみてください
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雑魚川の取水口から右岸、外川、その先まで東電の巡視路が続いています。道は渋沢への道と同じように昭和30年代の工事で切明発電所まで地中に水路を引く工事の搬入路だったといいます。この道も工事の間トロッコ用の軌道が走っていて小さなバッテリー機関車がトロッコに載せた資材を運んでいました。歩いてみて所々災害の跡があって軌道を考えることは難しいのですが、あの時代にはちゃんとレールの上を機関車が走っていました。道はほとんど水平でそう云われると成るほどと納得するのです。 古兵の正宗さんはその頃仕事を終えて帰りに空の車に乗せてもらったといいます。今でも急なカーブなのですが、列車は時にカーブを曲がり切れなく転覆したといいます。「さもありなん」と歩きながら思います。 「ひっくり返ると起こすのが大変でみんなで汗をかいたものさ、まるで動物園のおさるの電車みたいなものだった」と古兵殿は笑います。 外川の合流、雑魚川の左岸にワイヤーを吊って切明で毎日バッテリーを充電して軌道の上の機関車の燃料を交換したといいます。トロッコ走らせること自体大変だと思うのですが、走らせる為の作業も単調で着実な仕事だったと思うと、ここ秋山郷の人々の実直さに怠け者の私は頭が下がります。それにしても、バッテリー4ッつでよくトロッコを4.5台牽引できたかと不思議でなりません。とてもおさるの電車という訳にはまいりますまい。
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