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最新の絵日記ダイジェスト
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2013/08/08 最後の焼畑のころ
2013/08/07 他人の力で生きてゆく
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2006/08/27(日) いわきより援軍きたる!
 ライダー氏はここにはコンビニもないし、心細いのでは北海道以上だという。知床に行っても北海道にはそれがあるという。昔、随分と北海道は歩いたものだがここのところとんとご無沙汰の北海道はすっかり変わってしまったようだ。もっとも、この国は何処に行っても独自性がなくなって見える。差もありなんか。そのライダー氏は志賀方面へ去って、いわきより夜を昼を通して走って一向氏がやってきた。
 昼より降り出した雨は終日強弱をもって止むことが無かった。信一さんも雨を諦めて帰って行った。予定のペンキ塗りも出来ず、二人して「拝啓天皇陛下様」を見ていた。
 7月の末に一向氏が起した畑に蕎麦の伸びるのを見て、彼は喜んだ。

2006/08/25(金) 東京は忙し
電車に盲導犬がいる。ガタガタ、キーキー嫌な音のなか、床に寝そべって盲導犬がいる。人はそれを眺めている。なんかいい感じだった。
昨日新宿で帰り際床屋に寄った。めんどくさいから五厘刈りにした。汗がそのまま額に流れてきた。お坊さんのように年を取って鏡のなかで私はテレていた。
歯科治療院で「先生、もう抜いてくれ」と頼んでみた。「抜いたら歯がなくなって何にも食べられないよ」結局、取りあえず固定して抜歯は来月に回すことにした。友人の見舞いは検査の日に当たって会えないかもしれないということで、次回に回してご尊父を亡くした太田道題氏の自宅に向かった。納骨前のご仏前に線香を手向けて上野へ。
上野で金物屋吉兵衛殿に会い新宿へ向かった。紀伊国屋でDVD「拝啓天皇陛下様」を買って、本を見て、中古のデジカメを探し(11800円)、カメラ修理(多分15000円位)キーボードを買って、ハイチでカレー&コーヒーを採って帰宅。NHKの甲子園特番を見てどうにか一日が過ぎた。

2006/08/24(木) ゴミ捨てのついでにチョッと東京へ
仕事が一段落したので、今日は家のことをして過ごした。昨日貰ったウスバサイシンを植え終えて、ギフチョウのケースを掃除しているとさなぎがひとつ見つかった。小さめの鉢に炭、苔を湿らせて土に埋めた。ゴミを車に乗せて捨てに行こうと思った時、ついでに東京まで行って歯の治療をして来ようと考えた。そうなると、忙しいので日記もこの辺で止める。

2006/08/22(火) 汗と雨とで!
昨日も今日も昼飯になると激しい雨にあった。今日は隋道に逃げ込んで湿ったなかで横になるのが精一杯だった。汗と雨とで疲れた一日を癒すべく風呂に浸かって本を読んだ。
TVでは今日も駒沢苫小牧と早実のニュースが続いて嬉しい半面、普通の高校生に戻してあげるべきではと思う。でも、私はチャンネルをニュースに合わせているのだ。
カメラの調子が悪く、だましだまし使っているのでこんなものです。切明から志賀に向かう林道にあるオオミゾという沢にある残雪です。

2006/08/21(月) 斉藤投手に学ぶ
仕事で早実の試合は見れなかった。ズーットではないが、汗をぬぐう時は必ずどうなったか気になった。5時に事務所に帰ってくるとマレーシヤから2回、湯の兄から1回、金物屋吉兵衛さんからメールが入っているのを確認した。勝ったんだと直感した。仕事の仲間が調べてくれると4対3で早実が初優勝だと言う。斉藤がひとりで投げ抜いたという。
一瞬気持ちが高ぶって高校生だった自分がそこに立っていた。生意気盛りの18歳のオレが「50までは生きない」と呟きながら、初優勝に泣いていた。57歳の自分はもう一度あの教室で詰襟姿に戻ってどう生きるのか悩んでいた。私にしては孫の世代である斉藤投手に私は学ぶのである。昨日の度重なるピンチに顔色ひとつ変えずに投げる斉藤と比べて、一喜一憂、顔や、言葉、態度に出るオレは、早実というよりも斉藤の先輩なのかと考えた。今棟梁から電話を貰って多くの知人からエールを頂いた私は今度はそのお返しをするべく努力を積み重ねなければならない。
♪都の乾、早稲田なる常葉の森気高さを、
♪我が品性の姿とし、実る稲穂の帽章に、
♪去華就実の、この校風を高くぞ持する、我が健児

2006/08/20(日) 病気になっても、人生は続く
友人から電話があった。「私、元気がありません。しばらく休みます」
オイどうしたんだ!そんなに疲れているのか。オレだって疲れているんだよ。失敗したっていいんだぜ。だって、もうひとつ進化するチャンスを貰ったんだから。でも病気は意思を持って治さなければいけない。人生はまだ続くのだから。
何だか皆、高い壁を廻っているようだった。私にしてもおんなじことなのだが、よく知っている友人だからとても気になった。
一日棟梁と土台を直した。私がコンクリーを捏ねている間に彼はすばやく土台を終えて、給湯器の雪囲いまで終えた。3時から早実の斉藤投手を見ていた。いい試合だった。あしたの再試合のゲンを担いで暗くなるまでペンキを塗った。

2006/08/19(土) 冬の仇を夏に討つ
今日は先生でも金物屋吉兵衛殿でもなく、棟梁の声で起された。時間は7時半だった。
今年の大雪で壊れた雪囲を三ヶ所直すことと、外付けの給湯器を雪の攻撃から守ろうと考えた。棟梁に助けられてこの何年も少しづつ手を入れてきた。棟梁が元気でいるうちに、後10年の準備をしなければなれない。直すべき所を全て直して10年を自分のものにするのだ。
昼過ぎ、トイレの土台が腐っているのを見つけた棟梁は「オイオイ」と頭を抱えた。

2006/08/17(木) 10年後のその後の10年後
17日は普請組の仕事を休んでお盆後の静かになった秋山のお年寄りの写真を撮りに行った。
95歳のお年寄りはTVを点けて、見るでもなく部屋にチョコンと座っていた。いくら声を掛けても何の反応もなかった彼は、私が押しかけるとキョトンとして迎え入れてくれた。話を聞かせてもらって写真を撮って帰ろうとすると、わざわざ外まで出て手を合わせてくれた。「お酒を飲む」と聞くと古今亭志ん生のようににっこり笑ってくれた。
私は95歳まで生きる自信はないのだが、これからの10年を過ごした後、あのような年寄りになれるのだろうか。

2006/08/16(水) 月見る月に照らされて
安藤昌益の研究者が、如何にか原稿のめどを立てて16日帰って行きました。
金物屋吉兵衛殿と私とで昨夜カラオケで騒いでしまったのが原因かと聞くと、そんなことはないヨと笑ってくれた。
私と吉兵衛殿はホンとはこれからのことを一杯飲みながら花しかったのだ。死ぬまでのこれからの日々貴方は何をするのか、また何をすべきなのか。残り少ない時間の効果的な使い方を同時代の仲間と話したかったのだ。
でも、先生は安藤昌益は「労働と休息、食事と適度の男女の関係が人間には必要」だと言っていると教えてくれます。僕らの世代では淡白な男女の関係しかなく夫婦達は長い秋の世を皆一人で寝ているといいます。安藤昌益はそれではいけないといっているのだから安藤昌益を通して今のこの国に足りない哲学や論理を話したかったのに。知り合いの奥さんが乳がんで死んだ話や死んだ後、女房をちゃんと女として遇していたら、乳がんなんか直ぐ分ったのにと泣いた話をひと晩話したかった。

2006/08/15(火) オーイ、元気か!
今日18日になりました。この間いろいろと考えることもあったり、お客さんもいたりして日記は後回しになりました。今回のお盆の時期も何時ものように唄声やカンセイに満ち溢れました。
私は一日何回となく聞く今時はやりの団塊の人間です。14日にも団塊のひとりの登山者がふらッとやって来たりしました。300名山に挑戦していて後29山で目標を達成すると話しました。鳥甲と佐武流山を目当ての彼とはゆっくり話せませんでしたが、同時代を生きた彼とはこれからの10年について話したいものだと帰った後に思うのでした。
15日に昔からの友人が手術を受けました。同年同月同日に生を受けた私とはよく気があっていた友です。長い長い手術であったようです。何時も何かにつけて指導されっぱなしの私としては友人が一刻も早く健康になってこのもっきりやでこれからの一年、一年を楽しみながら恩返しをしたいんです。

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