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2006/07/16(日) 映画「東京物語」
 北の丸詰めの女御の君は私が起きだす前に、渋沢まで雨中ハイキングに出かけた。御普請組が整備した道である。渋沢の避難小屋で昼食を取って帰ってきた。
 私と僧庚申殿と藤の方とはブラブラしながら雨を楽しんだ。雨は時々激しく降るのだが、私は激しくなく空を見上げるだけであった。昼過ぎ映画を見ましょうということになって、庚申殿が「東京物語」を全員一致で見ることにした。尾道から堀切、うらら美容院の茂のある、あれは小岩辺りか?と紀子のアパートを巡って大阪。そして尾道に戻る子供たちへの巡礼の様な旅である。いつもそうなのだがこのフイルムを見ると泣き虫の私は涙を流すのであるが、藤の方も熱いものを感じているようであった。いい映画をいい仲間と感動を共有して見られることは、人生満更ではない!

2006/07/15(土) ノーマの休日
 今日、梅雨空で江戸城北の丸奥詰めの女御殿は、マル福商店の先達で万座方面に湯治に向かい、日本大百名峰草津白根を物見遊山に出た。
 畑見回り方の芯一郎佐衛門殿がワサビの出荷で働く中、拙者は津南まで買い物に出る。御普請組の仕事で弁当用のタラコ(鮭は飽きた)卵、豚バラなどの必要性が増して、どうしても一回は城下まで下がらなければいけなくなった。
 旧友の庚申講の僧侶を駅停で拾って刀工村正殿とユンボの打ち合わせ後舞台設定を手伝い、今度は居合わせた陶工氏と貧乏談義、切明の湯治場雄川閣で栄藩の後重役と立ち話をして、朝の雨、昼の快晴、夕の雨のなか畑見回り方芯氏の荷を集荷してご本宅まで届けて一日が終わった。
 いろんな方と出会い、ホンの少しだが話して気散じも出来た一日であった。この休みは明日、明後日と続くのだ。写真はどうにか引っかかってる土砂崩れなのだ。もう、気を揉まないことにした。

2006/07/14(金) 身体はギテギテ
 この一週間、御普請組の仕事をやり終うせるかとガンバッテみた。どうにか月曜日から金曜日まで仕事を終えました。正直、腰も痛いし肩も痛い。兄上は無理するなと電話口で労わってくれますが、兄上同様私も、人間生きるということは、好きなことをしているということは、何時も無理の連続なのだと勉強しました。歯の悪い私は渡辺順庵先生に歯を治してもらって後15年「歯を食いしばって」生きて見せます。
 全共闘世代の私は同世代の元全共闘のおじさんに対して「全国の労働者、退職者諸君。我々の今後の10年をまず持って自己に忠実に生きるとするならば、己が持つ専門を生かしつつ断固とした意思を持って、血と汗と涙を流しながらでなくては道は切り開かれないのだ!政治の無能さ、行政の無策の先をどう行くのか。その為に我々は楽しいことしかやらないのだ。その為には血も汗も涙も惜しまないと決意するものである」
 で、ユンボ(バックフォー)を買いました。もっきりやに来る方々がユンボを操縦出来て、人を助けられるように1時間3000円で訓練してもらうことが可能になりました。

2006/07/13(木) ギフチョウとウスバサイシンと仕事と
♪今日の〜今日の仕事も辛かった、あ〜とは焼酎をあおるだけ♪
 昨日、ギフチョウの幼虫が蜘蛛に引かれて亡くなりました。写真はその屍でして、まっ水子になるわけです。やっこさんは私が見つけたときはまだ温かい感じで、蜘蛛の糸を剥ぎ取りながらもしもと思って幼虫マンションに入れていましたが復活はありませんでした。
しかし今日3個の幼虫を現認し、すでにサナギになった固体もあるようで、去年よりかずいぶんギフチョウの養父としては「大地の子」の陸一心の養父のようになりつつあります。
 今日草刈りでウスバサイシンを刈っている自分に気が付くのです。一方では移植に血道を上げていながら片一方では気づくのが遅すぎる自分に驚きます。その後はなるべく細心の注意で刈り残すのですがさすれば仕事が遅れます。帰り車に乗って採ってきたサイシンを見た先達正宗氏がこのサイシンは畑にいくらでもある。肥料を撒くから太って唐鍬でなければ抜けないくらいだと教えてくれました。僕らのサイシン畑にも鶏糞を撒こうと勉強になりましたし来年は正宗氏のサイシンを頂こうと決めました。

2006/07/12(水) 疲労困憊
 朝から梅雨時の雨が降っています。6時に起きだして食事を終えるとカッパを着て作業に出ます。昨日夕立でやれなかった土砂崩れの除去を行うのですが、何だかとても疲れきってしまいました。
 仕事とはこういうものなのでしょうが、疲れるというのもこういうものなのです。
 山の中には教えてもらわないと分らないのですが、いろいろと面白いものがあります。
光苔、昭和の工事の忘れ物の枕木の跡、「オニヤガラ」という強性剤になるという植物、「ギンリュウソウ」(葉緑素のない植物)という茸のような草、「クルマユリ」。出来ればスコップを持たないで歩いてみたいと思う瞬間です。
 帰ってギフチョウの世話をしていると、廊下に蜘蛛に引きずり出された幼虫を見つけました。

2006/07/11(火) 山中一泊
 11日は御普請組の仕事で巡視路の最終整備で渋沢ダムまで到達しました。まっどうにかにかたどり着いたといった感じで、一隊は夕立にやり込められて見張り小屋まで来た訳です。なかなかいい小屋でバイオのトイレまであってお金がかかっているのは一目瞭然です。ですが、一般の人は立ち入り禁止です。傍に避難小屋もあってテントを張る方も多いといいます。是非秋山郷にいらした方たちにもう一泊してこの道を歩いてみてもらいたいと思うのです。お弁当を持って一日歩くと流した汗ほどいい思い出になると思います。
写真はダムから見た上流です。左手に渋沢、右手に魚野川が合して、流れ下ります。魚野川側はやがて千沢と魚野川と分かれて千沢は野反湖、魚野川は黒沢や奥ゼンの沢と厳しさを増して赤石山の直下1800m辺りまで続きます。

2006/07/10(月) 学習
ワールドカップはイタリアがPK戦の末、勝って終わりました。世界のサッカーの頂点の凄い試合でした。
東電の巡視路整備はヒノマタをすぎてバンドリ沢の手前まで来ました。この道はあくまで東電の渋沢ダムへの巡視路、作業路なのだけれど巡視員だけが利用するわけではなく、渋沢への釣り人、野反湖への登山者もまたこの道を使うわけで東電としては事故のないようにこの道を通る人達への贈り物として整備していると私は感じるのです。
藤沢周平の小説に「白き瓶」という一編があって歌人長塚節は明治43年の夏、群馬県の入山村の覚蔵に案内されて8月25日大倉山中に一泊して切明温泉に着いたという。「此の渓谷のもの皆熊突を得意とす、彼等は熊と格闘致し候」と手紙などを友人に送りながら切明に一週間滞在した。ここのダム工事が始まったのが大正12年とすれば長塚節は江戸時代の繋がりの延長線の秋山郷を見たはずである。それからほぼ85年を経た道はマウンテンバイクに乗った人達が難儀しながら越えてくるのだ。その道を流れる汗を拭きもせず整備する私は「えらい」と褒めてやるのです。
昨日のウインブルドンテニスのフィデラーはラケットを強く握らないといいます。私もジョレンを使いながら軽く握って作業するといいような気になるのです。写真は巡視路から見た対岸の月夜立岩であります。その頂には清水が湧いていると言われました。

2006/07/09(日) 看板つけた、客は来ず
 津南の友人宅を巡回して山に向かいました。雨なので畑を起こすことも諦めて秋山もついでに巡回しました。上の原の「のよさの里」で栄藩の藩主と同席して珈琲なんかを頂きました。藩主信濃守は何だかお疲れのご様子で少し気になりましたが、小さな藩でもその上に立つことは大変なことなのだと思わざるを得ませんでした。私達は嫌なら止めることも出来るでしょうが藩主は簡単に投げ出せないのですから。
買い物を片付けて一服して看板を取り付けに出ました。今年は災害復旧工事の影響で看板取り付けが遅れに遅れていたのです。工事は別の箇所に移ってまだ続いているのですが、もう待って入られません。久しぶりに切明「雄川閣」に廻ると懐かしい面々が居てオダを挙げて、笑ってきました。都張る身ちゃんもいて若返ります。
明日はまた山の仕事です。ギフチョウのウスバサイシンを取り替えて、霧を吹き付けると私のモスラはオレンジの角を出して威嚇します。一寸の虫にも五分の魂を実感するわけです。

2006/07/08(土) ユンボ欲しいがあまりに高し
弁当用のおかずや支払いの必要で町に下るのですけれども、出掛けに松本楼のご主人からユンボ(バックフオ―)の中古販売があると連絡が入る。
妖剣村正技研の剣客とまず売ってもいいというユンボを見に出かける。しかしこれは問題がある機械だということで塩沢の中古販売まで出掛けてみた。PC20という2tの重機に目が行った。欲しいと感じた。それと言うのも何時までもユンボ、ユンボと騒いでいるだけでは時間の無駄だと思うのだ。欲しければ買って次に進まなければいけない。待ってばかりいるのは危険だと感じるのである。そこで、所長と値段の交渉に移るのだけれど、この重機は他所の業者からの預かり品で即決は出来ないと言う。くれぐれも三方一両損での値引きをお願いして運を天に任せた。
お米の安い飯山まで行って必要の買い物を済ませて、その日は邪剣村正に切られて息絶えてしまった。
写真は秋山林道に出で来たカモシカの母子で、子供の顔が白くて幼さが可愛かった。

2006/07/06(木) ブラック落石ダウン
 仕事に出だすと毎日続くのですが、草刈り正雄ばかりでなく今日は魚野川上流の渋沢に作られた小さなダムに向かう巡視路の整備ということで山に登るのです。どうにか雨は降らないだろうという天気だったのですが、そこは山の天気で昼飯の後、横になった身体はガタガタと震えるのです。午後からの仕事が今日の本番で、5人の人足で30立米の石の除去には疲れきりました。同役の方々は新参者の私に対して優しく、スコップ、ジョリン、ツルハシの使い方が悪いのか、他の御普請組の方と比べると半人前で相済まないと思うのです。石や土砂、切り株を直下の谷に落とすのですが、落ちれば即死という場所での作業は緊張の連続でした。
 作業中、初めての体験でしたが、ドスンという音とがして「はてなんだろう」と周りを見ると、子供の頭ぐらいの落石が何個かドス、ドス、ドスと落ちてきました。その時私はハッとして斜面にへばりついておりました。「生活力はなけど、生命力はある」と感じた瞬間でした。
 写真も撮りましたが、事務所に置いてきてしまったので今日は小赤沢の民宿「えーのかみ」のご主人が作ったバッタリの写真で勘弁してください。

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