来るなら来てみろ もっきりや
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2006/07/31(月) おけさの松
秋山にTVが入ったのは東京オリンピックの頃で、それまでは秋山郷にさしたる娯楽はなかった。昭和30年代、渋沢ダムの工事が始まるとこの地域の人々は来る日も来る日もひとり四斗の米を渋沢まで背負い上げたという。重い荷を背負い上げながらも道中を楽しみながら歩いたという。
このおけさの松は昨日マル福商店のご主人が話されたことなのだが、今日普請組の仕事で渋沢に向かった帰り、古兵殿に尋ねてみた。
「おけさの松って」「この先さ」「見てみろ、頭の掛けたのがそうだ」
昔、米を背負いながら休憩の度に無聊を慰める為にいろいろ無理難題を言って楽しんだという。「誰かあの松に登って佐渡おけさを唄わないか」酒一升を賭けたそれに答えた人がいたという。断崖絶壁のその松に登っておけさを唄った男は一升の酒を皆に振舞って溜飲を下げたという。マル福商店のご主人は別の人の名を言ったが、古兵殿は当の主人が登っておけさを唄ったという。そう云えばマル福商店のご主人は「登った人は震えながら唄っていた」と生々しい話をした。
その断崖に立つヒメコマツの松を見たとき、マル福商店のご主人がまだ若くその天辺で唄う佐渡おけさが聞こえて来たように思えた。

2006/07/30(日) 教官〜ん!
 昨日草を刈った畑の草を排除しているとマル福商店の旦那さんが「よくやるね〜」とやって来た。梅雨が上がったようだという情報を持ち来て頂いて少し安堵するのであるが、米の出来はよくないという。産直でお米を買っている方は生産者に電話でもして今年のお米の確認をした方がいいような気がする。
旦那さんは鉄人28号の操縦の免許を持っているのだが暫くいじっていないからなと楽しそうに操縦席に付いた。負けじと私も運転してみるのだがなかなかうまくいかない。それでもいじっているうちにどうにかなりそうだ。
ラジオを付けると早実と日大三高の決勝戦が入ってきた。同点で延長になったので諦めて草刈りを始めた。適当に終えてギフチョウのさなぎを土の鉢に入れて埋めた。6匹いた幼虫は4ッツになったが、どうにか作業を終えて、運を天に任した。
早実はようやく11回勝ち越したという。

2006/07/29(土) 寒さの夏はオロオロ歩き
今年のこの辺りの夏は日照不足で水稲も冷害にさらされているようだ。野沢菜は雨で種まきが出来ない状況で、野菜は長引く雨で大変だそうだ。稲作は不作になる懸念があると地元津南新聞は報じている。
今日蕎麦を作る為畑の草を刈っていたのだが畑がぬかるんで耕運機を入れることが出来そうにない。世の中どうも忙しいことになりそうだ。前回の米不足の頃を思い起させる。生き難い現実が固定化しているのだろうか。
そういえば今日初めてミンミン蝉の声を聞いた。ブヨやアブといった歓迎されざる昆虫も少ないようだし、野ネズミが畑に多く見え隠れしているし、山に食べるものが少ないのかも知れない。赤とんぼはこの時期には少し多いように感じるし空を見上げれば早や秋の感じである。
そんななか信一さんはやることはやるのだとばかりワサビ畑の草取りに来た。

2006/07/26(水) 束の間の空は 秋
 切明から魚野川を遡って野反湖へ向かう登山道は、明日には渋沢ダムまでの刈り払いを終えると思われます。
 今日は久しぶりによい天気で御普請組の面々は渋沢への道の草刈りを行います。私はまだまだ熟練の度が浅く、組内の足手まといですが、それでも皆に懸命に付いていきます。道の上下の斜面を4名で追いつき追い越し刈り払って行くのです。天気が味方して今日は、馬の背トンネルの先まで行くことが出来ました。帰りが結構疲れるので、足元がブレます。でも、草刈りを終えた道を帰るのは今日の仕事の成果を実感できて疲れが癒えます。昔町で仕事をしていたころと比べると流れる汗の分確実に満足出来るように感じます。もう少し自身努力して仕事を覚えることが出来ればこういった仕事が一番ではないのかと思えるはずです。でも、今日は疲れましたが。
 天気がよく昼飯の後の休憩は呑気でしたが、蟻んこが襲ってきてウトウトするのが精一杯です。

2006/07/23(日) 災害だ病気だと忙しい
 今日のバスは今までになく客が多く狭っ苦しく感じます。もう学校も夏休みに入って少しは津南にも観光客が来ているのでしょう。
 飯山の庄屋敏衛門殿を見回った。前回お米を取りに回った時不在でなんだか慌しく出奔したような感じで気にしていたのだが、今日連絡がついてお米を取りに向かったのである。聞くと敏衛門殿は不意の体重の減少で病院に緊急入院されていたそうである。普段元気な彼は「癌だよ、もう長くはないな」と自分で決めているようであった。見たところ癌かもしれないけれどそうではないようにも見えた。ただ、ひとり者の敏衛門殿もこの私もこの先に待ち受けている落とし穴には気をつけなければなるまい。気をつけてもどうしようもないことには打つ手はないが。
 飯山でお弁当のおかずを買って飯山線を渡ろうとしたとき、下りの列車が走り過ぎた。私はこの車両にあまり興味はない。

2006/07/22(土) 東京
 昨日は東京池袋。僕らの若い頃、池袋はどっちかと言うと暗い感じでそんなに詳しくはないのだが、集まる面々の便のよさで今日は池袋なのだ。なかなか良い感じの店であったが客はそんなに多くはなかった。金曜なのにどうもあんまり景気はよくないのだろう。
 久しぶりに帰国した千姫と御息女を囲んで一杯また一杯と杯を重ねるのですが、元気なジェイジェイの指導で小学校のように華やいだものになりました。ジェイジェイは米国の小学校に通い、日本に帰ると例えひと月でも日本の小学校に通うおキャンな女の子なのだ。妻なく子なくの私としては千住の「もっきりや」の仲間に囲まれてあの頃の再来に喜ぶのです。友人は言います。「あなたの顔クチャクチャになってたよ」さもありなんと思うわけです。
 今回はそんな訳で急な東京でしたので22日一日中忙しい思いをしました。母を美容院に連れて行ったり、靴下を買ったり、新宿に出てハンズを廻ったり、本屋を見たり、友人に会ったり、猫の砂を買ったり、土産を探したりと疲れました。

2006/07/21(金) ネズミの場合
 ネズミが掛かった。パタンパタンと出口のないネズミトンネルで苦しむ奴さんをどうしようと思った。「スモーク」という映画を見たあと、都はるみの復帰コンサートを聞いていたときだった。殺すか逃がすか生きものの生殺与奪権を握って悩んだ。古兵殿のウサギのこともあった。ここのネズミはハツカネズミといって都会のそれと違って可愛くもあるのだが、イタズラが過ぎる。教育的指導をして逃がすかそれとも水没させて殺すか私は悩んでいる。
 朝、また激しい雨である。今日はこれから平日にしか出来ないことの為に御普請組の仕事を休ませて貰って外に出なければならない。そこで昨日のネズミトンネルの捕虜を逃がそうと見るのだが、奴さん狭いトンネルの中でパニクッテ既に息絶えていた。例え敵のネズミでもその姿は何だか寂しいものだ。片手拝みでその亡骸を山に投げて輪廻転生を祈った。その傍ではアジサイがきれいだ。

2006/07/20(木) 古山高麗雄を理解する
 草刈り機を担いで山道を上ったり下りたりするのは、なかなか苦しいものです。でも今日は30分程のものでしたが。
 ビルマ戦線の兵隊やベトナム解放戦線の兵士はどんな苦労をして重い荷と銃器を担いだのだろうと、流れる汗のなかで考えます。私の場合は仕事で労賃という代償があるので、それも一日中の行軍ではないのですが、一銭五厘のハガキ一枚で持って行かれた先での命のやりとり以上にそこまでの行軍に泣くだろうと弱虫の私は思いました。
 古山高麗雄の戦争文学三部作「龍陵会戦」「断作戦」「フーコン戦記」のなかでビルマの山中で弱兵古山一等兵の苦渋を身体で理解できました。私が今までどことなくすり抜けていた仕事に対峙して初めて戦争と個人、災害と個人が分るように感じるのです。今働いて得る賃金はとても大事に使わなければなりません。
 今日の草刈り戦線のなかで古兵正宗殿が2匹の野ウサギをあわや刈り取る所であったと話しました。俗に云う民間人です。生まれて10日程のその兄弟はミツオとヒロコと密かに名づけて古兵殿の下で立派に育ってくれることを祈るものです。

2006/07/18(火) 露営の唄
 ♪すでに煙草も無くなりて、たのむマッチも濡れはてた〜雨つゆ忍ぶ鉄かぶと♪
 今日は雨のなかでの仕事で寒く身体がこきざみに震えました。いいとか悪いとかいうのでなく、戦地に連れていかれた兵隊の辛さを感じました。逃げるわけにも行かず、ただ日が落ちるのを待つのです。私もまたアッケラカンと身体を動かしました。
 朝、山はまだどうにか耐えていて、帰り際にも耐えていました。濡れているのだから雨など気にせずに道の横溝を直して帰りました。フロを点けて洗濯をしてウイスキーを飲んで、一日が終わります。雨はこれでもかと降り続き、ストーブに火をつけて文庫本を持って風呂に浸かりました。

2006/07/17(月) 梅雨前線襲撃
 昨日の雨は随分じゃないかと災害の匂いを感じてイライラした。一台の車が通れなくなるとヤバイと思ったからだ。昼前に車を見送りながら、災害予備軍の待機している現場を見るがその時点ではどうにか持ちこたえているようであった。しかし、前線が抜けてしまうまでこのままということはないだろうと感じながら心外無窮のことだと放っておこうと考えた。その時に考えても間に合うだろうと横着になった自分に少し呆れた。
 一人になると嫌に日が長く感じられた。何処にも出ないで部屋に閉じこもって洗濯、片付けをして本を読んでいた。明日仕事に出られるかも分らないのだが考えても詮無いことで飯を食べて一杯飲んで寝てしまうのだ。

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