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2006/04/18(火) 只今掃除中
 やらなければならない仕事は色々ありますが今日は掃除と「山の暮らし 雪編」にかかろうと思うのです。が、雪編はこれからですのでどうなるのか解りませんが頑張るしかありません。
 朝は池の周りの雪を片付けます。後に遅い朝飯を食べて掃除に掛かります。何時人が来てもいいようにしなくてはということなんですが、掃除は僕は嫌いなのです。結構きれいにするもので時間がかかってしまうのです。もう少し考えなくてはいけないようです。毎日少しでも掃除を続ければいい状況が維持できます。これしかありません。曲がりなりにももっきりやを経営していかなければなりません。
 まあー居間の掃除には時間が掛かりました。お腹がすいたのでうどんを作ってTVを付けると映画「ハンニバル」が映ります。そんな訳で休憩が多すぎるのです。ひとりというのはそんなものです。
 何時か誰かが来て部屋の整理整頓を検査してくれるのを楽しみに明日もサッサと掃除を敢行するつもりです。

2006/04/17(月) 春の野に出でて若菜摘む
 拝啓
 四月も既に半ばを過ぎ、前橋のさくらも散ったという便りもありました。みんなやって来た春の息吹に心浮かされてお過ごしのことと存じます。
 当地では今朝、雪が降りまして汚れた残雪が一瞬真っ白に輝きました。起きだしてカメラを構える頃になって、差し込んだ日差しが雪を融かしましたが中々冬将軍もシッカリ者で此処では現役で頑張っているようです。
 この辺りでは五月に降る雪もあったようで出来るならば今年は御免被りたく節に冬将軍に懇願する次第であります。「フチドマレ」と言って最後の雪をこう呼ぶようです。それだけ長い寒さの中で暮らす秋山郷の人たちの雪に対する見かたは多様なのです。つまりそれは春を待つ意思の強さなのかもしれません。実際、雪が消えなければ何にも出来ないのです。
 そこで僕は万葉集にも歌われた「君がため 春の野に出でて若菜摘む わが振袖に雪は降りつむ」に習って若菜つまり山菜を探しに外に出ました。この時期の山菜は長い冬の間蓄えたものばかり食べていて栄養失調になった平安人にとって濃いビタミンの若菜が瞬間的に体調を取り戻したのでしょう。そう言えば、ここの大家さんN1さんも一回は山菜を食べないと具合が悪いと言っていました。
 何処に行っても雪ばかりでガソリンを使ってあっちこっち探すのですが、今日は二人でフキノトウ1.8kしか採れませんでした。でも晴れた空の下とてもいい気持ちでした。
敬具

2006/04/16(日) 春の準備あれこれ
 地熱が上がって、雪が浮いている所があります。下に水が流れていたり、排水のパイプがあるとその熱でまるでドームのように雪が融けてしまうのです。よく見るとそんなトンネルのような所にフキノトウや山ニンジンの芽がきれいな黄色で光っています。雪はまだ2m近くあっても遅い春はやって来ます。まだひと月かなー、かかるけれど。
釣り人がひとり湯に車を停めて竿の用意をしていました。湯の兄が水が多くてこの中津川で岩魚を釣るのは難しいようだ、今なら水量が少ない栃川のほうがいいと話していましたがさてどうでしょうか。釣り人は来週も来ると熱を上げました。
さて昨日の萱屋根体験記ですが、身体中萱の屑でチクチクと悩みました。今日は天気が悪いという予報で一日順延になったと云うことですが明日には今回の作業が終わるはずです。また秋口に軽トラ10台分以上の萱を刈って来春に備えるのです。秋は何かと忙しいのですが僕も萱刈りピクニック出ようと考えます。晴れた日にしか出来ない萱刈りはワイワイカヤカヤと楽しい一日になるはずです。もし、この日記を読んでいてくれる人がいたら是非一緒に紅葉見物方々気持ちのいい汗をかいてみましょう。もっとも忘れなければの話ですが、その頃に募集をかけてみる予定です。

2006/04/15(土) 萱葺き体験記
 昨日は湯の手伝いの後、津南の友人の萱屋根の葺き替えの手伝いに出かけました。
 萱屋根の葺き替えというのはほとんど現日本人の体験することの出来ないことでして結果としてとても勉強になりました。
 萱屋根は日本の叙情的な風景でありましたが、結組織が崩壊し、個人で葺き替えることはほとんど無理になった平成の現在、細々と好事家の手で守られているという状況のようです。僕としては都会人の観光の為の萱屋根を守るのには反対なのですが、そこに住む友の一途な情熱には反対の仕様もなく手伝いに出るわけです。生活の一部になった萱屋根が友にいかばかりかの平安を与えているのか、さだかではなくとも連帯の意味で出かけるのです。
 葺き替えの成否は萱の嵩で決るようです。が、その萱を集めるのにどれ程の苦労があったのか、余人は知らず、僕には理解できるのです。軽トラに約10台分の萱を集めるのは大変です。それを友人は去年の秋に都会のボランテアの助成を受けて成し遂げました。これは、偉い!その量を見て思い知らされます。でもそれでも足りないのが現状でした。
 真っ黒になった顔で笑う男、気難しく確かな仕事をする親方、おんなの細腕で一抱えの萱を持って屋根に上る女、黙々と萱をそぐ男達、親方の下で着実に仕事をこなす痩せたまるメガネの男、裏方で昼、休憩の茶を出す女。それぞれがきちんと仕事をします。

2006/04/13(木) 橋は流れました
 ゆっくり高速で帰りました。昨日ひとりで「男はつらいよ」を観ていると何だかつらくなって帰りました。件の桜は渋川辺りまで来ていましたがその先は色がありませんでした。トンネルを越えるとまだまだ雪です。津南の裏どうりを行くと無人の小屋が痛めつけられて無残な姿を晒します。帰り着くと橋は流されています。着実に季節は移っているのですがもう少し早番でお願いしたいものです。
 今また「男はつらいよ」が始まりました。定位置のもっきりやでつらくなるようでしたら少し問題なのかもしれません。

2006/04/11(火) 水餃子作る
 特養の伯母を訪ねた帰り今日の夕食を作ろうとスーパーに入ります。いい年をして夕飯を待ってばかりもいられません。教え込まれた水餃子。ちゃんと作ってみます。皮から作るのでして大変なのですが3時間かかって2回分。肩が懲りました。後はアサリのパエーリャ。これは初めてでありましたので少々いい加減。でもみんな文句も言わずにおいしいと箸を運んでくれました。
 そろそろ帰らなくてはいけないのかもしれません。桜ももういいだろうと散り急ぎます。

2006/04/09(日) 友はカラオケだと言い
 「ケン坊」は既に散歩に出た後でひとりぶらぶらと多摩川土手を歩きます。やはり「さくら」はいいものです。堪えていた桜が待ってましたとばかり風を受けて散り始めます。桜にも個性があって早咲き、遅咲きとあるんですね。
 昔の友人に久しぶりに連絡すると「会おうよ」ということになるのです。「いいね〜」と返すと「ではカラオケで!」以前大阪のおばちゃん達はカラオケでお喋りすると聞いたことがあったのですが確かに昼間のカラオケは安くて暢気な所だと感じました。しかし古い人間である私にしてはなんかもったいなくて歌を歌っているのです。
 春の東京はなんかいいですね。

2006/04/08(土) 東風に誘われて
 TVで桜が散ると聞いたとき、心は散じに乱れて当日の会合を終えて帰ろうと咄嗟に決めました。言い訳はしません。ただ、歯が先日まで浮いて物が噛めなかったのと外の雪の多さに時間の無駄を感じたのでした。本当は「さくら」が見たかったのです。
 ここの集落のお諏訪さまの祭りと新年度の総会が開かれ、公民館運動の役を仰せつかった以上参加は当たり前でした。終わってお神酒を形ばかり頂いて津南の友人の仕事部屋で話しこんで20時に高速に乗りました。夜は桜が見えなかったけれども暖かくなって窓を開けると十分感じられました。暖かい土の匂い。

2006/04/07(金) 高く遠く風を掴んで
 昼近くになって山に戻ります。今日も晴れて気分がいいのです。見上げると鷲だか鷹だかきっとトンビなんですが、高く風に乗って遠ざかります。この辺りの烏帽子岳にはイヌワシが生息していて何回か見かけたことがありました。とにかく大きな体で影が頭の上を過ぎるとワーッと声が出ます。でも、近頃は見ないなー。
 ミミズで岩魚を狙ってみたのですがピクッとも構ってくれません。糸が見えないのです。根性も見えなくなってしまってはいけないと粘るのですが「今日は許してやろう」と戻りました。

2006/04/05(水) 山菜のお礼が?
 今日は公民館活動の屋敷集落の主事としての初仕事となりました。初め聞いていたのと違っていろいろと出なければならない行事があってこれから忙しくなるなと感じた瞬間でした。ひとりでもっきりやの作業や稼ぎ仕事、そば畑などに振り回されている怠け者の私としては少し気が重くなるようです。それでも引き受けた以上は責任のなかでやり終えなければなりますまい。
 帰って見ると電話が鳴って横浜の友人が山菜を送ってくれないかと聞いています。いやまだまだ山菜は雪の下だよと伝えると彼は桜の散った庭を見る風情の驚きが受話器の向こうに見えるようでした。人間の想像力とはそんなもので自分の目で見たものしかなかなか理解できないものだと感じましたが、出始めたら着払いで送ってあげようと約束して僕は考えました。いや、昨日の日記にも書いたのですがこの豪雪時支援、救援に来てくれた人たちに山菜をお礼に送ってみたら喜ばれる。今一度思い出してもらって今度は僕ら栄村の人間が都会の人たちに本物の春の味を届けることで支援を受けるだけでないことを、僕らが助けられることもあることを伝えてみたい。そのことがこの辺境の地から殺伐とした都会とを繋ぐ一本の線になりはしないかと考えた。そう言うと隣に居る友人が「はは〜ん、そう考えたか。支援を受けたお年寄りが曲がった腰を伸ばしながら採る山菜のお礼は、助けに来てくれた人たちにはきっと何よりの便りと喜びだろう」と嬉しそうに笑った。
 写真は来年の冬の為の薪で春に薪は切るものなのです。

4月絵日記の続き


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