来るなら来てみろ もっきりや
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2006/04/30(日) 4月も終わるのか
 昨日もっきりや第1号のお客さんになったN氏が訪ねて来てくれて再度お客になってくれました。感謝。この時期殊に今年は雪が多くいろいろ電話を呉れるお客さん候補もいるのですが、裏のMロードの未開通と鉄索の状況でお断りしているのです。まア―転ばぬ先の杖です。そのなかやはり第1号のN氏はその自覚をもって訪ねてくれました。今回N氏は風邪気味で拙いもっきりやの食事の後、燗酒を飲むとそのまま上に上がって寝てしまいました。まだ、8時になる前なのでそのうち下りてくるだろうと日記を書いて待っていても彼は降りては来ませんでした。何時もならもっと元気に僕を叱り飛ばすのですが今回の彼は至っておとなしかった。そうなるとなんか寂しいものです。お酒には弱いが真面目な男で、朝僕は彼に「風邪のときは律儀に約束を果たそうとするんじゃないヤネ、もっと呑気に」と言うと「いや、今回は静けさの中での熟睡が目的だから」と笑います。いい奴だと彼が帰った後で感じました。
 そういえば、朝に電話があって愛知のお客さんから二度目の連絡があって、ここに来る方法と状況を話ました。その時は寝ぼけ頭だったから、断ったのですが、そんなに来てみたいと言ってくれるお客さん候補なら、僕は万全の体制で迎えようと反省もするのです。
 掃除をして、昼食を取っていると、僕のチャルメラ味噌アジラーメンの中にカメムシが飛び込み、なんだか力が抜けました。「にぎりん棒」目ぐすりの木の製作に移ろうとしたらTVで小澤征爾の中国と結ぶ“終生の絆”を見つけました。いい勉強になりました。働くことも大事だけれど、他の人の仕事に感動することも大事なのですから。こうして‘06年4月が終わります。

2006/04/28(金) 毎日、重労働
 薪の片付けをしないと、アッという間に雪が消えて作業が出来なくなります。くぼ地に積もった雪が重いブナの運搬を助けてくれます。F1さんは3尺2寸のブナを何日もかけて運びやすい大きさに玉切って橇で軽トラに積むのですが、切ったばかりで、水を吸い始めたブナの重いこと何のって。今日はブナでしたが板屋楓などはこの時期に切ると吸い上げた水が噴出すように流れそれで喉を潤したといいます。
 粗方玉切った後の枝の部分を道端に僕は積み上げます。昔の橇と違ってプラの橇は引く力より滑る速度が勝って何度も転びます。雪解けの頃になると昨日と今日では雪の状況が日々変わるので今日中に片をつけなくてはならないのです。疲れたとは言えません。ここがつらいとこです。ひとりの仕事ならダラダラと気分で何日も掛けてやるところですが、それでも雪の減り具合との競争なのです。F1さんがチェーンソを使ってブナの柴に乗ってブンブン切ります。僕はひたすら薪を運び出しました。
 朝の内にキーン、キーンと鳴くトラツグミの声を聞きました。「鵺」と言われて気味悪がられたこの鳥は、もう少し遅い時期になると夜明け近くに鳴くのです。歯が浮くような声に知らない時には何度も飛び起きたものでした。

2006/04/27(木) コゴミを探す
 あれから昨日は栄村北野天満温泉に向かいました。途中、倒木や雪崩が行く手を塞いでソロリソロリと走らざるを得ないのです。
 秋山郷山の暮らしの雪編を完成させるのですが、ほとんど編集委員長が終えていてくれるのです。どうにか12時に終えましたが、とにかく眠いので這うようにして休みました。
 朝、友人とコゴミを探しに出ようということになって、いろいろ探すのですがまだまだといった感じで見つけられないのです。毎年行っている山の上ではまず無理と諦めていたのですがとにかく歩いて見ました。雪が切れている斜面にどうもコゴミらしき影を見つけ下りていくとコゴミがそこだけ出ていました。コゴミは金物を嫌います、また全部採ってはいけないのです。必ず何個かの葉を残します。来年の楽しみを残しておくのです。まだ早いせいか直ぐに戻って見つけた、「山菜採り禁止」の看板にどうも気が引けてここでの山菜採りは止めようと話し合いました。
 帰りしな見かけた情景はなるほどと感じざるを得ないものでした。ワンボックス車に山のような山菜を積み込んでいる関東圏のナンバーを見かけたのです。

2006/04/26(水) 春に木を切る
 F1さんは春に来年の薪にする木を切ります。三尺二寸のとても大きなブナの木です。何時もお世話になっている僕としては少しでも手伝いに出なければなりません。本当は残った枝が欲しいのです。枝だけでもきっと来シーズンの薪には事足りる量です。
 雪の上では橇も使えるのでこの時期に始末するのです。F1さんは軽トラ20台分の薪を運んで3年は使えると豪語しましたが、ひとりの作業としては荷が大きすぎたのかすっかり疲れているようでした。この間、探検部氏などとの関係で手伝いが出来ず誠に申し訳なく感じながら、やることの多さに目が眩むようです。

2006/04/25(火) 人々の営み
 秋田の阿仁と三面とここ秋山郷は江戸時代から続く熊猟の文化の残るところであります。猟をする人は「マタギ」と呼ばれて厳しい冬の厳寒期から春になって穴から出る熊や獣を獲って生活を支えていたわけです。時代が下って現代では「マタギ」と呼ばれる人たちも高齢化で銃を返す人たちが多く、また鳥獣保護の点で猟の仕方も狭められ、ここ秋山では10人前後の「マタギ」がほそぼそと伝統の熊打ちをしてるに過ぎなくなりました。
 僕も山に入って熊を見かけたことがあります。また、家の軒先に来て食べ物を探す熊の話しをよく聞くわけです。この頃の熊は異常気象のせいか山に成りものが少なくなったようで、よく田んぼで稲を食べたり、とうもろこしを荒らしているという話も耳にします。
 道を走って行くと、雪を切った道に車の何台か止まっている様子に、もしかしたらと車を停めました。とても寒い日で雪で前が見えなくなったり、止んでお日様が出たりとこのところの変な天気なのです。
 僕達は二年越しで消え行く熊猟の姿を見てみたいと、この時期厚着をして猟師の帰りを待っていますが、熊の姿を見ることが出来ませんでした。この時も降る雪のなか震えながら待つのですがなかなか猟師は帰りません。援軍氏と探検部氏と顔を見合わせて「また空振りかな〜」と話すのです。
 その夜、久恋の瞬間を思いつつ飲んで過ごしました。そして、黒澤明監督の「デルス・ウザーラ」を観るしかありませんでした。

2006/04/24(月) 栄屋のモヤシソバ
 いやー昨日は調布市の栄屋(昔ながらの中華ソバ屋さん)の話で盛り上がります。探検部氏が私と同じ京王線の駅を使っていると聞いた途端、話は栄屋のもやしそばにシフトして人知れずもやしそばの匂いに咽ます。探検部氏はもやしそば派ではなくそれが気に入らないのですがよ〜く教えておきました。今回彼は援軍氏と共にここ秋山郷にある歴史や人たちの発掘に来てくれたのです。今、観光もひとつ盛り上がらないこの時代に勉強に来てくれると言うことは有難い限りなのですが、僕としては久し振りに大声で笑っている自分に心が浮遊する感じでした。やっぱり同時代を生きた仲間なのです。
 一日中僕の心安い愉快な知人達を廻ります。そのなかで一昨年まで猟をしていたYNさんは銃の構え方を見せてくれるのです。から手の中に本当の銃があるように決った型に僕らは皆一種の感動を覚えました。

2006/04/23(日) 見送りと会合とお出迎え
 何だかんだと忙しくなります。友人を送って公民館活動の顔合わせ会に出ます。地域の文化活動の一翼を担う運動なのですが、まだまだ新参者の僕は困ったのです。人の名前と言葉が分からないのです。いい年をしてもう11年もここに居るのに勉強不足で皆さんの足を引っ張ることにならないように気をつけなければなりません。それでも集落の総会より気楽に話せるように感じていました。少しずつ意見も言ってみようと感じました。
 顔合わせ会を早めに出て冬の間の援軍氏が友人とやって来ます。夕方近く荷物を一杯に積んで鉄索を渡ります。鉄索は荷物を持って乗ると、結構危なっかしく初めて渡る早稲田の探検部OB氏を気にしたのですがそこは探検部、ワイワイガヤガヤ探検部の真骨頂で至って平気の平左でした。でも、僕は怖いもの知らずにも困ったものだと心の奥で呟きました。

2006/04/21(金) 今朝も雪
朝からの雪にいい加減にしてくれと言う心境で一日が始まります。外での仕事は止めにして室内でコチョコチョとしていました。まア―骨休みです。それでも湯から電話で牡蠣をやるからいらっしゃいと連絡を受けていそいそと出かけます。風呂にも入りたいし雪は雨のような感じで気になりません。で、午前中にお湯まで入って何にもやるという風情はありません。
外は寒いのか雪は降ったり止んだり、雨になったりまた雪に変わったりで忙しい限りでした。ひとりでお休みを決め込んでも、ただグズグズするだけで按配は悪いのですがこのところの天気は困ったものです。晴れていれば木を切りに出たりも出来るのですが、こういった言い訳は止めましょう。
きのうはTVで「ニューヨークの恋人」なんかを見てしまいました。映画としては大したことはないのですがメグ・ライアンが好きなのでした。彼女の扮するキャリア・ウーマンが時空の裂け目を越えてやってきた19世紀の若い公爵と恋に落ちるという話で頂けないのですがひとついい台詞がありました。「恋愛は嫌いよ」「相手を間違えたのさ」と言うのですが、何時か使ってみようと考えました。そういえばもっきりやには名文句集があって僕が気付いた台詞や文章を書きとめたものがあります。そのうちのひとつを
「ずーとひとり暮らしだったら平気なのよ、寂しいの慣れてしまってるから。でもさ、いちど誰かに、寄っかかること覚えたら、私だってどうなるかわからない」
              向田邦子「阿修羅のごとく」より

2006/04/20(木) 今朝の雪
F1さん宅に闖入者現る!
 みぞれの降る中、F1さんは山に来年の薪にするブナを切りに出かけました。連れ合いのTおばさんは家で洗濯ものをたたんでいました。今日の昼前のことです。Tさんは何だか気になって後ろを見ると一匹のサルがチョコンと座っていたそうです。俄かには事態が飲み込めなかったTさんは「あんた、ずいぶん小さくなったわね」と話しかけて状況に気が付いたそうです。口に出せずにワットして仏間に逃げ込んで立ち上がったそうです。するとサルはおもむろ立ち去ったそうです。聞いてみるとTさんは「若いサルで毛並みがとてもよく光っていた」と帰ってきたF1さんとサルを見比べるように話しました。
サルは居間にはなにか食べ物があることを学習していて入ってくるといいます。何処かに学校でもあるのかもわかりません。烏帽子岳の下にはそんな場所があったようにも覚えていますが定かではありません。僕も気をつけないとサルの集団に拉致されて木から木へと飛び回らなくてはならないかも知れません。
山は朝から降り出したみぞれ雪が、水雪に変わって雪解けの上にうっすらと雪化粧をして、物陰にうずくまっていた冬の気配が大手を振って歩いています。
昨日の暖かさで水かさを増した中津川に冬の丸木橋が波打っていました。

2006/04/19(水) 大地の悲鳴が聞こえる
 昨日はまるで売れない小説家のように朝まで原稿に掛かりっきりでした。でも予定の仕事を片付けることが出来たので僕は嬉しい。これは「秋山郷 山の暮らし」というポップなのですが、今のところ完成、未完成を含めて36回分出来ております。本当はこのHPにこの項目を作って御供覧に浴したいところなのですが、頭がないのでそこまでは出来ないのです。今度PCの技術者にお願いしてみますが、みんな忙しいのです。そこで僕の自立を待つのですがひとり身で掃除、洗濯、何やかやと多忙を極めておりまして先に進めないのです。相済ません。
 で、今日は南の風、黄砂が山を霞ませるなか、裏のM(Mokkiriya)ロードの視察に出ました。去年の災害箇所の修復の済んだところもこの雪で再び崩れ(一部)、大きな石が落ちていたり、山側の樹木が折れたり、根こそぎ倒れていたり散々です。樹木の悲鳴が聞こえてくるようでした。雪のあるうちにチェーンソで切っておいて薪にでもするしかありません。全部集めると一月分はあるようです。薪割り援軍を要請しておきましょう。
何だかガッカリはしないのですが、(何時ものことですので)再びバックフォー(ユンボ)への熱い熱い希求が沸いてきます。しかし、まー何処まで大自然という奴は荒ぶっているのですかね?ここに来て12年にもなるのですが一度として平安な春を迎えることができません。もっとも、無辜の大地に車の走る道路なんか作ろうとするその根性がそもそも間違いで、人ひとり歩くだけの道だったらなんという問題もありはしないのですが。そこは現代人の端くれで荷を担いで歩く忍耐力がないのです。僕は環境派でなかったからいいのですがこんなイタチゴッコをしているようでは先は見えているようです。

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