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最新の絵日記ダイジェスト
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2006/03/14(火) 災い転じて
 昨日越えた峠にはチェーン規制がかかって諸塚村には山桜の花の上にうっすらと雪が見えます。僕が雪を持ってきたようでこの分なら秋山は晴れだろうと電話するとあちらも降っているということで何だかガッカリです。
 諸塚村は去年9月の台風で100年ぶりの大水が出て耳川が氾濫、川沿いの商店の一階に水が来てほとんどの商店が営業できなくなったという事でした。そこ此処の柱やなぎ倒されたフェンスにその爪あとを見ます。当時は孤立した村に救援の人たちが道なき道を歩いて来てくれたといいます。諸塚村はこの災害で村人達が協力しあって窮状を耐えたといいます。「決して再び起こってはならないことだがこの体験は村の将来の財産になるはずです」と村の職員は話します。

2006/03/13(月) 宮崎も寒く雪
 昨日朝5時40分発のバスで羽田に向かいましたが早く着き過ぎました。日曜日だったので余計に早く着いたようです。久しぶりの飛行機にわくわくするのはまだ若い証拠だろうと思う間もなく宮崎に着きまして、そこは雨で肌寒くフェニックスがへたっているようでした。
 翌日から宮崎県内の地場産業や商品の開拓に向かうSさんの運転手としてハンドルを握りました。ま〜観光気分で走ります。南国宮崎の人は人間が優しいと感じました。ただ去年の台風の被害の大きさに驚かされます。

2006/03/11(土) 多忙な偽都市生活者
 床屋に行ったり、犬の散歩に出たり、伯母の見舞いに行ったりこれでも結構忙しい。
 近くのレンタルショップでDVDを買いました。「ミリオンダラー・ベイビー」「マラソンマン」「さらば冬のかもめ」「ウデイ・アレンの重罪と軽罪」安売りに出くわすとお金もないのに無理して買ってしまうのは悪い癖です。でももっきりやに来た人たちが見てくれるのなら安いものだと思って心配は止めました。

2006/03/08(水) いざ、東京。
 予定よりか一日早く出かけました。2ヶ月ぶりの都会は刺激的だろうと考えたら行きたくなりました。山にいる時は街を、街にいる時は山を思うものですから行くべきと素直に感じたのです。寄り道をしながら7時過ぎに東京に着きました。
 写真は屋敷の道上で食事中のカモシカです。

2006/03/07(火) 彼の蒼穹に飛行機の飛べるを
 予定していたF1さんのアンテナ張りが一時延期になったので、極近いうちに旅に出ます。九州の南部の友人から仕事の手伝いをと依頼がありまして、渡りに舟で雪のない大地を見学に行きます。
 僕としては夜行列車のB寝台個室で久しぶりに旅に出たかったのですが旧国鉄はなかなかいい料金を取るので、人様の出してくださる切符に関しては口を出すことを憚りました。
飛行機に関してはマイ・レージやら誕生日割引やらで随分とサービスにこれ努めているようですが、旧国鉄となるとせいぜい往復、乗り継ぎ特急券くらいなもので寂しい限りです。例えば青春18切符にしても旅を楽しませるというよりか通勤の延長みたいな乗換えばかりでなんだか安い5リットル焼酎を飲んでいるようでちっとも面白くありません。駅員はサラリーマンとなってしまって、鉄道については何にも知らない有様です。殊に以前乗った特急「富士」には食堂車もついてなければ車内販売も大事な所ではないのです。下りの「富士」は瀬戸内海を走行中は座席側は山に向いていて3万円近く料金を取るからにはサービスがなさ過ぎます。効率ばかり追求し福知山線の事故を起こして、社長が交代すれば済むということでは断じてありません。
 国鉄時代の鉄道は職人の集まりのようで、愛想はなかったけれど実によく鉄道のことを知っていた。困った時は親身になって乗り換え、安価な方法、宿屋の手配をしてくれたものだった。口先だけのチャラチャラした鉄道よりも、落ちたら死んでしまう決死の飛行機の方が好きになりました。

2006/03/06(月) アンテナ線復活大作戦
 EBちゃんとあるものをチョコチョコ食べてF1さんのTVアンテナの復旧工事に向かいます。勿論僕は梃子です。
 年末の大雪がF1さんの所に伸びたアンテナ線を傷めました。F1さんはこの冬東京のあるTV局に孤立した秋山の状況を専属で伝えていました。そのTV局の映像が見れなくなって随分寂しい思いをしていました。アンテナは外観から切断されているのが見えるというのではなく、寒い時雪降りの時には見えず、暖かくなると少し見えるようになるということで、その対応に苦慮するのです。外皮の中の何処かで破線している訳です。さてこれは大変面倒なことで、400mほど線を取り替えればそれは済むのですが、この11月には受信システムが変わるということもあってあんまりお金を使ってもしょうがありません。
 そこでいつも無理をお願いしているM電気技研の技術者にお越しを願うのですが、破線箇所を特定する事が出来ません。長い梯子を持って電信柱によじ登ってアンテナ線に通電して見るのですが、この辺だろうということは解るのですが詰めきれないのです。
 結局アンテナ線が劣化して中心の銅線は切れていないのですが外を取り巻くフェーダー線?が外皮のひび割れで錆びたり水を含んだりでTVが見えなくなったりするのだろうということに落ち着きました。さて、今度は多分ここだろうと特定される区間のアンテナ線の調達となるのですが多めにみて100m程の7Cのアンテナ線を知り合いの方に探してもらうのですが7Cのアンテナ線はやたらあるということでなく技術者に頼むということで今日の所は作業を終えます。元の状況に戻してTVを付けると少しいいようにも思えました。今日の作業代とお金を払おうとするF1さんにM技術者はちゃんと映るようにならない以上はお金はもらえないと固辞して次回の作業を約束するわけです。僕は脇で見ていてプロだなーと感心しきりでした。
 やっぱりTVはあるべきで殊にこんなに降った冬には、疲れて家に入って腰を下ろした時、ちょっと笑ったり泣いたりしながら自分のカタルシスを助けてくれるのはTVであっていいのかもしれません。僕はこの冬TV、テープ、DVDが家族であったと覚えています。堕落ではなくバランスです。
 そういえばEBちゃんは手伝おうかと手を挙げてくれたのですが、みんなからいらないといわれてひとり帰っていきました。ごめんなさい。

2006/03/04(土) 津南雪祭り
 朝の8時から音響のセッテング。機械も電気も解らない使えない梃子の僕はコードを持ってウロウロするばかりでした。開場は4時ということであったのですが昼過ぎから人々が集まり始めて、小さな津南町の春を待つ楽しさが人々の表情に溢れていたりして、セコイ祭りなのかと思っていた僕としては少し反省しました。
 雪祭りは夜がメーンになるのか、とにかく寒く冷え込んだ夜になっても帰ることをしない多くの人々に驚いたりもしましたが、これもみんな来る春の楽しさ、もう構うことをしなくてもいい雪からの開放感なのだなと感じました。
 人間というものはお祭りが好きで、それも音楽が流れてくると表情が和むのがわかります。でも、歌う人たちや演奏する人はみんなの笑顔を向けさせることが出来ます。音響担当はあくまでも縁の下の力持ちでお客の後姿しか見ることが出来ませんが、僕はいい位置にいられる仕事だと感じました。
 アルビレックスのチヤリーダーや「ひなた」というボーカルを聞きながら、いいのだけれどももう少し灰汁のある音楽や踊りを見たいと感じました。


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