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2006/11/20(月) 仕事で息抜き
 今日は橋を渡って仕事に出た。先日降った雪が融けて水量が多いようだ。そのために今日の大仕事は来週に順延になってしまった。山に登って塵芥処理をして発電所の雪囲い等の仕事をしたのだが昨日の橋架けを思うと気分は楽だった。思うに昨日事故も無く仕事が終えられたことは皆さんに感謝しても仕切れない。私が川の中にすッ転んだのはご愛嬌というものだろう。
 今日ズーッと考えていたのは鉄索の架け替えだった。来年は冬の間中使える索道に付け替えようと考える。主任に見積もりを頼もう。
 午後から雨になったのだが気温は8℃あって雪にならないと判断して車で帰って来た。帰りながら道の横溝に詰った落ち葉を片付けながら帰って来た。家に入ろうと池を見ると一尾の岩魚が飛び出していた。それを刺身にして食べてしまったのだが40cmほどになった岩魚はこの小さな池の中しか知らず3年も我慢していたのかと思ったら何だかちっとも美味いとは感じなかった。電話が鳴って発電所でこの28日から水を流すという。公の仕事だから納得したがどうか橋を流さないで欲しいとも強く念じた。

2006/11/19(日) 橋架け
私のここでの暮らしは12年にもなるのだけれど、ここでの一番の仕事が橋架けなのである。それが私には上手く出来ないのだ。腰まで来る長靴を履いて重い丸太を抱いて川に入るのだが私はホンの梃子でしかなく福一さん武雄さんがほとんどやってくれるのだ。一番大事な仕事と任じながらそれが出来ない自分の能力にここで暮らす資格が無いように感じてしまうのだ。この間、何だか自身が上手く自分と一緒になって機能していないように感じていたのは自分の能力の無さに怯えてしまった結果なのだ。いい年をした私はどうしようと悩むのだ。
そこで雪にも使える鉄索を村ちゃんと考えた。鉄索さえあれば真冬でもここは立派な隠れ家になるのだし私の能力の限界に悩まなくてもいいはずだ。橋架けの重圧に友達に要らぬ負担をかけなくての住むのだと。来年はまず鉄索を決着つけよう。
 福一さん武雄さん村ちゃんYEBI大王とT中さん太田の内藤氏とM野さん今日はホンとに感謝します。ありがとう御座いました。

2006/11/18(土) 怠けた付け
去年の雪で壊れた水槽の周りのコンクリート伏せを行なった。でも5月から11月の今日まで私は何をしていたのだろう。薪にしても間際になるまで手を着けないのは時間の使い方がまことに下手なのだ。ここ秋山という奥地で暮らす以上先に先に全てを貫徹しなければならないのに、そこが反省すべきてんなのだろう。何時までたっても自立できない自分が情けない。
YEBI大王の到着が遅れて橋架けの準備は明日に延ばした。太田市のN氏も来るというのだが無理な仕事はさせられないのだしどうなるだろうか。

2006/11/17(金) 仕事で気散じ
 どっちみち今日はダンプを借りられずコンクリート用の砂、砂利の運搬は出来なかった。その代わり仕事に出てダンプを使って落ち葉を捨てた。一日中寒く時より降る小雨にすっかり濡れてしまった。去年のことを思い出しても仕方がないのだがこのところの寒さは去年は無かったように思う。
 昨日は「Rey」を見ていた。レイ・チャールズの伝記なのだがいい映画だと思った。だから今日はレイ・チャールズを真似て肩を振ったり首を傾けたり、昨日の余韻を楽しんだ。
 さて、橋架けだが天気を願いつつ雨天決行と行こう。そうしないと伊達巻戦争従軍までのホンの少しの私の休息時間が取れなくなってしまう。このところ仕事、展覧会、冬支度とクタクタなのだ。写真は中津川右岸から見た景色なのだ。

2006/11/16(木) 何故急ぐのか!
  自分でも何でこんなに急いでいるのか良く分らないのだ。まだ11月なのにそんなに急いで何処へ行くのかと考えてしまう。
空は雲が掛かって低く垂れていて朝から氷雨が降っている。雪こそ降っていないが何時振り出してもおかしくない空模様だ。今日は蕎麦刈りのままになっていた脱穀機、トーミを片付けて三角小屋終えた。橋掛けの下見をしていた。仁成館も朝から薪割りの音がしていて軽トラを湯に持って行った。薪を積むには軽トラは必需品だ。湯のご主人も切羽詰らないと何にもやる気が起こらない、と疲れ気味だった。
とにかく三角小屋を片付けて、橋の板を切って塗料を塗るともう真っ暗だった。明日は仕事だと電話が入って今日も更けた。

2006/11/15(水) 雪は消えていた
 期待した通り雪は消えていた。昼に津南で食事を取って主任を訪ねるも不在。バックフォーは主任宅に収まっていた。3時過ぎに着いた。早速軽トラックに乗り換えて看板はずし、台所の雪囲いをやってみる。天気予報はあんまり良くは無いようだがこの週末までは待ってほしいものだと空を仰ぐだけだ。今日は酒でも飲んで何時もの私に戻ろうと思う。

2006/11/13(月) これから下る
 昨日はあれから何度も空を見上げて雪の塩梅を見続けた。9時になって雪は収まったと判断して夜の雪道走行の危険を考えて今日帰ることにした。そのまま夕飯を食べるととにかく眠くて11時近くまで寝てしまう。起き出してまた3時半まで話してしまう。
今日は雪始末をするのだが屋根の雪が陽に溶かされて落ちてくるは、冷たいので仕事にならなかった。16日まで東京に出て歯の始末をした方がよさそうだと考える。
これから一旦下ってみる。

2006/11/12(日) 進退窮まる
 写真展の日は朝から雪が降っていて屋敷の会場に向かうも立ち往生したバス、25M転落した自家用車を引き上げるレスキュー車、救急車、消防車と白い雪の上に赤い車が気持ちを高ぶらせた。
展覧会はみんな喜んでくれたし、地区の発表の司会も滞りなく済んだ。これは良かったのだが、雪は降り続きもっきりやに帰り着くと20cmの積雪でさて困った。降り止めばそれはそれでいいのだが降り続けばここからの脱出は1週間の天気を待たねばならないだろう。決断を迫られた。今はどうにか小降りになっているが夜にいい気持ちで寝ていて朝にビックリではあんまりいい気持ちではない。
昨日までの暖かさが恨めしく思われる。この日記も少し急いで書き終えなければならない。、今日これから脱出して福一さんのところで泊めてもらうか、湯に退避するのか決断を迫られる。それとも津南の主任宅まで下がるのかイヤー困った。

2006/11/10(金) 写真展と象牙の塔
今日はとにかく暖かな日だった。昨晩3時過ぎまで作業をして疲れきって寝ていると、上司から連絡あり。「作業ジャンパーの支給あり。直ぐ来られたし」おっとり刀で出かけてみるとただジャンパーの支給だった。別に今日でなくてもと心の奥の奥の処で考えたが行ってしまったものは仕方がなく、受け取って帰ってきた。年寄りはもっと気が長いはずなのだが内の先達は気が短いようだ。
帰り道、紋黄蝶が一兎ひょろひょろと飛んでいた。まるで春のように暖かだった。
写真の人物と名前の間違いの無いように気を配って私は走り、金物屋氏はパネル張りに熱中せざるを得なかった。展示場所の確認に学校に行くと関係者が示した場所では103枚のパネルは張り出せない。約束が違う。担当の教師は確保したというものの今日の関係者は児童の展示が優先だと受け付けなかった。教師は目を伏せがちに遠ざかり学校という社会の閉鎖性を感じた。もっと大人の対応をしろよと校長に掛け合ってどうにか確保するものの果たして彼等の確保がどうなるのかそれは分らないのだ。もし、確保が出来なければ展示を止めようと私は考えている。世の中そんなものだ。学校と言う象牙の塔にズーっと入っていればいいのだ。私は今後一切関係を断ったっていいのだ。約束をするということはそういうことだ。口頭でも文書でも同じだ。と今日は感じた。

2006/11/09(木) 写真展間近!
 写真展が迫って仕事を休むことになりました。カメラマンのY氏が最終準備の為来てくれます。勿論自腹なのですが、そうなると私もお迎えに津南まで出ます。ただ出るような子供でない私は今まで溜まっていた仕事と買出しを兼ねるのです。東京の友人に頼まれたコシヒカリのはさ掛け米を5キロ、10キロと袋詰めにして発送したり、ペンキを届けたりと忙しく動き回ります。午後のバスで捕まえたY氏と昼飯を探して30分津南を走り回ります。午後2時を過ぎてこの町で食事を取ることはなかなか難しい。きっとこの町は通りすがりの旅人とか自由人を員数に入れていないのではないかと思われる仕打ちのように感じさえする。すきっ腹で思うことはそんなことだ。
雪の準備を終えた福一さん宅でY氏がシー・カチャン、シー・カチャンと打ち出した103枚の写真の前で奥さんは実に嬉しそうに何回も何回も写真を眺めました。それを見て私もY氏も「ヤッタ!」とばかり心が騒ぎます。帰ってこれからが大変な作業になるのです。174人の名前を間違いなく記載しなければなりません。これは大変な仕事です。今日やって明日はその裏を取りにまた走り回ります。最後まで気が抜けません。その分毛が抜けます。
どうでしょう、この12日に予定がない人は、腹をすかせて津南にいるより、空いた405号を屋敷まで走って見ませんか。帰りには初冬の雪の来る前の山の佇まいに感動して、お湯に浸かってお帰り下さい。

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