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2006/10/19(木) 渋沢は朝に霜のなか
 朝霜が下りていた。仕事を片付けて2時過ぎに下山を始めた。きょうは1グループ5〜6人が先に下っていった。途中シシタケを見つけたけれども、総じて茸は少ないように感じた。こんな時よく福一さんは舞茸を見つけたものだと恐れ入った。
 帰り道「おけさの松」が紅葉のなかに浮かび上がっていた。昭和30年代渋沢ダム工事に食料の荷揚げに向かった秋山の衆は軽くなった荷物と仕事を終えた安堵感からよくお酒賭けて度胸だめしをした。ひとりがあの岩の上に立つ頭の欠けた松に登って佐渡おけさを唄ったら一升あげようというと和山と屋敷の男がそれぞれ断崖絶壁の松ノ木に登っておけさをうたったと言う。ひとりの歌声は震えていたと言う。あの頃の男達は日本の何処ででも厳しい仕事をしていたからなのだろうが、今では酒一升で登る人は居ないだろう。当時この国の強力は100キロの荷を背負って山を行く人はざらだったという。200キロを背負った人も居たという。さすがに背負うだけだったのだろうが時代はどんどん軟弱になって行くようだ。


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