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2006/10/31(火) 映画とボッカで勉強だ
 昨晩はみんな帰ってひとりで映画を見た。
『男は生きるも死ぬも覚悟ひとつだ』と言う台詞に気持ちが残った。老いた2人の男が、潮風のあふれる街で出会ってそれぞれの憧れの女性に対する感じ方の違いのなかで老いを生き抜くフイルムだった。いい映画だった。シャリー・マクレーンが良い演技をしていた。昔の好きだった女性に似ていた。何だか、まだ2人の主人公の年と比べると20年近く若いはずの私は彼らより年を取っているのかもしれないと部屋を見回した。
 朝は重い荷を背負ってボッカをしながら倒木の除去に出た。現場を見て判断する力は私にはないのだけれど現場主任は的確にその直径1mもある松の木を処理した。
 映画を見たり、ボッカをしたり何だか死ぬまで勉強なのかと感じた。

2006/10/30(月) 友の力を借たればこそ
 朝5時ごろ、やりっぱなしの蕎麦が気になって仕事の休みを願い出たのだが人手がなく休めなかった。蕎麦はブルーシートに包んでいるのだけれど乾燥が終わっていない。その分湿気があって、シートの中で汗をかくので早く脱穀して、日のあるうちに乾かさなくてはいけない訳なのだ。出掛けにN氏とカメちゃんに頼んで出ることにした。少しでもと力を借りたかった。結局3人で作業を追えてくれたと連絡をもらった時はハゲ頭を下げるしかなかった。

2006/10/26(木) エネルギー不変の法則
 パソコンが作動せず、ちょっと焦った。こういった機械の理解に不向きな私だが昨日まで日記に追いまくられて食傷気味だったのだけれど、いざ壊れてしまうと何だかとても淋しく感じるもののようだ。ある日突然に日記が更新されなくなったらそれは私の無精の性ではなく単なる機械の故障だとご理解頂きたい。出来れば12月の伊達巻戦争に参戦してDELLのデスクトップ型に代えるべきだと先生に指導を頂いた所だ。毎年12月は工場に寝泊りして出稼ぎに出るのだけれどその時の日記の非更新はここにいないせいなので皆様も心配しないで頂きたい。ただこの頃掲示板になにやら如何わしい書き込みがあってその都度消しているのだけれどくれぐれもそんなものに手を触れないで頂きたい。良識ある皆さんの判断を期待します。
 切明から岩菅山に向かう登山道があって30分ほど登ったところに渋沢からはるばる流れてくる水路がある。この時期枯葉が一緒に流れてきて水路を塞ぐこととなるのでその枯葉を取り除く作業が大事な仕事となっている。古兵殿と二人して一日中その作業を続けた。見下ろす切明温泉の駐車場には25台のバスが出入りしていた。
 枯葉は人間的な匂いがあって決して汚いものではないのだが積もったそれを取り除くのは指先に力が入るので痛くなってしまうのには閉口した。一匹のウサギがその枯葉の中で死んでいて上流で川に嵌まって溺れたのだろうと猟師でもある古兵殿は教えてくれた。ゴミとしとして捨てられる落ち葉はやがてこの地球上で土に変わって植物を育てるはずだ。ウサギにしてもやはり消えてなくなるのではなくて何かの役に立って転生するのだろう。

2006/10/24(火) 雨と風と紅葉
 昨日の風と雨で川に枯葉が流れて行く。
 切明には昭和30年代に作られた発電所があって、その水の取り入れ口に入る木の葉を取り除く作業がつづけられている。大変な労力と時間を発電所は使って電力を維持管理している。ここの電気が東京へ送られ、大正末から現代まで街の人々の暮らしを支えている。秋山は東京を支えつづけている勘定になる。
 切明近辺の紅葉は、今日のようにキリのなかで見るのも風情があっていいものだ。ただ、栃木、水戸、所沢、長野、新潟といろんなナンバーのバスがノロノロ行くのだけには閉口する。切明の橋の上には観光客があふれていて、真ん中で写真を写しているのは危ないから止めなさいと、教えてあげたい。

2006/10/22(日) 自動車救済委員会と屋根復活委員会
 きょうは良い天気で屋根復活委員会としては恐怖を克服できる最高の条件なのではないかとまどろんでいたのだ。いつもの千鳥足山岳会の友人と丁度朝飯に箸を付こうとしていると何処かから悲鳴に似た声を聞いた。数分前青い自動車が下りてきていたので出てみると車が沢の下に左前輪を落として前のめりになっているのでした。サー大変と思うのだけれど山岳会の車もあるし、バックフォーだってあるもっきりやにしてはな〜んの問題も無いのだ。運転なさっていた同世代のご夫婦の気持ちを落ち着かせ、茶などでもてなして「これは大したことではないからちょっと待ててね」と気分をほぐす私なのだ。バックフォーの出番もなく山岳会の車に台付けしてあっけなく自動車は元に戻って彼らご夫婦の思い出の1ページに収まったようである。
 さて屋根再生委員会であるが4寸勾配の屋根は問題ないのだが5寸勾配のところは何故か気持ちが萎えるのだ。怖いのである。落ちて頭が割れている己が姿を思い浮かべるのだなー。朝の車の運転手さんのように心がドキッドキッと波打つのだ。私は高い所は嫌いなのだ。生まれる前からの約束事なのだ。千鳥足山岳会は湯に寄ってから帰ると出て行くし、一人のこった私は暮れなずむ空の下ほんとに寂しかった。見ると湯に到着した山岳会が指を差して心配げに眺めていた。

2006/10/20(金) 紅葉に飽きる
 このところ秋山のあっちこっちと仕事に歩いているのだが、渋沢にしても、雑魚川にしてもとにかく紅葉は見事に尽きる。
 少し天気が下り気味なのか今日の紅葉は光の無い分、輝きに欠けた。やはり光が全ての景色を規制するのか、写真を撮っても良く写らない。見上げる景色もいいのだが、見下ろす紅葉は新鮮に感じられるようだ。
 しかし私としては紅葉よりか生活の準備に気持ちが行ってしまって、先日の渋沢の紅葉で充分満足してしまって、これから秋山に下がってくる紅葉には気持が乗らないかもしれない。私としては紅葉は終わったに等しいことかもしれない。みんなは今度の土日から来週の土日がいいだろうということなのだが多分、26日位がピークなのかもしれない。
 写真はシシタケ(ぶなはり茸)なのだ。油いためににしても、フライにしても勿論天ぷらで食べてもその鶏肉のような食感に驚くことだろう。

2006/10/19(木) 渋沢は朝に霜のなか
 朝霜が下りていた。仕事を片付けて2時過ぎに下山を始めた。きょうは1グループ5〜6人が先に下っていった。途中シシタケを見つけたけれども、総じて茸は少ないように感じた。こんな時よく福一さんは舞茸を見つけたものだと恐れ入った。
 帰り道「おけさの松」が紅葉のなかに浮かび上がっていた。昭和30年代渋沢ダム工事に食料の荷揚げに向かった秋山の衆は軽くなった荷物と仕事を終えた安堵感からよくお酒賭けて度胸だめしをした。ひとりがあの岩の上に立つ頭の欠けた松に登って佐渡おけさを唄ったら一升あげようというと和山と屋敷の男がそれぞれ断崖絶壁の松ノ木に登っておけさをうたったと言う。ひとりの歌声は震えていたと言う。あの頃の男達は日本の何処ででも厳しい仕事をしていたからなのだろうが、今では酒一升で登る人は居ないだろう。当時この国の強力は100キロの荷を背負って山を行く人はざらだったという。200キロを背負った人も居たという。さすがに背負うだけだったのだろうが時代はどんどん軟弱になって行くようだ。

2006/10/18(水) 渋沢の紅葉は見事だった!
 昨日は仕事で渋沢まで出かけた。渋沢では登山者が一組二人、自転車に乗った人が一組二人と行き違った。ここの紅葉は前回3日に行ったときから俄然かがやきを増して、今がいちばんの見ごろとなっていた。秋山から10キロほど上に登るのだが、ゆっくりゆっくり歩きながら眺める景色に頭がボーっとなりそうなのだ。
 私の拙い写真ではあるのだがまずは見てください。今度の日曜日までは大丈夫だと思われる。観光客として車から眺める景色ではなくて、足で探す景色こそ心に残ると私は考える。是非そういった場所をあなたの秘密の引き出しに仕舞って下さい。

2006/10/16(月) 取材を終える
 気持ちが途切れることなくほとんどの家をまわった。秋山校区合同文化祭で展示する作品が来てくれるお年寄りたちにどんな気持ちを与えるのかそれを見てみたい。
 お金はこういう事に使って初めて価値が出てくるのだろう。その使い方に私達は充分満足している。この企画がお年寄りに理解されていないかもしれないけれど文化祭の当日に多分秋山の同じ時代を生きてきた戦友としてそこに映し出された知り合いを見つけて楽しくなってくれることを祈るものであります。
 そこで今日は「バニシングポイント」を見て後、都はるみで盛り上がるのです。

2006/10/15(日) 俺たちもよくやるよな〜
 色付いた紅葉に誘われるように多くの観光のお客が走りすぎていく。自転車、バイク、自動車、バス、一年分の車がこの狭い国道を走りすぎる。賑やかになった分だけここの人たちは生活のリズムを変えて車に轢かれないように気を使う時期になったのだ。商売をする人も農業で暮らす人も行き交う多くの人たちのざわめきに何処となく心を浮き立たせているように感じたのは私だけだろうか。
 私達の文化祭参加写真展の取材は100組を超えたようである。100組の秋山で暮らすお年寄りの表情は私の拙い文章では表すことが出来ないけれど、この写真展が秋山のお年寄り達だけでなく、この国の人たちの将来に何か資っするヒントになれば私としては嬉しいのである。厳しい環境の中で苦労し、涙し、汗を流し、知恵を出し合って秋山の風土を作りあげた人間の威厳をどう現せたのかは見てくれる人たちの優しさにゆだねて今日は疲れきった身体を一杯の酒に任せて眠りに付こうと思う。
 写真は先週福一さんが採った舞茸である。福一さんは私達を喜ばせるように舞茸踊りを踊って見せたくれるのである。その優しさに頭が下がった。感謝。

10月絵日記の続き


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