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2006/01/22(日)
実に実存的すぎる!
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洗濯を試みる。この冬は水を通水しているので洗濯も出来るのだがどうもこの洗濯用の蛇口の水は水量が少ないようだ。バケツで水を注いだり、結局2時間もかかる有様で閉口した。 久しぶりに日が差し込んで暖かく、洗物を干して昼前に雪遊びと洒落込む。家の前の池の上に2メートルの屋根から落とした雪が蓋となっていてそいつを片付けにかかる。4時間かけてどうにか10パーセント終える。昔読んだ太宰治さんの本に「甲斐のない行為には美がある」というフレーズがあって気に入って覚えていたのだが、延々と続く掘っては捨てるという行為を繰り返していると、治ちゃんはやった事はないのだろうと実感した。そういえば津南あたりの高校生は屋根には上がらないという。もっぱらおやじさんおふくろさんの仕事だという。近頃はこんな雪深い一地方に沢山の治ちゃんが出現しているようだ。何だか人生の役割分担を心得ているようで、とにかく今はファッション、音楽、スポーツなど都会の高校生と変わらないことが平等なんだとばかり雪とは無関係に生きているようである。親も親である。もし、人間の苦労が等しく同じであるとしたら、これらの高校生は苦労を先送りにしているのではないだろうか。いや、きっとこの国の将来の姿を彼らは感じ取っていてどの道苦労しなければならないのなら、今のうちに遊んじゃエーということなのかもしれない。 そんなことは同でも良いことなのだが、明日も実存的労働が待っているのである。やんなちゃうなー!
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