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2006/01/17(火)
東京から秋山まで36時間
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昨夜は電気に興奮してミッドナイトまで「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」の友情に詰まされました。この雪の夜気の合った友と見る映像には至福の喜びを感じるものです。彼が東京に帰ったとしても僕は充分やっていけるはずです。とにかく昨日の灯りの復活は嬉しい限りのものでした。 今回11日の早朝東京を後にして秋山に向かったのはひとえに正月から降り積もった雪の重さに「もっきりや」が耐え切れないのではと、取り残された僕の家の悲鳴を聞いたように感じたことでした。本来8日にここに戻るはずでした。そして雪を構ってやればどうにか僕の寂しげな家に対して仁義が切れると。青い空の下にいる時は毎年のことなのか左程とも思わないでいたのも事実でF1さんやTOからの電話連絡で僕は忙しくなった訳です。 国道(酷道)405号はすっかり雪の中に埋まっているのかと行ってみると見玉からの道は除雪はきれいに行われていて、自衛隊員や地元の見玉石材の作業車が雪覆と格闘中でした。管理者の新潟県の役人と通行を交渉するのですが通してもらえず、津南町の対策本部でも同じで、栄村の人は栄村に行けといわんばかりのお役所仕事と、責任回避に振り回されるのです。夜になって再度秋山に向かうも雪のバリケイドで通れず、結局友人宅で世話になります。 12日北野温泉でお湯に浸かって元気を貰って栄村役場で情報を入れて、見玉に戻ります。再度県の役人と交渉するのですがダメの一点張りでした。秋山の住人も道のことを心配していて、僕らは見玉でずうーと開通を待つのです。あれは午後の4時頃でしょうか報道の車でごった返す地点から見玉の集落の中に帰って缶コーヒーを飲んでいるときでした。遠くから一人の老人が右手に杖を持って、左手に傘を持ってスローモーションのように歩いてくるのに出くわしました。さて困ったと思案している僕にとってその老人は大雪も通行止めも意に返すことなくただ、昔からの暮らし向きをジュンジュンと続けているのです。その夜、僕らは関係車両の撤退を確認してから、不測の事態を考えながらも秋山へと向かうのでした。 写真 吉田勝美
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