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2006/01/30(月) 雪がよったって重いのなんのッテ
 僕の家というのは玄関が下屋のようになっていまして、地上から2mほどのところに屋根があります。その屋根に上ると総二階の本家屋があるのですけれど、今私の家の周りには4m近い雪が積もって取り囲まれています。昨年から5回の雪下ろしを行うことで、落とした雪が2階の屋根の軒に付いてしまっています。このままでは玄関から出られず、屋内が真っ暗になります。そこで、この12日から雪を片付ける作業を延々と続けているわけです。家の周りの雪を片付けるということは、必死の抵抗のようなものです。
秋山がこの豪雪でTVに取り上げられてブラウン管で見る限りでは、屋根の雪下ろしが緊急の問題ですが、雪に閉じ込められ真っ暗の中にいるお年寄りの不安から来る寂しさも重要な問題なのです。去年までの雪の降り方はそれでも昔からのそれであってお年寄りはそれなりに努力して、また近所の助けをありがたく受けてどうにか春の畑仕事に備えることが出来ました。独り暮らしのお年寄りは今回の豪雪でこれからの自分の暮らし方の選択を迫られているようです。
と言うのも、今日辺りの雪はよったてきて(気温の上昇で重くなって)スノーダンプにへばりつくとその重さで泣けてくるのです。投げてもきれいに捨てられず、残るのです。これには困ります。お年寄りが下手にガンバルと腰、肩、腕、足に無理が来て何処か怪我をするように思えて仕方ありません。勿論まだ充分働ける僕でさえ気をつけなくてはならないくらいに手強いのです。折角きれいにした玄関前とか明かりを入れられるようにした窓を死守しなければいけないのですけれども、家の裏側、台所も明かりが欲しいしそうなると僕でさえ大忙しになるのです。今年は春まで台所は暗いままになりそうです。
明日からまた大雪だとニュースでは報じていますが、すんません!今回はお手柔らかにお願いします。空を仰ぎ見ました。

2006/01/26(木) 救援物資到着
 和山の区長さんから援助物資が来た、と連絡あり。聞いてみると大赤沢から出た歯医者さんからカイロやらが届いているとのことでした。先日お腹を冷やした当方としては願ってもない助けで感謝に耐えません。後日葉書でお礼状を出しますが、この場を借りて御礼申し上げます。有難うございました。
 援助物資といえば東京のAKシスターズから食料品やみかんが届いていると連絡もありました。明日はお風呂をもらいに行くついでに取ってこようと思います。ここに独りでいるとは僕は考えてはいません。この日記にしても読んでくれている人がいて気にかけてくれる人がいるうちはバンバン雪下ろしが出来ます。僕のかく汗は皆の汗だと考えています。
 今日は時間の割には捗った作業でした。急傾斜の風呂場の屋根の雪を落とすべく掘っていると、何の予兆もなくアッというまもなく全てずり落ちました。下にいたら随分と痛かったろうと幸運を感謝しました。
 掲示板ですがなんだかお宅っぽい連中がヒガミ、妬み、嫉みを一杯にして出鱈目な挑戦をして来ているようです。暫く心ある皆さんは放って置いてください。あえて削除は致しません。その間本でも読んで、ジャズで聴いて教養を深めてください。

2006/01/25(水) 実働7時間給料ゼロ円
 朝の10時半出勤5時40分退社。サービス出勤です。
 昨日の荒掘りの後片付けで屋根に2時間半居りました。滑るのでへっぴり腰になるのは自分の防衛策でありまして、これは格好の問題ではありません。雪があるうちはそれに長靴を突き刺せばブレーキになってそんなに怖いことはないのですが、屋根が出ると長靴が屋根の傾斜に負けて滑るのです。ヒヤッとします。終えて屋根を離れるまで緊張はとれません。雪は重いので大きなスノーダンプに一杯すくうと重さで体まで低い方に押されます。ドキッとする瞬間です。また硬い雪の上にふっわっとした新雪があるとスノーダンプが肩透かしを食ったようになってバランスが崩れます。あぁぁと目をみはります。雪下ろしは雪の量と重さ、天気の良し悪しで地獄にもなるのです。そこのところ宜しく!
 後はザ・ピーナッツのラヴソングを聴きながら、落とした雪を片付けるのですが、余りにも大雪で13Mほど引きずって捨てるもんですから時間がかかるのです。去年の2倍までは行かないけれどそれに近い距離です。こんな苦労をしても春になればなーんにも無くなってしまいます。ゼロです。僕が流した汗も悩んだことも咲くコブシの花、さくらの花びらに取って代わるのです。雪国の人たちの忍耐はきっと全て雪から体得したことことなのです。でも、それは今までのことでこれからは違ってきます。雪国の若者は都会の若者と変わらないようです。
 今日は餃子が食べたい。ラー油とお酢醤油でアツアツの奴。

2006/01/24(火) 労働貫徹ピザ食べたい!
  国会では江田五月議員が「過疎地の高齢者が被害にあっている。効率優先の日本の社会の歪が現れている。地方の除雪に国の支援を」(要約)と総理に問いただしておりました。何時になるか分らない支援よりまず今日の雪です。予報では午後から雪は止むというので完全装備で外に出ます。雪は膝まであってまアー40センチですが一向に止む気配はありません。どういうことでしょう。雪はますます激しく降り続けます。
 何か面白いことでも書いてみたいのですが何にもありません。ねずみが天井裏をコソコソと這い回るくらいで、僕と同じです。
 「いやーよく降りやがる。何かの怨念がここに集まっちまっているようだぜ。オレは、ピザにタバスコ、チーズかけてウイスキーを飲みたいだけなのに」
 今日は玄関前の雪を片付けて、下屋の雪を落としていたら屋根に上っておりました。気持ちというのはたいしたものです。もう上ってしまえば大活躍するほかなく荒掘りですがやっつけました。もっとも明日もう一度上がってきれいにします。今年5回目です。後5回は上がります。きっと。
 やろうとしていたことをやれば何だか勝ったような気がします。単純です。単純一郎です。
 昨日は「VANISHING POINT」を見て夜更かししてしまいました。今日は「Roman Holiday」でも見て若かった頃のM女史でも忍びましょうか。

2006/01/23(月) 雪女跳梁ス!
  昨日の夕方から降った雪は強風を伴って、昨日の仕事を隠しました。この調子で降り続けばどんな人間も嫌になってしまいます。F1さんに聞いてみると去年の暮れ、この年明けこんな降りが1週間ずつ続いたとのことでした。
 昨夜は雪女の跳梁にまかせて、外では風が電線を切る音や窓で凍りついた雪が落ちる音や何だか判らない音までして賑やかでした。僕が怖いと感じれば何でも恐ろしいのでしょうが、僕はもう慣れました。怖いと思うのは自分が作り上げた幻想に驚くのです。
 それでもこの風のなか何にもする気が起きなくてボーっとしています。昼過ぎ風が止んだようなので外に出て昨日の原状に復帰させました。3時間かかってどうにか終えましたのですが、先へは進めません。屋根の雪は落ち着くまでは下ろしません。
 ハーハーゼーゼー大変です。独り暮らしのお年寄りはどうしているのでしょう。気になります。

2006/01/22(日) 実に実存的すぎる!
  洗濯を試みる。この冬は水を通水しているので洗濯も出来るのだがどうもこの洗濯用の蛇口の水は水量が少ないようだ。バケツで水を注いだり、結局2時間もかかる有様で閉口した。
 久しぶりに日が差し込んで暖かく、洗物を干して昼前に雪遊びと洒落込む。家の前の池の上に2メートルの屋根から落とした雪が蓋となっていてそいつを片付けにかかる。4時間かけてどうにか10パーセント終える。昔読んだ太宰治さんの本に「甲斐のない行為には美がある」というフレーズがあって気に入って覚えていたのだが、延々と続く掘っては捨てるという行為を繰り返していると、治ちゃんはやった事はないのだろうと実感した。そういえば津南あたりの高校生は屋根には上がらないという。もっぱらおやじさんおふくろさんの仕事だという。近頃はこんな雪深い一地方に沢山の治ちゃんが出現しているようだ。何だか人生の役割分担を心得ているようで、とにかく今はファッション、音楽、スポーツなど都会の高校生と変わらないことが平等なんだとばかり雪とは無関係に生きているようである。親も親である。もし、人間の苦労が等しく同じであるとしたら、これらの高校生は苦労を先送りにしているのではないだろうか。いや、きっとこの国の将来の姿を彼らは感じ取っていてどの道苦労しなければならないのなら、今のうちに遊んじゃエーということなのかもしれない。
 そんなことは同でも良いことなのだが、明日も実存的労働が待っているのである。やんなちゃうなー!

2006/01/21(土) 東京降雪お見舞いします。
  少し早く寝た。シャツで寝た。その夜は寒く電気敷き毛布の設定が低すぎた。明け方4時腹の痛みが始まった。便所にも起きたが、ストーブは消えてまた布団にもぐり込んだ。出稼ぎの時−30度の冷凍庫に入った時と同じ症状でさして不安はないのだが、僕は子供のときから腹痛に弱かった。盲腸を切ってからすっかり収まっていたのだがこのところ何回かこんなことがある。僕はジイサンになっていたときずいた。
 で、僕は昼まで寝ぼすけ。ストーブ付けて、お茶飲んで、体を確認するために2時間だけだけれど雪を構ってみた。ちょっと疲れて息を整えていると何処かから雪を踏んで人の来る気配がする。今日は土曜日だから誰か来たかなと、スコップを硬い硬い雪に突き刺す。誰も来ない。でも、グッツグッツと音はする。はて。と考えていると腹が渋りだした。腹の虫が人恋しさに泣いていたのかと不甲斐なさを笑った。
 東京は9cmの雪だという。まだまだである。明日はこちらは30cmの降雪だという。車で雪道を走る時は、ギアを1段落として走れ。フロントガラスには外気を取り入れてからヒイターを付けるべし。窓は曇らないはずだ。ゴムのチエーンで充分だから、駆動輪にちゃんと巻くべし。ブレーキはポンピングで使用し、急ブレーキで横に滑ったら、ブレーキをはずせ、そのまま止まらないときは車の流れている方向に、軽くアクセルを吹かしてみよ。でも、いくら上手く運転しても、相手の居ることで、無理して走らないことだ。今年は何たって寒いから東京でもこれからまだまだ雪は降ると思う。今回のことで勉強して次の雪に備えるべし。もし、大雪になれば僕らが今度は助けに参上しよう。

2006/01/18(水) 息抜き!
少しづつですが家の中に明かりを取るべく雪の山と格闘します。ところが硬いのなんのって剣スコップで力任せで掘るものだから疲れるのです。そんなもので何時までも続くわけはなく川を渡ってハンコウツキを作ってくれたS作のところに遊びに出かけます。S作さん宅には小さな作業小屋があって薪ストーブが燃えています。およそ3坪ほどのその小屋はおじさんの隠れ家にいいサイズで何時かこんな小屋で遊びたいと思うのです。
 S作さんに今度の通行止めで困ったことはと聞くと、「酒がなくなりそうで、お客用に残しておかなくてはならないし、これは困った」と笑いました。ここには一冬中の薪、贅沢さえしなければ充分な食べ物が蓄えられているのですが、この雪かきに疲れた体がお酒を欲し過ぎたのかもしれません。
 仁成館でお湯を借りて暗くなる前に帰ります。雪降りの日にはなんといってもお風呂に勝るものはないようです。ぐっすり眠れるはずです。
 写真は1月から降り続いた雪がもっきりやを飲み込もうとしているとこです。2日のべ5人掛かりました。

2006/01/17(火) 東京から秋山まで36時間
  昨夜は電気に興奮してミッドナイトまで「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」の友情に詰まされました。この雪の夜気の合った友と見る映像には至福の喜びを感じるものです。彼が東京に帰ったとしても僕は充分やっていけるはずです。とにかく昨日の灯りの復活は嬉しい限りのものでした。
 今回11日の早朝東京を後にして秋山に向かったのはひとえに正月から降り積もった雪の重さに「もっきりや」が耐え切れないのではと、取り残された僕の家の悲鳴を聞いたように感じたことでした。本来8日にここに戻るはずでした。そして雪を構ってやればどうにか僕の寂しげな家に対して仁義が切れると。青い空の下にいる時は毎年のことなのか左程とも思わないでいたのも事実でF1さんやTOからの電話連絡で僕は忙しくなった訳です。
 国道(酷道)405号はすっかり雪の中に埋まっているのかと行ってみると見玉からの道は除雪はきれいに行われていて、自衛隊員や地元の見玉石材の作業車が雪覆と格闘中でした。管理者の新潟県の役人と通行を交渉するのですが通してもらえず、津南町の対策本部でも同じで、栄村の人は栄村に行けといわんばかりのお役所仕事と、責任回避に振り回されるのです。夜になって再度秋山に向かうも雪のバリケイドで通れず、結局友人宅で世話になります。
 12日北野温泉でお湯に浸かって元気を貰って栄村役場で情報を入れて、見玉に戻ります。再度県の役人と交渉するのですがダメの一点張りでした。秋山の住人も道のことを心配していて、僕らは見玉でずうーと開通を待つのです。あれは午後の4時頃でしょうか報道の車でごった返す地点から見玉の集落の中に帰って缶コーヒーを飲んでいるときでした。遠くから一人の老人が右手に杖を持って、左手に傘を持ってスローモーションのように歩いてくるのに出くわしました。さて困ったと思案している僕にとってその老人は大雪も通行止めも意に返すことなくただ、昔からの暮らし向きをジュンジュンと続けているのです。その夜、僕らは関係車両の撤退を確認してから、不測の事態を考えながらも秋山へと向かうのでした。
     写真 吉田勝美

2006/01/16(月) 只今電気復活!
  随分ひねたお正月のご挨拶になりますが、どうぞ「もっきりや」共々宜しく御願い奉ります。
 昨年来降り続いた雪が地域の皆さんの生活に影響を与え始めた頃、私は東京の青い空にすっかり虜になってしまってちょっと帰りが遅くなりました。8日にはここ秋山は全面通行禁止になりました。
 帰って中津川を1時間かけて渡り、5時間かけて屋根の雪下ろしと相成りました。雪は元日から13日までおよそ2.5m。とても一日で終える量ではなく1.5m残して翌日回しとなりました。この間の積雪で電線が切れて、家の中は真っ暗、かろうじてランプを灯しての生活は心細いものでした。今回はアフガンさんのご助力でどうにか逃げ出そうとなる弱い気持ちを押し付けましたが、それは嫌なものでした。おまけに電話も通じず携帯の電池も切れ掛かり気持ちも切れかかりました。翌日「仁成館」さんに退避して明かりのある生活を満喫した私でした。
 今日16日一時通行止めの解除にあわせて中部電力の技術者が二人見えてくれて、歩き難い腐った雪を渡って電気を通してくれました。これは感謝しかありませんでした。
 明るい室内でストーブをつけていると、皆さんの努力で生きていられることをこの僻遠の地から感謝せずにはおれません。
 取りあえず皆さんに帰郷の連絡をお伝えいたします。


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