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2005/08/02(火)
中越地震復興長岡大花火
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どどーん、バリバリバリ、どっかーん、わーあー、ヒユ―ぶウワーンバリバリバリッ、わあーうわあー。 とっまア―こんな感じで、初めて見るそれは大変な騒ぎでありました。 自宅が多摩川に近かったせいか花火は遠くで見て、蚊に刺されて痒いものだという記憶がありましたけれど、実際、日本一の花火を見て感じるのは、その見物客の多さと爆発物の破裂音の凄まじさ。落ちてくる光源が向かってくる感じに驚きを禁じえません。時節柄花火だからいいものの、爆弾だったらちょっと困ってしまいます。 昨日は昼ごろ仁成館さんから「何やっているんだ、グーたらしていてもしょうがないぞ!花火に行くから早く来い」とのご連絡を頂いて、早速出かけました。まず、食事の豪華さをお伝えします。十日町のさがのという蕎麦やで天ざるをご馳走になり、夜は長岡で生ビールと寿司、帰りしな夜食に牛丼とビール。大変おいしく頂戴しました。感謝。 湯の長岡でのお知り合いの方が席を取ってくれていてその間整体をやっているI先生に少し腰の手当てをして頂いて(あまり時間が無かったので、とば口だけ)、会場まで出かけ、ワーワーキャーキャーと楽しんで9時半までの2時間堪能しました。その後は「やがて寂しき花火かな」というわけでありました。 しかし、これで中越地震の被災民が救われるとは思いませんが、なーに俺たちは俺たちでこんな楽しみ方も持っているぞという心意気を感じました。会場で感じたのですが、目をつぶって音だけを聴いていると、戦時中至る所で聞こえた爆破音はこんなものだったのかと隣の湯のご主人に問うと「こんなものではないだろう」とのご返事。「さもありナン」と納得しました。きっと、とんでもない恐怖を感じるだろうナ。歴史にもし?はないけれど、G島、サイパン、フィリッピン、沖縄、本土上空で、大砲ではなく、こんな花火を打ち上げていたら、日本人は大人だなーと鬼畜米英に感じてもらえて、戦後処理の好材料になりはしなかっただろうか?今度、大きな災害があったら恐怖の闇に大きな花火を打ち上げようかしら。
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