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2005/08/01(月)
下がると もうそりゃー大忙し、それがどーした
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お米が一粒も無くなったので、飯山温井の友人宅に取りに出かけます。奥志賀道路でカヤの平から木島平、飯山と回ると思っていたより時間が掛かって随分と遅れてしまいました。この時期暑いので友人K氏は短パンとTシャツで打ち解けておりました。小一時間、来し方行く末を嘆いた後彼の作った飯米を受け取って、津南の友人宅までとって帰りまして、さーこれからが大忙し。時計は14時を指していて、まず、昨日の年上のお嬢様より依頼を受けた玄米30キロをコイン精米所まで持っていって(これが近くに無くて津南まで出る)ダンボール、ビニール袋、ついでにGASを入れて、またとって返して、昨日も寄った友人宅で袋詰め、機械で袋の口を締めてダンボールに詰め、伝票を書いて貼って、そこの大家のおじさんの作るトウモロコシを明日送ってもらう段取り。お金を払って、伯母さんが腰をまげまげ言うには「今年のトウモロコシは熊にやられて、山側の畑はだめだ。それも何頭も来ているって」「まいったね」と僕。 スイカを頂いて、友人宅で預かっている「優咲(ゆうさく)くん」と遊んで、随分と慣れたね、なんか話しながら17時に帰り着きました。津南では午後2時過ぎると食事が出来ません。みんな休憩に入って、仕方なく帰り着くまで、沢の水なんかゴクゴク飲んでいたのですが、家について、即席ラーメンと昨日の炊き込みご飯。炭水化物で腹をくちくして気が付くとTVで山田風太郎の日記を三国連太郎が読んでいました。とてもいい内容の映像でした。そのなかで山田風太郎は「小説を書いた、それがどうした。大きな家を作った、それがどうした」と日記に書いていました。晩年の山田風太郎は時々短文なんかを読んでいて、いいなーと感じていました。 と感慨に耽っていると電話が鳴って「もう一つトウモロコシ送ってくれない」年上のお嬢様でした。僕は心の中で「それがどうした」と呟きました。
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