来るなら来てみろ もっきりや
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最新の絵日記ダイジェスト
2013/08/09 予定の作業をこなす
2013/08/08 最後の焼畑のころ
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2005/08/27(土) ユンボを探して
 8月も終わりに近づいて何だか肌寒い日が続いています。
今日はユンボを貸してもらうべく、あっちこっち探しました。工事に出ていたり、ちょっと大きかったり、なかなか探すのも難しいなーと感じました。でも村の皆さんは真剣に相談に乗ってくれて、自分の困った時だけ顔を出す私に親切に助言をくれます。そんなことでどうにかユンボと2トンダンプの手配を終えて、雨の中杭にする材と丸太を尖らせて防腐剤を塗りました。明日晴れれば2度塗りをしましょう。
食事の準備とおやつの買出しに明日も大忙しで、とにかくこの工事を終わらせたいと強く念じます。
奇麗事はこのくらいにして、なんだかとても疲れるのです。やることが多すぎて考える余裕がありません。でも遣っ付けなくてはなりません。
この土砂崩れの現場は見るたびにドキドキするのです。

2005/08/23(火) 横水制止
 津南は大雨ということで、朝早くから悩みましたが、労働者の親方と決行と決めました。秋山のそれは一時激しかったもののどうにかドロドロになりながらも作業を終えることが出来ました。和山にTさんが来てくれて一日助けてくれました。言葉がありません。山で暮らす人たちの連帯を、それも事も無げの助け合いを感じました。この間の手助けには手助けで返さなくてはなりません。それも全力でニコニコと。
僕らが悪戦苦闘している最中、一人の男性が「もっきりやはまだ遠いの」と来るので、「勝手に入ってお茶でも飲んでいて」と答えました。結局その人は2階で眠っております。
横溝を6箇所都合8箇所伏せたということになります。これで台風11号が来ても、これ以上ひどくなることは無いでしょう。そう願います。お頼みします。祈ります。

2005/08/20(土) 車落とす!
 今日はH氏と屋敷のSさんの所で30ミリのクロパイを貰えるということで出かけようとしておりましたところ、災害現場の偵察に行くべきと思い、斜面が見えた途端に車が落ちました。どおいう訳か解りませんが悪いことは続くのです。元気も落っこちてナンだか死んだ方がいいのかなと考えたのは事実です。向いのF1さんが「なした、バカすぎて」といいながら助けに来てくれました。どお言うのでしょうこの優しさを。なんと言ってこのバカさ加減を謝すべきなのでしょうか。こういった人間関係をこの秋山で学びながら、思いました。これこそ今のこの国に失われたシステムではなかろうかと。
栄村で地域通貨を作っても、あんまり意味がありません。お店が少なすぎますから。でも人力の貸し借りは出来るはずです。昔の結いのような手助けの貸し借りです。どうでしょうか?
その後、約束の時間を1時間遅れてクロパイを頂いてきました。帰ってくると大家さんが草刈りに来ていて、降り出した大雨の中三角小屋のなかで雨宿りでした。

2005/08/19(金) 顰蹙を買った赤パンツ
 私の必死の形相も知らないで、多くの方々から顰蹙を買ってしまいました。ゴメンネと反省させて頂きます。
昨晩は予報と違って大した降りもなくホットしました。きょうは作業小屋の入口にコンクリートのスロープを付けましたが、途中から夕立まがいの雨が降り出しH氏と大忙しと相成りました。もう、H氏は着る物がないと短パンで団扇を使いながら洗濯に精を出します。
午後5時土留め用の杭をくれるというので屋敷のSさんの所まで出かけました。再び降り出した雨の中「これでもう帰って来れなくなっちゃたりしたり」と言わせるほど心もとない道になり下がりました。車が走る道路なんか作るから道が抜けるので、歩くだけの道ならそんなこともないのでしょうが、それもこれも人間の我がままなのでしょう。私にしても車道は欲しいのですから偉そうなことは言えません。我即環境。
途中志賀への道との合流ちょい手前、右手の斜面が抜けていました。これが今回の鉄砲水の源頭です。これで治まるとは思いませんが、雪が来るまでどうにか持って欲しいものです。
夜、三度激しくなった雨脚に「これが最後の食事か」と冗談を飛ばしていると、突然電気が止まりました。ランプを灯して30分「いい感じだね」と捻くれました。

2005/08/17(水) 復活の為に
 鉄砲水の恐ろしさはこの沢の姿を見れば判ります。上流に上ってみると左右の崖が赤土のままで、台風でも来れば再び土砂が道を埋めるでしょう。
道の下、1.5メーターぐらいに埋め込まれたヒューム管に土砂が詰まって、水が道路上を流れていきます。水が道を少しずつ浸食して狭まります。さて困りました。栄村では大小200箇所ぐらい災害があって、最大の効果を考えて村もオオワラワです。
朝、F1さんが「ごーぎだったなー」と来てくれまして、朝食もそこそこに沢の水抜き出ます。しかし、どうやってもヒューム管から水が出ません。吸い口を土砂が埋めてしまって、それも吸い口を覆っていてどうしようもありません。
午後、ポンプとシートで水を減らそうとしましたがいくらやってもヒューム管の頭が見えません。こうなると人力の限界でして、村にユンボの要請をしました。村も大混乱で即答を得ることは出来ませんでしたが、検討を約束してくれました。
まーこういう時はすべて忘れてジーコジャパンの応援でもして楽しみます。

2005/08/16(火) 災害即我
昨夜半の大雨には驚きました。たまたま夕刻お客さんが2名いらして鳥甲登山の予定。車を此処に置いていました。
朝、5時に起きる。家の前が川になっている。沢の水が地表に出て、Hさんとお客さんとで水を止める。もしやと思って道路を見に行くと、3箇所に渡って土砂崩れ。40立米ぐらいの土砂が道を塞ぐ。もう一箇所も30立米。入口近くの沢が抜けて大混乱。
村からバックフォーが来てくれて、お客さんの車を13時までに脱出させる。警察かんまで来て被害状況を見て帰る。
とにかく、お客さんに損害が出ずに、まずは安堵。
 宮城の地震にあった皆さんが安心した暮らしを取り戻せるよう、関係者の皆様のご健闘をお祈り申し上げます。

2005/08/14(日) 人は東に西に、僕も湯沢に
 とても暑い国から帰られたY氏は、今日秋山でのリハビリを終え、勇躍大東京に帰っていかれました。今回はアチェ、ザンビアの話で盛り上がらせていただきまして、またお手伝いして頂きまして重ねて御礼申し上げます。
この間、病んだ私の憂鬱も快方の光明を感じられて、どうにかこの辺境最深部での生活にしがみ付いて行けそうになりました。(もう、都会では暮らせないということに気が付きました)
そしてY氏と駅で擦れ違って友人H氏がリハビリに訪れました。本来の「精神内科」の業務に立ち戻って、一人はみんなの為に力を尽くす所存です。
13日は朝から忙しく、お盆のこ盆を上手くすり抜けようと努める甲斐甲斐しいおばあちゃんご一行の健気さに負けた大の男三人が大奮闘で大変疲れました。話は日を超えて面白く高揚して、朝5時起きも忘れて疲労は新郎に変わります。
山登りに行くといううら若きおばあちゃんとお子さんたちを鳥甲登山口までお送りして湯のお手伝い、再びおむかえに出て、新郎は新婦の際まで達しました。朝食をその後共に頂いて、おばあちゃんご一行はニコニコお帰りになりました。
その後昼寝もままならず、湯沢ということになるのですが、用事を済ませるわたくしの足は大地を掴むことの難しさに泣きました。

2005/08/11(木) 加齢によるバランス感覚の喪失!
 昨夜はOさん、Y氏とこれからの生活、時代についていろいろと参考になる話を楽しみました。
朝、皆さんご出立した後、気が抜けて眠り込みました。もう若くないので疲れます。
寝てばかりでもいられないので、気になっていたトイレタンクの汲み上げ、家の周りの草刈りと久しぶりに忙しい思いをしました。
家の周りは石組みの通路があって、それが狭いのです。汲み取りポンプを置くとそれを跨がないと進めません。そこで、バランスを崩して転倒。今年3回目で加齢によるバランス感覚の喪失と自身の体力の無さを改めて感じます。やることが多すぎるのも原因(洗濯、掃除、食事、草刈り、お客さんの接待、そこへ持ってきて道路、コンクリート、水場まーいろいろ)なのですが、出来ないことは人を頼んでやるしかないなーと実感します。何時までもいまのままではないけれど、むりぐりにでもやるしかないでしょう。何処にいたって同じでしょう。そんなとこです。
夕方Y氏とF1さんの改装後のお宅を拝見に行きました。33日掛かった工事の苦労話や改装したお風呂の楽しみなどを聞きながらY氏はF1さんのこの土地でこれから暮らす決意や、お金の使い方、奥さんに対する気持ちに感心していました。

2005/08/10(水) 津南のこと
 久しぶりのお客で何だか忙しくしておりましたので、PCを見ることもなく2日経ちました。
豊橋のOさんが家族旅行に来てくれて、今日は苗場に登山という予定でしたが生憎の雨。早朝ひとしきり激しく降ったので中止になって、小赤沢の落養館という赤湯でのんびりするということでした。
友人たちは二手に分かれて10時のバスで玉浮き釣り派がお帰りになり、残ったH氏とY氏と共に昼過ぎに津南の「蔵」に向かいます。「蔵」は以前にも書いたかもしれませんがこの117号線の通りでは落ち着いたなかなかのお店で是非立ち寄ってみて下さい。津南というよりか下北沢や吉祥寺あたりの雰囲気なんです。お二人の女性が静かにそこに居て彼女らの立ち居振る舞いを見ていると、気持ちが落ち着きます。車で来る方は、「綿屋旅館」の前にある小さな喫茶店に寄ってみてください。
買い物をしてH氏をバス停に残して、「なじょもん」という縄文館で行われている戦争展を見て、Y氏と帰ります。
Oさん達は車を途中の安全な所に置いて徒歩で先に帰って来ていて、早速夕飯の食事の準備に取り掛かりました。鯖の煮付けと豚汁、漬物と、仁成館さんから差し入れしてもらった、何品かで召し上がってもらいました。

2005/08/09(火) 久しぶりに忙しく
 昨日買ってきた壁紙をY氏とH氏に手伝ってもらって張り終えました。
早朝友人Bちゃん達は釣りに出かけまして、カジカと岩魚を持ち帰りました。池に泳ぐそれと違って、やはり本流の岩魚は綺麗です。
このところ随分と涼しくなって、盆を過ぎるともう秋になるようです。思うに春に来るとまだ冬でしたから、ここの暑い夏は束の間ということになります。
 ところでこの写真は多摩川のウグイ釣りの仕掛け、玉浮きで釣り上げたということで、驚いたり呆れたり。それでも、初めて岩魚を釣った感動は同じようでした。

8月絵日記の続き


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