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2005年7月
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2005/07/18(月) 悪化、悪貨、アッカンベー
 もっきりやの支柱EBちゃんがお帰りになって、ズーッと寝ている僕でした。その間、ズーッとテレビ三昧。こうしてテレビばかり見ていると馬鹿になるのかと思っていましたが、差に在らず。いい勉強になった一日でした。
昼前は「ルバング島の小野田寛郎」現在83歳になる旧日本軍の情報将校で、29年間フィリッピンのルバング島で戦った。その間日本の政府国民から忘れられた兵士でもあった。その時の僕は、口元に唾液をためながら話すその将校を帝国陸軍の亡霊としてしか見ていなかった。今になって僕は小野田さんの話す正確な日本語と冷静な判断力に舌を巻くのです。口さがない野次馬と化した日本人に嫌気が差して、その後ブラジルに53歳で渡って苦労して立派な牧場を作るわけですが、彼がこの国に帰還して、29年間共に戦った戦友の墓前で見せた涙に感動するのです。そして帰還した残地諜兵小野田寛郎少尉は、数ヶ月政府の指示で行動を規制されます。それはまるで「大黒屋光太夫」を小石川に閉じ込めた江戸幕府と同じ扱いだったわけです。きっとその間当時の田中首相はフイリッピン政府と賠償問題で取引でもしていたのではなでしょうか。小野田寛郎少尉はルバングのジャングルから出る条件として、上官の命令がなければその任を捨てるわけにはいかないと。戦争を始めたこの国の上層部の連中の責任の取り方からみたら、実に単純で正直だと感じました。
またニュースで厚生労働省の木っ端役人が老人の医療費の3割負担を行うと。これは馬鹿な話で、貧乏人には適用しないなんて言っているけれども、老人に金持ちも貧乏もなく一様に時間の貧乏人でしかない。世の中分かりやすくしなければいけないのに。腰さえ良ければ東京集合でしょう。消費税だって20パーセントになるっていわれているのに。こうなれば小泉の純ちゃんに死ぬまで首相やってもらいましょう。5パーセントを維持してもらおうじゃない。
で、ズーッと夕方から都はるみに耽溺してしまうのです。いつもいじめられてる庶民の健気さに逃げ込みます。


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