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2005/07/31(日) 月日は百代の過客にして
 行きかふ年もまた旅人なり。
まだまだ此処には多くの旅人が寄ってくれるわけではありませんが、それでも人生の節目に来てくれる人もいます。その人たちのためになら頑張れるものです。昨日のお客さんもそうであったと感じています。有難う御座いました。
いつもの仲間内の友が苗場山の9合目から引き返したのは、気持ちの弱さからなんでしょうが、彼女等がF1さんを連れて来てくれて、久しぶりに落語なんかしちゃって、夕立もまた楽しからずやであります。EBちゃんやGさんという男組みがいないもっきりやは、僕と新潟のOさんとF1さんの軍勢では、昔のお嬢様方の艦砲射撃に太刀打ち出来ず、撃沈、大破、遁走と相成りました。写真は苗場の9合目。
みんな帰って親方のとこにセメントミキサーを取りに行って、帰りがけ津南相吉の友人宅によるとそこで再び昔のお嬢様達方に遭遇。今日はツイってないと諦めました。
お嬢様方は友人の所にいる山羊のゆきちゃんの乳搾りまで楽しんだようで、僕も山羊のアイスクリームと、山羊ミルクパンをご馳走になるわけです。
友人のとこの大家さんが作るトウモロコシをぎたてのまま頂いて(お金は払いました)トマト、きゅうりいろいろの野菜までサービスされて帰ったそうです。
田舎の良さはこういった呑気な友達やその関係者と旧知のように付き合えることです。その関係を色んな人たちと編みこんでいい布を作り上げることです。

2005/07/27(水) 台風7号にテンカウント
昨日の台風7号は夜から明け方まで断続的に激しい雨が降り、せっかく直した道が流れる水でえぐれました。どうしてこうなったのかよーく考えてみます。
山には普段枯れている沢があってこういう時に目にもの見せてくれるのです。また滲みだす水もあってそれが豹変するのです。水の勢いは相当なもので拳ぐらいの石なんか、ゴルフボールのように押し流します。横溝を随分といれた積もりでも土砂が溝を埋めてしょっちゅうそれをかき出さないと水は乗り越えて流れます。
まず、水の出口を確認して、丸太の横溝をU字溝に換えなければならないでしょう。5箇所は必要です。村道の方は4箇所。20センチ幅で長さ2メートルが2本、一箇所に必要になります。つまりもっきりや道で10本。村道の方で8本。流れた砂利を補うか、セメントで轍だけでも補強するか、ここが思案のしどころとなります。だからといってそれで完全かというと、たぶんまだまだ問題は出てくるものです。それが僕の山の暮らしです。 
ちょっと違うかもしれませんが、長州の吉田寅次郎は「何事も死ぬ気でやらなければならない」と言い続けて行動しましたが、ちょと辛いことですがそれはそうなのかも知れません。
ガックリ肩を落として帰ってくると、「絶唱」という映画をやっていたのですが、僕は「絶叫」の方がいいと感じました。
吉田寅次郎を真似て皆様に「生きて再びお目にかかれるとは思えませぬが、なんとしてもあの道を直して見せます。」とメッセージを送らせて頂きます。

2005/07/26(火) 台風接近
 台風は進路を東にとってどうにか直撃を免れました。台風は戦時中の爆撃みたいなもので、半井小絵さんの天気図と予想進路をみていると、サイパン島を発ったB29の進路と似ているように感じます。今回の7号は千葉東部と水戸の爆撃のようでここ長野北部には本隊の来襲はありませんでした。でも山の中は随分と雨が降ります。中津川の水量は渋沢ダムの放流と相俟ってとても増えました。
こんな日は天から与えられた休日です。(このところ休日が多いのですが)。ゆっくり本とか映画を見ていればいいのに、湯の番頭さんは雨の中精神内科の診察に出かけたようです。早く回復されることを願うものです。治らないかも知れませんが。
朝、大工さんが来てくれて、畳の交換相談をします。もっとお客が来てからにすればという忠告もさり乍ら、F1さんや、十日町のGちゃん達のことを思えば少し借金してもいいだろうとも考えました。生きていくことは奇麗事ではないのだから、頼ったり、お願いしたりすることだって時には必要だ。と、変に落ち着いています。やれることはやるのです。時たまにしか来ないお客に「どうだ!」と啖呵を切りたい心境です。

2005/07/25(月) やるべきことは、やるちゃー
 台風が来ます。するとまたお休みになってしまいます。ですから是が非でも今日のうちに畑をうなわなければなりません。三角小屋のなかは道路工事の時のままなのですから、サー大変です。小屋の中のものを引っ張り出し整理して置いてから、テラー(耕運機)を引っ張り出します。八畝の畑をうなうのです。
 僕は畑仕事は嫌いなのです。知恵も根性もないし、作物を換金するということも考えないのですから、お百姓ではありません。でも、この畑はN1さんが死ぬ思いで作った畑でしてそれを草ぼうぼうにしたくないということだけなのです。悪いけれどこの位のことしか出来ないのですが、この時期やっぱり何か作っていないと手持ち無沙汰なのも本当なのです。ですから、僕の畑仕事は趣味です。
テラーを動かすと、蛙の夫婦が逃げだしたり、キリギリスが飛んで出たり、アブが寄ってきたり、いろいろと面白いのです。綺麗なハンミョウを見つけたり写真だと思ってもカメラが無かったり。畑仕事はなんというのか精神のリハビリのように感じます。ただ、ちっぽけな畑のなかで延々と耕しているというのはある種の忘我の境地なのかも知れません。
作業を終えて仁成館さんに湯治に行って、内湯を掃除して帰って来ました。「ペーパー・ムーン」のテイタム・オニールに感動して、ERを見て、医者になるべきだったと反省して、お安い一日が過ぎていきます。夜から降り出した雨が「明日はお休みだよ」と知らせてくれます。

2005/07/24(日) 左程暑くもなく、いたってシズカ
 畑起こしは順延としまして、昨日からの草刈りを完了させます。
向かいのF1さんの所にちょっと寄り道して、不思議な映画に考えさせられて、目を転ずれば鳥甲山が大きく広がっていました。少しお酒を頂いたのでお風呂(温泉)に入れてもらって汗かいてケロケロ笑って湯に向かいます。「いまからカレー作るから食べていけ」と誘われて、それじゃーと風呂掃除をして帰りました。帰りしなF1さんはお休みなのか真っ暗です。時計を見るとまだ7時前。健康的だなと感じました。僕はこれからが勝負です。
明日こそ三角小屋のセメントを出して、耕耘機を引っ張り出し畑をうないます。今月内に蕎麦を蒔き終えたいのです。台風が来ると畑をうなえなくなります。土がグズグズになってしまうのです。今日はのんびりしすぎました。
写真はF1さんの山葡萄タワシの材料干しです。夏の間にこうして準備して冬の仕事の段取りをするのです。

2005/07/23(土) 社会復帰
 寝ていると具合がいいので9時まで横になっていました。起きて暫くは横になっているのだから同じなのですが一応起きるのです。
池を見ているとどうも水が濁っていて岩魚の姿が見えません。取り入れ口の枡が汚れていてその掃除をしてみます。水を除けていると直ぐに池は綺麗になります。ただ一本の水ではこの夏の暑さで水温が上がってしまうので少しの濁りを考慮しつつ今までどうりの水量を流します。
午後の3時になって日差しが収まったので草刈りに出ました。なんだか中途半端でオドオドしていてもしょうがない。良いなら良い、悪いなら悪いです。それでも、2時間ぐらいなものでした。これといって苦しくないようなので、明日から作業の準備をはじめて蕎麦畑を起こしましょう。
 午後4時過ぎの地震。東京の人たちはイヤに落ち着いてるなーと感心しました。でも、会社のロッカーには底の厚い靴を常備したり、長い金梃子を備えて置いてください。いざという時役に立ちます。

2005/07/21(木) Mちゃんとダンナと遼ちゃん
 なんだか懐かしい友人が来てくれて、嬉しい限りです。筍ご飯と鯖の煮付けと胡瓜の漬物、具沢山の味噌汁。今日の献立です。
昼過ぎ看板を建てに行くと、苗場山の木道をヘリが上げていました。よく見えないけれども真ん中にヘリが見えます。
遼ちゃんは3歳で将来は怪獣になるそうです。花火を楽しんで、親指が口の中に入っておねむになりました。Mちゃんは二番目のお子さんをお腹に抱えて、僕らの分宜しくと伝えました。良い家族です。僕には届かないけれど、その分サポートしましょう。でも遼ちゃんが二十歳になるときは僕は七十二歳。さて、どんなサポートが出きるかなー。

2005/07/19(火) コルセットはボクの防弾チョッキ
 再度十日町にて針治療。あんまりはっきり実感できないのだけれど、多分良いのだろう。と感じる、と思う、と願う、と祈る、と縋る。なんか特攻機のト連だなー。
そんなこんなで七月は腰だ!今一度コルセットを引っ張り出して、昨日からしているのだけれど、いい具合ではないのか?前回はどうも逆にしていたようだ。(処置なし)これは僕の防弾チョッキなのだ。多分、五日ぐらいで目鼻が付くと感じるのだが。
帰りしな十日町のGちゃんの所に寄ってみる。去年の地震で傷んだ自宅の修理に掛かっていて、すでに2ヶ月も続いていて8月のお盆まで掛かるという。近くの大工さんはこういった修理で忙しく、彼の番まで来るのに7ヶ月も待つわけで、行政は一切関知せず、総て自分でやるという。災害はその瞬間から始まるということか。そしてまだまだ続くということだ。アチェにいったカメラマンさんから、楽しくない、人骨がまだまだ散らばっていてという便りがありましたが、すべて神戸の震災にしても被災民の方々はローンの返済にしても続いていて、決して終わってはいないのだと感じました。安直な自分に反省。
今日も680円のランチ(カツどん+ラーメン)。コルセットしたままでは苦しい。その後平家茶屋という店にいるとおぼしき親方を求めていくとバッチリ発見。ロックンロラーの青年と岩魚なんか食べていて合流。少し話して北と南に別れ来る。仁成館で湯治をさせて頂いて、アンパンマンを見ていました。写真は横根のお地蔵様です。

2005/07/18(月) 悪化、悪貨、アッカンベー
 もっきりやの支柱EBちゃんがお帰りになって、ズーッと寝ている僕でした。その間、ズーッとテレビ三昧。こうしてテレビばかり見ていると馬鹿になるのかと思っていましたが、差に在らず。いい勉強になった一日でした。
昼前は「ルバング島の小野田寛郎」現在83歳になる旧日本軍の情報将校で、29年間フィリッピンのルバング島で戦った。その間日本の政府国民から忘れられた兵士でもあった。その時の僕は、口元に唾液をためながら話すその将校を帝国陸軍の亡霊としてしか見ていなかった。今になって僕は小野田さんの話す正確な日本語と冷静な判断力に舌を巻くのです。口さがない野次馬と化した日本人に嫌気が差して、その後ブラジルに53歳で渡って苦労して立派な牧場を作るわけですが、彼がこの国に帰還して、29年間共に戦った戦友の墓前で見せた涙に感動するのです。そして帰還した残地諜兵小野田寛郎少尉は、数ヶ月政府の指示で行動を規制されます。それはまるで「大黒屋光太夫」を小石川に閉じ込めた江戸幕府と同じ扱いだったわけです。きっとその間当時の田中首相はフイリッピン政府と賠償問題で取引でもしていたのではなでしょうか。小野田寛郎少尉はルバングのジャングルから出る条件として、上官の命令がなければその任を捨てるわけにはいかないと。戦争を始めたこの国の上層部の連中の責任の取り方からみたら、実に単純で正直だと感じました。
またニュースで厚生労働省の木っ端役人が老人の医療費の3割負担を行うと。これは馬鹿な話で、貧乏人には適用しないなんて言っているけれども、老人に金持ちも貧乏もなく一様に時間の貧乏人でしかない。世の中分かりやすくしなければいけないのに。腰さえ良ければ東京集合でしょう。消費税だって20パーセントになるっていわれているのに。こうなれば小泉の純ちゃんに死ぬまで首相やってもらいましょう。5パーセントを維持してもらおうじゃない。
で、ズーッと夕方から都はるみに耽溺してしまうのです。いつもいじめられてる庶民の健気さに逃げ込みます。

2005/07/16(土) 治療は安心の片道切符
 早起きは早起きでも2時半に起こされました。ここの支柱EBちゃんがいらして歓談。後、早起きして8時に鍼灸院に着きました。たっぷり1時間治療を受け、十日町のGさんの所でトイレを借りようと寄るも、海釣りに出かけて不在。更に上って土市のダンナさんでトイレを借りようと寄るも不在。郵便局でお金を下ろし、津南の親方とポット・ミキサー購入の打ち合わせをするうちトイレ借りるのを忘れてコメリにて用足し。ホット胸を撫で下ろして、少し買い物をして(これは義理)ガスを入れて、精神内科に報告に向かうも、先生往診中にて看護婦さんに言付けて帰り着く。その間2組計5名の飛び込み客、仁成館経由で回してもらって感謝。N1さんにお土産のとんかつ手渡して(これは人情)客を待つ。
EBちゃんが部屋を整えてくれてここでも感謝。程なくお客さん来たりて6時に夕食を提供。とたんに腰に来て、元の木阿弥。休み明けに再び針治療を考えざるを得ない。人生こんなものです。
明日、鳥甲登山の客のため、にぎり3人前作らなくてはいけないのでもうお仕舞い。

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