来るなら来てみろ もっきりや
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2005/06/14(火) 映画、落語、TV、読書どうだ!
 昼までウトウト。その間大家さんがマムシ酒を持ち来たり、仁成館のご主人から電話をもらって、腰の痛みは少し良くなったよう。ただ、倒れた時煙突の支柱に頭をぶつけたのだが、それが為むち打ち症になったようで、頭が重い。また昨日は左程感じなかったが、首筋に手をやると痛むので困る。まー年を取ったということなのだと、諦めることにした。若い頃なら落ちる状況を思い出せるのだが、一向に思い出さない。ただ、ドンと落ちた。
 昼ごはんを頂いて、あんまり天気がいいものだから、鉄筋でも切ろうかと外に出ると少し調子が出たもので、道の横溝をつけてみた。せっかくテン圧した地面を掘り起こして丸太を一本埋め込んで、ドリルで丸太に穴を開けて鉄筋を打ち込む。これくらい出来れば、ムチ打ちも大したことはなかろうと、安堵した。それ以上は力が入らないので止めにしたが、まー無理はしないようにする。
 沢筋の水が随分と少なくなって、池の温度が上がったのかこのところ、岩魚が飛び出している。草が豪儀になって、草刈をやらなければならない。思うに、雪の頃はいいものだった。だって、草も道も思いさえしなかった。こんな風に何時も無いものねだりで生きていければいいのだけれど、そうもいくまい。

2005/06/13(月) 工事は、暫く中止
 8日は忙しかった。あれから14時に関越に乗って、18時に調布。直ぐ京王線で新宿。大土木工事打ち上げをして、ゴールデン街、二丁目、と経巡って、終電に飛び乗ってみると、中々の混雑。降りてラーメンなんかを取って帰りついて1時半というとこ。翌日、AZ歯科でよれよれの歯を抜いて、寄るとこに寄って再び終電。
 終電は良く乗っているのですが、久しぶりにホームに立つと、人の群れの流れに流されて、新宿で20分ばかり電車を待つ羽目になってどうもいけません。結局終電には違いないのですが、その間、出来るだけ目的の駅の近くに行っているべきなのです。急行、快速、鈍行の流れをどーも見れなくて困りました。
 12日の10時に出て個々へは15時に到着。
 今日は水質検査の為、早起きして出かけようとすると、電話が鳴って、電気のメーターを見てくれとのこと。脚立を立てて覗き込もうとすると、よく見えない。すこし体をずらそうとしたときどうも脚立を蹴飛ばしたような格好になって、もんどりうって転落。腰を打つは、わき腹をたたくは、頭を切るは、息が止まってどうもいけない。ワーワー蠢きながら、暫くそのまま。やがて這い出して、息を整え家に入って横になって、しかし、保健所に水質検査に行かなくてはならず、マッ骨折はしてなようなので、悪くなれば医者に行かなくてはならないのだしと、車に乗り込む。十日町に8時半に着いて、そのまんま帰り着て、だいぶ良くなったのだけれど、打ち身の痛みが引かず、即、布団に入り込んでの大養生と相なりました。

2005/06/08(水) 閣下だって、一泊¥3000だー!ちくしょう
 昨日から、某国大使館書記官氏、通訳、案内人連れ来る。我、道路工事の途中なり。
 某氏は岩魚つりを目的にて、こちらより指導教官と任命せし、70歳を越えて尚元気なる名人の教授により、午後5時45分尺岩魚釣り上げ、笑顔にて帰還。これ、我が国の不得意とする民間外交の基本なり。ジャポン政府は見習うべし。
 書記官氏はなかなか聡明な瞳の奥から、岩魚指導教官に対し深く頭をたれこのひと時の至福を感謝せり。教官はというと、これもでしゃばりもせずニコニコと釣り上げし岩魚の形と書記官氏の努力を褒め称え、脇で見る我ら凡人一同歓喜にあふれたり。
 見るところ某国内の讒言また政変にかかわらなくば、5年後には大使「閣下」となりて帰り来ること必定。まるで、若きシーボルトを見る感すらあり。
 お付の人々も一様に紳士で、若者二人は少し頼りない感もありしも、まだまだこれからの人材で、育て甲斐のあるところなり。
 夜は、書記官氏、指導教官親子のように和気あいあいと語り、かつ杯を汲み交わし、ゆっくりと時間は過ぎぬ。教官帰りて後、だんだんと酒が入ると、通訳氏が我が隠匿せし、ダンヒル、シーバス、どなんなどを探してきて、「いいですか」。いけないとも言えず、いけ、いけてナ分けで深夜2時と相成って、寂しく寝に付くなり。もっとも、当日書記官氏のお子さんが誕生せしこともあって、これはこれでよろし。
 翌朝、きょう、支払いを受けるも、やっぱ3000円しか取れないでしょう。顔を見て値段はは変えられず、一泊3000円お飲み物5000えんということに落ち着きました。帰られて後、掃除をするわけですが、思うに「布団ぐらい上げていきなさい」と泣きました。
 まーいろいろなことがあるのですが、外国の方にはこの「来れるから 来てみろ もっきりや」は楽しいようで、ケチなジャポーン人よりいいのかもわかりません。ただ、私が天保時代の熊さん、八っさんのようなのが気にかかるのです。では。

2005/06/06(月) 連帯を求めて、犠牲を恐れず
 今日は「秋刀魚の味」を観て、「ER ]」を観ました。色々と人間がいて、そのなかで泣いたり笑ったりするのはいいものだと、ガックリ感じました。
 残された工事はほぼ終わりました。一応の目途です。U字溝伏せ、土留め板の設置、バラスを敷いててん圧を掛けて、石を敷いてまたバラスを撒いて、よく働きました。想うのですが、よく他人に言われます。「お前、幾ら金かけて道なおしても、雨が降ったらお仕舞いだよ。無駄なことして、馬鹿だよ」と。でも私はそれでいいのではと考えます。やりたい事があったなら、やるしかありません。その最中で倒れたからって、やらない事よりいいのだと。人間いつまでも、そのままでは生きられないのだから。人を愛するにしても私の場合は「サウダ―デ」(不在の愛)でして、いつも遠くに去った女性を思い、淋しさに暮れるのが習いになっていまして、あんまり他人の言い分には組しないのです。ついでに言っときますが、ポルトガルのファドは「流した涙の量」が歌になったものであるそうです。もう一度ポルトガルのファロに行きたい。深夜聞こえてきたファドに感動したこと、思い出しました。
 ところで、何かするということは、犠牲を伴うことで、それを恐れていては何にも始まりません。ときには人間。ときには自然。犠牲を恐れていては勝利は見えてこないのです。今回の工事では、幾多の沢蟹、卵を守る蛙。沢山の生物の犠牲を強いることになりました。不思議なことに、疲れ果てている時は見もしなかった犠牲者が、余裕が出来ると見えてくるのです。まーそんなものです。人間なんて、自分勝手なものです。

2005/06/05(日) 工事は続くよ何処までもー
工事は続くよ何処までも
 昨日は工事とお手伝いに時間が取られて沈没しました。
 今日も忙しかった。手伝いに来てくれたはずのお友達は「よく頑張ったねー」と言うだけでお手伝いは終わります。わたくしは独りであることを確認するわけです。
 昨日から続けている作業は、ローラがあるうちに出来ることをすることです。粉砕アスファルトをぶちまけるだけ、ぶちまいてローラでてん圧するのです。土留め板をクレオソートで二度塗りして、飽きるとまた粉砕アスファルトに掛かります。
 朝、早く起きてお手伝い、お友達との語らい、仕事は昼になって始まりました。疲れているせいか、中々捗りませんが一人で呑気にやれるのは自分にあっています。
 しかし、夢のような日々です。

2005/06/03(金) ロードローラー現る
 今日は忙しかった。
 朝「薪を取りに来い」と電話があって、まず薪を取ってきて、ごみ積んで仁成館のビンも一緒積み込んでから、前のおばさんを津南まで乗せて、ごみを捨てて、U字溝と鉄筋を買って、キーコーヒーに支払いをして、ガソリンを入れて製材所に頼んでおいた板と杭を積んで、Aさんがロードローラーを持ってきてくれるというので急いで帰って、時計を見ると2時半でした。
 3時に届いたロードローラーの使い方を教えてもらって、まず、車の腹を擦る溝に丸太を伏せて、ローラーを使い始めました。これは、朝、薪を取りに行く途中に出会った栄村の重機のオペレーターに相談したところ、「ローラーがあるから、持ってきてあげるよ」と言ってくれて、運が有ると感じたのです。おまけに、ユンボのことを話すと、聞いてあげるとのこと。これはまたラッキー。上手くいけば比較的安く手に入るかも?まーこういったことはすんなり行くのは稀だけれど、方向としては遠ざかって行くのではなく、近づいていると思われるのは、いいことでしょう。
 6時過ぎに雨が本降りになりそうだったので、仕事を切り上げて、件の約束?の風呂掃除に出向きました。夕食はご馳走になりましたが、汗だくになって8時に戻ると、さすがに疲れた気分でした。

2005/06/02(木) 休日になりましたが
どうも天気がよくないので、お休みにしようかと思っておりましたところ、大家さんが仕事にやって来たのを潮に少し工事を始めようかと支度をはじめました。と、電話が鳴って前の仁成館のご主人が「軽井沢の日本一のステーキを食べに行くから、直ぐいらっしゃい」。それではと出掛けていくと、昨日開通した奥志賀を通って草津へ出ました。それから、軽井沢で食事をご馳走になりまして、夜になって帰りました。ここでも、感謝申し上げます。
 さて、明日からまた工事に戻ります。ゴミ捨てを兼ねて、土留め板、U字溝、鉄筋を買ってきます。珈琲の支払いもして来ます。そんな訳で、少しづつ始めます。一人では大したことは出来ませんが、呑気にやります。今日は溜まった疲れのせいかとても眠く、これから寝に就きます。

2005/06/01(水) 工事をシャットダウン
 この間の工事の厳しさは半端ではありませんでした。何だかこう、気持ちが詰まってしまって何も考えません。眠いだけでした。この道路工事はここに来て初めて行った大々的な工事でして、一から十まで初めての経験であったと考えます。今はただただ終わったことと、怪我が無かったことを感謝しつつホット息をつくのです。
 山で暮らすことは、小さな建設会社を持つことなのかもしれません。これは今まで考えたことも無いことでした。ユンボ、ミキサー、動力、発電機、ダンプ、ドリル、ポンプ、限りなく自己の能力を高めなくてはなりません。でも、これだけではありません。ガ線(鉄索)の工事、コンクリートの強度の出し方、山の形状の見方、U字溝の設置の方法。切が無くてこれでもかこれでもかと必要が私を攻め立てるのです。こうしたことを行うことは、事故で厳しいことになることを折り込んでやるしかないのだということに、気が付くのです。勿論、人間としてたぶんですけど、個人を育てるのではないかと感じます。でもねー、これは大変なことなのです。例えばユンボ。これを買って、使いこなすのは並みの努力ではないでしょう。
 この辺りの各戸は老齢化が進んで行くのですけれども、もし、私がユンボを使えたのなら、年老いた人たちを助けることが出来るのです。ユンボは100人分の仕事をするのですから。そう考えるとユンボの操縦は覚えておかなくてはならないのです。。
 この工事で少し大人になったのかもしれません。昨日は打ち上げで3人で飲みました。深く酔いながら、意識が薄れていきましたが、手伝ってくれた方々の気持ちに「感謝」を返してこの工事を一時終えました。後は、一人でチビチビと残した仕事を続けるのみです。
 誰か要らなくなったユンボがあったらお知らせ下さい。


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