来るなら来てみろ もっきりや
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2005/06/29(水) 甘辛人生教室
支払いの一日。ザット考えても15万ばかりの支払いに泣きました。工事で少しずつ良くなるのはいいのですが、支払いがねー。困ります。貧すれば鈍すの例えどうり、ドンしないように注意が肝心になりました。江戸っ子は宵越しの金はもたねーんだ!と突っ張ってみても帰りついって、金の無えてー奴はどーもいけねえや。だいいちなんとなく寂しいじゃねーか。まっ金なんかどうにかならーね。お天道様はおいらに付いて回るんでい。と諦めました。江戸っ子も随分と辛いものです。
そうこうしてるうちに、約束のコーヒーカップとスプーンを(これは千住のもっきりや時代の物)を届けて後、バッタリと親方に出会うわけです。親方はクーラー取り付けで忙しくしてらして「もうすぐ終わるから待ってろ」とのご指示。後片付けを手伝って、近くのラーメン屋で食事をご一緒させてもらっていると、十日町の知り合いT氏もいらして、なんだか盛り上がります。男なんていう奴はどうもいけませんな。コップ一杯のビールと麦茶をガブガブ自棄飲みしながら、飲酒の誘惑と戦います。ここでも戦いなのです。日が変わりますので今日はここまで。

2005/06/27(月) 客商売の始まり
 主任研究員の方を朝一番のバスまで送って、帰りF1さんのところでお茶を飲んで、ここの大変な工事の勉強をさせてもらいました。F1さんは7キロも痩せたといい、おばさんは火傷までしたと笑いました。でも、新築なら荷物の移動も一回でいいのですが、改築となると毎日寝る場も変えねばならず、荷物もあっちこっち動かしてそりゃもう大変なのです。そのうえ朝、昼、晩と食事も採らなければならず、大工さんのお茶だけだって忙しいのだから。
きょう、Rさんに頼んでおいたウナギが届いたとF1さんが喜んでくれました。こんな時東京の友達はありがたいものです。サンキュウ。
軽トラに乗って、ふと見ると我が「まっどーろか街道」に軽トラが進んでいます。こっちにも今日大工さんに来てもらう約束があって、予定より早めに来てくれたようです。
風呂場をシャワー専門に変えました。大工さんがチョコチョコと仕事をして昼前に帰ってからまた掃除です。その頃予約の電話があって、今お泊りのかた2名いらっしゃいます。
部屋食のお膳を持って上がると、お客さんが今度はお膳を持って下げてくれました。初めてのお客らしいお客さん始まりです。
明日朝早いお客のために5時起きして、一汁一菜の世話をして、保健所でも待ちましょうか。写真は浅間シジミを採っていたとき、偶然に出会った「中道のご夫婦」です。大分、世話になったので今度もっきりやで飲もうと約束しました。

2005/06/25(土) もっきりや 蝶救済委員会
○○蝶々救済委員会が発足。
 蝶々の主任研究員M氏がおいでになり、一日講義となりました。現場に行って驚いたのは、ここにあった、植生のU葉が無いのです。膝を折って、めだねを外して観察すると、真っ黒な幼虫が散見できます。つまり、U葉以上の卵を蝶は産んでいたのです。食べつくした葉の茎まで手を伸ばして、あと一日遅れたらみんな死んでいたのは必定。主任研究員の指導でどうにか20匹ばかりを救済。
 さて、これからどうするか。やはり、この蝶を育てなければしょうがないのでは、と意見が一致。植生のU葉を移植して状況を見守りましょう。因みに、蝶の名は伏せておきます。委員長のご命令です。蝶々で食っていく人が居る以上、僕らも自重しなければ。でも、この○○蝶は少なくなりました。去年かU葉の群生が持ち去られたり、一つも安穏ではありません。この辺の蝶が高い値段で取引されることもあるようで、人間という生き物の強欲のなかで蝶々だってすんなり生きてはいけないようです。では、この先この蝶々は絶滅させるのですか。外の蝶々の愛好家が沢山来ればこの山の蝶はアット言う間に無くなってしまいます。自然界のなかで、産み落とされた卵が孵って成虫になるのは4lこれでは絶えるのは必定。さて、愛好家の皆様方もこのままでいいとお考えか?
 どうにか守って、増やせるかが私の仕事になりました。もっと呑気にいたいのに。

2005/06/24(金) 長生きは、余生(よせ!)
 昨日、新潟県環境分析センターから飲料水水質検査の結果落手。すべて基準値大幅以下。まあ塩素は必要悪なので最低限で抑えていこうと考えます。こんなに健康的ではなかなか死ねないなー。私の場合は、オッチョコチョイなのできっと怪我で終わりにならなければ困ります。それまでは一直線に楽しみましょう。
 道具部屋は完了。廊下、台所、プライベートの居間、ストーブ部屋。終わりました。何だか気分いいです。この家はなかなか良い。こうしてもっきりやの原状を確立した以上、これを維持管理するのが私の仕事となりました。もっとも、工事や畑などの外仕事となると、嫁さんのいない私としては手を抜かざるを得ません。しかし、一日は24時間あるのだから、寝なければ出来ます。その程度でご勘弁を。
 さて、仁成館の番頭さんも掃除に的を絞ってか、はたまた倉庫掃除か知りませんがいらっしゃたのを確認しました。TELしてもいいのですが、お金がかかるので止めにして、冷凍ご飯を解凍します。
 昼、中津川の水位が下がりすぎているなと感じました。もっきりやの池に注ぐ水も実に心もとない。この時期やはり「雨」でしょう。

2005/06/23(木) もっきりやの原状を構築
 保健所が来るからやるのではありません。これからのもっきりやの原状を構築するのです。
 今日は2階の布団部屋、1階奥の道具部屋の大片付けです。曲は五輪まゆみで行きましょう。枯葉散る夕暮れはーと歌いだしたリズムはお掃除向きではありませんが、こんなもんでいいでしょう。まず、Fちゃんのドラムセットを片付けまして、要らない布団を捨てます。タンスの壊れた取っ手を補強します。全ての布団を出しまして、掃き清めます。頂いたマットレスを置く位置を決めるのですが、その前に各部屋の押入れを整理。敷布団、掛け布団、毛布。コタツの収納。これで、4時間。呑気なものです。
 シアトルの試合を見て昼ソバ。2階を掃除機かけて完了。それから下の道具部屋に掛かります。3時間かけて大体こんなものか、というとこでゴミを燃やしました。こんな山の中でも燃やしてはいけないのですが、私は燃やしました。6時半に湯で風呂を借りて帰りしな、「飯食ってけ」「ごっそうさん」で頂きました。感謝。
 道具部屋は終わってはおりませんが、それはあした。なーに1時間でしょう。

2005/06/19(日) 終日 お手伝い
 早朝から湯の番頭さんの代わりをやって来て、今9時帰りました。ご苦労さん。
 今普請をしているF1さんが湯に来て面白いものを見つけたそうです。安政年間に作られたその家を手伝ってくれた集落の伝馬役(人工ともいい1日の作業量を表す)の帳面が出てきたということでした。秋山でも珍しくなった江戸時代の建物が改築されて今後も残っていくのです。慣れない仕事で気を使っていた私には大きな収穫でした。
 こんど、リホーム江戸時代が完了したら見せてもらおうと約束しました。明日早いのでこれにて。

2005/06/18(土) 蝶々に学ぶ
 松井のホームランを見てからの戦闘。11時からぼつぼつと始めました。
 先達て工事をした区間の草刈りを終えようと、混合ガスを作って3時間。予定の区間と開拓からの100メートルばかしをやり終えました。草刈りをしながら、路傍の草も花もつるも小木も構わずなぎ倒します。昨夜の「ブラックホークダウン」の影響か快進撃です。飛び跳ねる小石や飛び来るスズメバチも、ものともせず戦います。気がつくと気温が上がったせいか私の周りには蝶が沢山飛び回ります。その蝶がヒメジオンの花の周りに集まって、まるでアイデード派の民兵のように行く手を阻みます。私めがけて突っ込んでくる蝶もいるのです。その蝶はウスバシロ蝶といって透き通る羽に黒い脈がきれいな、紋白蝶ほどの蝶なのです。この辺では良く見かけるそれで、奴さんヒメジオン、ハルジオンが好きなようなのです。
 私の草刈り機が唸りをあげているのも構わず「殺せるものならやってみろ」とヒメジオンの上を離れません。こうなると、進撃は出来ません。機械を止めて暫し眺めてしまった私の負けです。ゆっくり花を傷つけないように残しながら、そこから撤退するのです。
 カメムシにいじめられている私としては「虫」は好かんのです。しかし、生きようとしている虫や蝶の意思を感じてしまったとき「俺と同じじゃないか」と独り言を呟くのです。
 帰りしなヒメジオンを見るとアイデード派の民兵達は、大きな顔して飛び回っていました。なんだかいい気分になったのは云うまでもありません。その後、カモシカ、おおるり、と色んな生き物に出会った一日でした。仁成館を手伝って今帰ってきたとこです。

2005/06/17(金) 横溝一本、草刈り少々
 お尻の一部は痛いものの、頭痛も少し落ち着いたようでなんだか気分がいいのです。
 午前中は電話仕事で終わりました。TVでは角田光代という若い女流作家が話していました。僕らと違って何か別の人種の作家なんだと感じるのですが、なかなか人間としていいのです。先生という感じはまるでなく、その辺のコンビニのアルバイトの娘さんなんだなーこれが。驚きでした。僕らの時代は過ぎて行ったようです。
 僕らはに違った仕事があるのです。きっと。
 で、電話仕事というのは、火災保険について、保健所関係の確認、自分の年金についての手続き、工事の支払いの確認。そんなところですが、なんだか気にしていたことがグワッと進んだように思いました。
 そこで、外仕事に出ます。草刈をしながら、横溝一本入れます。一応病みあがりということで、5時に作業を終えました。
 草刈りをしながら思うのですが、ここでは何をしても危険が一杯なのだと。草刈機を使いながら、回転する刃が石を跳ねて、それが体に当たったり、足元が不安定だったり、兎に角、危険を考えていては何にも進みません。やるべき事は、注意しながらやるしかありません。何時の時代、ことに江戸時代の日本人達は結果を恐れずにやり終えたのです。むしろ、生活と云うのは「戦争」みたいなものなのだと感じました。何処に居ても逃げられない訳で、新宿でも、北千住でも、片町でも、天神でも生きとし生ける者が蠢く所は戦場なんだ。と考えました。まーそれで死んでも仕方ないのですが、いざという時にはウオンウオン泣くのでしょうけれど、それはまた別の感情なのでしょう。
 そんなことで今日は「ブラック・フォーク・ダウン」をレトルトカレーを頂きながら観ることに致しましょう。

2005/06/16(木) 緩急つけて投げ抜こう
デビルレイズの野茂投手の日米200勝は待ちに待っていたことです。おめでとう。
 今日は養生に努めました。朝から、どうもスッキリしなくて横になったままで、江戸時代のお勉強をして過ごしました。草刈さえしなければ良く勉強できるのにとも感じました。午後、湯でお風呂をもらってどうにか気分も良くなったので、1時間ちょっと草刈なんかやるわけです。この時期、外に出れば伸びた草が目に入ります。何時かやらなければならないしとても気になるのです。早い回復を願いつつ、再び江戸時代のお勉強に戻ります。
 そんな訳で、あんまり書くような内容はないのです。こういった日もここでの日常なんだし、気にしていてくれる友達に対してもと向かいました。少しずつ良くなっております。昔から「痛みと弁当は自分持ち」と言います。

2005/06/15(水) リハビリだって草刈
 江戸っ子の生まれぞこない金を貯め、志ん生が「大工調べ」で枕を振ってます。そろそろ私も枕を振り投げて仕事を始めましょう。まぁーリハビリということです。
 天気も明日は知れませんで、やれることから始めなければ捗(はか)が行かない訳で、今日は腰の具合を見るべく草刈を始めました。2時から3時間どうやらゆるゆると家の周りを終えました。これからは、草刈がほとんどの仕事になるわけです。冬は雪掘り、夏は草刈。健康にはいいのですが、なかなか辛いことです。
 腰は少しづつ快方に向かっているようです。ムチ打ちのほうは未だはっきりしませんが、薄皮を剥がすように治ってくれればと考えています。寝ようとして体を倒すと首が頭の重さを支えられずにテンと枕につきます。それでも今日は昨日よりは良いようで、起き上がるときにはゆっくり起きればどうにか起きれるようになりました。ご心配相すみません。
 そんな訳で、この時期寝てばかりも居られません。雨でも降ってくれればゆっくりしてもいられるのですが、汗の合間に天を仰ぐわけです。皆さんも「好事魔多し」の例えもあります。御自愛下さい。

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