来るなら来てみろ もっきりや
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2005/05/11(水) 冬を仕舞う
 どうにか前の季節が終わりになって、春真っ盛りといった感じになってきました。連休が過ぎると、ここ秋山の人々も大車輪で畑作り、田んぼの準備、山菜の始末と働きづめです。畑に座り込んで土いじりをするおばあさんが、雪の頃のなまった体をゆっくり労働に馴染ませています。観光客の姿もチラホラと少なくなって、本当の山の暮らしが戻ります。こういう山人の姿を見に来なければ、旅ではないのですが、観光客は連休中だけ温泉が出るとでも思っているかのように消えました。
 私はというと、冬の道具を片付け、玄関内の薪で汚れた床をブラシで洗います。去年出来なかった、雪囲い用の杉の皮むき、ゴミを燃やして、風呂場を磨きます。どーも、仕事を始めるのが遅いせいで、日が暮れる頃まで外にいます。それから、夕食の準備をするのですが、面倒になって、お腹がすくまで知らんぷりを決め込みます。TVを見ながら帳簿の整理をしてから、台所で炒めご飯なんか作って夕食となります。直ぐ片付けてお茶でも飲むと、時計は10時を過ぎていました。
 写真はタルヤマで見かけた、熊の穴です。爪あとがなかったから、今年は空家だったようです。

2005/05/10(火) まあー、通れるようにはなりました
  午後まで、掃除片づけをしながらジューキの到着を待つのです。やがて携帯に連絡が入り、出動となりました。ミニユンボでしたが仕事はします。わたしはウロウロと周りをうろつくだけでした。時間がなかったのでとにかく通れるようにはしたのですが、もう少し時間があれば完璧とはいえないまでも十分です。オペレーターのTさんもよく分かってくれていて、今度また半日来てやると有難いお言葉。決して忘れません。
 しかし、重機の力はたいしたものです。何時までも、他人様の力を当てにしていてはいけないと感じますが、絶壁の上での作業は一寸恐ろしい。ただ、梃子として働く私はすっかり冷えて、寒いばかりです。
 切明温泉に浸かりながら、冷えた体を温めるのですが、気持ち温泉はぬるめでした。
 まー、自費で道を直してやろうと決意しています。お金のない村にお願いもするが、駄目なら、自分でやってみるしかありません。ただし、これはある意味で村からの自立に繋がるのかもしれません。地方自治は大変なのは解ります。でも、村が村民の苦労を理解しなければ、村そのものの在りように掛かるのではないかしら。こんな風に、いつも道や、鉄索に腐心しないでいられたらもっと楽しいのですが。

2005/05/09(月) ジューキ を待ちながら
  本日、川西林道の除雪をするということで、分岐点にて来ない重機を待ちながら、待ちぼうけで御座りました。だんだん天気が崩れてぽつぽつとやって来た雨粒に、体も冷えてなんだか馬鹿らしくなって帰り支度に掛かると、オオルリが飛んできて前の小枝に止まります。写真は間に合わなかったけれど、ムクドリより少し小振りで、燕尾服を着たような姿で、ぱっと飛び立つと頭から肩にかけての瑠璃色の美しさは、待ちぼうけの時間を意味のあるものに変えてくれました。よく見ると、地味な色合いのメスも飛んで来て、なんとも言えないさえずりを交わしながら、私の周りを飛び回っていました。
 さて、帰って役場の秋山支所に連絡すると、急な仕事が入って明日に順延だということで、一日棒に振ってしまいました。開拓の人たちが老骨にムチ打って働いている姿の前でボーっと時を無駄に過ごすのは、情けなくもあるのですが、こういう時も確かにあるのだからと言い聞かせました。
 決戦は明日に持ち越しとなったので、昨日の岩菅山の写真です。

2005/05/08(日) たるやまの大滝
 「まだ雪があって、20分ほど歩かなくてはならないが滝を見に行かないか?」
 朝、Fさんから連絡があって援軍1氏を送っていくのと絡めて連れて行ってもらった。上の原から車でいける所まで行くことになって、5分も走らないうちに雪に阻まれた。天気は上々。ぶらぶら歩き出してから見る鳥甲もいつもとは感じが違って見える。左手に笠法師、烏帽子、その奥に裏岩菅、その奥に英字のMのような岩菅山、離れて平べったい三角に雪を載せた笠ヶ岳が望遠できる。日の当たる杉林から土の匂いが心地よく、行く先に滝が眺められる。車道から離れて雪の上を行くと程なく滝の真下に出た。まだ名前のないその大滝は高さ40m位あって、大量の雪解け水を落としていた。車に戻ってFさんと別れて、津南で援軍1誌をバスに乗せた。
 いよいよ一人になった。Mさんを訪ねて、道路改修の段取りを話して、Fさんの所に寄ると奥さんが津南に下がっていて、まー呑んでけということで一晩ご厄介になった。朝、4時半に置きだしたFさんに久しぶりのはやい朝食をご馳走になって帰ってきた。

2005/05/07(土) 家の野良カモシカ
 昨日は強い風と寒さで往生しました。今日も寒い日でした。
 日に一度は急な斜面を登って道を見たり、旧道を歩いて山菜を探したりしています。まあ、日課みたいなものであります。そこで今日は、久しぶりに家の野良カモシカと出会いました。奴さん20mぐらいの所でじっとこちらを見ています。旧知の間柄なもので、やさしく声をかけてそのまま行き過ぎ遠くから見ていると、腰を下ろしてウトウトし始めました。ゆっくりそこを離れて思うに、家のカモシカには左目の下にホクロがあったようです。よーく覚えておきます。なにしろこの冬の同志なのだから。
 そろそろウドも出始め、まだ雪のあるところには、フキノトウもコゴミもあって、歩いてみるものです。いままで気づかなかった場所に色々なものが発見できました。足を伸ばして、ブナの大木に挨拶に向かって残雪の上を行くと、そこにもこれから始まる山菜を見つけました。長老のような巨樹に感謝しながら、鼻歌を歌いながら2時間の旅でした。

2005/05/04(水) 消えた 楽団
 朝少し寝坊し、起きだして、米とぎ、味噌汁と朝飯の準備を終えて待つも、誰一人起きて来ず。はてと、思って探すも多良間楽団影さえ見えず。津南の友やEBちゃんと昨日の騒ぎはナンでしょかと、狐につままれた感じに、飲みつかれ合いまして頭ボーっとするなり。津南の友かえり去れば、残されし我ら二人してブラブラ山を歩くのみ。その間も、昨日の饗宴と今朝の静けさの隔たり大きく「はて、ナンだったのか」とその逃げ足の速さに舌を巻く次第。
 お湯に入ってから帰るEBちゃんより一足早く津南までH氏を迎えに出て、途中EBちゃんとすれ違い暫く話して、桜満開の仁成館へと戻り来ぬ。

2005/05/02(月) つかの間の 幸せの形
元気になったEBちゃんに背中を押されるように仕事に出ます。
 今日は連休の谷間。ゆっくりTVでもと考えていた私に、「今日は何をやるの?」と問う友の声に、冷や水を浴びせられて、昨日の続きの道普請に出ます。唐鍬と鉈、鋸持って鉄索に乗り、温泉側の道に4段の階段を作ります。終えて、湯にフキノトウの佃煮を届けると丁度お昼ご飯の最中。他人じゃないんだからというNさんの声に力を得て、おご馳走になる次第。取って返して水路の確保。裏の道路の整備に努力していると、鼻歌気分のEBちゃん帰り来て曰く。「ここのカーブこう広げて水路をその奥にもって行けば、ユンボがあれば2.3時間でできるじゃなーい」といたって呑気。ひとり思うにそんな簡単に行くか!と怒れども、もし2トンダンプが入れれば、鉄索の修理、コンクリート捏ねもそんな難しくないかと思い至り、津南の工兵隊長M氏に連絡を約す。そんなこんなで帰り着くと、旧友第二軍のKMちゃんパパと来たりて、午後の4時から一杯会と相成り、酔い果てる前にこの日記だけはと頑張ります。
 まず右に口の中でとろけるチャーシュウに洋がらし、左に焼き天豆、チャーシュウの汁で煮た卵と人参、新宿の宮崎館で買った焼きツミレ、椎茸。酒は秋田の澄月(ちょうげつ)大吟醸、徳利は益子焼。鰹の刺身も後から出てきて、幸せの形、こう在るべきアルヨ!

2005/05/01(日) やるべき事を 少しずつ
 五月になって、つらつら思うに冬というのはとにかく単純で、ただ雪降りの事ばかり考えていればよかったのだ。畑も水場も鉄索も、道も車も燃料も、なーんにも考えなくてよかった。それらはみんな雪の下だったのだから。ただただ自分の気持ちを維持していれば、山村生活者としての矜持さえ持っていればよかった。
 五月になって雪が融けて道が姿を現し、水場が荒れて、鉄索の問題が顕著になって、畑作りを始めて、車の整備をして、無くなった燃料を運んだり、崩れた家の周りの石垣を心配したり、来年の橋の準備をする事などに腐心をする毎日に立ち至ると、自分の小さな頭の中は何時も何処でもそれらが浮かんでは消え、消えては浮かぶといった事になるのです。残雪で裏の林道が通れない事に起因するのですが、このもっきりやの立地は雪深い秋山の地でも更に二十日は遅れるのですね。しかし、それら総てを受け入れてもっきりやの謳い文句に「かかってこい もっきりや」を追加して私の矜持をご披露させて頂きました。
 こんな所に居るせいか、あんまり自然保護派ではありませんが、折り合いのつけ方だけは勉強させてもらっています。
 今日は温泉から来る道を、80歳をらくらく越した大家さんと直しました。鉄索の緩みを締めなおして、旧友と来年の橋に使う丸太を2本引き出しました。これでお仕舞いで、帰って昼寝もして、少しずつ体を慣らしていきます。
 写真は、アミガサ茸と行者にんにく。貴重品です。


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