来るなら来てみろ もっきりや
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2005/05/26(木) 負けてたまるか
 命が縮むように感じます。よく理解できない仕事の段取りを付けるというのは。M土木の若がたった一人で気を揉んでいて、その相談相手にだってなれない不甲斐なさにおろおろ歩くのです。それでも若は笑いながら仕事をこなします。
 土砂出し。粉砕アスファルトを取ってきます。ここから津南まで、往復3時間。2回も行けば、仕事が進みません。明後日から土、日が入るから、砂利屋も舗装屋もコンクリ屋も休みになってしまいます。どーする、どーする。
 どうにか、決断して粉砕アスファルトも砂利も10tダンプでの配送を手配。その間、ここの仕事に専念して、進めなければなりません。こうなると、「雨の慕情」だったか八代あきじゃないけど、あめあめふれふれ もっとふれ じゃないが一休みしたくなります。
 朝、昼、晩の食事の世話は皆が交互にやりますが、こんな時独りで生きてきたことを呪う訳です。
 もう疲れて疲れて、続けられません。これにて。        

2005/05/25(水) 9時から19時すぎまで
「使えない、梃子だなー」親方は厳しい人で、仕事の安全と進捗状況には的確に批判もしてくれます。勿論あんまりいい気持ちではないのですが、ダンプの運転が上手くなると「おおー結構やるじゃないか」と褒めてくれます。土木工事なんていうのは、普通はしないで、一生を終えるものです。でも、大昔ほんの何日か土工をやっただけの私にしては、結構いい仕事なんではないかと再確認したことです。今は重機が人の2百倍の仕事をします。僕ら梃子はお手伝いです。晴れた日には何とも言えない運動気分であります。ダンプの使い方、滑るタイヤと地面の折り合い。自分の感じ方で上手くも行くし、下手も打つわけです。お金も使うのですけれど、日が暮れる頃にはM土木の若はみるみるうちに一つの仕事のけりを付けていきます。お金というのは、こういうことに使うものです。例え工事の終わった時に大雨が降って、工事の意味が無くなったとしても、私はこの道の在りようをシッカリと感じられたのですから。それが、生きる意味です。土方になれれば、人間、そこそこに生きていけるのです。
 山に生きるということは、そんなに楽しいことばかりではありません。「田舎暮らし」という雑誌のようにはいかないのです。あれは、時代の隙間に生まれたあだ花ですけれど、人間が存在することの困難さを、教えてくれます。

2005/05/24(火) 戦闘開始!
 遅ればせながらこの3.4日の状況をお伝えしたく、PCに向かいました。何といっても土曜日の混雑はなかなかのもので、記憶に残るのはタダタダ天麩羅を揚げておったということに尽きます。山菜採りにいらした面々と何を話したのか、実はよく覚えていません。酒が入ったところでのお話はそういうものですが、多くのお客を独りで対応することのいい勉強になりました。山へ行く人たちは皆が皆そうだとは言えませんが、ある種の状況を経験しているせいかとても、鷹揚で手助けなんかしてくれて助かりました。山に入って生き死にを感じながら下山する人たちの優しさに打たれます。ここは一番感謝申し上げます。
 翌日はまた、若い落ち着いた人たちと映画や本の話が出来ました。あんまりいい人だったのか、落語までやちゃって興が乗りました。昼にはいい女の突然の来訪もあったせいかその日、私の気分は特急列車でありました。
 翌日の月曜日になって、いよいよ道路工事の準備に掛かるのです。土留め用の杭、厚板、セメント、砂、工具。いろいろ軽トラに積み込んで、積載オーバーになりながら、秋山街道を登っていきます。やることを終えた幸せか、いい酒を飲んで、「スモーク」というフイルムに涙流して「ER」を感じて、津南の閉まっていた喫茶店の珈琲を飲めなっかたことなんかを残念に思いつつ、降る雨の音を聴いておりました。
 さて、今日はシトシト雨の中工事が始まります。ダンプは空荷ではカーブを上れないし、べトにタイヤを取られるし、横滑りはするし、なんと言いましょうか?大変を絵に画いてしまいました。しかし、始まってしまった工事は終わらせなければならないのです。ここが人生の大事な所でしょう。やっちゃッたものはしょうがない。もう逃げられません。
 そんな訳で、日記も届こうりがちになります。生きていくのだから見えない読者なんか一向に気にしません。今やることに専念させてもらいます。でも、工事も日記も努力します。さいなら。

2005/05/20(金) 来るなら、来てみろ もっきりや
 区長さんの奥さんが亡くなって、今日は告別式でした。寿命だったと仰る区長さんの寂しさが伝わってきます。そんなに遠くない時期に自分も彼岸に行くのだと感じながら、読経を聞いておりました。合掌。
 買出しに津南まで出て、「クラ」で食事して帰りました。明日はお客さんがあるからでありまして、なんだかウキウキしてます。30年以上前、奥鬼怒の八丁の湯でバイトしてた時、そこの70を超えたおばあちゃんが、「ここを始めて、初めてのお客さんを迎えた時、みんなで玄関に座って頭を下げたものだ」と話していたことなんか思い出しています。
 何しろ、道が悪いので看板を早急に作ります。やっつけ仕事でなんだか心残りではあるのですけど、明日打ち付けましょう。そんな訳で午後は看板つくりとなりました。ペンキだらけになって作るのですが、こういった作業に不向きな不器用者であるからして致し方ないのです。本当に何でもやらなければ、一つも進まないのです。

2005/05/19(木) シュンラン変じて天ぷらとなる
 今日もパッとしない一日で、件の約束、湯の内湯掃除に出る。左程汚れてもいないのだが一応頑張って終える。そこで昼食をとって、朝から葉わさび採りの大家さんを少し手伝う。以前と比べるとずっと元気になって頼もしい。
 シュンランを見つける。細長い線状の葉に、薄黄色の花を一個つけて落ち葉の中にうずくまっていた。家の周りにも、ウドが大きくなってきたし、木の芽(アケビの芽)なんかも直ぐに採れるようになってきた。
 土曜日にお客が有るので、掃除なんかしてみた。掃除は茶殻と立ち箒で行うとなんか清々する。そういえば、葉わさびを摘んでいると、なんともほのかなわさびの香りがいいものだ。たった、一時間の仕事だからかも知れないのだが。
思い立って、シュンランの写真を撮りに出る。だが、中々見つけられないのだ。うろうろ歩きながら、ウド、もみじかさ、イラクサ、シシウド、椎茸を摘んで今日の夕食は天麩羅だ。庭先に移植した、たった一つのシュンランの写真でご勘弁。

2005/05/18(水) 糞闘、努力のカイもナク
 南風が強く、中々肥料やりに体が動かない。肥料は鶏糞なのです。顆粒状になっているからまだいいのですが、それでも風に煽られると体中鳥の糞まみれになってしまいます。ですから、なるべく風の収まるのを待つのです。
 待っていると、湯の優秀な番頭さんがおっとり刀でやってきて、お茶なんか飲んで中島みゆきのCD聞いて、「クラ」に行こうかということになります。しかし、一向に体は動かないうちに時間が過ぎて、じゃー明日にしましょうか?そうしましょう。で、彼は木の芽を採りに出かけます。私も付いて出てサクラソウの写真を撮ります。サクラソウは随分と葉が伸びて来ました。掲示板に載せます。
 まだ風は強いのですが風向きが変わって、今度は東です。私は鶏糞を担いで始めます。やはり鳥の糞だらけになるのですが、一度汚れた体ならとことん落ちてみるしかありませんでしょう。そこで、耕運機を出して、畑をうないます。天地返しということです。2時間程で約8畝の畑をうなって、再び残りの鶏糞をぶちまけます。ふと鳥インフルエンザを思い起こしました。あの浅田興産の亡くなった社長と、JR西日本の運転手の考え方が似ていると思いました。社長は経営を深刻に考え、運転手は処分から逃げようと、みんな自分専一に考えた結果なのでしょう。まるで、蛮社の獄を仕組んだ鳥居耀蔵に脅かされた小心者たちの心根なのでしょう。で、それはいいのです。私もまた小心者のように鳥インフルエンザになってしまうのだろうかと?不安になったのです。
 雨が降ったのをいいことに始末をつけ、うがいと洗面をして、洗濯までして、風呂に入りました。今は、ビールなんか飲んでウツケています。

2005/05/16(月) ここは雨だが、山は雪
 昨日から冷たい雨が降ってすっかり冷えてしまいました。
 看板の取り付けを、雨の中終えましたが、もう少し丁寧に出さなければなりません。道路工事もありますので、それを終えたら取り付けましょう。
 友人が来て、一晩遊びました。今日も冷たい雨が降り続き、嫌になってしまいます。ストーブを焚いて丁度いいのです。雨が上がった午後、先達てのタルヤマに行ってフキノトウを採るのですが、肌寒いのです。見上げる山の上には、今朝降った雪が霧氷のように残っていました。

2005/05/14(土) 次は、道路だ
 道路を直すにしたって、単純ではありません。ユンボの大きさ、ダンプ、砂利、土止め用のL型コンクリート、U字溝、砂、セメント等私の解らない色々な道具、呼び名、使い方。ただ、汗を流せばいいということではありません。勿論、原資は限りがあります。
 そこで、Mさんの登場となります。今日は、プロパンを運んで、Mさんと道の状況を見て回りました。ただ、Mさんとなら色々話が出来ます。こっちは何も分からないのですから、他人に頼むと言いなりになりかねません。Mさんなら、いや、そこまでは出来ないと、気楽に頼めるのです。みなさんは500Mの道路を直すチャンスがありますか。それも自費で。
 土木作業とは大変な機械と、大人数の力が必要になりますよね。町で見かける工事は他人事だからいいけども、それを、自分でやるということは、ちょっと気が遠くなるのです。ジックリ相談しました。私の葬式用にと取っておいた、貯金を出すより仕方がないと決断しました。まアー三段の飾りつけを二段にすることで葬式は諦めるとして、死んだ自分より、生きてる自分だから。ただ、随分と寂しくなりますが。
 こうして、道路が直ってもなお「もっきりや」に来れないのなら、今時の日本人は随分と鈍ってしまったんだと悲しんであげましょう。と、この決断にはいれこんでるのですねー。

2005/05/13(金) あー忙し、忙し
 朝、山には降雪。冷たい雨で軽トラ取り。
 仁成館のよく働くNさんに軽トラを取りに行く手伝いをお願いして、共に出かけました。Nさんはなかなか気の利く労働者でありまして、ギターを持たせればなかなかの者です。何時か仁成館で働くNさんを探してください。
 そんな訳で今日は忙しかった。Nさんと津南まで出て、食事を取って、「蔵」でゆっくり珈琲を飲んで、この「蔵」という店はなかなか品格のある店で、僕が津南に来た時から狙っていた店でもあるのです。先代のご主人が病に倒れたと聞くのが遅かったので、僕は手も足も出なかったのですが、「蔵」立派に下北沢しています。そうですね。70年代の東京に戻った気分にしてくれるのかな。その頃と比べると頭髪は随分と欠けてしまったけれど、カウンターの中に立つお二人の御夫人が、僕の青春時代を思い出させてくれるのかも知れません。催涙弾やヘルメットはもうゴメンですけど、「蔵」に座してほかの客のいないことを幸いに、夢をみるのです。
 と、そんなのんびりしてはいられませんでした。まず、軽トラを受領し、N氏と別れ、100円ショップでお買い物、自動車の任意保険払って、飯山の友人の所へ米を取りに、帰って熊の毛皮を欲しがる友人のために銀行に寄って、農協で買い物して、肥料を買い、プロパンの手配をして、熊の皮の代金を払い、真っ暗になって心細い道を軽トラ「がた子」に乗って今年初めて帰り来ぬ。てな訳です。明日も忙しい。

2005/05/12(木) 雨が降っても、ウカウカしてられネエー
 ほんの少し早起きしても、動き出すのは同じでした。
 葉わさび摘みに精を出す大家さんとパンを食べて、私はこごみ採りに出ました。湯がいて、干して、揉んで、乾燥こごみを作ります。ぶらぶら歩いて、さくらそうの成長を見て2キロほどのこごみを採って帰ると、雨が降り出します。少し休んで、2階のカメムシを退治したりしていると、小止みになったようなので、昨日の続きの杉の皮むきと、外回りの清掃をしますが、軽トラの車検がまだ終わらないので、ゴミは一箇所に積んでおきます。山では何といっても軽トラがなければ話になりません。
 それにしてもやることは山のようにあって、軽トラのせいばかりにしてはいられません。そろそろ、シッカリ働かなければ、直ぐ冬になってしまいます。
 畑の肥料撒き、薪の準備、作業小屋の整理、畑起こし、崩れた石垣の補修、道路の改修、看板の取り付け、お米を取りに行ったり、保険を掛けたり、ガスボンベを取り付けたり、まー忙しいわけです。しかし、上手くやれば1週間で終わるはずです。後は、天気。

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