来るなら来てみろ もっきりや
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2005/03/12(土) 負けてたまるか!
  どうにか、調子を取り戻しまして、2時に津南に到着する、YH氏を迎えに出ました。折から降り出した名残の雪が激しくフロントガラスをうずめるなか無事に落ち合い帰途に着きました。
 まず、危ない所にはロープを張って、鉄索の浮いた支柱を番線で縛って、応急手当を終えました。明日はYH氏と仁成館からの道をやっつける予定です。やはり、ここでは、何時も反撃に出ていないと、自分の存在が気うすになって、直ぐ後ろ向きになってしまうものです。これは難しいのですけど、ここに暮らす人々は冬の間は、なにかを作っているのです。ストーブの前にじっと座り込んで色々と考えているのです。あれをこうしよう、どうしたらもっとよくなるかとか、攻撃的に存在しているのです。
 十年なんて、なんの意味もない。強い意志とへこたれない経験が欲しいと心から感じました。
 きょうはYH氏持参のはたはた、毛がに、ホタテ、サザエ、鳥手羽などを炭火で炙って食べています。外にはまだ雪が降り積もっています。このまま降り続けば、暢気に映画三昧です。

2005/03/11(金) 診断書
 今朝は、昼まで寝ておりまして、マッ怠けていたのですが、症状は軽いとおもいます。
 自己診断によりますと、軽いムチ打ちで首を回すとキュッキュッと音がするように感じますが、吐き気もないし、頭痛もしません。マッ1週間というとこでしょう。傷口の血も止まったようで、打撲と擦過傷ぐらいで済みました。ご心配いただき申し訳ありませんでした。
 どこかで覚悟していても、いざとなるとてんでだらしない、昨日なんか、床に入って色々考えちゃって、「これまでなのかなー」なんて、やはり恐ろしいのですネ。それでも、よかった。
 夜夢の中で、天国の門に立っています。神様が「よく来ました。ゆっくりしていきなさい。ここには70歳の処女がたくさんいますよ」と言ってくれました。それで、隣の門に立つと「いや、よく来たね。神様のためにたたっかて来たのでしょ。それなら、ゆっくり休みなさい。ただ、女性はたくさんいるけど、ほとんど他人の女房になっています。一夫多妻のとこですから、手を出したら追い出されますよ」と しかたないからもう一つの門に立って、「ここは混天国ですか?」と聞くと、いやに陽気な神様がセンスで頭をたたきながら、「ダンナ、お足さえあれば、なんでも結構ですゼ!」と笑います。それじゃ、とお金を取りに帰ったら、目が覚めました。
 写真はきのうみた、青ゲラのイタズラの跡です。

2005/03/10(木) 気絶!
  いい天気でとても暖かい一日でありました。
 いっこうさんと回りの雪の上を歩いたりしながら、午後一時彼を送って、僕はそのまま以前から頼んでおいた「はんこうつき」(猟師のいのち杖)の出来ばえを見て、湯によって帰りましたが、その途中でグズグズ雪に足を取られて、頭から転落。場所が悪かった。鉄索のワイヤーの真上でその支柱に右側頭部を強打。あえなく悶絶2分。
 自分がどうなったのかしばらく分からず、ソロリソロリと逆さになった態勢を直して、鉄索の乗り場に立ちました。跳んだ帽子を探し、スコップを手元に引き寄せ、足が震えているな、と感じつつ気持ちが落ち着くのを待ちます。仁成館まで戻ろうかとも思いましたが、またそこを通るのが嫌だから川を渡りました。頭が気になって、手をやると血がでています。そのくらいは当然だと考え、そのまま帰り着き、消毒と包帯でグルグル巻きにして、後は天に任せます。
 とっさの事で、何がわるっかたのか良く分かりませんが、とにかく事故はこういった時におこるのでしょう。ズート考えているのですけど、不注意としかいえないのでしょう。マツ、今まで無事に来れたことの僥倖に感謝しつつ、反面もうこんな所を出ようと感じたのも事実でした。
 首の付け根が、頭を回すと変ですが、明日までゆっくり静養をさせてもらって、生きていれば大丈夫でしょう。
 「はんこうつき」はキハダの木で、割り木にしたものできれいに仕上がっていたので、喜んでいたのですが、好事魔多しとは今日のことを言うのでしょう。
  (文脈、文章がおかしければ、それは気絶のせいです。)

2005/03/09(水) 明かりを点けましょ雪洞に
  きょうはいっこうさんのご来場です。彼は実は私のいとこでありまして、久しぶりに我家族の話しなどとりとめもない事に、舞い上がりました。肉親というものはこういう時、笑える存在で、憂さ晴らしにはもってこいです。
 彼を迎えに行くとき見たのですが、鉄索は三十センチ浮かび上がっておりました。ワイヤーを留めていた金具の不具合だとおもわれますが、これが一番の難問です。これは雪解けを待って、原因を確かめて対処しましょう。
 今彼と彼の亡くなった伯父さんとのことで一喜一憂しながら、安い酒を飲んでおりましたところ、彼が仕事のことで電話を掛けだすと、その電話口の向こうに、落ち着いたしっかりものの女性の声が聞こえてきました。彼は笑いながら話す声に、僕はなんていうのか、ちょっと嫉妬を感じるような安らぎを覚えるのです。
「あーあやっこさんはだいじょうぶだ」と
 そんな晩には、雪洞(ぼんぼり)を点けて、彼の行く末を祈りました。

2005/03/08(火) なんだか ボーっとしちゃって!
 7日に帰り着きました。その日はF1さんのところにご厄介になり本日昼前、玄関をガラリと開けました。
 なんだか50日ぶりの東京で、毒気に当たってしまったように、かったるいのですねー。今までにない感じです。もっと東京に出なければいけないのかもしれません。毒をもって毒を制すのです。東京の毒に当たるようでは、この先明るくはありませんから。
 帰ってみると、まだまだ雪の山ですが、テカテカ光って雪の強さは感じません。ほとんど道路は雪もなく(和山近辺を除く)遠くに苗場の稜線がクッキリと浮かびます。ホンとなら「帰ってきたぜ!」と思うのでしょうが、「まだ雪かよ!」といった感じでガッカリします。
 早速鉄索を使えるように掘り出すのですが、どうも仁成館側の柱が浮いているようなのです。ワイヤーのアンカーが浮いたかテラスが下がったかここは問題であります。大水が出ると対岸に渡れなくなるのでそれまでに原因を突き止めなければなりません。あー忙しい、忙しいというわけです。

2005/03/05(土) 土産話(3)
いや〜私もちょと疲れました。で、雪を眺めながらぼーっと一日を過ごしました。TVでは3センチの雪に転んだり、すべったりする人を何回も映し出します。雪は滑るものですから、そんなに映さなくてもいいものだと思いながら、秋山で滑って転んでいる自分をおもいました。
5日は以前のもっきりやの仲間と、一杯やることになっておりましたから、まず、AZ歯科にて先生のお手を煩わせてから、近くのKさんのとこで時間調整をさせてもらうわけです。
古い友人とユックリ飲んで、再び歌を唄います。そこにはなんだかお上手な中高年の殿方、ご婦人がたが先客で歌っておりました。気後れしちゃって、とても「女の海峡」なんかは唄えません。共に行った友人たちもなかなか上手く、あぁートウキヨウは遠いなとシュンとしていると昔のもっきりやの歌姫(もう、姫ではありませんが)Sちゃんが「大利根無情」を指名して、僕、唄いました。と、どうでしょう調子付いて、いよいよ「女の海峡」まで来ました。先日の失敗を肝に銘じて1オクターブ下げてもらって、左手でマイクを持つわけです。だがまだ高い、途切れがちに唄う僕にSちゃんがサッと助け舟。
「むずかしんだね」「そうよ、むずかしいんだから」とSちゃん。
どうにか、最終の急行に間に合って、Hちゃんと帰り着きました。

2005/03/03(木) 土産話(2)
 僕らの今回の遠征は、ハンズで販売される商品のうち、ここ秋山でも探せる物はないかということでした。また、木工やロクロ等の腕を持つ人たちが昔から作っているものや、それから派生する生活用具などを復活するべくの研修旅行でもありました。いま東京で暮らす人々が毎日感じているものがどんなものなのか、自然のなかで暮らす僕らが忘れがちなものを捜す旅でもありました。
F1さんの感性に、横で驚いたり、笑ったりなかなか楽しいものになりました。ハンズから合羽橋、色々と動き回りながらチャカチャカと歩くF1さんのタフさかげんに関心し、その晩は菊屋橋でお世話になりました。
買い揃えた木屑や、秋山では燃やしてしまう小枝、ほんのちょっとのアケビの蔓などを肴に、研修の研修たる所以の意見百出で更けました。
翌朝、浅草寺をお参りして、上野で買い物などをして昼の列車でF1さんは帰られました。なんだか無理やり引っ張りまわしたようで、お疲れのテイも感じていましたが、それでは気をつけてと手を振る僕らに、ありがとうとお辞儀をするF1さんは、なんだか解放されたように晴れ晴れとしていました。

2005/03/02(水) 土産話(1)
 トンネルを越えると、そこには春がうずくまっておりました。ジムニーの狭い車内の中で、東京に近づくにつれて僕らは一枚、一枚着ているものを脱ぎながら、脱皮を繰り返すエイリアンのように攻撃的になって関越を出ました。
東京はアッケラカンと僕らを呑み込んで、秋山のエイリアンは守勢に転じました。車を調布に止めて、KO線からYT線と乗り換えて赤羽にて、件の友達たちが酒席をもうけてくれまして、エイリアン二人はちょこんとお客です。いつも登山の格好でしか相間見えることのなっかた方々のスーツ姿や、スカート姿に戸惑いながらも、歌まで唄って帰り着くとすでに日が変わっておりました。雪の間、歌いたっかた「女の海峡」は声が出ず、失敗しましたが、それでも久々の東京はいいものです。やっぱ東京です。

2005/03/01(火) 漸く 歯の治療
  起き掛けで日記を書くのは初めてでありまして、実は私の歯の具合が悪くなりつつあるので、ここは一番AZ歯科の出番です。外は左程の積雪ではないものの、降っております。
 こうして、東京に出る時は結構忙しい。まず、ストーブの灰を片付け、台所のごみ、皿洗い、片付け。色んなところのコンセントの確認、持ち出す物のパッキングや部屋掃除。食べるものを食べて、出すものを出して、歯を磨いて、それでも何か忘れるのです。一人暮らしは呑気な半面、注意を怠っては成り立ちません。ここが大事なとこです。出来れば兄弟のような気のあった女子と暮らせたらなーと思う瞬間です。
ところでごみを片付けていて気が付いたのですが、先日EBちゃんのお友達が来たときのごみがないのです。彼らきっとごみを持ち帰ってくれたのです。思わず東京に向かって一礼しました。この雪の中泳ぐように仁成館までいった彼らのリュックに入っていたのは、生ごみでした。
これから準備を一時間でやって、湯まで泳いでF一さんと待ち合わせて関越に乗ります。さすれば東京は目の前です。久しぶりに、唄でも歌ってきましょう。八日には戻ります。では、準備開始。


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