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2005/03/30(水) カモシカ 逃げるかも しか
 きょうは気を使う仕事をしてしまいました。天気もなかなか良かったせいか、残雪となる汚れた雪を池にぶち込み消すのです。川に下りて短い橋を雪の上まで運び、長い奴は流れに押されるように留めを外しました。これで大水が出ても一応大丈夫でしょう。後、一気に仁成館側の急な斜面の雪を掘り出し、あと30センチ残して完了とします。
気を使う仕事とは、この間秋山郷で生活雑貨を色々と作ってもらったのですけれども、これを東京に持っていこうということにしたのです。つまり、東急ハンズ、登山用品店、カッパ橋の民芸調の素材店。これらに電話でアポイントを取るのです。世の中そんなに甘くはないのだけれど、努力する価値はあるはずです。この雪深い地で、こつこつとものを作り続ける人たちの作品が東京で生活する人たちに、快い安らぎを与えることが出来れば、この秋山郷が単なる観光地ではなくなるのではないかと考えるのです。
予定していたお店では、会ってもらえそうです。
まだ、どうなるか不明ではありますが、「カモシカ」、「秀山荘」、「ICI」には山新さんの半こうつき、東急ハンズ新宿にはF1さんのタワシ、YTさんのエンジュのコースターなどを置いてもらえるよう「戦争」に出るように、失礼のないように、上手くいくように、運を見方にするように、久しぶりに背広なんか着ないでブレザーでも着て出かけます。もしそこでそれらを見かけたら「うおおー」と驚いて買って下さい。
帰りしなカモシカが、そいつの寝場で呑気そうにこっちを見ておりました。件の援軍1氏が座頭市のように抜き足差し足近づいて、撮ってきてくれました。

2005/03/24(木) シュウマイは何処へ

 朝、仁成館を出て枝に被った重い雪がしずり雪となって、我が天頂部を直撃するなか
復活した鉄索に跨って左岸に渡ると、源大工が湯から何か叫んでいました。
 三人で我が家でお茶なんか飲んで、すっかりのびのびしてから源大工は帰っていきました。それから、私は山の暮らしの続編を構って、援軍1氏は川に洗濯に向かいます。
 さて、夕飯をという段になって一昨日頂いたシュウマイが見つかりません。すでに三日目になっているので、そろそろ食べたほうがいいのですけれども、こうなるとイライラするもので、懸命に探したのですけれども不出来発見。でありました。川から何の獲物を持って来れなかった山彦氏は、池の岩魚に手を出して、どうにか二人分を釣り上げます。きょうの夕食は、どうにかこれで食いつなぎましょう。

2005/03/21(月) 青ゲラも元気

 皆さんお帰りになり、援軍1氏とのんびりしています。いい天気で暖かい一日です。
 仁成館さんで、色々話し込んでいると軒先に赤ゲラと青ゲラがやって来て、赤ゲラは取り逃がしましたが、青ゲラは写真に撮ることが出来ました。また雪の上でのんびり日向ぼっこをしているカモシカとここに生きる動物を見た一日でした。
 山新さんがはんこうつきを作るというので、見学をして援軍1氏と作る過程を撮ります。山新さんはお酒を飲む時と違って、真剣な表情で道具を使ってなかなか良いはんこうつきを作り上げます。
 この二日どうも飲みすぎで健康に影響が出そうでありましたから、遅い昼飯は小赤沢の食堂でなめこ蕎麦をいつものように食べます(ご馳走になったのですが)。仁成館さんの露天風呂を使わせてもらって、鉄索のテラスまで来て見ると、雪がこの暖かさで融け柱が根元から腐って折れている現実にぶち当たりました。
「ありゃ、これだめだー」
てな訳です。このままでは、もし大水が出れば我ら二人は孤立することになりますのでほんとは、頭を抱えざるを得ない状況なのですが、きょうは一人ではありません。余裕があるのです。まァ、二時間も歩けば済むのですからそんなに危機的というわけではないのです。二人で馬鹿言いながら歩くかと腹を決め、色々と対応を考えつつ
「シッカシ、つぎからつぎと問題が出てくるんですね。エンドレスだ、こりゃ!」と援軍1氏。私はハッとして、ただ頭を垂れるのでした。

2005/03/19(土) 登山隊、みっけー
 昨日はほとんど寝もやらで、そのせいか19日は仁成館の手伝いをチョッとして折からきたEBさんともさして話すこともせず、寝につきました。日記どころではありませんでした。
 登山隊の到着が遅かったせいか、ほとんど寝ないで送り出しました。それでも力強いラッセルで登っていく連中を見送って後、仁成館の手伝いに出ました。仁成館から見ていると二時頃になって登山隊の姿を視認(1437M地点)、先頭のラッセルと後続の距離が空いて難渋しているのが手に取るように見えます。やがて先頭が万仏の頭の手前(1600m辺りか)で西側に巻いて姿を消すとその後を後続部隊が追って行きます。一緒に見ていた援軍1氏が言うには「遅いなー」、仁成館のご主人は時計を見ながら「あそこは、風が強くて稜線は中津川に向かってデブリになっているから、向こうに巻くしかないんだ。向こうがわは大溝の沢を詰めたところで、よく猟師が熊を追って来るのが見えて、まず熊が尾根を越えて逃げて、それを追って猟師が行くのが見えるんだよ。」
 ここで見ている僕らは暢気なものですが、たぶん時間的に考えると万仏の頭辺りで天幕を張ったんではないのかと思われます。(私は行きませんが。)その夜は満点の星でここでは風もなく、随分と冷え込んだはずです。
 夕食の手伝いも次いでだからして、お湯に浸かると冷えた体がジンジンと温まって暗くなる頃帰り着きました。いやー温泉は薬でもあるし、秘境に咲く花のように和ましてくれるものです。
 きのうはF1さんが東京でお世話になったと、EBさんともっきりやの会員にふきのとうを両の手一杯持ってきてくれました。気が付くとこの雪の中で春が蠢いているのです。これが、ここ秋山の春なんだと実感しました。説明になってしまいますが、雪を含んでの春なのです。
 きょう20日福岡で震度6弱の地震がありました。ほんの5ヶ月前の中越地震を考えながら一寸先は闇だと感じました。

2005/03/18(金) 試運転 はんこうつき
  念願の猟師のいのち杖「はんこうつき」を手に入れました。製作者の山新さんがわざわざ持ってきてくれました。
 さっそく、山に入って我らがはんこうつきの試運転に興じます。山新さんは、ひょいと斜面に取り付いて、楽々と登っていきます。僕らもカンジキの跡を外さないように、はんこうつきを杖についていきます。はんこうつきは如何にも軽く、体を支えます。ざらめになった雪の上を足を取られながらも歩くのは楽しいものでした。
 一杯やりながら、山新さんと昔の秋山郷の暮らしや猟の話で盛り上がりましたが、少々飲みすぎて、とても眠いので一眠りさせてもらいます。

2005/03/17(木) 津南で珈琲
  先だってから、ふけが悪かった我ジムニーを修理に持っていく。援軍1を迎えに行くこととドッキングさせた具合なり。車は、プラグコードの断線が原因と判明、後日取り寄せで完了となる予定。
 援軍1氏は津南行きつけの喫茶店にて待っていてもらう。何処に持っていっても通用すると思われる店で、ニコニコ微笑む援軍1氏と共にカウンターを後にして、山へ向かう。
 暖かい風が雪を融かし、水滴がフロントガラスをたたくなか二、三の知り合いの家を訪ねて仁成館で夕食をご馳走になって、夜、懐中電気で足元を照らしながら橋を渡って帰り着く。
 「あたたかい」夜になってもさほど寒さを感ずることなく、朝いれた豆炭コタツで十分である。人がいると、そのぶん暖かいのであるが、今日の天気は充分開放感に浸れるほどである。一人ではなかなかのことを、時間をかけてやってみようと思いつつ、まず明日は釣り券を買って竿を出してみようとも思う。

2005/03/16(水) 岩魚 解禁
  雲は流れるものの、いい日和でした。
 トイレの水を通すべく、バブルのあるところを掘ります。身の丈ほどの雪をのけてバブルを捻るのですが、パイプのつなぎめが外れたようで水は来ませんでした。また、後日掘って確認をしましょう。そのあと、鉄索をフリーにしてこれでいつでも渡れます。ただ仁成館側の柱を建て替えなければ、安全にはならないのですが、仮には渡れます。
 お湯をもらいに、湯に行くと、なんとカキが送られてきたようで、その生ガキを剥いていると、釣り人が三人ご主人と釣り談義に興じておりました。カキをご馳走になりながら
「もう、そんな季節なのか」と来る春の一面を実感しました。今年はわたしも釣りを思い出しながら、竿を振ってみようとおもいます。
 外の仕事ももう少しやれば、あらかたこの時期の仕事は終わりになります。その後は、風とお日様と雨にまかせて、開店の準備にかかります。もっきりやが始まればそれはそれで忙しくなるのですから、それまではここ秋山郷の昔からの暮らし方を調べてみたいとかんがえます。
 帰りしな、見上げると私の気持ちを知ってか知らずか、鳥甲は湯上りの表情で稜線を浮かび上がらせていました。

2005/03/15(火) 生活建て直し委員会
  ぶんむくれて起きださない中学生のように、いぎたなく寝ておりました。確信犯というのではなくて、むしろ自分に照れてといった感じでした。
「あんた、何時まで寝ているんだよ。イヤになちゃうな、だらしないったらありゃしないヨ、まったく」と怒る人がいないから私は、のろのろ起きだすのです。時計を見ると10時半。腹の底で、あア―あとため息をつきます。ぼーっと一時間、きのうの豆炭コタツに肩まではいって、下らないフジテレビを見ていました。
 どこかで気分を変えないといけないのです。きっかけです。光明を見つけるのです。解っているのですけれど、身体は消えかかったコタツのなかで、ピクリとも動きません。
 こんかいの建て直しのきっかけは、腹が減った、と感じたことでした。
「よちゃん、ごはんどうするんだよ、食べないんなら、片付けちゃうよ」と自問自答していました。腹はへっているのです。それでコタツから出て、なんか作らなきゃと動き出した時、以前のように雪退治をやろうと自然に決めていました。
 困った時の雪構いです。まず、谷側の雪をどけます。トイレの汲み取り口を空けます。それから風呂場に入っている水の確保。3時間ほどでやり終えました。だからどうだということはないのですけど、やろうと思ったことを終えるのは、精神安定剤です。ちょっとしたことですが。冬将軍の置き土産、雪の地雷原除去です。
 その後、外せるとこの雪囲いを取り込み、室内を明るくします。こうして、私の生活建て直し委員会は機能し始めました。またいつかやってくる憂愁の時まで、こうして折り合いをつけてやっていくのです。

2005/03/14(月) この かったるさは
  援軍として来てくれたYH氏は、実にてきぱきと掃除を手伝ってくれました。その援軍を津南に送って帰ってきてボーっとしてました。どうも、生気に乏しく 血が騒がないのです。外は暖かい日差しが射しているというのに。
 秋山郷はこれからが長いのです。おそらく四月の末まで、消えない雪を眺めていなければなりません。ジリジリするのです。やることは沢山あっても2メートルの雪を、面で融かすことは出来ません。航空母艦上でエンジン全開で飛び立とうとする飛行機のように、太いワイヤーで繋がれているような感じで、それが永遠に外れないのではといった気分なのです。
 この間の冬将軍の攻撃はここでは左程の被害もなく、これで一応の終焉であるらしく、日一日と春めいていくのでしょう。でも、日が暮れると途端に春っぽさは、みるみる夜の寒さに紛れ込んでいくのです。
           (写真は中津川穴藤付近のものです)

2005/03/13(日) 本日の予定は終了しました。
  先日、すころんだところともう一箇所雪を取り除きました。昨日の積雪は30センチ。日が出るとみるみる沈みます。
 YH氏の尽力を借りて、2メーターに近い雪を掘り起こしました。全部ではありませんが、鉄索のテラスからの急な斜面、湯の露天風呂下の排水溝の上。どうにか3時間でやり終えました。
 お湯を借りて、ご主人に傷口を見てもらうと、もうかさぶたになっているし、オロナインでもつけとけというありがたいご診断。なんだかホットしました。
 帰り道(雪の上で道はありませんが)小鳥の羽毛が散らばっていました。どうも鳶にでも襲われたのかもしれません。
 再びYH氏と、満足感を肴にして湯豆腐でも食べましょう。

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