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2005/02/26(土) 帰ってきました 冬将軍
 
 驚いたことに、女性からの電話で目覚めました。
「雪は、どお?」という問いかけに、声の主を確かめもせず、パンツで廊下に出てみると、吹雪です。15センチ位の積雪です。
やっと帰ってきたのです。冬将軍。
着込んで、犬が喜ぶように外へ出ます。ゆっくり辺りを眺めて、空を仰だりします。珍しいものを見るように、観光客のように嬉しがります。冬将軍もなめられたものです。
この約14日、左程降りもせず、すっかり気が緩んでしまたのです。それでも、この雪は30センチは積もるでしょう。この月の初めごろのように、一方的な攻勢の後の停戦協定で平和を知ってしまった私は、戦いは長くは続かない、降り止まない雪はないと確信しているのです。この雪も3日晴れが続けば消えていくでしょう。
目を外に転ずれば、勢いを増すように降っています。「アレ?」といった心の動きはありますが、長くても10日も降れば止んでしまうはずです。止んでもらわなくてはいけません。止んでください。
「なーに、だいじょうぶ」野球で1点差で、9回2アウト満塁でバッターボックスに立つピンチヒッターの心境です。
もしかしたら人が来るかもしれませんが、この降りですので、来ないかも知れません。でも、準備方々お掃除でもしときましょう。
(写真は横着して室内から雪囲い越しに撮ったものです。)

2005/02/23(水) 室内作業にシフトせり
 きょうも大して降りもせず、いい塩梅に御座候。
去年から、ここ秋山の人々の暮らしを書き留めておこうと友人のカメラマンと始めた、「秋山郷山の暮らし」が中途で進んでいないことがどうも気になっていたのですが、再開しました。今までいろんな方に聞きためていた事柄を、少しづつまとめました。これは切明温泉の雄川閣に置いて皆に見てもらおうと始めたのです。ただ温泉がいいとか、紅葉を見るだけでなく、長い年月ここで暮らした山人の生活や、苦労の一旦を知って貰えればということが視点になります。春めく4月をめどに何十回分を順次発表します。
そんな訳できょうは雄川閣に出向きました。洗濯、乾燥機を使わせてもらって、風呂にも入りました。上々吉であります。帰り道、一杯ご馳走になってコタツで転寝して帰りが遅くなりました。
景色がずいぶんと変わって行きます。写真は切明から志賀へ向かう橋ですが、除雪はここまです。4月の連休の頃になれば、桜が咲いてこの道もどうにか通れるようになるのではないでしょうか?

2005/02/22(火) 山での経済
 このところ、青ゲラはまったく屋根裏に現れません。暖かくなって、春が近いということでしょうか。それに、今は満月でこの辺りでは昔から「月夜廻りは 降らない」といった事が言われています。池で沢水は快いリズムで踊っています。
きょうは税金の申告の準備をしました。そんなに収入があるわけではないので簡単なのですが、一応国民として逃げられないので、良いにつけ悪いにつけ私も申告します。
山での暮らしは、東京で儲からない店をやっていたときと左程変わりません。年間の収入金額は120~140万円ぐらいでしょうか。いくらか貯金も持っていますが、それは自分の葬式代でして、生活はこの収入でやっています。もっとも昨年は「もっきりや」の営業権取得のため半分しかありませんでしたが、これは致し方ないでしょう。このなかから軽トラックの車検なども含めて支払うと、年金、税金、保険などが如何に高いか分かります。安直に貯金を頼りにしていれば、あツという間に素っ裸にさせられてしまいます。
ここに来た当初は、色々と必要な道具を買い揃えるためにお金を使いましたが、一応揃えると、今度はメンテナンスに掛かるのですけれど、私は使い方が荒いので結構使います。
食事には気を使いますが、お金は使いません。なにかを我慢しなくてはこの収入ではやっていけないじゃないですか。お酒も、安い焼酎を色々な入れ物に分けたり、随分と気を使うのです。たまに来る友人が、ワザと残して行ってくれる食材は大切なタンパク源です。
収入は、近くの旅館等で忙しい時に手伝いをしたりします。それでは食べていけないので、冬の間、出稼ぎに出ます。これでどうにか130万ぐらいになりましたが、近頃では仕事が少なくなったり、厳しくなりました。
もっきりやを3000円の低料金でもやれると思うのは、きっとこんなとこがベースにあるのかも知れません。でも、このままではいけませんのでもう少し楽になる為に、是非「もっきりや」にお越しください。

2005/02/21(月) 春風亭好日
 大きな問題発生。これはチョッと大変だ。生活が成り行きません。どう対処するべきか、考えあぐねてしまいました。空は晴れても、心は闇だ。
そこで、気分を変えて 水木しげるさんの神秘家列伝2を読むことにします。面白いのです。なかでも、宮武外骨には教えられました。自らを危険人物と喧伝し、踏まれても蹴られても自らの信念を世に問うて行くわけです。文庫で漫画だから読んでみてください。で、なかに面白い唄が出ていましたので、水木先生には内緒でお知らせします。だからこの本を買ってみたら!
  あなた見なさい  ほうずきでさへも
  色もつかぬに   見そめられ
  色気づいたら   すぐ手折られて
  もまれて     すわれて
  根を出され
  末はふうふうと  なるわいな
          ドン ドン
大正4年ごろの俗謡らしいです。この最後のドンドンに私は、感じ入るのです。つまり大きな問題も、嬉しい出来事もみんなドンドンに括られるのです。
そこで私は、ドンドンと気持ちを落ち着かせて考えました。困った問題とは水が止まりそうなくらい細ってきたのです。ここに来てもう10年になりますが、何時も水には悩まされているのです。凍結したり、止まったり。この所といっても3年ばかりは順調で、忘れていたのです。するとこれです。
つまり次の手を考えました。水はオーバーフロウの分は来ているのです。タンクの中からの取り入れのパイプに何かが詰まって出が悪くなってしまったのだろうと、考えたのです。ドンドン。沢蟹でも入り込んでいたら、雪解けまではどうしようもありません。そこで、池に来ている水を汲み上げやすくするか、ホースで台所まで引っ張るかしかありません。そのためには池の周りの雪を片付けてねばなりません。で、やりました。30分でした。写真はその時のものです。
水がないから昼は餅とカップラーメンです。午後から浄水タンクを掘り出して、蓋を外して水の取り入れパイプに管を差し込んで、口で吹いてみます。これが中々大変で冷たいやら、濡れるやら、雪は降って来るやらで、ドンドンなのです。かれこれ2時間タンクと台所を行ったり来たりしながら、もういいやと諦めて。家に入りました。それでもだいぶ復活して。最後に流しの蛇口にホースを突っ込んで、すったり、はいたり、もんでみたりすると今度はしっかりと流れるではありませんか。ドンドン。
そんなわけで、自力で直したわけです。人は困ると悩み、諦めるけど、気分を変えてもう一度考えるとどうにかなるもんだと、勉強しました。

2005/02/20(日) 鳥甲特攻隊、去る!
 こぬか雨というのは分かります。だとすると、きょうはこぬか雪であります。やがて粉雪に変わり、その後ボタン雪がフワフワと舞います。
鳥甲特攻隊とは昨夜から杯を重ねつつ、厳しい山行の話をしながら勉強させてもらいました。僕らの年代の、それぞれの人生を薪ストーブに暖められながら話すというのは楽しい。いくら飲んだって悪酔いはしませんでした。
また来ると、別れ際に話す鳥甲特攻隊をお見送りして、また一人になりました。
外は暖かく、難なく雪は掘れるのです。池の岩魚には申し訳ありませんが、どんどんと雪をぶち込み融かそうと努力した後、湯にもらい湯に行きました。
初めてカンジキを履かずに歩きました。秋山の数少ない猟師であるTOさんの所で、アジアの猟師を描いた「デルス・ウザーラ」、アメリカの猟師を描いた「大いなる 勇者」を見てもらうべくセットして来ました。東洋と西洋の狩りの違いは、同じ狩をするTOさんには楽しいものだと思います。その折、春の熊猟に勢子として連れて行ってもらえないか、打診してみますと、屋敷の猟ならと言ってもらいました。4月ごろ、ただしまだ何時になるか先のことは未定のようです。もし、同行出来て熊でも獲れれば皆さんに、克明にお伝えできるのですけども?
仁成館でお湯につかり、また長靴で帰り着きました。雪は腐っていてズボズボともぐります。あんまり楽しくありません。それでもあの時の降り方を思うとルンルンで足を運びます。
今漸く真っ暗に成り果てました。随分と日が長くなりました。

2005/02/19(土) 登山隊 出発!
 深夜0時半、お二人の登山客様がお見えになりました。予定通りのお持て成しをして、2時に寝につきました。朝は8時出発というので、私も寝ます。
風が音立てて吹きすさんでいます。南風です。彼らは7時には起きて、予定通りの朝飯を食べて頂きました。入念の準備をして8時過ぎには出て行かれました。
この時期山に入ろうとする人は、外見はどうであれシッカリしていると感じました。
時間通りやって来て、予定通り山に向かっていく。迷わない。時間の使い方が上手だ。20キロ超えの荷物のパッキングの素早さ。
出された食事はキチンと食べ、指された酒はグイと飲む。布団に入れば直ぐ寝入り。必要なことには直言し、瞬時に返答、判断し。既定の事とし進んでく。
お追従は云わず、静かに大切なことのみ聞いてくる。これぞ戦士の姿とし、わが身の姿おもう時、泣き虫、弱虫、獅子身中の虫、ネタミ、ソネミ、イヤミ、ツラミの108煩悩の権化情けなく、去りゆく山屋を見送れり。
まぁーとにかく暑い。鳥甲の尾根が見えるとこまで行くも、戦士見えず、帰って雪構いして1時間、はて何処まで行ったやらと思う暇なく声がして。
「只今」「ありゃまた こりゃまた」と見上げる顔に、解けた雪が風に吹かれて打ちつけにけり。でも、これでいいのだ!

2005/02/16(水) 天佑神助 あるか?
 ゴーゴーと風が吹いて、家が揺れます。吹雪だ!と感じて、また布団にもぐり込みます。風は一向に収まらず、むしろ強くなってきます。逃げられないと布団を出て、外を見ると雪が飛んでいくではありませんか。2日の軟禁生活を覚悟しつつ、よく見ると玄関の雪がどうも少なくなっているようにも感じるのです。「待てよ、南風?」と外に出ると、寒くはないのです。飛ばされた雪が顔に当たって、痛いには痛いのですが、風は雪を融かします。
たしかきのうのTVで半井小絵さんが東京は春の嵐だといっていたようにも思われて、だとすれば、これは天佑神助なのかもわかりません。
昼過ぎに、風は上空でうなりを上げていますが気温はどんどん上がっていきます。雪は、終電車の厚化粧のご婦人のようにテカテカに光って融けていくのです。屋根の雪も、ポタポタと垂れてきます。随分と沈みました。
急に暖かくなると、中津川が水かさを増すことがあります。大水が出るのです。橋が流されることを考えねばならなくなりました。たしか去年は、2月の末に橋が流されました。今年は少しぐらいの水では流されない工夫をしたけれども、相手は人間にいじめ抜かれた、疲れきった自然です。どうにか対処を考えねばなりません。
しかし、ここにいると次から次とよく難問が出てくるものだと感心してしまいます。見上げると、まだ青さの残る空にあすの天気を占って、片手拝みで「あんまり おじさんをいじめるなよ!」と頼みました。

2005/02/15(火) 憂いは深し 空よりも
 あんまり晴れ渡ると、どうしていいのか分からなくなってしまうのです。大の大人がブラブラしていていいのだろうか?実際、津南の友人はそれぞれ仕事を持っていて、泊めてもらった翌日には、他人の家庭で一人バカ顔して朝ごはんなんか食べてはいられないわけで、逃げるように帰って行くのです。
雪が降って、忙しい時は、ハア−ハア―、ゼイゼイしちゃって、なんにも考えない。むしろやった!というものです。しかし今日のように暖かくなってくるとどうもいけません。なんだか悪いことしているように感じてしまうのです。引きこもりの前兆です。もっとも山に居ることはすでに引きこもっているのですけど。
こういう時の雪構いは、重くてなかなか捗がいかないので嫌になってしまうのです。暖かいので、汗をかく、それが冷えて背中にくっつく。胴震いするから、また雪を構う。汗をかく。冷たい。繰り返しなのです。こんな時は2時間、作業するのが大変なのです。
まあー、でもきょうは薪を家に入れたり、居間を掃除したりして、目先を変えてどうにか本質から目を逸らせましたが、白軍の攻撃が衰えてくると、私の憂いは深くなるのです。
写真はカモシカが、食べ物を探しながら深い雪のなかを歩き、硬い木の皮をむしって食べた跡です。それを見るにつけ「俺と比べて カモシカはえらい!」と肩を落としながら家に引きこもります。

2005/02/14(月) 帰ってみればこの始末 2
 きのうは援軍第1軍2軍を十日町に、お送りして暮れなずんだ道を帰りつつ、津南の友人KUMさんの所で、轟沈。ここの積雪はなかなか立派でした。除雪機で雪を飛ばすせいか両脇4メートルは優に超えているのでした。友人も立派に疲れきってをりました。
いやー朝に飼い犬「ももちゃん」のお散歩を買って出て、玄関を開けて一歩足を出すと膝までの新雪。ももちゃんは、一気に飛び出していくのですけど、その姿が雪の中に消えてしまうのです。そこの玄関にはヤギの「ゆきちゃん」というのもいて、なんだかイソップ物語のようなお宅なのですけれども、そのゆきちゃんが体を立てて覗き込むなか、ももちゃんは真っ白になって戻ってくるのです。
ふたたび体勢を整えて外に出ました。おしっこ、うんちは雪のなかに打ち捨てて、泳ぐように帰り着きました。安直に行ってやろうなんて云うのじゃなかった。
いや、秋山のもっきりやならば、完全装備で外にでるわけですが、ここは津南だと思う気の緩みで、雪まみれになってしまいました。こんなに降るとどこにいても同じです。
帰る道中、空が明るくなったり、またドッと降ったり、変な天気です。
新雪を蹴るように川まで降りる途中で、足を踏み外して、頭から転落。雪まみれになりつつ、橋を渡るのですが、メガネが曇ちゃって「落ちるかな」と緊張しながら、こっち側に来ました。それでも30分で着きました。玄関と池の周りの雪を片付け汗だくになって家に入りました。−2℃の冷たさのなかパンツまで取替えて、ストーブに火を入れました。
どうも昨夜からの雪は白軍のフェイントではないでしょうか。停戦協定を有利に運ぶための脅しかもしれません。まさか白軍は原爆という苔脅かしはしませんが、ちゃんと青ゲラの間諜から十分に情報を取っていて、援軍がいなくなって、家を空けた時を見計らって効果的な攻撃を仕掛けて来るなんざ、やります。見上げると、「どうだ!」といわんばかりの青空でした。

2005/02/12(土) 停戦協定
 この所白軍は来るべき春風に怯えてか、たいした攻撃を仕掛けてこなくなりました。前の仁成館にも時々車が入ってきます。きのう援軍2を迎えに行く時はひどい降りで405号線はどこも真っ白でしたが、帰り、秋山に入るまではアスファルトが濡れていました。10センチの積雪は、午後のお日様のひと射しで消えてなくなるといった、いい塩梅になってきたのです。慶賀。
つまり、援軍第1.2軍に白軍も混乱しているようです。敵軍より停戦協定の申し入れがもう直ぐ来るのです。慶賀。
私としては、春の来客に備えて停戦に応じるつもりですが、来客は「なーんだ、雪無いじゃないの。」なんて云うのだろうとも感じるのです。いや、この間もっきりや日記を見てくれていた人のことではありません。素人っていうのは、概してそんなんかなーと、今までの経験で思うのです。まァーいい経験ではありませんが。
きょうは朝早く起きて仁成館まで道付けを敢行。寒かったせいか雪は粉雪、ぼたん雪。ちょっと湯を手伝って、朝風呂に入り帰りつくと、第1.2軍が、粉雪掃討作戦を開始し、ものの1時間で撃退しました。慶賀。
ここで、皆さんにいい表情の女性を紹介します。件のごとし、で申し訳ありませんが、付き合ってください。
飲み屋のおかみである蛍子は、好意を持っている男と差しで酒を飲んでいます。そこに男の女房がやって来て、連れ立って帰っていくわけです。蛍子は笑顔で送りだしたあと、男の座っていた椅子に腰をかけ、暫くして男の使っていた箸をとって口に含むのです。その寂しさに心を打たれました。おわり。

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