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2005/01/31(月) しめしめ 小降り
 どうにかお粥まで回復。1日ぶりにストーブに火を入れ、(B)作業3時間。きのう降った雪は40センチ。まだ屋根は大丈夫。家の周りと、橋まで道踏み。
 でも本調子ではないので早々に引き上げます。午後からフワフワと雪が舞っています。これで一月も終えます。伊達巻戦争より長かったと感じるのは、頭の悪い証拠です。
 どうも今年は、里雪形の降りようです。雪の降り方には、山雪形と里雪形があって、津南や十日町あたりの方が雪が多いように思います。もちろん積雪量はこの秋山の方が多いのでしょうが、それほど差がないように感じます。てふてふさんの雪下ろしの回数とここでのそれがほぼ同じというのも、それを裏ずけているようです。ですから、小国や小千谷、山古志のそれは察するに余りあります。三月になればこっちのものですが、それまでのひと月が嫌になっちゃいます。
 ご心配下さった皆様、どうもありがとうございます。どうにか自力で回復に向かっています。まだ食べたい物はありませんが、ここには元来食べたい物は存在しませんが。

2005/01/30(日) 病気療養中
いや参りました。南京豆の食べすぎ、ビール一寸古い日本酒。そこへ持ってきてインドカレー。これで守備隊はガ島の兵隊がマラリヤにやられたように斃れました。
いつもビールを飲んで南京豆食べると、まづ歯がおかしくなるのです。それから渋り腹になるのですが、それで治まっていたのですがきのうはいけなっかた。だからカレーも少しにしたのですが。それでもいけなっかた。で、お決まりの腹痛。こんなこと書いては顰蹙を買うのですが、根が正直なものだからつい書いてしまいます。今はようやくバナナ一本食べて苦いお茶でもと降りてきました。
朝、例の青ゲラは元気に天井裏を駆け回ります。外を見ると40センチの積雪。また寝るより仕方ありません。明日は外で雪始末をしなければなりません。腹痛なんてこの20年なっかたのにな?やっぱ56ということなのかな。むかし鳳凰三山の薬師小屋でひどい腹痛で動けなくなったことがあって、小屋の人から自分で直してくださいと言われたことがあって、そのときは台風も来ていて翌日無理して御座石鉱泉で泊まって、夜川の氾濫の恐れありということで、山手に避難したことを思い出しました。

2005/01/29(土) 復活 56

12時間眠って、復活しました。いい天気がこれで3日続きました。
作業Bで、2時間。家の周りグルリと長靴でまわれます。屋根裏に潜りこんで、あれから2週間私の天井裏を騒がせていたもう一つの青ゲラの出入り口を塞ぎました。さて、明日が楽しみです。
とにかく暖かい一日です。作業Bの間ズートTシャツで過ごしました。ブラブラとカンジキ履いて畑のまわりを歩きます。ここにソローの小屋を建てたら冬には窓からこんな景色が見えるはずです。EBちゃんのYさんのお勧めポイントです。重い雪がカンジキに残って歩きにくいのですが、そんなの気にしません。すぐそこにもっきりやはあるのですから。
きょうの天気は、上空で日本海側からゴウゴウと音立てて雲が動きます。雪を抱いた杉の枝が時より吹く風に揺れてドドっと雪を落とします。そのつどポキポキという音とともに枝が元に戻ります。パイプを流れてくる水の音。屋根の解けた雫の音。晴れた日の庭先には、いろんな音がします。
これからカレーライスを食べて、映画を見ます。たぶん明日は雨になるかもしれません。最強の冬将軍の本隊を迎え撃つには休養も必要です。ただしみなさん面白半分で期待してはいけません。守備隊は一人なのですから、大変なのです。

2005/01/28(金) きょうは、春になりました

 いや〜どうも。昨日は湯にて、たまには遊ぼうということになりまして。M雀になりました。私は絵並べぐらいでして、出来れば傍観者をきめたいのですが、人がいません。で、参加。朝の7時まで皆がんばります。疲れました。一人負けで、その場で腐りました。博打とはそういうものです。でもみなさんいやに元気でありました。時間の使い方を考えるのにはよい経験で、やってみないと判らない。これはこれで人との付き合いです。ただもう少し出来なければ、みなさんに迷惑であったかな?とも感じました。とにかく疲れた。
 で、3時間ばかり休んで天気がよいからと、煙突そうじを考えたのですが、それがいけなっかた。煙突のなかで掃除道具がはずれて、悪戦苦闘。小一時間ススまみれで煙突をばらし、屋根に上がってどうにか元に戻しました。
 きょうはわたしの56回目の誕生日。この先が思いやられます。
いまは、老いた母に感謝しながらその平安を祈ります。
写真は連日の晴天で、姿を現した鳥甲山です。雪も1週間まえとすっかり変わって春のようです。いやに重い雪ですがこの週末また寒波が来るということです。
きのうは鉄索の中津川左岸を掘りました。大水が出たとしても、一応対岸に渡れます。晴れた日ならば。

2005/01/20(木) 気分を変えて
この所、時代小説に凝っているのです。伊達巻戦争に出征する道すがら、点けたラジオから松平アナウンサーの声で、藤沢周平の「冬の日」を聞いたのです。その声といい、間の良さといい、すっと心に沁みてくるのです。その短編を探すのに時間がかかったけれども、探し当てて読んでみるといいのです。
 20年も前、郵便局時代にその作者がいいと教えられたことことがあったけれど、若造だった自分は微笑んでみただけだった。いつごろだったかほとんど純文学は読まなくなる年齢になると、こんどは歴史書、それも江戸時代から現代までのそのときどきの事件や、庶民の暮らしぶりに目がいって夢中で読んでいたことがあった。
 自分の父は大正2年、祖父は慶応2年、ひい爺さんとなると天保13年その連れ合いは弘化3年に生まれた。その頃「金さん銀さん」という100歳になる双子のおばあちゃんがもてはやされてコマーシャルに出て「玄孫はまだかいなー」なんていっていたことがあって、考えてみると曽祖父からみれば自分は曾孫にあたるわけでその子供とまでも、人間というものは相対して生きていける。つまり江戸時代なんていうのは一寸前のことじゃないのかと考えたのです。といってもいきなり何とか先生の本ではなんだか授業を受けているみたいで具合がわるい。そこで、史実に即した調査を基本に書かれた小説ばかり読んでいた。吉村昭のものは私小説的なものは省くがすべて読んだ。司馬遼太郎も読んだが、小説はあまり肌が合わなかった。それはそれでおもしろっかった。勉強にもなった。
 ただ、藤沢周平のそれは唸るのである。すっと涙がながれるように心に沁みるのである。一人閉じ込められていると、なんだか自分が生きていると実感できないのです。そんな時ウッウーンと唸ると、そこで情けなく感動している自分を見るような気がするのです。  
 きょうの仕事は昨日と同じだから気分を変えました。

2005/01/13(木) 今日は2人分 えらい!
今日は良く働いた!
 朝になると青ゲラの奴が、お越しに来ます。トントントンと壁をたたいて。奴さんが開けた握りこぶしぐらいの穴があってそこからのこのこ入ってくるのです。すると屋根裏の怪人のような大きな音を立ててズッドンバタバタとやるもんだから、始めてその騒ぎを聞いた時には、ははーんまたムササビでも来たな。と思ったくらいです。良く聞いているとピョンピョンと飛び跳ねる音もするし、トイレにも行きたいものだから起き上がって窓を開けるとバタバタと緑色の怪人が飛び立っていきます。青ゲラです。
 そんな訳で早速その穴をふさぎました。冬の楽しみはなんといっても朝寝ですからネ!今日は舞う程度の雪なので、午前中から屋根へ上がります。雪は少し湿っていて幾分か重いようです。とはいっても昨日の雪だからなんというこもなく60センチほどの雪は2時間ほどで写真のように綺麗に片付けました。えらいでしょう。ただそれからが大忙し。週末にお弔いがあって、行かなければならなくなったものだから、降ろした雪を片付けようと思ったのです。玄関それから家の周りグルリ一周。昼飯もとらず、えっこらせ どっこいしょと 降ろして山になっている雪を片付けるのです。怠け者の私には2日分の仕事です。どうにか暗くなる前に終えることが出来て、tvをつけると黒海が若の里を押し出した所でした。ビールを飲んで、丼飯3杯食べた所です。変に充実しちゃて我ながら少し恐ろしいくらいです。ではまたお弔いの後。

2005/01/12(水) 帰ってみれば、この始末
帰りました。
どうにか伊達巻戦争を無傷で終えて、退却中に流れ弾に当たって年末年始、野戦病院で治療。どうにか風邪も治ったかと思う暇なく部隊は雪中行軍。野沢スキー錬兵場にて給仕兵として勤務。しかしながら条件の変更でやむなく不名誉除隊。これで一般人として秋山に帰り着きました。シメシメ。
 帰ってみるとあまりの雪の多さに心胆が凍りつくのでした。その日は仁成館に泊めてもらい、翌11日昼前から夕方まで屋根の上でした。私の背丈ほどの雪は中々のものでして、一人で屋根にいる孤独感に痺れるのです。その間も雪降り止まず。今年の冬将軍の正規部隊の攻撃は容赦なく、怒涛の進軍です。
 翌日は晴れましたが、家の中は玄関でマイナス4度、その寒さったらありません。件の薪ストーブにどんどん薪をくべて降ろした雪の片付けをします。お風呂をもらいに仁成館に行くとご主人が広い屋根の上で一人で雪を降ろしているのです。もう暗くなる時分までもくもくとした作業が続きます。その夜一人で「さらば我が愛」を見るのでした。
 昨日も気が付くと屋根の上でした。11日、あまりきれいに落とせなかったとこをと思って上がると、また50センチ積もっていて、予報もずーっと雪だるま。しょうがないと諦めました。
 今日の降りは中々で、雪はどんどん降るのです。屋根を見上げるとまた60センチ。何ということでありましょう。スノーダンプをにぎったまま天を仰ぐのです。指は痛いし、体は冷えるし玄関と明り取りの除雪を終えて早々に家へ入るのです。


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