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2005/06/08(水) 悲しみ
今日、訃報を耳にした.
家族からの又聞きなので、きちんとは知らない.
とおーいとおーい親戚の叔父さんが亡くなられたとのこと.
その叔父さんとの関係は何度聞いても忘れてしまうくらいの親戚らしい.
私の母方の祖母の兄弟の何とかの子で・・ってな感じ.
御歳は80くらいだったのか?
初めて会ったのが忘れもしない阪神淡路大震災の前日で、
叔父さんは神奈川に住まわれていたのだが、生家は鹿児島の甑島。
(私の母の里)
そこへお墓参り方々行かれその帰りに広島に途中下車されたとのこと.
地震の影響で3日ほど滞在されたが、このままではいつまでたっても
帰れないということで、多少の困難を覚悟で帰京された.

その泊まられていた時に、おじさんが暇そうにしておられる午後などは
フルートのレッスンや、叔父さんの若いころの話、など聞いたり聞かせていただいたりした.
とてもきちんとした老紳士で、頭も素晴らしくいい.
何より江戸っ子なので標準語での語り口調が独特で.
今この文を書いている今もそのときの叔父さんの様子が目に浮かぶ.

その後箱根に旅行した際に、叔父さんも誘って一泊共にしたが
会ったのはそれきりだった.
でんわで話すのがたまに・・・で。
父が亡くなったときにだいぶしてから叔父さんに知らせていなかったことを思い出し
手紙を書いて知らせたら驚いて母のほうに連絡があったらしい.
私は…話をしていなかった.
留守電に叔父さんの声が録音されていることがあっても
夜遅かったりして、昼間はいないし…そんなこんなすれ違いだった.

一人暮らしで生涯伴侶をもたれなかったので、いつどうなくなったかは
よくわからない。
ご自宅で亡くなられていたらしい。
ご近所の方が妹の個展に一緒に行かれた際のツテで妹に知らせてくれたとのこと。

広島の我が家で叔父さんが泊まられた時、鍋をした。
夕飯は私が作っていたのだが
客人がいる今日くらいは母が早く帰るだろうと思っていたが
全然帰ってこない.仕方なしに鍋をしようと作り始めた.
1泊目の晩は、まだ叔父さんが何者か全然知らなかったので
間が持たなくて困ったことをよく覚えている.
ほどなくして母が帰ってきて、ガチャガチャといろいろ作ったが
鍋を見たときの叔父さんの目の輝き☆忘れない.
「一人だと鍋なんてまったくしないからねーすごくうれしいよ」
それを聞いて「しまった!!すき焼きとかにすればよかった…(あとのまつり」
その日に限ってポン酢の帯についていたさっぱり鍋というほうれん草と
豚肉を入れるだけのものにしていたのだ。
だしでとっている訳ではないから、なんかホンとに味もしないし.
・・ということでどうしても忘れられない記憶として私の中に残っている
付け焼刃のようにその後色んなものを入れ、だしもあとから足して雑多鍋にした記憶がある.

そんなこんな思い出.
肉体を離れた叔父さんが、いま、叔父さんの事を思い出している私のところに来ているかも・・と期待を込めながら綴っている。
一期一会.
その時間は二度と返ってこない.
あの時、しつこく何度も電話をすればよかった。その後悔は拭えない.

「めぐみちゃん、いつも聞いて悪いけど赤ちゃんは?」
そんな声が耳に残っている。
「そんなことがあったら知らせるから会いに来てね」
「うれしいねーそんな日が来るのが待ち遠しいねー」
「いやいや・・・いつのことか」

父と向こうでお酒を交わしているかもしれない.
いやきっとそうだろう.
飲みすぎないように…☆(涙)


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