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2005/10/02(日)
突然の出来事2
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10月1日午前0時過ぎ
搬送されて、落ち着いて帰宅した日の深夜、病院から電話が入り、「母の容態が、急変した。今から緊急手術になる」と言われた。まさか、10人に2、3人が急変するとは説明されていたけども、その中に母が入ってしまうとは。。。。。
脳内の出血が広がり、今すぐ手術を受けないと2、3時間後には確実に心肺停止になるだろう。。。との説明に、私達家族は呆然とした。
夜帰宅する時には、「よかったよかった」と言って喜んでいたのに、数時間して命が危ないと言われるとは。。。。。
手術は深夜から朝までかかった。 おはな父は、呆然となっていて「俺より母ちゃんが先に逝ってしまう。。。」と何度もつぶやいている。おはなも感覚が麻痺していて、極度の緊張状態が続いているので、もう何がなんだかわかんない。
手術が終わり手術自体は乗り切ったけども、命が助かるかどうかの峠はここ2、3日だといわれた。意識が回復するかどうか、意識が回復しても後遺症がどの程度残るかは、今の時点ではわからない。との説明だった。
とりあえず、ヘロヘロになっている父とおはなは、一緒に一旦帰宅して母の身の回りの物を整理する事にした。
それで帰宅してから、母がぼーっと座っていたと父が言っていた場所を見てみると、大工用の工具やコルクボード、孫達(兄の子供達)の写真や孫達からの手紙、同じサイズの新しい写真立てがたくさん散乱していた。
母は救急搬送される前、これから生まれるおはなの子供や、今いる孫達の写真などを飾るスペースを手作りで階段の壁に作っていたのだ! その最中に階段から落ちたのだと、その時確信した。
おはなと父は愕然となり、涙が出てきた。 「記憶が飛んでしまうぐらいの勢いで、落ちただなんて。。。どんな落ち方だったのか!?」 どんな状況だったのか何を考えて何をしていたのか、だんだんわかってきたのと、手術後の母の痛々しい姿を思い出して、もうかわいそうでかわいそうで・・・おはなは泣きっぱなし。 父も泣いていた。 父の涙を見たのも、生まれて初めてだった。
そうこうしてる内に、また病院から電話が、「また容態が悪くなって血圧が急降下しているので、すぐ病院に来るように」とあった。
病院に着くと、母は持ちこたえていた。 血圧も安定し、少し呼びかけに反応したそうだ。
それを聞いてまた帰宅。
もう急変と安定を繰り返しているので、おはな家族は極度の緊張状態が続いている。
午後からは容態は、落ち着いてきている。 医師からは、このまま脳内ヘルニアが悪化しないで、急変がなければ持ちこたえる事ができると思うとの説明を受ける。
夕方、埼玉の次兄が出張先のタイから帰国してすぐ実家に来てくれた。 極度の緊張を持続していたおはなもおはな父もおはなの長兄も、次兄の顔を見れて少しほっとした。次兄は、深刻な話をせずにタイの話や、今開発している製品の話を楽しくしてくれて、おはなや父の為に夕飯まで作ってくれた。10月4日まで和歌山に滞在してくれるらしい。
そして現在、本日10月2日午前11時。
おはなは、まだ病院に行っていない。 泣きすぎて、目がパンパンに腫れているので。。。。 そして、今日から妊娠10ヶ月に突入した事もあって、家で待機している。
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