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2006/07/13(木)
知識を消費する現代人
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情報化社会と言われて久しい昨今、 実に様々な情報が飛び交っている。 インターネットが普及したことで、 どんな情報もすぐに得られるようになった。 あらゆる疑問がクリックひとつで解決できるようになった。 人々の知識は、それに合わせて劇的に増大した。
確かに、単純な知識量は増えたと思う。 でも、知識の質は昔に比べて低下したのではないか。 かつての人々の知識は、全てが実生活の経験によって得られた。 生活に根差しているからすぐに役立つし、 どれも長年の取捨選択によって厳選された良質な知識だ。 そして何よりも、体で覚えるから、一度覚えたら忘れない。 「おばあちゃんの知恵袋」なんかはこれに当てはまるだろう。
それに対して現代人の知識はどうか。 情報が溢れている現在、知識はどこでもすぐに手に入る。 しかし、そのほとんどが実生活に根差していない無駄なものばかりだ。 良い知識、悪い知識、役立つ知識、役立たない知識。 どれもいっぺんに津波のごとく押し寄せるもんだから、 覚えたと思っても取捨選択する暇もなく、すぐに忘れてしまう。 現代人の知識は、薄弱化している。
かつての知識が蓄積型ならば、現代の知識は消費型だ。 知識を得るということのみに主眼が置かれ、 それをどう活かすかということがなおざりにされていないか。 「トリビア」なんかが、知識の消費のいい例だ。 実生活に役立てようと思ってトリビアを見る人はまずいない。 知識を得るという行為自体に主眼を置いており、 その消費を現代人は楽しんでいる。
別に知識を消費することが悪い、と言っているわけではない。 でも、もう少し得た知識を蓄積しないと、 情報が無くなったときに人間は生きてゆけなくなってしまうのではないだろうか。 情報化社会の落とし穴は、こんなところにもあるのだ。
仕事中暇だったから考えてみた☆
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