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2005/08/29(月) 旅の愉しみ2
どこにでも、それぞれの地方の文化というものが存在する。
旅に出ると、必ずその片鱗に出会うことができる。
自分のところにはない文化に出会ったり、
また逆に、自分のところの文化に改めて気付かされたり。
そういった発見が、実に面白い。
これは俺が旅をする中で、最も愉しみにしていることのひとつである。

方言を聞いたり、祭りを観たり、あるいは建物を見たり。
文化の違いを探す手段はいくらでもある。
でも、そういった文化の違いならば、観光ガイドブックをみればすぐにわかる。
俺が特に好きなのは、そーいうのじゃなくて、
もっとその土地に行かないとわからないようなコト。
しかも、生活に密着しているものであるということ。
まぁ手っ取り早い話、食文化なんかは面白い。
それも、土地の名物とかじゃなくて、もっと違った食文化。
もっともっと、生活に密着した食文化。

今回九州を旅行して感じたのは、九州のアイス文化はスゴイ!ということ。
東京のコンビニなんかの棚は、ロッテやエスキモーや森永やらの、
大手メーカーのアイスで軒並み支配されてしまっている。
もちろん九州にもそれらが存在するが、
明らかに見覚えのないアイスがごろごろしているのだ!
竹下製菓を筆頭に、セイカやチロルといった地元メーカーが頑張っているのだ。
ちなみに、セイカは、東京ではボンタンアメのメーカーとして知られている。
そして、チロルはもちろんチョコだ。
それらのメーカーが、九州ではアイスメーカーとして知られているのだ。
そういえば、俺らが一時期ハマった、
抹茶ぜんざいアイスを輩出した丸永製菓も九州のメーカーだ。
そうした土壌で、「白熊」などの名物が生まれるのもうなずける。

それらの会社が九州で売っているアイスは、だいたいが60円〜80円だ。
東京のアイス市場が120円〜150円と高騰しているこの御時世に、この値段は奇跡だ。
まさにアイス王国ならではと言えよう。
子供たちの気楽に手の届く範囲に、いつもアイスがあるのだ。
それらのアイスは、だいたいがチープなデザインだ。昭和50年代的というか。
高度成長が一段落した時代、野球帽に半ズボンのガキが食ってるイメージだ。
このたとえ、ちょっとわかりづらいかな?
でも、デザインはチープでも、その味は大物だ!
何だか知らんが、どれもうまい!
とても東京の大手メーカーが出せる味ではない。
凝りすぎないウマさ、とでも言おうか。
素朴さの中に、しっかりとした味わいを持っているのだ。
ハーゲンダッツもうまいが、ハーゲンには百年かかっても作れない味だ。
そんなアイス達を、九州旅行中、新しいものを見つけてはずっと食っていた。

特に目に留まったのが、「かきごおり」だ。
これは、竹下製菓を筆頭に、地域ごとに色々なメーカーが出している。
メーカーによって、微妙にデザインと味が違っていたが、どれもうまかった。
要は、イチゴ味のかき氷をそのまま袋にぶち込んだだけの代物である。
でも、この味とボリュームで60円はすごい。
だいたい、九州〜山口〜松山界隈のコンビニには置いてあるので、
ぜひ手と口をベトベトにしながら食していただきたい!


さてさて。九州のアイス文化の素晴らしさについて延々と述べてきたが、
ほかにもこういったB級食文化はたくさんあるものだ。
例えば、パンなんかはその地域の色が出やすい。
地方に行くと、イケダパン、リョーユーパン、フクダパン、イチノヘパン、
ヌマヅベーカリー、タカキベーカリー・・・などなど、
東京ではお目にかかれないようなメーカーのパンがずらりと並んでいる。
それらのメーカーが、山崎やパスコといった大手メーカーと肩を並べて、
何の遜色もなく売られているのだ。

もっと分かり易い例で言うならば、乳製品なんかがそうだ。
これなんかは、もう地域ごとで全く違うメーカーが縄張りを敷いて、
地方色豊かな製品を出している。
俺が思うに、パンや乳製品といった、日持ちしない日配品は、
より近くで生産された地元メーカーのものが好まれるのかもしれない。

ほかにも、醤油、ソース、銭湯のドリンク・・などは地方色が出やすい。
旅先で、ふらっとスーパーに立ち寄って、こういった商品を探してみるのも面白い。

2005/08/28(日) 旅の愉しみ1
旅をしていて何より面白いのは、地元の方々とふれあうことだ。
普段話さないような年代の人と話す、絶好の機会である。
その地域のことや人生の教訓など、ためになり、心に残る話が多い。
地域の人と話しただけで、あぁ、ここに来てよかったなぁ、と思える。
やっぱり人との出会いは印象に残るし、思い出になる。

うちのゼミの連中は、コミュニケーションが大好きだ。
そういった雰囲気が伝わるのだろうか、
この九州旅行では相手から話しかけられることが非常に多かった。
行く店行く店で、いろんな人としゃべった。
こんなに話しかけられることは、普通の旅では絶対にないと思う。
ちなみに今回の旅行で話しかけてきた人は・・・

・熊本のタクシー運転手
・人吉温泉のおじさん達
・隼人駅のタクシー運転手(これはこっちから話しかけた)
・鹿児島の城山にいたおじさん
・宮崎の冷や汁屋のおかみ
・別府のラーメン屋のマスター
・小倉の定食屋で隣にいたおばさん
・下関のコンビニの店員

いやー、よく話しかけられたもんだ!!
ほんと、ここまでくると、そーいうオーラが出てるとしか思えない。
まだ温泉のおじさんやマスターと話す、ってのはわかるんだけどさ、
コンビニの店員にまで話しかけられちゃうのはレアだぜ!!
まぁだいたいが「どっから来たの〜」てな感じで始まるんだけど、
そこから話題が広がっていくのが実に楽しいのだ。

ほんと、色んな人とコミュニケーションできた、という点でも、
今回の九州旅行はすごくいいものになったんじゃないでしょーか。

2005/08/27(土) 九州旅行5日目
まぁ正確に言えばもう九州にいないから九州旅行じゃないんだけどね。
unoちゃんは実家に帰るので、俺が寝てる間に明石で降りていった。
残された俺も、夜行列車の終点の大阪で下車する。

さて、朝6時の大阪。どうしよう?
このまま帰るのも芸が無いしなぁ・・・。
というわけで、とりあえず梅田の漫画喫茶で今日の計画&暇つぶし。
近所の銭湯でひとっ風呂浴びてからさっそく行動開始!!
今日の行き先は奈良に決定!!
奈良には今までも何度か行ったことがある。
でも、何故か中学の修学旅行で見た東大寺のデカさが忘れられないのだ。
あの大仏殿の建物の巨大さに、度肝を抜かれた覚えがある。
それを、いま再びこの目で確かめてやろうと思ったのだ。

奈良駅からバスで東大寺に向かった。
シカがうようよしている奈良公園を抜けると、ついに姿を現した大仏殿!
いやー、やっぱりデカい!いつ見てもデカい!
よくあんな巨大な建造物を、当時の人は経てたもんだ。
もちろん中の大仏も大きくて、それなりに感動はするのだが、
俺は何といってもあの大仏殿に感動するのだ。
あぁ、来てよかった。

そこからは、のーんびりと三重を通って静岡の実家に帰る。
着いた時にはもう夜でした。
疲れたけど、今回の旅も色々あって楽しかった。満足満足♪

2005/08/26(金) 九州旅行4日目
今日は、トロッコ列車に乗って湯布院に向かいます。
湯布院といえば、大学のライバルゼミ、某石○ゼミが今年調査をする地。
ごめんなさいね、お先に湯布院荒らしをさせていただきました♪

トロッコ列車は、貨車を改造した、窓も何もない観光列車だ。
貨車だけによく揺れたが、じかに入ってくる風が気持ち良かった。
車窓ののどかな田園風景が心を和ませる。

湯布院に着いてから、自転車を借りて街をのんびりと巡る。
街の雰囲気は、さながらプチ軽井沢といった感じだ。
おしゃれで高級なカフェなんかが軒を連ね、
俺らが今までに旅してきた所にいた観光客とは明らかに客層が違う!
それでも、湯布院で浸かった温泉は実にワイルドだった。
半露天風呂なんだけど、調子に乗って外まで行こうものなら、
周りを観光する観光客に丸見えだ!
客層が違う、とさっき述べたが、
若い女性がわんさかいるこの地で、この作りはマズいだろう!
フツーに彼女らの会話が間近で聞こえるもんだから、気が気じゃなかった。
でもそれはそれで楽しかった。

湯布院を後にした俺らは、大分市内に戻った。
ここで猿とはお別れだ。猿はこれから四国を旅するため、
フェリーで松山へ渡って行った。
さて、残された俺とunoちゃん。とりあえずコンビニでかき氷食って、
これからどうしようか考える。
夜に小倉を出る夜行に乗ればいいわけだから、それまで空き時間があるのだ。
別府観光も考えたが、もう昨日の時点でかなり満足していたので、
とりあえず電車に乗って福岡を目指すことにした。

途中、俺らはアメリカを通過した。
しかしどこかおかしい。周りは見渡す限りの田んぼ、
駅舎は朱色に塗られ、さながら神社のようだ。
でも確かに、駅の看板には「USA」と書いてあるのだ・・。
そんなへんてこりんな街、宇佐を通り過ぎ、ようやく小倉に到着した。

小倉では、地元民御用達と思しき駅前の定食屋で、角煮定食を食う。
う〜ん、うまい。やっぱり角煮はうまいなぁ。
ここでもやっぱり、隣にいたおばちゃんに話しかけられちゃったよ!

さて、夜行列車まではまだ時間があったので、
門司港レトロ地区に行ってみることにする。
ここはやっぱり夜に来るとキレイだ。
関門大橋やレトロな洋館がライトアップされ、さながら横浜や神戸のようだ。
そんなオシャレな街をひととおり歩いた後、まだ時間があったので、
海を渡って山口県の下関に向かう。
ところがこっちは何もなかった・・・。
駅前のコンビニでまたかき氷を食って時間を潰す。

そして、ようやくやって来た夜行列車に乗り、
九州を後にしたのでした・・・。

2005/08/25(木) 九州旅行3日目
野宿明けの朝は、不思議と気持ちがいいもんです。
あたりが自然と明るくなってきて、その光で起きる。
猿も同じように早々と起きていた。
空が青からオレンジ色に変わって、真っ暗だったこの駅を照らす。
なんだか山の朝は神秘的である。
始発列車は6時20分。それまで、しばし朝の気持ちいい時間を過ごす。

・・・とはいえね、無事に野宿できたとはいえ、怖いことも色々あったのよ。
まず、山奥から聞こえる得体の知れない獣の声。
フクロウとかなら正体がわかるからまだしも、正体が知れていないと怖い。
んでもって、これはほんとに何が原因なのか解らないのだが、
たまに空全体がフラッシュを焚いたみたいにピカッ!と光るのだ。
最初はただ自分の目が疲れているだけだろう、と思ったけど、
この光を感じていたのは自分だけではなかった。
別に晴れていたから雷雲というわけでもないし、音もなかった。
だけど、たまに光っては、ホームで宴会をしていた俺らをビビらせるのであった。
さらにさらに、持っていたカメラのフラッシュが、夜だけ壊れた。
パイロットランプは点灯するのに、フラッシュだけが焚かれないのだ。
フラッシュの故障ならよくあることだが、
それが朝になったら直っていたから余計に怖い。
どうして夜だけ、フラッシュが壊れたのかは今でも謎である。
そして最後に。このカメラとは別に、俺は一眼レフカメラも持っていた。
これはフラッシュがなくても撮影できるので、夜に何枚も撮ったのだが、
それを現像してみてびっくり。
駅の看板が、ありえない所に写りこんでいる・・・。
フィルムの巻き忘れでもないし、どう考えてもおかしい。
しかもそんな写真が2枚も3枚も出てきたからビビっちゃうよね。

とまぁ、ちょっと怖い思いもしたその駅を、俺らは始発列車で出た。
大勢乗り込んできた高校生に、かすかに現代文明との再会を感じて安心する。
えびの高原をひた走り、やって来たのは南国宮崎。
まずは、青島というところに向かいます。
この島は、なぜか植生が本土とは違ってジャングル状態である。
昔はこのあたりはみんなこうで、その名残なのか、
それとも南国から種子が流れ着いてここだけ繁殖したのか、
原因は定かではないが不思議だ。しばし南国気分を味わう。
ちなみにここはジャイアンツがキャンプを張る場所で、
選手が毎年優勝祈願をする神社なんかもあった。
ほんとは、このあたりの日南海岸は海がすごくキレイなところ。
条件がよければ泳ぎたかったけれど、
あいにく関東に台風が上陸している影響で波が高く、それどころではなかった。
まぁそれでも薄日が差しているだけマシか。

宮崎市内に向かった俺らは、名物の冷や汁をいただく。
unoちゃんだけはチキン南蛮を食いに行っちゃったけど。
この冷や汁、かなり高級なお店に行ったから当たり前なのかもしれないけど、
めちゃくちゃウマイ!見た目は、お世辞にも美味しそうとは言えない。
麦飯にくすんだ色の汁をかけ、オマケにきゅうりなんかもゴロゴロしてるのだ。
しかしそのギャップも手伝ってか、冷や汁の美味しさには驚いた。
でもって、付け合わせの漬けカツオのウマイことウマイこと!
あの歯ごたえと風味は、そう簡単に味わえるモンじゃありませんぜ。
ちなみにここのお店でも、店員さんにしっかりと話しかけられ、
しばらく会話を楽しみました。

さて、ここからはひたすら電車に乗って大分を目指します。
ってのもね、ホント、ひどいのよ、ココ。
大分まで行ける電車が一日2本しかないの。
まったく、どんだけ秘境なんだよ、って話ですよ。
朝と夕方しか電車が来ないなんて、ホントにひどいわなぁ・・。
大抵、こういう場合は利用客の大半は高校生っていうパターンが多いんだけど、
今回の場合は高校生の姿すらなかった。
乗客は俺らと同じような目的の貧乏旅行客のみ。
あぁ、この状況だと一日2本でもコト足りてしまいますねぇ・・。
オマケに電車の便所が史上最悪に臭かった。
車内にまでほのかな香りが充満してくる。
こんなときにお腹の調子が悪くなるなんて、ことごとくツイてないぜ。
臭気で目がシパシパするなんて、昔の実家のぼっとん便所以来、
久しくしてなかった経験だぜぃ!!

そんなこんなで、大分県の別府になんとか到着。
今晩の宿は、公営の安宿。
15人くらいを大部屋に一気にぶちこんで、一泊1500円なり。
布団がごちゃごちゃっと並ぶその様は、まるで高校の部活の合宿ですわ。
でも、布団で寝るのって何日ぶりだろう〜。シアワセ。

とりあえず荷物を置いて、繁華街の中にあるラーメン屋に行く。
インテリアが俺好みなカンジで◎。
でもって、ここのマスターの雰囲気がもっと◎。
筋肉ムキムキのマッチョなんだけど、それでも御年50歳とは驚きだ。
気さくに話しかけてくれて、「オトコ」とは何かについて、
ユーモアを交えながら延々と語ってくれた。
それにしても、面白い人だったなぁ!あんなオジサンになりたい。

で、その後は天下の名湯別府温泉に浸かってから、
いっちょまえに浴衣を羽織って、
酒を買い込んで海まで行く。そして、テトラポットに腰掛けて飲んだ。
う〜ん、これまた気持ちいい!
穏やかな海に、キレイな月が映って神秘的。
これでも、いま東海や関東では台風が上陸してるってんだから信じられない。
宿のテレビがひたすら台風中継してたけど、なんか不思議な感じだった。
でもね、別府まで来て「原駅」っていう単語をニュースで聞くとは思わなかった。
実家の最寄り駅で、電車が台風の影響でストップしてるらしいですわ。
しかもやってる天気予報が静岡の天気ばっかだったから、おかしかった。

そんな状況はいざ知らず、久しぶりの布団でゆっくり寝ました。

2005/08/24(水) 九州旅行2日目
今朝は朝4時半起き。旅の疲れなんて癒えたもんじゃない。
これも列車の本数が少ないからいけないんだっ!

今日は、まず指宿方面へ向かいます。
着いたのは、日本最南端の駅「西大山駅」。
南の果てにせっかくきたんだから、ココは押さえておかないとね。
まぁ駅って言っても、簡単なホームとベンチがあるのみ。
周りは見渡す限りのウリ畑ですわ。
でも、ヤシの木が生い茂っているから南国ムードは満点です。
そして何よりも、開聞岳がよく見える。
開聞岳は、ほんとにきれいな三角形をしている。
別名「薩摩富士」と呼ばれているのもうなずける。
駅で降りたのは、明らかに俺らと同じ目的の旅人たち。
みんな、降りるやいなや思い思いにこの最果ての地で写真を撮っていた。
俺らも負けずに、写真をたくさん撮った。
朝日とともに漂う雲が、何とも言えず印象的だった。

続いて、指宿へ向かった俺らは、そこからバスに乗って池田湖へ。
まぁバスが一日一本てトコからして怪しいな〜とは思ったんだが、
案の定、池田湖は閑散としていた。
池田湖は、日本一の大ウナギが生息する湖として有名である。
それを展示する小屋がいくつかあったが、どこも閉まっている。
でも、ひとつだけ裏口から侵入できたので、こっそり拝ませていただいた。
なぜウナギごときでこんな不法侵入者の気分を味わっているんだろうか・・。
そして、池田湖といえば「イッシー」である!
ゼミの先輩のイッシーさんではない。あの人は中国じゃないか。
こちらのイッシーは恐竜だ!
・・まぁ、ネス湖のネッシーのようなモンですよ。池田湖だからイッシー。
でも、イッシーの像も朽ち果てており、かつてのブームは見る影もなく。
土産屋の裏に「『出てこいイッシー』『イッシーディスコ』レコード発売中」
という倒れた古看板を見つけて、さらに悲しくなったのでありました。
ディスコって・・レコードって・・。出てこいって言われても・・
すげー切実さが伝わってきました。
でもね、こんな池田湖も、空から見ればすごくキレイなんだ。
去年、海外ゼミで香港に行くとき、飛行機からこの池田湖と開聞岳を見た。
真ん丸い湖と真ん丸い山。ほんとにキレイだったのを今でも覚えている。

さて、またまた一日一本のバスで指宿に戻ってから、
今度は指宿名物の砂蒸し風呂へ!
まぁ、温泉の地熱で温かくなった砂を浴衣の上からかけてもらうわけです。
これってけっこう長い時間入ってると思うでしょ?
でも、15分が限界です。サウナみたいなもんだから、暑いのなんのって。
風呂嫌いのunoちゃんは、そそくさと行ってしまいました。

さて、一旦鹿児島に戻り、鹿児島市内観光をします。
その前に腹ごしらえということで、
鹿児島名物の黒豚のシチューをいただきます。
これがウマイのなんのって!舌の上でとろけてしまいますわ。

おいしい黒豚を堪能した後は、
路面電車に乗って西郷どんを見にいく。
上野のとは違って、こちらは正装で犬も連れてませんねー。
でも、ちと高いトコに居過ぎかな?もうちょっと下に来てくださいよー。

その後は、城山という市内や桜島を一望できる山へ。
いやー、景色良かった!鹿児島って意外と大きい街なんですね。
ここでも、地元の人に話しかけられ、桜島の話を聞いた。
ほんと俺らって、よく話しかけられるなー。

山を下り、次に向かったのは「白熊」で有名なお店。
最近は東京でもよく売ってるから有名よね。あのフルーツが乗っかったかき氷。
またこれがデカいのなんのって!!
食えるかどうか心配だったけど、
あまりのウマさに、意外にもすぐたいらげちゃいました。

さてさてお次は、フェリーに乗って桜島へ渡りますよー。
・・と、渡ってはみたものの、特に何もなし。
スーパーを物色してすぐ帰ってきちゃいました。
まぁ、桜島に降り立った、ってコトが大事なのサ。

鹿児島ラーメンを食ってから、今夜の宿泊地に向かいます。
今夜の宿泊地は、「嘉例川駅」!そう、野宿であります。
しかもこの嘉例川駅、とんでもない山奥にある。
んでもって、九州で最も古い建物(明治36年築)ときた!
はてさてどんな夜が待ち受けているのやら??

最終列車で降り立った嘉例川駅は、闇の中にひっそりと佇んでおりました。
列車が去った後に残るのは、古ぼけた駅の白熱灯のあかりと、静寂のみ。
たまに、ふくろうなんかも鳴いている。
駅前の数件の家を除いては、ほんとに何もない。
でも、なんだかすごくいい雰囲気。何十年も時が止まったような感じです。
そんな雰囲気の中で感傷に浸っていると、突然電気が消えた。
あちゃー。消灯すんのかよ。これは計算外だったな。
ほんっとに真っ暗だから、目が慣れるまでは大変だった。
でも、消灯のおかげでそれまでは見えなかったものが見えてきた。
見上げると、そこには満点の星空が広がっていた☆。
☆こんな星空、見たことがない。
空を埋め尽くすとは、☆まさにこのことだ。天の川も見えている。
しばらく、3人で☆その空を見上げてだまっていた。 ☆
この景色に出会えた☆ことは、この旅での最も大きな収穫だったかもしれない。☆

やがて月が昇り、あたりが明るくなった。
月明かりでも、こんなに明るくなるんだなぁ、と思った。
都会に埋もれていては実感できないことが、ここでは当たり前のようにある。
月明かりに青白く照らされた夜のホームに腰を下ろして、
市内で買った酒を開けてプチ宴会をした。
なんだか、すごく楽しくて、すごく幸せな気分になりました。
野宿って、いいなぁ♪ 自由って、いいなぁ♪

来年からはこんなコトする時間も余裕もないんだろうな。
だからこそ、今のうちにこーいう経験ができてよかった。
ずっと、この経験は思い出に残ると思う。

2005/08/23(火) 九州旅行1日目
朝、博多駅に到着。
雨こそ降っていないものの、どんよりとした天気。
まずは、佐賀県の吉野ヶ里遺跡に向かいます。

吉野ヶ里の駅前は、驚くほど何もない。
田んぼばっかだ。こんなトコからいきなり遺跡が出てきたんだから、
地元の人はさぞその当時は驚いたことだろう。
遺跡は、公園としてきれいに整備され、高床式倉庫や竪穴住居が復元されている。
それらの中に入って見学するも、いかんせん時間がない。
九州は電車の本数が少ないので、電車に合わせて行動せにゃならんのだ。
ほんとはここで、先に九州入りしていた猿と合流する予定だったんだが、
まだ見学したいという猿を置いて俺らだけ熊本へ先に向かう。

熊本では、少し小雨が降っていた。
そんな中、まずは路面電車にのって小泉八雲の旧宅へ向かう。
ここでは、近くに止めてあったタクシーの運転手さんに話しかけられ、
しばしの間、会話を楽しむ。
ラーメンご馳走してやるよ、と言ってたけど、
猿を待たねばならなかったので残念ながら遠慮させていただいた。
熊本の人は温かくて優しい人が多いな、と思った。
東京じゃ、こんなコト考えられないからね。

続いて、歩いてすぐのところにある熊本城に向かう。
まぁ歩いてすぐ、とは言え、
天守閣までは大きな石段をいくつも登らねばならないので大変である。
そのぶん、天守閣から見た壮観だった。
しかし天気の悪さだけが悔やまれる。
まぁ、東京では台風が来ているみたいだから、それに比べればマシか。
ここで、ようやく猿が追いついた。
猿が城を見学するのを待ってから、お待ちかねの熊本ラーメン♪
ご当地ラーメンは数多くあれど、熊本ラーメンは特にうまい。
ところがどっこい、期待して行った有名店はあいにくお休み。
リベンジで、かつて猿と行ったことのある店に向かう。
こちらの店は「馬刺し」をラーメンに付けてくれて、これがまたウマいのだ。
ところが、こちらのお店、健在はしていたが
馬刺しはメニューからなくなっていた・・。残念無念。
でも、しっかりと美味しい熊本ラーメンはいただきましたよ!

お腹がいっぱいになったところで、俺らはさらに南を目指す。
八代からは、山奥へと入っていく。
日本三大急流として有名な球磨川を横に見ながら、
列車は人吉に到着した。

人吉は、温泉で有名な盆地だ。
さっそく、駅から歩いて人吉温泉に向かう。
到着した「元湯」は、地元の人向けの公衆浴場だ。
公衆浴場は銭湯よりももうワンランク下、といった位置付けの場所だ。
体を洗う設備もなければ石鹸もない。
ほんとに、ただ風呂に入るためだけの施設なのだ。
しかしそのぶん、湯も雰囲気も最高だ。
来る人は地元の常連ばかりだから、俺らみたいな旅人が来るとすぐにわかる。
そして、気さくに話しかけてくれる。
この時も、数人のおじさんが話しかけてくれて、
旅の話、おじさんが若いころの話、
このあたりの観光の話などを聴かせてくれた。
おまけに石鹸まで貸してくれて、ほんとにお世話になった。
「若いころはどんな無茶なコトでもやっておけ。
失敗が怖いからやらないのではなく、
失敗してもいいからまずやってみるんだ。
そういった失敗ってのは後で何とかなるもんだし、
いい思い出にもなる。失敗するからこそ、記憶に残るんだ」
という言葉が記憶に残っている。
この旅では、まさにそんな心構えが必要だ、と思った。

ひとときの楽しい時間のあと、
俺らは再び列車で南下し、鹿児島を目指す。
スイッチバックやループ線を経て、いくつも峠を越えていく。
車窓は真っ暗で、もはや何も見えない。
そして車内には俺ら以外の乗客はほとんどいない。
クモの巣がいくつも張った車内で、ここぞとばかりにはしゃぎまくった。
unoちゃんは網棚によじ登って寝るわ、
猿はつり革をつり輪みたいにして遊ぶわで、完全に車内は俺らの天下だ。
窓はもちろん全開。ビュンビュン入ってくる風で、洗濯物を乾かした。
お陰で、車内のシートは物干しざおのように洗濯物で埋まっていた。
なんだかまるで列車の中じゃないみたいだ。
ま、旅ってのは基本的に「非日常」を楽しむものであるべきだし、
この車内の非日常っぷりといったら尋常じゃないから、
これはこれですごく楽しかった♪

鹿児島中央駅前のファミレスで遅い夕食を食べ、
近くの漫画喫茶に泊まりました。
明日も早起き。早く寝なくちゃ・・・。

2005/08/22(月) いざ九州へ!!
さーて、いよいよ九州旅行スタートです!!
もちろん、格安青春18きっぷの貧乏旅行。
宿も、車中泊、野宿、漫画喫茶・・と、
とにかく安ければ何でもOK!!

ってなわけで、昼、東京を出発。
鈍行列車で、ひたすら西を目指す。
夜に神戸に着いて、unoちゃんと合流。
三宮で夕飯を食ってから、いざ博多行きの夜行列車へ。
夜行列車っていったって、当然寝台車ではない。
椅子と限られたスペースを有効に使い、
何とか寝る態勢を整えて、いざ就寝。
目覚める頃にはきっと九州。
さぁ、どんな旅になるのやら??

2005/08/20(土) 課題が終わらぬ〜〜
8月31日にあせって宿題をやる子供のごとく、
今日提出のゼミ課題を必死になって一日中していました。
周りの連中も何もやってない、って言うから、
余裕ぶっこいてたらこんなギリギリになってしまいました。
でも、たまりにたまった家事やら何やらをしていると、
時間なんてのはすぐに過ぎていってしまうのよね〜〜。
結局、翌朝5時にやっとこさ提出しましたとさ。
あぁ、疲れた。

2005/08/19(金) 懇親会
来年から就職する会社の内定者を集めた懇親会が東京でありました。
ウチの会社はこーいう集まりが他と比べてなかなかなくて、
どーなるのやらと不安でしたが、
社員さんや同期となるであろう連中といろいろ話せたのでよかったっす。
結局、2次会も含めて夜11時までみんなで飲んでました。
まだまだ今回集まったのはごく一部だけど、
一緒に働く連中や実際に働いている人の顔が見えたので、安心しました。
来年からがんばるぞー。

2005/08/18(木) 家族旅行3
今日は飛騨高山に行った。
昔ながらの古い町並みを、ぶらぶらと歩いて観光。
きれいな街でしたよ。
そして、お土産屋がどこも個性的で飽きませんでした。

午後からは、木曽川の日本ライン下りをする。
もうちょっとエキサイティングなものを期待していたけど、
さほどでもなかった。
でも、景色は意外と変化に富んでいてキレイだった。

夜、ぐったりと疲れて実家に帰りました。
俺、なんでこの旅行ではこんなに疲れてるんだろ?
万博の混雑のせいか??

2005/08/17(水) 家族旅行2
今日も万博だよ。
何が好きで3回も来てるんだか?

ほんとは長々と書いたのに、
パソコンがフリーズしてデータが吹っ飛んだため、
やる気が無くなったので簡単に書きます。

今日はめちゃくちゃ混んでた。
入場するのに2時間くらい待たされた。
しかもいきなり停電が起きて、
パビリオンのシステムが全てダウン。
あー、やってらんねーよ。
でも、三井東芝館はすげー面白かった。

夕方前に会場を出て、今日の宿泊地である下呂温泉へ。
なんだかすごく歴史のある名旅館に泊まった。
久しぶりの贅沢だ。
雰囲気も最高だし、お料理も美味しい。
んでもって、露天風呂も気持ちいい!
夕立ちさえ降ってなかったら、もっとよかったのになぁ・・。

食後は、この広い旅館を探検。
昭和初期の木造建築から洋館まで何でもあって、面白かった。
大正ロマンを感じさせる重厚なダンスホールまであって、
いきなりタイムスリップしたようだった。

そして、温泉といえばお決まりの卓球とビリヤードをして、
疲れたので早々と床につきましたとさ。

2005/08/16(火) 家族旅行1
家族旅行だす。
なんだかまた万博に来てしまっただす。
それにしても、新幹線って、速いのね。
名古屋がすげー近かった。

とにかく暑い!!なんなんだ、この暑さ!
しかも前回に増して人が多いぞ!!
それでも、今回は予約をいくつか取れたので、
そこまで苦労せず各パビリオンを巡る。

今回は、前回あまり回れなかった各国のパビリオンにも行ってみた。
まぁ企業パビリオンほどのすごさはなかったけれど、
それでもまぁ楽しめたんじゃなかろうか。
妹は、アフリカ共同館にハマっていたし。

夕食も、前回はあまり食べなかった各国の料理を中心に食べる。
どれもうまかったですよ。

まぁそんなこんなで、前回とはまた違った楽しみ方をしたつもりではあります。
でも、この疲れは前回以上だー。
前夜、ゼミの課題に追われて寝てないってのもあるし、
何よりもこの混雑ぶりにやられた。
帰りのリニモですら1時間以上待たされましたからね。
あぁ、疲れた。

2005/08/14(日) 高校の仲間と
今日は高校の連中と遊んでました。
ほんとはテニスをするつもりだったんだけど、
人数が集まらなくてとりあえず沼津駅に集合した。
やって来たのはN秋とS々木。二人ともテニス部だ。
沼津駅に来たはいいが、やっぱり何もすることがないので、
とりあえずバスに乗って高校へ行く。

テニスコートは試合をやっていて使えなかった。
あまりにも暑いから校舎に入りたかったのだが、
あいにくお盆で施錠されていた。
ところがどっこい、ウチの高校は、
あまりにもボロいもんだから、窓をガタガタ揺すれば
簡単にカギが開いてしまう箇所があるのだ。
昔もこの方法で窓を開け、夜の学校に忍び込んだもんだ。
でまぁ、今回もあっさりと窓は開いたんだけど、
最近は警備会社のシステムが配備されているらしく、
ビビってさすがに中には入らなかった。窓はそのまま放置。

することもないので、グラウンドを見渡せるスタンドに座って、
何をするわけでもなくのんびり過ごす。
でも、なんだかんだでやっぱりココが落ち着くんだよなぁ・・。

そして、再び沼津駅に戻るため、バス停へ。
バスは2時間後。ここって、こんなに本数少なかったっけ・・?
仕方なく、山を歩いて下り、ふもとのバス停から別のバスで沼津駅へ。
沼津駅に着いてからも、やっぱり何もすることがないので、
とりあえず飲み屋へ入る。
3人じゃ味気ないので、片っ端から電話をかける。
普段関わりのない奴でも構わずにかけまくった。
その結果、Y美サンとT岡がつかまったので、5人で飲む。
みんな久しぶりだったので、近況報告をしてから、
高校時代のコトとかについてしゃべっていた。
途中、あの厳しい応援練習の話にもなったんだけど、
みんな応援練習が緩くなっていることを嘆いていた。
「厳しいくらいがちょうどいい」とか、
「正座くらい耐えられんでどうする!」とか
「あれぐらいでへこたれたら絶対将来苦労する」とか。
相変わらず、保守的な地域ですねぇ、沼津は。
まぁ俺もその一人なんだけどさ。
ちょっと自分の卒論の内容に関わってくる話だから興味深かった。

結局、終電を逃すまで飲んでしまったので、
T岡のクルマで送ってもらった(T岡は飲んではいない)。
帰る途中、茶畑の中にタヌキを見つけた。
あぁ、やっぱりいるのね、沼津にも。
少しほほえましくなりました。

2005/08/13(土) お盆
お盆ですねー。
お墓参りに行って来ましたよ。
って言っても、実家の目の前にあるんですがねー。

田舎のお盆の独特の雰囲気ってのは、なぜか昔から結構好きです。
線香の匂いも、悪くはないっすね。

2005/08/12(金) 房総旅行その2
今日も昨日の続きで房総におります。
今日は鴨川シーワールドに行った。
ここの建物はテーマごとにそれぞれ別れている。
そして、ショーもたくさんの会場があって、
イルカ、シャチ、アシカ等の動物ごとに別れている。
圧巻はシャチのショーだなぁ。
あんなに大きいとは思わなかった。
前のほうの席の人は、大きなシャチが飛ばすしぶきで、
ずぶ濡れになっていた。

どの水槽もショーも面白かったけど、
やっぱりイルカはどれだけ長く見ても飽きないよなぁ。
なんだか、彼らはいつ見ても幸せそうである。
それを見ているだけで心がなごむ。
なごみすぎて、なんだか頭がボーっっとしてきちゃったよ。
もう、目の前真っ暗だよ。
あぁ、音も聞こえなくなってきたよ。
あぁ、倒れそう。
               *
        
               *

               *

・・・はい、熱中症になりました。
元々水分をほとんど摂らない俺ですが、
それが祟ってこの暑さの前にダウンしてしまいました。
まぁ帰りの電車でお茶飲んだらすぐ直ったけどね。

でまぁ、その電車のクーラーがあまりにも気持ち良かったもんで、
二人して寝てしまったわけです。

で、ふと目を覚ますと、どこかの駅に止まっている。
ん??ここはどこだろう?
ドアのところまで歩いていって、その重大さに気付く。
おいおい、俺らが降りる駅じゃないかい!!
ここで降りなきゃ、今日中に俺は実家に帰れなくなる!!
(俺はこのまま実家に帰る予定だった)
電車の本数少ないから、ここで降りなきゃ間に合わない!
慌ててナオコを起こして荷物をまとめさせる。
その間、ホームに半身を乗りだして必死にドアを押さえる俺。
非情にも、車掌の野郎、ドアを閉めようとしやがる。
プシューッ!じゃねぇよ、プシューッ!じゃ!
人が一人挟まれてンじゃねーかよ!
閉まろうとするドアを必死にこじ開け、何とか脱出成功。

なんだかこれで一気に体力使っちまったぞ。
でもまぁ、これで何とか予定のフェリーにも乗れたので一安心。
大船でナオコと別れ、俺はひたすら実家を目指して帰る。
そして無事、終電で実家に帰ったのでした・・・

と言いたいところだが、一難去ってまた一難。
なんだか勘違いして電車に乗ってしまい、
熱海で終電がなくなってしまった・・・。
はて、どうしよう。こりゃ困ったぞ。
と、そこへ寝台特急がやって来た。
ええぃ、これに乗っちまえぃ!
一か八か、あろうことか寝台列車に乗ってしまった俺。
目的地は島根県だとぉ?んなモン知るかいっ!!
乗ってからは、食堂車で普通の乗客を装うのに必死でした。
ひたすら息を殺して、車掌の目を逃れる。

なんとか沼津に到着。これで終電に追いついたので帰れます。
沼津って、こんなに遠かったっけか?
やたら車内での時間が長く感じたわ・・・。
降りた瞬間、たまたま友達がいて、
「お前、何でこんなん乗ってんだ?」と言われた。
まぁそう言われるのも無理はないわな。

なんだかんだで結局無事に帰って来れました。
無駄に疲れたけど、まぁこれも思い出のひとつってコトで。

2005/08/10(水) たまには
今日はゼミの課題がでているので、おとなしく家で勉強です・・。

2005/08/05(金) ドライブ
8月4日

朝、ものすごい数のセミの声で目がさめる。
実家周辺のセミの数はハンパじゃない!!今朝も凄かった。

今日はθOとともに静岡東部をドライブ。
まずは御殿場印野御胎内へ。
ここは富士山の噴火のときにできた溶岩洞窟なのだが、とにかく狭い!
常にしゃがみこんで進まなくてはならず、
中には腹這いにならないと進めない箇所まである。
しかも明かりはローソク1本だから、ほとんどあてにならない。
まぁ、元探検部のθOには楽しめたんじゃないだろうか。

一旦沼津に戻り、こんどは香貫山の中腹に登って沼津市街を眺めてから、
海沿いに出て一路伊豆を目指す。
タモリの経営するお好み焼き屋を経て、戸田、土肥へ。
このコースは西伊豆の海がきれいなコースで、
冬ならば富士山も見えるオススメのコースだ。
東京の人にとっての伊豆の印象は、伊東とか下田とかのほうが強いだろうけど、
そういった東海岸よりも西海岸のほうがオススメ。
下手に観光開発されてないし、景色がダイナミックだからね。

その後は中伊豆に入り、伊豆の踊子で有名な天城トンネルなどに行く。
そして、修善寺温泉でゆっくりと汗を流した。
沼津北口の定食屋で夕飯を食ってから地元に帰る。
帰り道、ふと出身中学に立ち寄ってみたのだが、体育館の解体工事をやっていた。
まぁ相当ボロかったからなぁ。体育館のくせに、床とかボコボコだったし。
それにしても、旧校舎は相変わらず解体されずよく生き残ってるなぁ。
築46年だよ、築46年。
外観はまるで廃虚、中は中で、廃れた木造校舎のような感じだ。
でも今日も何やら電気がついていて、中からは人の声がする。
まだまだ現役のようです・・・。

家に帰ってから、今日も遅くまでみんなで話しましたとさ。

2005/08/04(木) 自転車修理
8月3日

実家の自転車を修理した。
ブレーキがなかったり、錆び付いてどうしようもなくなった自転車が2台あって、
それらの部品のいいトコ取りをして合体させ、一台の自転車にした。
錆び付いているので、ネジが回らなくて苦労したが、
何とか普通に走れる程度にはなった。
あとはペンキを塗ればきれいになるなぁ。
昔から、こういうことは大好きである。
クルマのパーツを替えたりして改造しているクルママニアの気持ちはわかる。
まぁクルマは持ってないからそれはできないけれど、
だいたいの自転車修理ならできまっせ♪
このへんはやっぱり理系の血が流れてるんだろうなぁ。

高2まで、実は理系コースにいた。
その時は「お前、なんで理系に来たんだ?」と言われた。
そして今、「お前、なんで文系にいるんだ?」と言われることがある。
俺はいったいどっちなんだろうなぁ??
うまいこと両立できてればいいんだけどね。

夜、実家にθOが久し振りに遊びに来た。
θOは実家訪問回数No.1を誇るが、ここ1年は来ていなかった。
だから家族中で大歓迎を受けていた。珍しく妹まで帰省してるし。
夜中、近所のボウリング場に、θOと妹と3人で行った。
そしたら、なんと客は俺らだけで貸し切り状態!
時間が遅かったってのもあるけど、これがうちの地区の現状か・・。
ボウリングのほうは、うちの妹が意外にもうまかったのにびっくり。
バツゲームとかを設定してやったので、楽しかった。
1時過ぎには家に戻ったが、結局3時頃までみんなで話していた。
明日も早いのに・・どうなることやら。

2005/08/03(水) ぐーぱー
8月2日の日記

unoちゃんと実家に帰ってきた。
実家をあさっていたら、とある調査結果のメモが出てきた。
みんな、子供の頃、チーム分けするときに「ぐーぱー」ってやったでしょ?
その掛け声は、地区ごとに様々。
高校の時とか、みんな掛け声が違うもんだから、
掛け声の統一に苦労したものだ。
特にうちの中学の掛け声は少数派だったから、慣れるのに苦労した。
そんな「ぐーぱー」の掛け声の種類と分布を、
高校1年の時に調査してまとめたのだ。
その内容を、以下にご紹介。

 ☆調査フレーム(社会学風)
 対象:沼津東高校1年生(当時)・その他
 時期:1998年
 調査方法;16HR「秘密の花園」にて投票形式で実施
 ※「秘密の花園」に関しては、左メニューの「遠足&課外活動」を参照。


 ☆調査結果(黄色/沼津市の中学 青色/御殿場市の中学 緑色/裾野市の中学 赤色/小山町の中学 ピンク/清水町の中学

 ・グパグパグーパーダシ(金岡中、門池中
 ・グーパーグーパーグーパーダシ(沼津五中、片浜中、浮島中、沼津三中、大平中、沼津一中、今沢中
 ・グーパーグーパーグーパーヨ(裾野東中沼津三中
 ・グーパーグーパーグーパーホイ(浮島中、沼津三中
 ・グーパーグーパーグーパーヨシ(沼津四中
 ・グーパーグーパーグーパーダッシュ(今沢中
 ・グーパラグーパラグーパラダッシュ(沼津一中
 ・グッパーグッパーグッパッパ(裾野西中
 ・グーパーグーパーブタゴロシ(門池中
 ・グーパージッケッショ(沼津三中御殿場西中
 ・グーパーホイ(大岡中
 ・グーパーダシ(原里中
 ・グーパーダ(原中
 ・グーチョキダシ(愛鷹中
 ・グートパーダシ(清水中
 ・グッパ(小山中清水南中
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ・ウラオモテ(富岡中原里中、御殿場中、御殿場南中小山中



・・・・という結果になった。
沼津中心部において一大勢力を築く、五中・三中・一中で使用実績のある
「グーパーグーパーグーパーダシ」が最もメジャーなようだ。
高校でも、確かこれに最終的に統一された記憶がある。
それから派生した、語尾変形バージョンも多彩であり、
中学ごとに少しずつ形を変えながら、沼津市で広く使われていることがわかる。
その派生組の中でも多いのが、沼津北部で勢力の強い
金岡中・門池中に使われている「グパグパグーパーダシ」だ。
沼津は、中心部と北部で、この2つに集約されているといってよい。
それ以外は、中心を離れれば離れるほど、独特のものが増えてくる。
沼津市最西部の原中では「グーパーダ」であり、完全な独立の形をとっている。
ちなみに俺の中学はココ。
原中は、富士市と隣接しているため、
もしかしたら富士方面ではこれが主流なのかもしれない。
富士地区の実態は不明なので、今は詳しく言及することはできないが。
愛鷹中の「グーチョキダシ」も、完全独立型といってよいだろう。
なぜここだけ「パー」ではなく「チョキ」なのか、謎は深まるばかりであるが、
愛鷹中も沼津市辺縁部に位置し、鉄道がなく交通が不便なため、
他地区の影響を受けづらかった結果であろう。

面白いのは御殿場市と小山町だ。
この2町では、そもそも「グーパー」があまり使われていない。
それに代わって台頭しているのが「ウラオモテ」である。
手のひらの裏と表で二者に分けるこの方法は他地方でも散見されるが、
我が校区においては御殿場市と小山町を中心とした、山岳部にのみ見られる。
神奈川県では「ウラオモテ」がよく使われているので、
最も神奈川寄りのこの地区は、その影響を受けているのかもしれない。

そして、この沼津と御殿場の二大巨頭に挟まれた裾野市では、
両者の中間らしい結果が出ている。
「グーパー」を使う中学もあれば「ウラオモテ」を使う中学もあり、
完全に定まった形はないようだ。
その掛け声も、主流派から独特なものまで、多岐に渡っている。

以上が、我が校区における「グーパー」の分布状況である。
ちなみに、横浜市旭区では「ウラオモテ」「グットッパ」が用いられ、
横浜市磯子区では「グッパッセ」、
千葉県市原市では「グットッパで別れましょ」である。
兵庫では「グートーパ」らしいが、これはもはや誰に聞いたのか記憶にない。
高1の時だからunoちゃんではないし・・・。
まぁこんな感じの調査をしたわけさ。
あなたの地区の「グーパー」は、ありましたか??

2005/08/01(月) 原チャ狂走曲
7月31日の日記

朝、θOがラジコンをしよう、というので、家に遊びに行く。
θOが持ち出したのは、TAMIYAのラジコン、俗に言う「RCカー」だ。
小学生の頃、ミニ四駆が流行っている時、
ちょっと上の世代のお兄さん方の間ではこれが流行っていた。
土曜の朝なんには、そのレース番組なんかもやってたっけ。
「ゼッケン」っていう単語も、その番組で覚えた。
テレビゲームが浸透する前の世代を中心にして、
プラモデル業界が最後に輝いていた時代がそこにはあった。

で、その何万円もするというRCカーを、近くの公園で走らせてみた。
これがかなり精密でさ。本物そっくりのサスペンションや、
微妙な動きまで全て伝える駆動装置なんかを見ていると、
男のロマンつーか何つーか、無性に男心をくすぐられるのだ。
そして、その速いこと速いこと!時速40kmは出るから、
フツーに走ってる原チャと同じくらいだ。
まぁ、その公園ってのが、あんまり広くなかったわけで。
慣れない俺らの運転に、RCカーは止まってくれるはずもなく。
調子に乗っているうちに、あえなく随所に猛スピードで激突。
あぁ〜〜!!という奇声とともに駆け寄るθO。
そんなことを繰り返しているうちに、案の定ネジが外れて壊れちまった。
今度はもっと広いトコでやるべきだねぇ。

しばらくして、スギが来たので、3人で近くのお好み焼き屋で昼飯。
店内が何とも言えず魚臭かったので、スギは思わず焼魚定食を注文していたが、
お好み焼きやオムそばといった定番を食う俺らを見て後悔していた。

さて、ここで二人とは別れて、俺だけちょっと用事があって猿の家へ。
少ししゃべってから、今度はunoちゃんのトコへ。
unoちゃんっていっても、今日は相模大野にいらっしゃるのだ。
バイトをやっているらしいので、その様子を見てやろうと思ってね。
でまぁ、めちゃくちゃ暑いので、原チャで風を切って走るのもいいかなと思い、
相模大野まで原チャを飛ばす。
16号は混んでいたが、すり抜けまくった結果、すぐ着いた。
そして、某デパートで販促をするunoちゃんを発見。
子供相手に、楽しそうにやっておりました。
これでお金が稼げるんだったら、俺もやってみたいなぁ・・。

で、この時点で夕方4時前。今いる場所は相模大野。
さて、どうしよう。このまま帰るのはもったいない。
ふと、小学生の頃住んでいた横浜の家が近かったな、と思い、
無謀にも横浜に向かって原チャを走らせる。
そして見えて来た懐かしの故郷。あっという間に着いてしまった。
卒業した小学校、昔住んでた家、よく遊んだ公園。
思い出のたくさん詰まった場所を、隅から隅までまわった。
まさかここを原チャで走るとは思わなかったよ。
色々走り回って思ったのは、小学生の頃の俺の行動範囲って、
けっこう広かったんだな、ということ。
住宅地、山、畑、森、全部が自分のテリトリーだった。
そこを今改めて原チャで走ると、結構距離があって広かった。
いまの俺でさえそう思うんだから、当時の俺にとってはどんなに大きかったことだろう。
子供は遊びの天才とはよく言ったもんだ。
それが遠かろうが近かろうが、校区だろうが校区外だろうが、
おもしろいスポットは隅から隅まで探検し、発見してくる。
毎日クワガタを捕っていた神社も、普通では発見できない場所にある。
眺めが良くてお気に入りだった公園も、今考えるとすごい立地だ。
当時はよくこんな隠れスポットを発見したもんだ・・。
大人の視点じゃ、絶対に発見できなかっただろうな。
そんなふうに、その公園を訪れてみて改めて思った。
高台にあるその公園のはるか下を、相鉄線と新幹線がおもちゃみたいに通った。
遠くには、ランドマークタワーやクイーンズスクエア、ベイブリッジが見えた。
やっぱりこの景色だけは譲れないなぁ。俺のものだ!

そのような、何も変わらない部分がある一方で、
変わってしまった部分もたくさんあった。
小学校西側に広がっていた大きな森がなくなっていて、
広大なゴルフ場になっていた。
小学校裏の森も、気がつけば大きなマンションが林立していた。
なんだかやるせない気分になったけど、これも仕方ないことなのかなぁ。

この時点で時間は5時。うーん、まだ明るいぞ。
今いる場所は二俣川。免許持ってる神奈川県の皆さんにはお馴染みの場所。
もう故郷を十分に満喫したから、帰ってもよかったんだけど、
「せっかくここまで来たんだから」という悪魔のささやきが聞こえる。
気が付けば、保土ヶ谷の駅前に原チャとともに立つ。
あぁ、何やってんだか・・・。

さて、時間も6時なので、あとはダッシュで帰りますよ!
16号をひたすら飛ばして、多摩を目指す。
6時00分、保土ヶ谷駅出発。
6時20分、故郷、横浜市旭区今宿通過。
6時35分、相模大野通過。
6時55分、橋本通過。
7時15分、日野市宮下家到着。
ありゃ、たった1時間ちょっとで帰って来ちゃったよ!
電車より全然早いじゃん!!下手したら、車より早いかも!
原チャって、すげぇ。
あぁ、この調子じゃ、実家まで原チャで帰る日はそう遠くはなさそうだな。
これからもよろしく、スクーピー。


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