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2005/04/21(木) 防空壕の呪い
この前、防空壕で中学生が死んだっていう事件が鹿児島であったじゃないですか。
「防空壕」って、子供にとってどこか魅惑を秘めている気がするんです。
冒険してみたいけど、どこか後ろめたい気持ちがあって、入るのをためらわせる。
しかもそれが戦争と関わってくるだけに、その後ろめたさにさらにリアル感が加わる。
それが、子供達の好奇心に余計に火をつける。

まぁ、今回の事件も含めて、単なる偶然なんだろうけど、
防空壕に入ると必ず何かが起こる。
俺が小学6年生の頃。
校区から出たあたり、家から数キロ離れた釣具屋に友達と来ていた。
その帰り道に、「防空壕」はひっそりとあった。
友達と興味本位で寄って、少し中を覗いてみたのだが、
怖くなってすぐに引き返して家に帰った。
何か得体の知れない恐怖に襲われたのだ。
そのうえ、空はみるみる暗くなっていき、恐怖心はさらに増した。
自転車を必死でこいで、やっとの思いで家にたどりついた。
ところが、すぐに目眩が俺を襲い、目の前が真っ暗になった。
そして、しばらく寝込んでしまった。
何が起きたのかわからなかったが、防空壕を覗いた直後の出来事だっただけに、
防空壕の呪いだ、と勝手に思っていた。
結局それはただの風邪だったのだが、当時の俺には恐ろしい記憶として残っている。


それ以来、防空壕にはどこか怖いイメージを持つようになっていた。
しかし、中学に上がってから、俺は防空壕と共に暮らすハメになってしまった。
中学から住んでいた沼津のボロ家には、なんと防空壕があった。
ほとんど人の通らない、廊下の板をはずすと、コンクリートの蓋が現れる。
その奥には、地下式の防空壕があるのだ。
しかし、その蓋があまりにも重かったため、それは数十年間閉ざされたままだった。
小学生時代の防空壕の恐怖心などすっかり忘れて、俺は暇を見つけては
そこを開けようとしたが、いつも重い蓋の前に何もできないでいた。
中学3年の2月、クラスの連中5人とその防空壕を開けることになった。
ひとり、体格がいい奴がいたので、そいつに開けさせることにしたのだ。
そして・・・そいつの手にかかった蓋は、今までの重さがうそのように、
意外と簡単に開いた。そして、防空壕が姿を現した。
ハシゴを使って、俺らは次々と中へ降りていった。
そこは3畳ほどの狭い部屋で、中にはガラスが散乱しているのみだった。
その時は恐怖心など全くなかった。防空壕とはいえ、
自分が普段住んでいる家の一角である。
だから、いつも通りしばらく遊んだあと、いつも通り友達は帰っていった。
ところが翌日。学校へ行ってびっくり。
昨日防空壕へ入った連中が、俺を除いて5人ともみんな休んでしまったのだ。
それまで学校を休むようなことなんてない連中だったのに。
みんな風邪とのことだったが、それ以外の何かがあるような気がした。
そして再び、防空壕に何らかの恐怖心を抱くようになってしまったのだ・・。

その家も高校生の時に建て替えられ、防空壕も今はない。
小学生時代に行った防空壕の場所も、はっきりとは覚えていない。
防空壕、それは記憶の彼方でいまなお、魅惑とともに
かすかな恐怖をもって俺の中に潜んでいるのである・・・。


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