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2005/02/21(月) 南セントレア(調査後篇)
 バスの時間が迫っていたので、豊浜地区からやむなく移動。次は、南知多のもうひとつの集落である、内海地区に向かう。バスは少年団の団体が乗っており、非常に混んでいた。しかし、車窓に広がる伊勢湾を眺めていると心が和んだ。そして、20分ほどで内海駅に到着。南知多でも、ここには鉄道がきている。しかし、内海は中心集落ではく、駅前も閑散としており、この町における鉄道の需要は美浜ほど多くはなさそうである。この線は名鉄の「知多新線」といって、比較的新しい路線である。立派な内海駅の高架橋は、これから先に続くかに見えて、いきなり途切れる。敷地ももう1本線路を通す余裕があることから、もとはもっと先までの複線の立派な線にして、海水浴客を運ぶ観光路線にする予定だったのだろう。海水浴産業がすたれた(住民談)いま、その計画は頓挫し、貧弱な単線が無意味に立派な内海駅で打ち切られる結果となったのだと推測される。

 そんな内海地区は、商店街がないことから、さきほどの豊浜より調査が困難であるように思われた。ところが、遠くから聞こえてきたのは笛、太鼓のお囃子。目をやると、田んぼの向こうの小さな神社には幟が立ち、黒山の人だかりができている。急いで駆け付けると、それは年に一度の祭りであった。小さな境内にはやぐらが組まれ、その上には礼服を着た男達がバケツを持って待機している。そして、その下には大きなカゴや袋を持った地域の方々・・・。そう、餅まきである。礼服の男達は厄を迎える男達で、その厄を餅に込めて撒き、厄年を乗り切ろうというのだ。そして、お囃子の笛太鼓が撤去されると、いよいよ餅まきが始まった。老若男女入り乱れて、空から降る餅を一心不乱に拾う。たまに大きな餅がまかれると、それに一気に飛びつく。住民に、東京から調査で来たことを告げると「こんな日にくるなんて運がいいねぇ!さ、拾いな!」と歓迎してくれた。俺らも急いで餅を拾った。餅には当たりはずれがあり、当たりの餅には食品や日用雑貨の景品がつく。unoちゃんは卵2パックと豚肉をもらっていた。肉は相当いい景品らしく、住民の皆さんの注目の的だった。

 人が少ない南知多で、これほどたくさんの住民に出会える機会はそうそうない。これはチャンスだ、と思い、再び調査開始。あっという間に俺らの周りに人だかりができ、皆思い思いに活発に意見を述べた。「ちょっと、あんたも来てよ。これどう思う?」と、他の人を誘うってくれる姿も見受けられた。これは嬉しかった。ある家族にインタビューしている時、その子供が餅まきから戻って来た。するとその子供が開口一番、「あ、さっきの!!」と言った。よく見ると、その子は最初に調査した美浜で出会って、しばらく話した子であった。美浜からここまではかなりの距離がある。なのに、俺らとその子は再びこの内海の小さな神社にて再会したのだった!これには親もびっくりであった。なんだか妙な親しみが湧いてきた。また少し話した後、その子の「バイバイ、がんばってね」という言葉が忘れられなかった。

 そうこうするうちに、南知多の票数も、気がついたら50に迫っていた。この偶然の祭りのお陰で、なんとかノルマは達成しそうである。俺らは意気揚々と、集落に繰り出した。もう店に飛び込むのも躊躇しなかった。俺らとは似ても似つかないオシャレな美容室を発見しても、俺らは果敢に飛び込んでいった。そこには、ここ知多半島では初めて見る現代風のキレイな女性達が。そういえば、俺らと同年代の人と話すのも久しぶりである。なぜこんな片田舎にこんなオシャレな一角があるのかはわからなかったが、とにかくそんな合併には興味なさそうな人々でさえ、俺らの調査にはものすごい興味を示してくれた。美容室内は、お客さんも含めて一気に合併の話題になった。「わざわざ東京から来たの!?」「ウチらの街がこんなに有名になってるの!?」という会話もした。ここで気になったのは、地域の人はここまで全国的な話題になっているとは思っていない、ということである。だから東京から調査に来た、というと一様に驚くのだった。かれこれこの美容室では10分以上お世話になった。色々な世代の意見が聞けて満足である。

 そして100人調査達成まであと一人。内海駅改札にいた女性をもって、無事美浜50人、南知多50人、計100人の調査を終了することができた。感無量であった。まさか南知多で50人達成できるとは思わなかった。これもあの祭りのお陰である。ちなみに南知多の結果は、賛成24:反対26でほぼ半々であった。そして、圧倒的に新市名に「南知多」を挙げる人が多かった。やはり南知多は財政が苦しく、美浜との合併を望んでいるのだろうか。意見には次のようなものがあった。まず反対意見。

「美浜は南知多より財政が苦しいから」
「合併すると役場の支所が遠くなり、老人の身としては移動が大変」
「両町の水道料金の格差の問題がある」
「住民不在の合併など、意味がない」etc.

続いて賛成意見。
「何をやるにしても大きい方がやりやすい」
「両町とも、合併なしにはこの先やっていけない」
「特に反対する理由がない」etc.


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