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2005/02/26(土) 結局
 取材陣はウチに来たんだけども、テレビにゃ出ませんでした〜。期待してた方、すんません。やっぱ、俺らの調査内容が27日に行われる住民投票に影響を与えてしまう可能性があるらしくって。ま、それだけ世の中を動かしてしまう調査ができた、ってことにしときましょうかね。でももしかしたら、住民投票の後にまた取材依頼とかあるかも。テレビ局の方は、俺らの今後の調査の続編に期待しているようでした。ってことは、こっちから何か企画を持ってけば・・・。時間に余裕が出来たら、また何かでっかいことしでかしますよ。

 只今の時刻、早朝5時半。今月末がエントリーシート提出のピークなんで、家にこもってずっと書いてます。特に昨日完成させたやつは頑張った!うんうん。
 なんだかやたらと寒い(ま、暖房がないから寒いに決まってんだけど)・・・と思ったら、外の気温はマイナス6度でした。俺がここに引っ越してきてからの最低気温記録を更新。
 

2005/02/24(木) さらにすごいことに
やー、夜になってまた雪が降ってきたよ。さっそく積もってるよ。昨日春一番が吹いたと思ったらこれだもんね。ほんとに今年は雪が多いよ。

さて、先日、南セントレア調査の件が大きなサイトに紹介されたと書きましたが。今度は、な、な、なんと!フジテレビの取材を受けることになりました!!明日、フジテレビの取材陣御一行がうちにやってくるそうです。たぶん、明日夕方5時からの「スーパーニュース」で全国に放映されることでしょう。それにしても、うちの部屋、どんどん全国規模になっていきますね。この前中大の生協冊子に載ったと思ったら、今度はいきなりの全国デビューですから。・・とはいえ、まだ放送に使われるかどうか決定していないから、ほんとに全国デビューするかはわからないけどね。とにかく明日のニュースは要チェック!!

昨日、念願の某地元テレビ局のエントリーシートが通過したんですわ。ここが奇しくもフジテレビ系列でして。今回の件がうまいこと地元にも伝わって、勢い良く内定〜!ってなわけにはいかないでしょうかねぇ!?

2005/02/23(水) なんだか大変なことになってきた。
今日は初めて入社試験なるものを受けてきた。試験時間が短か過ぎます。ほんとギリギリでした。でもまぁ何とかなったんじゃぁなかろうか。

さて、日記を読んでもらえばわかるとおり、南セントレアに調査に行ってきたわけですが。最初は何気なく始めた調査だったんですがね。ところが、この南セントレア問題を取り扱っている最も大きなサイト2つに、俺らの調査のことが取り上げられました!この二つのサイトは、南セントレアについて知ろうとする人ならば必ず見ているページでして。そこに大々的に載ってしまったので、俺らの調査のことが、地元民はもちろん全国規模で知れ渡ることになってしまったのでした。改めて、俺らはデカいことをしでかしたもんだなー、と思いました。

こちらがそのサイトのアドレス↓↓

「びっくりするほどセントレア!南セントレア市まとめサイト」
http://marblog.net/minami-centrair/

「新市名『南セントレア市』は一旦撤回されました。ですが・・・」
http://stop-minami-centrair.seesaa.net/

2005/02/22(火) 南セントレア(まとめ)
 以上の美浜と南知多における調査結果をまとめると、ひとつの矛盾に気がつく。それは財政についての見解が両町で全く違うということである。美浜は南知多のことを悪く言い、南知多は美浜のことを悪く言う。町民は広報でこういった情報を得ているというが、正しい情報を発信するべき広報が偏った情報を発信している現状がそこにはある。役場の住民操作。協議会の暴走からもわかるように、どうもここでは住民に正しい情報が提供されないうえに、そんな住民が知らないうちに協議会が勝手に都合のいいように事を決めてしまう風潮がある。こんな官民の間にある壁が、住民の合併に対する意識をも反対の方向に向かわせようとしている。このままいけば、27日の住民投票では美浜を中心とした反対票が上回り、合併自体が白紙になる可能性が高い。町名が一時「南セントレア」になってしまった背景には、こうした理由があったのだ。そして、その仮決定は、皮肉にも行政と住民の間の壁という重大な問題を全国に晒す結果となり、住民の反対意識を煽ってしまったのだ。

 ちなみに、新市名として希望する名の調査結果は、以下の通りであった。美浜の結果がばらけているのに対し、南知多の意見がまとまっていることがわかる。賛成を望む人が多い南知多のほうが明確な意見を持っている、ということか。

1/南知多  みなみちた  39票(美浜8:南知多31)
2/美南   びなん     9票(美浜5:南知多4)
3/美南   みなみ     7票(美浜5:南知多2)
3/美浜   みはま     7票(美浜4:南知多3)
5/知多美浜 ちたみはま   5票(美浜4:南知多1)
6/南浜   みなみはま   4票(美浜3:南知多1)
6/美波   みなみ     4票(美浜4:南知多0)
6/南美浜  みなみみはま  4票(美浜2:南知多2)
9/南セントレア       3票(美浜2:南知多1)
10/美南海  みなみ     2票(美浜1:南知多1)
11/知南   ちなん     1票(美浜0:南知多1)


 今回の調査を通して思ったこと。それは、現地を訪れてこの目で現実を見て、初めて真実がわかるということ。テレビなどの報道では、今回の件に関しては「南セントレア」という名前に関する調査に終始しており、合併の背景には踏み込まなかった。だから今回の調査では、より生の声が聞けて、奥まで踏み込むことができたという点で、大きな成果があったと思われる。恐らくこの話題が出てから、ここまで大規模かつ客観的に行われた調査は今回が始めてではないだろうか。所詮は大学生二人であるが、1日でこれほどの調査を敢行し、結果を出すことが出来たのは、我ながら誇ることができるのではないか。そして何よりも嬉しかったのは、住民の方々と積極的な交流が図れたことである。そして、「がんばれよ」「ごくろうさん」といったねぎらいの言葉をかけていただいたことである。最初は、他所者扱いされて「興味本意で来るな!」と突っぱね返されることを恐れていた。しかし、住民の方々は俺らを温かく受け入れ、それどころか積極的に話をしていただいた。こんなにいい人といい自然に恵まれた2つの町が、とんでもない騒動に巻き込まれているのが信じられなかった。
 
 今回の調査は、いろいろな面で俺ら二人のとってとても有意義なものとなったことは間違いない。就活中とはいえ、このような行動力があるのも、俺ららしくていい。エントリーシートに追われる荒んだ毎日に刺激を与える、よい気分転換になった。

 その後満足感であふれる俺らは、電車の展望席の一番前を陣取って、景色を存分に楽しみながら、一昨日開港したばかりの中部国際空港(本物のセントレア)に向かった。色々な店が立ち並び、成田よりもよっぽど雰囲気よくまとめられていてよかった。なぜか「飛行機を眺めながら入ることができる温泉」があり、そこでゆっくりと疲れを癒したのであった。飛行機は夜だったから見えなかったけどね。
 そして、名古屋のテレビ塔脇のマンガ喫茶に泊まる。久し振りに心地よく眠れた夜でした。

2005/02/21(月) 南セントレア(調査後篇)
 バスの時間が迫っていたので、豊浜地区からやむなく移動。次は、南知多のもうひとつの集落である、内海地区に向かう。バスは少年団の団体が乗っており、非常に混んでいた。しかし、車窓に広がる伊勢湾を眺めていると心が和んだ。そして、20分ほどで内海駅に到着。南知多でも、ここには鉄道がきている。しかし、内海は中心集落ではく、駅前も閑散としており、この町における鉄道の需要は美浜ほど多くはなさそうである。この線は名鉄の「知多新線」といって、比較的新しい路線である。立派な内海駅の高架橋は、これから先に続くかに見えて、いきなり途切れる。敷地ももう1本線路を通す余裕があることから、もとはもっと先までの複線の立派な線にして、海水浴客を運ぶ観光路線にする予定だったのだろう。海水浴産業がすたれた(住民談)いま、その計画は頓挫し、貧弱な単線が無意味に立派な内海駅で打ち切られる結果となったのだと推測される。

 そんな内海地区は、商店街がないことから、さきほどの豊浜より調査が困難であるように思われた。ところが、遠くから聞こえてきたのは笛、太鼓のお囃子。目をやると、田んぼの向こうの小さな神社には幟が立ち、黒山の人だかりができている。急いで駆け付けると、それは年に一度の祭りであった。小さな境内にはやぐらが組まれ、その上には礼服を着た男達がバケツを持って待機している。そして、その下には大きなカゴや袋を持った地域の方々・・・。そう、餅まきである。礼服の男達は厄を迎える男達で、その厄を餅に込めて撒き、厄年を乗り切ろうというのだ。そして、お囃子の笛太鼓が撤去されると、いよいよ餅まきが始まった。老若男女入り乱れて、空から降る餅を一心不乱に拾う。たまに大きな餅がまかれると、それに一気に飛びつく。住民に、東京から調査で来たことを告げると「こんな日にくるなんて運がいいねぇ!さ、拾いな!」と歓迎してくれた。俺らも急いで餅を拾った。餅には当たりはずれがあり、当たりの餅には食品や日用雑貨の景品がつく。unoちゃんは卵2パックと豚肉をもらっていた。肉は相当いい景品らしく、住民の皆さんの注目の的だった。

 人が少ない南知多で、これほどたくさんの住民に出会える機会はそうそうない。これはチャンスだ、と思い、再び調査開始。あっという間に俺らの周りに人だかりができ、皆思い思いに活発に意見を述べた。「ちょっと、あんたも来てよ。これどう思う?」と、他の人を誘うってくれる姿も見受けられた。これは嬉しかった。ある家族にインタビューしている時、その子供が餅まきから戻って来た。するとその子供が開口一番、「あ、さっきの!!」と言った。よく見ると、その子は最初に調査した美浜で出会って、しばらく話した子であった。美浜からここまではかなりの距離がある。なのに、俺らとその子は再びこの内海の小さな神社にて再会したのだった!これには親もびっくりであった。なんだか妙な親しみが湧いてきた。また少し話した後、その子の「バイバイ、がんばってね」という言葉が忘れられなかった。

 そうこうするうちに、南知多の票数も、気がついたら50に迫っていた。この偶然の祭りのお陰で、なんとかノルマは達成しそうである。俺らは意気揚々と、集落に繰り出した。もう店に飛び込むのも躊躇しなかった。俺らとは似ても似つかないオシャレな美容室を発見しても、俺らは果敢に飛び込んでいった。そこには、ここ知多半島では初めて見る現代風のキレイな女性達が。そういえば、俺らと同年代の人と話すのも久しぶりである。なぜこんな片田舎にこんなオシャレな一角があるのかはわからなかったが、とにかくそんな合併には興味なさそうな人々でさえ、俺らの調査にはものすごい興味を示してくれた。美容室内は、お客さんも含めて一気に合併の話題になった。「わざわざ東京から来たの!?」「ウチらの街がこんなに有名になってるの!?」という会話もした。ここで気になったのは、地域の人はここまで全国的な話題になっているとは思っていない、ということである。だから東京から調査に来た、というと一様に驚くのだった。かれこれこの美容室では10分以上お世話になった。色々な世代の意見が聞けて満足である。

 そして100人調査達成まであと一人。内海駅改札にいた女性をもって、無事美浜50人、南知多50人、計100人の調査を終了することができた。感無量であった。まさか南知多で50人達成できるとは思わなかった。これもあの祭りのお陰である。ちなみに南知多の結果は、賛成24:反対26でほぼ半々であった。そして、圧倒的に新市名に「南知多」を挙げる人が多かった。やはり南知多は財政が苦しく、美浜との合併を望んでいるのだろうか。意見には次のようなものがあった。まず反対意見。

「美浜は南知多より財政が苦しいから」
「合併すると役場の支所が遠くなり、老人の身としては移動が大変」
「両町の水道料金の格差の問題がある」
「住民不在の合併など、意味がない」etc.

続いて賛成意見。
「何をやるにしても大きい方がやりやすい」
「両町とも、合併なしにはこの先やっていけない」
「特に反対する理由がない」etc.

2005/02/20(日) 南セントレア(調査前篇)
 名古屋観光を終えた俺らは、いよいよ本題にうつるために名鉄に乗り、まずは美浜町の中心地「河和」を目指す。乗り換えを繰り返すうちに、どんどん景色は長閑になり、列車も短くなっていく。それでも河和の駅は、町の中心らしくショッピングセンターを併設しおり、賑わっていた。まずは今回の騒動の中心とも言うべき美浜町の役場へ。休日なので閉まっていたので、人が多そうな向かいの特産物の売り場前にて調査することに。今回の調査をするにあたって、俺らはフリップを用意した。表には大きく「賛成」「反対」と書いて二つに分けてあり、ここに住民の皆さんにシールを貼ってもらうのだ。裏には、「新市名にふさわしいのは?」と題し、いま候補に上がっている12の市名を列挙した。ここにも、自分がふさわしいと思ったところにシールを貼ってもらう。人間は、どうしても他の人の意見を参考にしたがる。だから、今回のように他人の意見がシールの数によって明確に示されている場合、意識操作が起こり正確な結果を得ることができない可能性がある。調査専門用語でいうところの「バイアス」である。しかし、今回は住民にもわかりやすい調査をする必要があり、敢えてこの方式を採った。調査員としての名札を胸にぶら下げて、さっそく調査開始。

 農産物中心の店とあって、中高年の方が多かった。皆、俺らが声をかけると気軽に調査に応じてくれた。中には自ら寄ってきて積極的に意見を述べる者もおり、今回の問題に対する意識がいかに高いかを象徴していた。

 次に調査を行ったのはさきほどの河和駅前。ここはわりと人が多かったので、調査がしやすかった。さきほどとは違い、中学生や小学生などの若年層の意見も聞くことができた。驚いたのは、小学生までもが今回の経緯や合併による損益の詳細について詳しいということだ。学校でも、このことについて活発に意見が交わされているようだ。やはり、「南セントレア」という名前は小学生にまで嫌われていた。そして、合間に海沿いまで歩きながら、町行く人をつかまえては調査をした。その間、町内のいたる箇所で住民投票を促すポスターや宣伝カーを目にし、住民投票を前にした盛り上がりを感じた。しかし、どう考えてもこの静かで美しい町に「南セントレア」という名前がふさわしいとは思わなかった。

 美浜町では、50人の意見を聞くことができた。この町では、「南セントレア」という名前はもちろん、合併そのものについて反対している人が多かった(賛成7:反対43)。意外だったのは、美浜の多くの人が「南知多」を新市名の候補に挙げていることである。しかしこれは合併相手の「南知多」ではなく、知多半島全体から見た場合の地域名である「南知多」のようだ。住民が全国に通じる名前を求めていることがわかる。主な反対意見は次の通り。

「財政的に苦しい南知多との合併は、美浜にとって不利」(最多意見)
「住民の意見を無視した協議会のやり方が気に入らない」
「なんでも大きくすればよいというわけではない」
「美浜という名前を守りたい」
「美浜と南知多という小さな町同士が合併しても現状は脱却できない。知多半島全体での合併が必要」
「公務員の削減につながる」
「セントレアは空港のある常滑市の名前であって、この地区とは関係がない」etc.

逆に、賛成の意見としては次のようなものがあがった。
「どうせ将来合併するなら、特例債がある今のうちに」
「公費の削減につながる」
「セントレアという名前は嫌だが、合併自体には賛成」etc.

 駅前で味噌カツを食い、こんどはもう一つの町である南知多町へバスで移動。鉄道は美浜町までしかきていないため、南知多の中心街へはバスでの移動が主となる(もっとも、自家用車の利用が多く、公共交通機関の利用は学生か老人のみであるが)。バスは1時間に1本の割合で走っているが、乗車率はあまりよくないようだ。果たしてこの2町はそれほど交流があるのだろうか、と思った。

 豊浜という、南知多の中心集落に20分ほどで着く。ひっそりとした港町で、さかなセンターへの観光客以外は人影が見当たらない。各町50人、計100人を目標にしていたので、ここで50人の意見を聞くことは到底不可能であった。それでも、たまに見かける住民を見つけては話を聞いた。そして、個人商店に入り、店主にも話を聞いた。こちらから動かなくては人に出会えない。それだけ人が少ない集落であった。ふと、昨夏にゼミ論文執筆のために調査した熊本の長洲町も、こんな感じで調査に苦労したことを思い出した。

2005/02/19(土) 南セントレア(序章)
 皆さんは「セントレア」を御存知だろうか。17日に開港したばかりの、中部国際空港の愛称である。「中部」を表わす「CENTRAL」と、「空」を表わす「AIR」をつなげた造語、というわけだ。一方で、この空港の南方、愛知県知多半島の南端では、美浜町と南知多町という二つの町が、が最近の平成の大合併の影響を受けて合併を進めていた。共に漁業と海水浴で栄えた静かな町であるが、ここ最近は過疎に悩まされている。
 そんな町に衝撃が走ったのは1月末のことである。何と、合併協議会が新市名を「南セントレア市」としてしまったのだ。事前に行われた住民投票の結果では「南知多」などのそれらしい名前を希望する住民が多く、「南セントレア」などという候補はどこにもなかった。ところが、美浜町長の鶴の一声により、住民の声を全く無視した珍妙な市名が誕生してしまったのだ。この事態はテレビでも大きく取り上げられ、全国に知れ渡ることとなった。そして、住民や全国の人々の大ブーイングを浴び、「南セントレア」は一旦撤回されることとなる。そして、今度の27日、そもそもの合併に賛成か反対かを問う住民投票が行われることとなった。と同時に、新市名はどれがよいかを再び問う投票も行われる。いま、二つの町は町長の暴挙によって揺れている。皆、合併の行方と新市名を真剣に考えるようになった。

 この話題は当然、unoちゃんとの会話にも上がった。合併特例債が国から支出されるからといって、無闇に文化圏を越えた合併をすることには俺は反対である。そして、地域に根ざさない安易な名前を付けることにはもっと反対である。実家の近くでも、近く「伊豆の国市」が誕生する。あぁ、考えるだけでため息が・・・。unoちゃんも似たような意見を持っていた。しかし、今回の事態は少し酷すぎやしないか。俺らは社会学科に属している。社会を調査し、真実を見極める技術においては自信を持っている。そして、俺らの行動力を持ってすれば、出来ないことなどないはずだ。限界を知らない二人は、気がついたら夜汽車に揺られて「南セントレア」を目指していた・・・。

 翌朝、名古屋に到着。まだ早朝の6時。名古屋好きの俺らとあっては、まず名古屋の名所を巡るのが当然であろう。「名古屋はええよ!やっとかめ」に出てくる名所を基準に回ることにした。
 まず、駅を出ていきなり「ユニモール」登場!そして、右に曲って「広い道」を渡るとそこには「メルサ」が!そして、地下鉄で栄に移動。まず目に飛び込んできたのは「サカエチカ」だ!そこから地上に出ると、そびえていたのは「テレビ塔」!そして、そのふもとの電話ボックスの上には「コアラ」の像が!再び地下鉄に乗り、今度は鶴舞に移動。そのホームで発見したのは「銀の柱(もどき)」。そして鶴舞駅を出ると、もうそこはすでに「鶴舞公園」!その後も、ナゴヤ球場を発見(「ドラゴンズ」)したり、「パチンコ」や「駄菓子」にも出会ったりした。駅のホームの店の名は「かきつばた」。その店で売っているのは当然「味噌煮込み」。「ういろう」の看板もよく目にした。・・・てなわけで、あの歌に出てくる名所はあっと言う間に網羅することができたのだった。

2005/02/18(金) ああ俺はどうせ雪が好きさ
今朝までエントリーシートに悩まされて、ほんとに病んでいました。悩めど悩めどいい案が出ない。結局あきらめて、第二回の〆切りに回すことにした。

悩みすぎておかしくなりそうだったので、気分転換に、同じサークルのY子とあすみと、何故かunoちゃんと、焼肉を食いに行ってきた。いやー、肉、うめーわ。いい気分転換になった。

焼肉から帰る途中から雪になった。やったー、やったー。雪降るとテンション上がるね。

翌朝、雪が積もりました。
雪の降らない静岡県民としては嬉しい限りです。
雪の影響で、ポストに出したエントリーシートが届かなかったらどうしよう・・・と不意に思い、朝の3時半に原チャで日野郵便局までカッ飛ばす。初雪道運転♪(免許合宿除く。)雪道って滑るんですね。うふふ。なんだか妙にテンションが上がります。真っ白い道に俺の原チャの轍だけが残る。俺がイチバンだぜ!!みたいな。わかる?このキモチ。
で、郵便局近くのコンビニでコピーしようとしたら、証明写真貼り忘れてんのに気がつく。なんだよー、もう1往復しなきゃ♪雪道運転、思う存分楽しませていただきました。寒かったけどね。

2005/02/17(木) ちゃー
エントリーシートのネタが思い浮かばない。
自由な課題って、得意だと思ったのにいざやってみるとこんなに面倒なことはない。
考えに考えまくってると、気がついたらいつも朝になってる。
で、寝て起きたら昼過ぎてる。こんな生活、いやだ。


チャーハン作ったら家ン中がチャーハン臭くなってしまった。
せめて部屋干しの洗濯物しまってから作ればよかった。
しばらく俺はチャーハン臭いと思うよ。気を付けて。

2005/02/15(火) ギュイーン!!
久し振りに都心出た。
久し振りに電車乗った。
最近は家に閉じこもってるので、かなり新鮮。
就活は人をダメにするなぁ・・・。

とはいいつつも、都心にわざわざ来たのもやっぱり就活がらみなわけで。
ゼミの先輩であるサヤさんに、エントリーシートの書き方などのコツを伝授してもらいました。ありがたや。
今日はuno氏と猿もいました。猿はようやくインフルエンザを克服したようだ。これで俺の周りに残るインフルエンザ患者はあと2名。はやく元気になってくださいよー。

やっぱり都心は息苦しい。空は広い方が、いい。
でも、そんな空を見る余裕すらない今日この頃。
就活、いやだ。

おぃ、そこの企業!テメェどこ社だよ!?どこに目ェ付けて歩いてンだ!?とっとと俺を採用しやがれ!後悔しても遅ぇンだぞ!?俺は御社でバリバリ働いて業績をギュイ〜ン!とUPさせる自信はあンだよ!

・・・こーいう文でも御社って単語が出てきてしまうあたりが就活学生の性(サガ)である。

2005/02/13(日) トトロ
今日もエントリーシート記入に追われていた。気がついたら妙な恋文を書き上げていた。俺、こんなんで就職できるのだろーか。夜、unoちゃんと一緒に絢子さんに合宿の忘れ物を届けに行った。そこで就活に関するありがたいお話をいくつかいただく。ちょっとは前向きになれたかも。そのついでに妹のトコ寄って、トトロのビデオ借りて帰って来た。で、家帰って久し振りにトトロ見た。
 やっぱトトロはいいよね。見てて落ち着くよ。昔俺が住んでたボロ家が、あのサツキの家にそっくりなのよ。台所とか、部屋とか、階段とか、便所とか。いやー、懐かしい。

 ジブリ映画の本のシリーズってあるでしょ。アニメのセル画にそのまま吹き出し付けたようなやつ。昔から気になってたんだけど、あのトトロの本の表紙の女の子は一体誰なんですかねぇ?確かにこれと全く同じシーンは映画にもあるんだわ。雨の中、バス停でサツキがメイをおぶってバスを待っていると、隣にトトロが現れるシーン。有名なシーンですよね。でも。でも。なぜか全く同じシーンなのに、本の中ではサツキとメイが何故か変な女の子に変わっちゃてる。服装はサツキ。でも、顔はサツキとメイを足して2で割ったような感じ。誰だよこれ!!下の画像がその問題画像。


ちょいと調べて分かったことなんですが、トトロは最初、一人の女の子という設定で構想が練られたんだそうな。しかし途中から姉妹という設定に変更したらしく、名前も一人の女の子から分化した・・・ということで、「サツキ(五月)」と「メイ(May)」という感じで共通点を持たせたんだそうな。で、この初期の設定の段階で作られたセル画が何故か存在し、それを本の表紙に使っちゃったようです・・・。本にはそんな説明一切ないし、唐突にそれが使われているから、当時小学生だった俺は相当悩んだのでした・・・。ちなみにこの情報はそんなに有名じゃないみたいですね。ネットでもあんまりヒットしなかった。

2005/02/10(木) 撮影
 就職活動のための写真撮影を敢行。たまにあるんですよ。「あなたのとびきりの笑顔の写真を添付してください」とか「あなたらしい写真を添付してください」とか。uno氏と、一眼レフカメラ片手にバイクでロケ地巡り。不動尊に始まり、河原、線路沿い、公園、田園風景・・・てな感じで。途中で火の見やぐらを発見し、つい登ってしまう。なかなかないぞー、火の見やぐら登る機会。意外と高くて、ちょっとビックリ。
 その後、いつもの喫茶店に入り現像を待つ。最近はここに入り浸っている。ここには落書きノートがあって。右の絵は前回描いたuno氏の肖像。いかがっすかね?ちょっと暗い?
 で、出来た写真ですが。思った通りの写真ばかり!ピント、構図、笑顔ともに、思い描いていた通り。我ながら今日はなかなかいい撮影ができたんじゃないでしょうか。

 その後、ちょっと用事があって妹のアパートに行く。妹の高校時代の友達である、こっちゃんがいた。浪人中で、今日は中大の社学を受けてきたようだ。そして3人で飯を食う。えせマツタケ御飯をいただいたのだが、ちと味が薄かった。まだまだ甘いのぅ。帰りがけに、奴がバイトしてる牛角のお碗をもらってきた。サンクス。

 そーいや俺が風邪治ったと思いきや、こんどはくま1が風邪ひいたそうで。風邪のことなら1週間苦しめられた風邪のプロフェッショナルの俺にまかせろ!ってことで、「風邪撃退セット」なるものを送った。果たして効果やいかに。(後記:結局インフルエンザだったそうです。こーいう時に遠距離はツライ。)

2005/02/09(水) やっと
風邪が治ったようだ。
思えば苦節一週間。
俺は孤独によく耐えたと思います。
ここに回復することができたのも
ひとえに皆様のあたたかいメールや
電話のお陰と思っております。

今日は風邪ひいてる間にひどいことになっていた部屋をまず掃除。
そんでもって、手付かずだった就活関連の作業をこなす。
夜はuno氏と立川へラーメンを食いに行く。
やっぱり、いつもの生活がいつものようにできるって有り難いですわ・・・。改めて実感。



風邪で更新できていなかった、ゼミ合宿(1/31、2/1)の日記を更新しました。

2005/02/05(土) 別にオタクじゃないですが
昨日の掲示板の返信には調子乗って「@病み上がり」とか書いちまったけど、ごめんなさい、風邪さん。あなたを甘く見過ぎました。今日は新たに「鼻水」という症状が加わりました。新しい症状が日に日に追加されていきます。ちなみに初代のリーダーも務めた「頭痛」さんはすでに脱退。ということで、今いるメンバーは「高熱(現在8度8分)」「せき」「ノドの痛み」「目まい」「くしゃみ」「鼻水」ということになります。さて、つんくは次にどんなメンバー交代を仕掛けてくるのでしょうか!?




・・・いや、そんなのいらん!早いトコこいつら解散させてくれ!!





今日は同じく風邪をひいていたunoちゃんが見舞いに来てくれました。こいつはもう治りやがったんだよなー。uno氏の風邪は所詮プッチモニ。程度だったようだ。

2005/02/04(金) ただの風邪でした
とりあえずインフルエンザじゃなかった。
この時期に高熱出す奴はだいたいインフルエンザらしいけど、
なんとかその危機は逃れたようです。

医院に行った帰りに、もうすぐ留学するために日本を去ってしまう狩野の送別会に少し顔を出すつもりで立ち寄った。ほんと、顔見るだけで帰ろうと思ったのに、場の雰囲気に押されてつい長居してしまいました...。

狩野、オーストラリア行ってもマイクヘッド大切にしろよ!!

2005/02/03(木) ヒロシです・・・

熱が下がりません・・・

39度5分もあるとです・・・

でもみんなの心暖かいメールや電話が嬉しいとです・・・

2005/02/02(水) 風邪
ゼミ合宿での疲れがたたったのか、
ユネッサンが寒かったのか、
風邪で寝込んでます・・・。
復活するまで日記はしばらくお休み。

2005/02/01(火) ゼミ合宿2
ゼミ合宿2日目っす。けん玉一発芸大会のせいで、ほとんど寝てません。そんな中、今日はいきなりスポーツ大会!町立の体育館貸し切りです。もち格好は沼東体育着で。今回は気合い入れて靴まで沼東体育館シューズで。で、まずドッジボール。ドッジボールなんて何年ぶりだろう・・・。「元外野」っていう単語、久し振りに聞いたぞ。みんな童心に帰って、先輩だろうが後輩だろうが豪速球当てまくり。いやー、楽しかった。その後はバスケ。こちらも白熱しました。みんな疲れ果てたところで、総括っす。4年生に記念品のCDロムをあげてから、一言いただきます。いやー、ここでこうなるとは思いませんでしたが。意外にもしっとりしちゃいまして。ちょっと感傷にひたる。
 さーて、その後はユネッサンに行って温泉三昧!俺らは水着コースに行きました。スライダーがあったり、洞窟があったり、コーヒー湯だの緑茶湯があったりする、テーマパーク色が強いコースです。22にもなろうかという男どもは、目の前に広がる楽しそうなおフロに終始はしゃぎまくり。いやー、楽しい。でもね、でもね。ちょっと脇に入るとそこには・・・おい、カップル。お前らいちゃつきすぎだぞ。街中でもそう簡単に見ねーぞ、そんな濃厚なカラミ。しかも水着だから、妙にナマナマしい。男は半分ハダカだからな・・・。まぁ俺らはそんなゾーンにも平気で踏み込んでいったわけですが。
 その後も露天風呂ゾーンとかうろうろ。うん、めっちゃ寒い。いま思うとなー、これがその後の風邪の全ての原因かもしれんな・・・。
 で、室内に戻って発見してしまったのがプール。そりゃ目の前にプールがあればみんな飛び込みますよ。で、とりあえず泳ぎますよ。やっぱり出てくるのが「競争しようぜ」の一言。あー、やっぱりか。昔から競泳は大嫌いなんだ。競争したってしょうがないじゃないか。泳げたからって何なんだよ・・・と思いつつ、しぶしぶ参戦。しかししかし。見事、1位獲得。あれ?俺、やればできんじゃん。いつの間に速く泳げるようになったんだか。ここで気を良くして背泳ぎの競泳までしてしまったもんだから、もう体はバテバテ。温泉で疲れを癒しに来たはずなのに・・・。
 ここで一旦、今回の合宿をしめてから、まだ元気のある連中だけ引き連れて沼津へ!・・・沼津!?・・そう、沼津です。箱根と沼津は、実はすごく近いんです。路線バスが出てるくらいですから。てなわけで、unoちゃん、聡、猿、アヤ、わかめぐ、辻を引き連れて、いざ沼津へ!
 着いたのは沼津港の寿司屋街。色々な寿司屋が所狭しと並んでいる所で、有名な店もちらほら。港のすぐ横だから、ネタも新鮮なのです。で、入った店で大きなまぐろウニ丼を注文。蟹味噌汁もついて、みんなこれには大満足だったようです。連れてきてよかったー。
 その後はっせっかくだから、ということで実家へ。この実家は果たして何人の友達を受け入れてきたんだか。しばしコタツでまったり。
 夜も更け、11時になったところで東京へ向けていざ出発。沼東に寄りつつ、東名で帰りましたとさ。でまぁ、みんなを家まで送り届けてたら、家に着いたのは早朝の5時でして。前日も寝てないし、スポーツ大会やら水泳やらで疲れてるし、露天風呂は寒いし、そんでもって明け方まで運転・・・。こりゃ抵抗力落ちてるわ。風邪ひくわ。

・・・で、翌昼目覚めたら案の定ひどいことになってました・・・。


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