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2005/11/01(火) マツリの精神
今年も学園祭の季節がやってきた。
学園祭が、昔から好きである。
こんなに学園祭を好きになったのはいつの頃からだろうか?

中学の頃も、学園祭の実行委員をやっていた。
でもそれは、当時俺が学年総代表という立場だったためについてきた、
いわば「オマケ」のようなもの。決してやりたくてやってたわけではなかった。
だから、どこか学校に「やらされている」感じがして、
達成感とかそんなものはなかった。
もちろん楽しかったけれど、やっぱりただの一つの行事としてしか見れなかった。

それが変わったのは高校のとき。
俺が入ったテニス部は、伝統的にホットドックや焼そば、
アイスからジュースまで何でも売るというデカい模擬店をやっていた。
1年の男なんてのは、注文取りや売り歩き、配達などの出前に駆り出され、
朝はまだ暗い5時から登校して学校中を2日間走り回らなくてはならない。
模擬店を出すのがうちの店だけだから、忙しさは半端じゃないのだ。
まぁそれも先輩にやらされていたと言えばやらされていたのだが、
自分がこれだけ売ったんだ、という実感は忘れられないものだった。
じかにお客に接して売り上げを延ばしていく。
一見するとただ先輩にこき使われているだけのようにも見えるが、
確かに自分が学祭に関わったんだ、という実感がそこにはあった。
それが、ものすごく嬉しかった。中学の時とは全く違った。
学園祭を締めくくる後夜祭。
先輩方は泣いていた。
応援団の指揮で歌った校歌と応援歌はみんな涙声だった。
自分も来年からは泣けるくらいのめりこんでみよう、と思った。
大きな花火が夜空に何発も上がり、学園祭は幕を閉じた。

高2、高3と経て、ついには模擬店の代表の地位につき、
100人単位の人間をまとめる立場になった。
食品衛生がどうのこうので、メニューの一新をせまられた。
メニューを巡って、毎日先生と口論する日々が3か月も前から続いた。
いざ新しいメニューが決まってからも、色んな問屋や店を回って
新しい取引先と交渉を重ねる日々。
いかに安く、いかに大量に、かつ効率的に仕入れるか・・・
はっきり言って、ありゃ高校生がすることじゃないわな。
それに加えて、バックボードという12畳ぶんもある大きな絵の製作の総指揮をとることになった。
デザインから製作まで、休日そっちのけでやっていた。
さらにさらに、クラス旗の製作や部Tシャツの製作もしていたので、
ほんとに体がいくつあっても足りないくらいだった。
それだけのめりこんで終えた学園祭は、最高のものだった。
「模擬店係長、M!!ありがとう!!」
後夜祭。高1のときにあれだけ感動したこの場で、
いま俺の名前が全校生徒の前で大声で呼ばれている。
鳥肌が立った。
主役として参加した学園祭は、また格別の思いがした。
あの怖い応援団が泣いていた。
その感動の中心に自分がいることが、嬉しかった。

その感動が忘れられず、以来ずっと学園祭に関わってきた。
浪人の時も、実は名古屋大学の学園祭ステージの絵のデザインをしている。
大学に入ってからも、学園祭のステージイベントを企画するサークルに所属し、
学園祭を作り上げてきた。

そんな学園祭に関わることができるのも、今年で最後。
こんな機会は、きっともう二度とないだろう。
俺の青春ともいうべき(大げさ!)学園祭の集大成。
さぁ、その感動よ、いまここに!


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