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2004/08/29(日) 中央線人として
 バイト(河合塾)の後、ふらりと吉祥寺に寄ってみた。吉祥寺の駅前の、暗く細い路地がくねくね続いて小さな商店が所狭しと並んでいるあたり(ハモニカ横町)が好きだ。40年前から時が止まってしまったようなその一角を歩いていると、なぜか落ち着く。キッチュでチープで、どこか黄昏れた空気が漂っている。なんでも、終戦直後の闇市がそのまま残っているんだそうだ。
 小学生の時住んでいた街にも、そんな一角があった。小学生の僕らは、その暗い空間を「トンネル」と呼んでいた。「トンネル」には、八百屋や魚屋、銭湯まであった。人が一人やっと通れるような脇の路地を進むと「隠し便所」があることも、なぜか僕らは知っていた。なかでもお気に入りだったのが駄菓子屋だった。そこで「ミリンダ」という怪しい緑色の瓶に入ったジュースを飲むのだ。いまでこそその駄菓子屋はなくなってしまったが、その時の記憶がハモニカ横町に足を向けさせる一因なのかもしれない。
 ハモニカ横町で、プラモデルを衝動買いしてしまった。正確に言うと、プラスチックがまだ高価な時代のものだから「木製モデル」であるが。そんな昭和30年代のキットが売っていること自体奇跡である。名前は「水上ボート カリフォルニア号」と「大陸間弾道弾ミサイル アトラス」。後者は北朝鮮の弾道弾ミサイルが脅威となっている今となっては少々現実味がありすぎて怖い。でも当時は高度成長がまさに始まろうとしている時代で、このモデルも夢を持って作られたのだろう。「遠心力で飛ぶ!物凄い速さで飛ぶ特種装置付き」だそうだ。開けてみて旧漢字だらけの説明書きを読むと、なんのことはない、ヒモで吊るしてぐるぐる回るだけの代物のようだ。う〜ん、キッチュだ。でもこういうの大好き。
 
 中央線沿線はクセがある。よって、その街に住む人間も、中央線利用者もクセがある。全体的にキッチュでチープ。A級よりB級。四畳半の風呂無しボロアパートが似合うような。そのぬるさに甘えてしまうと人はなかなか抜けだせないんだそうな。「東京人〜中央線の魔力」にそう書かれいた。そんな東京の底なし沼・中央線沿線はやっぱり面白い。俺はその沼にすでにはまってしまったんだろうか。
 いや、待てよ。普段使わないからすっかり忘れていたが、うちの近くに中央線走ってるじゃないか。豊田駅までチャリですぐじゃんか。なんだ、俺ってもうすでに中央線人なんじゃん。なーんだ。思えば俺の部屋もなんだかおかしなインテリアだよな。絶対こんな部屋、白金台にはない。それに変なモンばっか集めてるしな。中央線沿線に住むべくして生まれたんじゃないだろーか。

 なんだかいいな、中央線人て。そんなことを帰りの井之頭線の中で考えていた。あれ?なんだか矛盾してるぞ。

2004/08/26(木) ゴンピン実家訪問
 今日は、大学の友達のゴンピン(凶兵)の故郷へ向かう。誕生日が近いんだけどそのまま渡したんじゃつまんないから、実家にプレゼントを届けちまえ!というどっきり企画。ゴンピンの故郷はとんでもない山奥にあるため、朝一番の列車に乗って富山を発つ。新潟の山をいくつも越えて、着いた街が十日町。ゴンピンの高校がある街やね。今日はたまたま祭りをやっているらしく、出店が出ていたり大きな山車が町中を練り歩いたりしていた。祭りを見物しつつ、街も見物。商店街が発達していて意外と栄えているようだ。ゴンピンの高校の前を通りつつ、駅へ戻る。ここからがいよいよゴンピンの実家!列車に乗っていざ出発。ここからはリアルな実況に切り替えます。


〜秘境!ゴンピンの実家探検ツアー!〜

列車は駅を出るとすぐに田園地帯に入った。家もまばらで、早くも秘境の気配満点だ。1日に数本しか走らない、1両編成の車内の乗客は5人ほど。俺らは果たしてどんな所に連れていかれるのだろうか。ゴンピンの最寄りの駅を間近にして、いっそう山が深くなる。信濃川の流れも澄んでいる。そうして、ついに「越後鹿渡駅」に着いた。降りたのは当然俺らのみ。運転手も「え、降りるの?」と、怪訝そうな顔だ。まず駅前で目についたのが「鹿・熊料理」の看板。さすが秘境だ!食うものもワイルドである。駅前には数件の民家。店らしい店は肉屋くらいしかない。しかし店頭に肉はない。そうか、この町では肉は捕って食うものなんだ!と、強引に納得して足を進める。だが、俺らは肝心のゴンピンの家を知らない。この企画自体、ゴンピンには内緒だから、本人に聞くわけにもいかない。数件の民家からしらみつぶしに探すのも大変そうだ。そこで、その集落で唯一営業していた郵便局へ行って尋ねてみることにした。「あのー、このへんにオノヅカさんというお宅はありますか?」「オノヅカ?このへんはオノヅカばっかりだよ!」「あぁ・・・そうですか。」やっぱり予想していた通りだ。田舎の集落は、たいてい同じ名字で占められている。ダメもとで、「オノヅカキョウヘイ君のお宅なんですけど・・・」と聞いてみた。すると!「あぁ、キョウちゃんの家ね!それならそこの坂を下ったとこだよ!」・・・な、なんと!名字ではなく名前で通じる街!恐るべし!そして、俺らはゴンピンの家へ。迎えてくれたのはおじいさんだった。ゴンピンへのプレゼントを預け、しばしおじいさんと話す。昭和二十年の雪は7mも積もったこと、以前は目の前の信濃川にも鮭が遡上してきていたこと、海外を放浪している孫のゴンピンのことを心配していること・・などなど、色々な話を伺った。いきなりの訪問にも関わらず相手をしてくれたおじいさんに感謝の言葉を述べつつ、俺らはそこを後にした・・・。


というわけで、秘境を後にして俺らは十日町に戻って来た。大きなスーパーの一角に食堂があったので、そこで昼飯を食う。「オガワ麺」というタンメンが有名なようだ。ゴンピンのタンメン好きのルーツはここにあったか。駅に戻る途中、興奮したゴンピンから電話があった。もう家から連絡を受けたようだ。情報の発達はすごいもんだ。俺らのいきなりの訪問に、ゴンピンも驚いているようだ。ひとまず今回の計画は成功っすね。
 十日町からは、ひたすら東京に帰る。群馬県の高崎から八高線に入り、着いたのは八王子。かれこれ1か月近くも東京を離れていた俺にとっては浦島太郎状態。あー、東京かぁ・・・。しばらく憂鬱。まぁすぐに慣れるけど。そんなこんなでへとへとになりながら、アパートに帰り着いたのでした。

2004/08/25(水) 思いつき
 思いつきだ。ほんとに思いつきだ。昨日、鳥取の実家に帰っているθOと何気なく電話で話していたら、こんなことになってしまった。青春18きっぷも余ってることだし、ちょっと寄り道して帰るか・・・。
 そんなわけで夜行に飛び乗り、気付いたら滋賀県の米原。ここから北上して、北陸へ向かうのだ。で、θOともここで合流するはずなんだが・・・あのやろう、寝坊しやがった。1番列車に乗れなかったらしい。おまけにその後の列車にも乗り遅れてやがる。なので、去年も来た北陸をまた一人で観光するハメに。
 まずは福井の東尋坊へ。そう、海岸に崖が切り立った、富士の樹海と並ぶ自殺の名所っす。こんなとこに1人で来ることになっちまったもんだから、自殺志願者と間違われやしないかとヒヤヒヤしていたが、意外に店や観光客が多く、無事に観光できた。あれは落ちたら死にますわ。そこからバスで駅に向かう途中、ひなびた温泉街を通った。そこにあったゲーセンは、未だに「たまごっちUFOキャッチャー」「つぶやきシロープリクラ」を宣伝文句にしていた。合掌。
 こんどは金沢へ向かう。その車窓からも「国民の国鉄、運賃値上げ反対」という看板が。どーなってるんだ、この辺り一帯は。金沢は前にも少し来たことがあったけど時間がなくてまともな観光ができなかったので、今回は金沢城と兼六園周辺の王道コースへ。金沢城には「石川門」っていう立派な門があるんだけど、どーやら「石川県」の「石川」ってのはここからきているようだ。金沢の市街も歩いてみた。古い町並みや商店街がたくさん残っていて、しかも街全体が庭園っぽく整備されてる。こういう街は歩いてて楽しい。なんでも、戦災に遭わなかったから昔の町並みがそのまま残っているんだとか。
 再び電車に乗って、こんどは富山県の高岡へ。そこから氷見方面に乗り換えて、富山湾がきれいな雨晴で下車。夕日と相まって、きれいに輝く富山湾をボーっと眺めてた。次の列車で、ようやくθOが追い付いてきた。富山湾で感動の再会となる。
 そして、富山へ。駅ビルはまだ8時だというのに閉店状態。しかたなく数少ない店を見つけだしてようやく夕飯(ますのすし)を食う。
 せっかくだから富山観光をしたいとθOが言うので、路面電車に乗って富山城に行ってみるがあいにく工事中。いつぞやの修善寺の時みたいだ。再び富山駅に戻り、今夜の宿泊地となる健康ランドへ。1日中、重い荷物を持ち歩いてたもんだから肩が真っ赤になってた。風呂でようやくリラックスできた。その後は元気なθOとは逆に速攻で寝ました・・・。

2004/08/22(日) ドラ〜イブ2
今回は西伊豆海岸縦断ドライブ!東伊豆は首都圏から観光客がたくさん来るからあんまりキレイじゃないけど、西伊豆は交通の便が不便だから、あまり人が来なくて真っ青な海が残る穴場的な場所。沼津駅を出発して、まず大瀬へ。ここはダイビングが有名なところで、海の透明度が日本一になったこともある。うちの高校の宿泊施設もあって、高1のときに整備のために連れてこさせられる。
 細い山道を通って着いたのが戸田村。ちゃんと海が見渡せる展望台みたいなのがあって、景色はサイコーによかった。ビミョーに富士山も見えるけど、これには反応せず。さすが静岡県民だ。ここの村はこんど沼津と合併するんだそうな。でもここと合併してもなぁ・・・。
 海の見える道をずーっと走って、土肥町に到着。うちの高校は1年の時にここで海浜教室をやります。毎日海で水練させられて、最終日に何kmも校歌や応援歌を歌いながら遠泳させられる。その後には寒いっつーのに牛乳とダンゴを無理矢理食わされるんだ。なんちゅー行事だ。でも今となってみればいい思い出か。泊まった旅館にも行ってみた。
 さらに海沿いの道をひた走り、なぜか恋人岬へ。う〜ん、カップルばっか。近いのかと思ったら、駐車場からやたらと歩くし!誓いの鐘だか何だかに来たときは、疲れきってた。そして、賀茂村へ。ここでは黄金崎へ行った。なんだかさっきから岬やら展望台やらばっかだけど、ここは一番きれいだった。海の色がエメラルドグリーンだったり、深い青だったりして。風もきもちよくてしばらく滞在。
 そしてこんどは松崎町へ。ここはドラマ「世界の中心で愛を叫ぶ」のロケ地。さすがに今日はロケ隊には遭わなかったけど、ロケで使われた所はいくつか発見。ここが世界の中心かー。なんか叫んでくりゃよかったかな。あと、この町は「なまこ壁」建築でも有名で、その町並みも少し散歩してみた。
 ここからは海を離れて中伊豆へ。・・・中伊豆?おとといも来たなぁ・・・まぁいっか。河津町のループ橋、伊豆の踊子で有名な天城トンネル、浄連の滝へ。マイナスイオン浴びまくり。その後はひたすら沼津を目指して帰りました。
 沼津で飲もうってことで、「にんにくや」へ。沼津って言ったらやっぱりこの店になっちまう。案の定、店の中は知り合いだらけ!案内してくれた店員は同中だし、隣のテーブルでは後輩が同窓会やってるし、高校時代の先生までいるし!沼津人は考えることが皆同じ。なんだか落ち着いて飲めませんわ。まぁ最後には慣れてきたけどさ。
 店出た頃には雨が少し降ってきた。今日は天気に恵まれてよかった。岬とかで予想以上にいろいろ歩いて疲れたけど楽しかったっす。いまさらながら、西伊豆再発見できた1日でした。静岡県、なかなかやるな!

2004/08/20(金) ドラ〜イブ
中伊豆&御殿場へ、猿とYとドライブ。車が実家にない俺と猿にとって、運転はとても楽しいものですわ。修善寺って、結構きれいな街なのね。竹林には癒されました。その他中伊豆をぐるぐるまわった後、なぜか進路を急遽変更して御殿場へ。目ざすは印野御胎内という洞窟。俺らは甘く見ていた。まぁせいぜいしゃがんで歩けば何とか抜けられるんだろう、と。しかし、渡されたのは細いローソク1本。中には明かりはひとつもなし。そして、なんと手をついて這って進まなければならないほどの狭さ!そんな真っ暗な高さ50センチくらいの洞窟を、延々と這っていくのです。頭はうつわ腰はぶつけるわで、これには参りました。閉所恐怖症の人はやってけないだろーな。俺らがようやく出口に出たあと、果敢にもそんな洞窟に挑戦しようとする一家がいた。小学生にあの洞窟は酷だろう・・・とマジで思った。後にわかったことだが、このへんの小学生は1年か2年の遠足で必ずここをくぐるんだそーな。いやー、よくやるわ。
 家に帰ってから、昨日よりひどい睡魔に襲われる。車の運転って疲れるもんなんだなぁ。あさってもドライブ。だいじょーぶかなぁ。

2004/08/19(木) しずおか
サークルプチ合宿。のはずだったが、ドタキャン続発のために結局猿くんとYの身内旅行になった。小田原駅で待ち合わせて、電車で熱海の海へ。なんか最近熱海出没率が異様に高いのは気のせいだろうか。静岡に住んでるときは全く行かなかったのに。で、ひと泳ぎ。なんとなく猿くんを鼻だけ残して埋めてみた。まさかあそこまで埋まってくれるとは。砂のなかで、鼻だけひくひくしてた。ちょいウケ。その後は温泉に入り、宮下実家へ移動。なんだかとてつもなく疲れて、みんなものすごい眠気だった。でも国語の教科書で眠気はふっとんだが。みんな、国語の教科書に学ぼう。ホモれメロス。

2004/08/17(火) 会津
 夜明け前、ようやく酔いから覚めた。なんとなくふらふらしていると、何気なく山積みにされたマンガ「I"s」を見つけた。
 俺は昔からマンガをあまり読まない。小学校の頃なんかはマンガなんか買ってもらえなかった。買い与えられる本といえば、学習本の類いばかりだった。とことんマンガから遠ざけられた生活をしてきたため、いまひとつマンガというモノになじめないでいた。たまに読んでも、長続きすることは決してなかった。
 高校2年の夏、俺は法事の関係で行っていた山口から、夜行列車で帰ったその足で学校へ向かい、休みもなしに部活の合宿に参加していた。しかし過労のせいか、2日目にあえなくダウン。みんなが練習している間、俺はクーラーなどない、汗臭い布団が敷きっぱなしの汚い部屋でひとり寝ていた。ふと部屋を見渡すと、誰かが持ち込んだ「I"s」があった。あまりにも暇だったので読むことにした。詳しいストーリーまでは覚えてないけど、すごくシャープな絵だったということと、なんかいい話だったということだけは覚えている。みんなが戻って来るまでずっと読んでいた。
 そんな「I"s」が目の前にある。読むしかねぇ!少し酔いが残っていたけど、一気に読んだ。読み終えた時にはすでに明るくなっていた。高校の時はまだ全巻出てなかったので、中途半端なところで話が終わっていた。でも今回は最後まで読めたからスッキリした(最後の終わり方はいささか強引であるが)。
 俺には人間関係が複雑なストーリーを読みとく力がない。単純一直線な話が好きだ。女性陣の間でカリスマ誌的存在となっている「NANA」を読み抜く自信はない。サヤさんごめんなさい。その点、「I"s」は単純明解である。だからこそイタイほどにのめりこめる。でもこんなにハマるのはなんでだろう?自分がこうだから?それとも自分がこうなりたいから?う〜ん。多分、なんか純粋無垢の一直線に憧れているんだろう。高校生の頃の自分はこうだったかもしれない。部活や学祭にこれでもかっつーくらいまっすぐにのめり込んで(もちろん恋愛も)、余計なこと考えてなかった。それに戻りたいのだろう。浪人して大学に入っていろいろなことを経験した。そのどさくさで純粋さなんてどっかに忘れた。なんでも色眼鏡で見たり、裏をかいたり。あー嫌だ嫌だ。でもそれは成長ととらえなきゃいけないんだろーか。
 ここ最近の高校通いと「I"s」(プラス、せかちゅー)のせいで、気持ちはすっかり高校生である。あぁ、高校時代に戻りてぇ。ダメだなぁ、こんなんじゃ。

 帰りの車に揺られているうちに、また酔いが復活してきた。現実に一気に引き戻される。うぇー、気持ち悪ぃ。


 でも、昔の友達とたまに話したりしてその時代に帰ることは、精神的にとてもいい気分転換になり、体にもいい作用をもたらす、といつかテレビで見た。だからたまには高校時代に戻るのもアリか。今でもこうして一緒に集まってテニスができる当時の部活の仲間や、滅多に会えないけど連絡をたまにとってくれて、大事な時に心の支えになってくれるくま1号には感謝しなくては。ありがとう。

2004/08/16(月) テニス合宿
 なんかここんとこ、テニス漬けの毎日である。今日は元テニス部4名、元サッカー部1名、元野球部1名、元女子バレー部1名というよくわからん布陣で体育会系テニス合宿を行った。まったく誰が企画したんだか。午前は近くの保養施設のコートを借りて、午後は高校のおなじみのコートで、みんなマジモードでテニス猛特訓。声出しがハンパじゃねぇ。恐らく、あのとき校内でもっとも張り切って練習していたのはうちの「部活」じゃないだろうか。4年も前に卒業した連中の声だけが校内にこだましていた。元気やなぁ。
 その後は港湾に繰り出して、沼津名物の寿司を食う。やっぱネタが違うわな。うめぇ。そして、伊豆半島の伊豆長岡温泉にある友達の別荘(!)に泊まった。でかい温泉(水道水じゃないよ)に24時間入り放題なんて、これ以上のゼイタクはないわい。夜はどーしよーもないゲームで芋焼酎をイッキ飲みしまくった結果、速攻で酔いが回ってわけわからん状態になった。そりゃ1升瓶を約4人で1時間くらいでまるまる空けたらそーなるわい。俺があんなに酔ったのは初めてじゃねーか?普段の飲み会では俺は言動とか態度はあんまり変化しないんだけど、さすがに今回はヤバかった。ノセられてたら何でもやってたな。で、気がついたら廊下で寝てました。
 最近、飲んでもなかなか酔えなかった。でも今回は酔いに酔いまくった。こんなのもたまにはアリかもね。

2004/08/15(日) 硬式庭球部OB会
 俺が高校当時所属していた硬式庭球部(テニス)は、年に2回、盆と正月にOBを交えた練習&交流会がある。現役当時は、怖いOBがたくさん来るっちゅーもんだから、朝の5時くらいから学校に行って、OB様に失礼のないように必死で部室やコートを整備したもんだ。なんでも、少しでも現役生がサボると胸ぐらつかんで殴るんだそうな。でもコートのラインをぴかぴかに雑巾がけ!ってのは今考えると凄いな。OB様が来てからも、各自ボールを3個ずつ持ってコート脇に等間隔で整列し、「ファイトファイトー!」と叫び続けながらOB様の素晴らしいプレイを見る。ボールがなくなると、腰を30度に曲げ手をまっすぐに延ばし、「ボール送りまーす!」と言いつつボールを投げる。そんなことを延々とさせられるもんだから、現役生にとってOB会は1年で最も嫌な行事のひとつであった。
 そんな悪夢のOB会も、代が変わって少しずつ変容していった。今では現役生の練習にOBが入れさせていただいて、ほんのちょっとアドバイスする・・・というものになった。実際、このほうがお互い気が楽である。悪夢のOB会を経験している俺らにとっては少し切ないが、そんなピリピリした状況はもうゴメンである。
 そんなOB会に今年も行ってみた。俺はてっきり10時からだと勘違いしていて、まだゆっくりできると家でくつろいでいたら、後輩からの「もうやってるよ!」という電話ですぐさま出発!原チャだからすぐ着いた。顧問の先生に「オマエが遅刻してど〜すんだよぅ〜!オマエが来いって言うから私は早起きして来たですよ〜」と、いきなりダメ出しされてしまった。そーいや俺が先生誘ったんだっけ。俺はテニスから遠ざかっているので、テニスはせずにOBや現役生のプレイをずっと眺めていた。う〜ん、懐かしい顔ぶれもたくさんいるなぁ。今年は2コ上の代と2コ下の代が大量に来ているようだ。うちの妹も発見。
 ところが、開始して早々、今にも降り出しそうだった雨がついに降ってきてしまい、あえなく中止に。簡単なミーティングをやって無事に終わった。なんでミーティングの司会が毎回俺なのかはよくわからないが。おい2コ下!今年はおめーらの代が幹事だろーが!まぁいいけど。
 そんでもって、その後はなんとな〜くウチの学年と2コ下の男連中と「びっくりドンキー」で飯を食うことに。当時はよく通ってたなぁ!「ドンキー」っつったら「ドン・キホーテ」じゃないもんな。で、ドンキー行ったら2コ上の先輩やら2コ下の女性陣やら、さっきまで一緒にいた連中ばっかりやん!結局みんな考えてることは同じなのね。
 そして、その後駅前のカラオケに行こうって話になっったんだけど、行こうと思っていたカラオケにすでに2コ下女性陣が陣取っていることが発覚!どこまでも考えることはみんな一緒なのね〜。
 結局そのカラオケは満室で、別のカラオケに行きました。夜は2コ上のOBと一緒に飲みました。なにげにこの代と飲むのは初めてなのよね。でもみんなものすごくハイテンションで、普段絶対に見れない2コ上の実態が観察できてよかった。
 やっぱり同じコートで同じように練習して来た仲間なんだから、こうして毎年2回も集まることができるのはいい機会だと思う。顧問の先生も懐かしい顔ぶれに出会えて嬉しそうだし。OB会がこれからも続くことを祈ります。

2004/08/14(土) いやー楽だ。
 地元の同中の友達から原チャを借りました。いやー、やっぱ楽ですわ!家の前の海岸沿いの防波堤を走るとめっちゃ気持ちいいっす!
 で、午後にいきなり高校時代の部活仲間からテニスをしよう、との誘いがいきなりあった。うちの実家から高校までは8kmくらい離れているので、チャリで行くのはさすがにだるい(現役当時は毎日チャリ通でしたが)ので、普段は断っているところ。でも今日は原チャがある!!っつーことで即OKして高校へ行きテニスをしました。でもなんで高校かって?居心地いいから。だれでも侵入可能だから。プール入り放題だから。そんなこんなでいまだに入り浸っている俺でした。
 文明の利器を貸してくれたヨネくん、ありがとう。

2004/08/12(木) なんとなくふらりと
 夜、中学時代の友達であるヨネが遊びに来たので、ふらりと一緒にドライブに出かけた。二人で遊ぶのもなんだから、てきとーに中学時代の連中にかたっぱしから電話をかけてみた。もう東京に帰ってしまっていたり、寝てしまっていたり、酒に酔ってしまっていたりと皆様々な理由で断られてしまったが(いきなりだったからね)、なんとかタヌキをGET。あ、タヌキってのはアダナね。似てる(らしい)のよ。彼女とは中学も一緒だったけど高校も部活も一緒でした。今日1日だけ偶然実家に帰って来ていたらしい。
 そして、どこへ行くかも決めずになんとなく走っていたわけですが、気付いたら東海大学へ来ていました。ここはずいぶんと山の奥で、茶畑の延々と続く坂を登り切った高台にあります。でもそのぶん夜景がきれい!自分達の住む原の集落はもちろん、隣の富士市や清水市、沼津市の明かりも見えます。ここには初めて来たけど、こんなにきれいに夜景が見えるとは思わなかったわー。何もないうちの街で、意外なスポットを発見してちょっと得した気分。でも車がないと来れないなー。うちには車がないしなー。なんでだよー。ありえねーよー。

2004/08/11(水) いらっしゃいませ
 θOが沼津の実家にやってきた。ほんとによく出没する。うちの父親ともだいぶ仲がいい。なんでも、乗って来た電車が非常に臭かったらしく、原駅に着くころには疲れ果てていた。今日は1泊して、明日は広島に向かうんだそーな。

2004/08/10(火) なんでやねん関西
 夜行列車が関西止まりなので、何となく大阪で下車。このまま静岡へ帰るのも何だから、行ったことのない和歌山へ行ってみた。この和歌山へ行く電車の中で、大阪から旅行に来たと思われるギャル4人組が、ここはカラオケと言わんばかりの大声で歌いだした。これにはびっくりです。恥じるどころか、歌を聴かせたいという感じで歌っているので。これも関西の文化なのでしょうか。いや、違うわな。
 和歌山では紀伊三寺という観光地を少し見て、また大阪へ戻りました。通天閣を中心とする新世界界隈と大阪城をふらふら。新世界は大阪のエネルギーが直に伝わってきますわ。でも以前のほうが活気があったような・・・。まぁこの暑さじゃしょうがないか。
 そして、2時頃の鈍行に乗ってひたすら静岡の実家まで帰りましたとさ。めでたしめでたし。

2004/08/09(月) 熊本現地調査
 朝一番の電車で熊本入り。時間があったのでとりあえず熊本城に行ってもるものの、なにやら工事中で少ししか見えず。で、約束の時間になったので「丸刈り校則」について調査していらっしゃる弁護士さんのもとへ行ってお話をうかがう。事務所にて、ずいぶん長い間お世話になりました。その後は事務所の皆さんに昼飯までご馳走になってしまい、お礼の言いようがありません。
 そして、こんどは実際に丸刈り校則が残存する地域へ行って、地域住民の方々にインタビュー。皆さん快く応対してくれました。やはり、この地域の方々は「中学生は丸刈りが当たり前だ!」という意見がほとんどでした。地域文化の違いって面白いよね。ある地域では当たり前のことが、他の地域では全然当たり前ではない。みんなの周りにもきっとあるはず。
 それにも少し関わることなんだけど、熊本で発見したことをいくつか。まず、女性専用バスの存在。東京には女性専用車両はあれど、バスは聞いたことがない!ゆうゆうと走るバスを横目に、男である俺は満員の路面電車で悪戦苦闘。
 そして、「スコール」という宮崎の乳性炭酸飲料が九州で幅を利かしているのに対抗してか、三ツ矢サイダーまでが「白いサイダー」という名で九州限定の乳性炭酸飲料を出している。両者とも「アンバサ」のような味。九州人は乳性炭酸飲料がお好き。
 あと、一部の電車に冷房がない!明らかに東京より暑いのに、これには参りました。しかも揺れる揺れる。つり革が左右の網棚にぶつかるので、ガチャンガチャンとものすごい音を立てます。
 最後に、店のセールの表示のしかた。「ツクツクホウシが鳴くまでセール!」・・・って。ものすごいアバウトじゃん(汗)
 夜、福岡の北九州に戻って、門司港レトロ地区を観光。関門海峡の夜景がすばらしいところです。やはり門司港は夜行くべき。そして京都行きの安い夜行列車に乗り込み、一路実家を目指します。安いのでベッドじゃなくて椅子だけど、幸い隣の人がいないので、何とか横になって寝ることができた。

2004/08/08(日) いざ九州
亡くなったじいさんとばあさんの墓参りを済ませたあと、お世話になった萩を出て九州に向かいます。午前中のバスに乗り込むものの、俺だけ途中の旭村というところでぶらり途中下車の旅。妹はこのままバスで新山口の駅まで行って新幹線で帰るので、ここでお別れです。なんで俺だけこんなところで降りたかっつーと、今では珍しくなった木造校舎を見てみたかったから。去年も愛媛の木造校舎を訪ねたんだけど、あいにくの大雨でした。そして、今回は父親から借りている立派な一眼レフのカメラがあるので、何かいい写真が撮れればなぁと思いまして。
 立派な木造校舎を見た後、また萩へ戻って懲りずに自転車を借りて再び観光。何度も言うけどほんとに飽きないんだってば!いるだけで心が落ち着く街です。
 夕方の列車で今度こそ萩を出発し、九州へ。今回、大学のゼミの研究テーマが「校則」なので、依然厳しい校則(男子は全員丸刈り、とか)が残る熊本へ行って現地調査をするためです。ほんとは今日中に熊本入りして、去年の四国一週旅行の時みたいにどっかの無人駅で野宿する予定だったけど、福岡泊でも時間的余裕があることがわかったので急遽博多のカプセルに泊まることに。ここは安いのに設備が最高で、風呂もスーパー銭湯以上の豪華さ。文句ないっす。俺はこの半年間で3回も利用しているヘビーユーザーです。みなさんも博多へお越しの際はぜひ。

2004/08/07(土) 青海島
 朝、お寺の行事があるというので6時半に起床。お寺に婦人会の人々が集まり、朝食をつくります。その間に地区の子供達はラジオ体操と境内の掃除と読経。俺と妹も一緒にやりました。高校時代にあれだけ正座して慣れていたはずなのに、読経で少し正座しただけで足がダメになってしまいました。気持ちがたるんどるなぁ。
 午前中、子供らと近所へトンボ捕りとセミ捕りをしたあと、俺だけ一人で自転車で街へ散歩に出かけました。萩は歴史的な町並みがたくさん残っていて、名所旧跡も豊富にあり、小さい頃から何度も来ているはずなのに、いつ来ても飽きない。特に、海の景色は圧巻だったなぁ。砂が白いから、まるで沖縄のような水色の海が広がっています。下の写真がそれ。どう?きれいっしょ?
 午後は子供らとお隣の長門市へ行って、遊覧船に乗って青海島の断崖絶壁と海の景色を見てきました。子供らも、船に乗ることが滅多にないためか興奮気味。ただ、洞窟に入る時は顔がひきつっていました。そんなに怖いもんなのかなぁ?
 夜はいとこにカラオケとボーリングに連れていってもらいました。いとこっていっても、だいぶ歳は離れてるんだけどね。ボーリング場があるなんて、萩の街も栄えたもんだなぁ。
 あ、一番下の写真は、1歳の子供に袋をかぶせてみたところ。かわいいっしょ。意外にも本人はけっこう喜んでます。「もう1回、もう1回!」って。

2004/08/06(金) 海水浴へ
 萩は海がとってもきれい。朝から子供達と海水浴へ。おかげで背中が焼けてイタイ。午後は、子供達と萩の城下町を散歩。でもあの暑さの中でずっと歩いてたから、4歳の子供には少し酷だったかな?夜は別の親戚のおばさんも合流して、一族そろって行きつけのレストランへ。ここでは来る度にステーキをごちそうになっています。子供達のよく食べること食べること!その後、萩の商店街で毎年行われている七夕祭りへ。この地方は七夕はこの時期なんです。ここでも子供達は出店のアイスやら大判焼をよく食べていました。昼間ずっと一緒に走り回ってたから、腹が減ったんだろーな。元気なのはよいことだ。

2004/08/05(木) やっぱり萩はええのぅ!
 深夜、滋賀県のあたりで寝台列車が妙に揺れるのでふと目が覚めた。外は大雨と大風。なんだろう、これは?と思いつつまた寝た。
 城崎で朝を迎え、起きる。昨夜の嵐は台風だったようだ。予報でもそんな気配はなかったからびっくり。おかげで列車が1時間ほど遅れているようだ。果たして今日中に着くのだろうか。
 JRのはからいで、鳥取から特別に特急に乗せてもらえることになった。うちの妹は寝台が好きなので乗り換えることに難色を示していたが、時間が予断を許さない状況だったので特急へ乗り換え。これが早い早い!ディーゼルのくせに120kmで突っ走る。おかげで予定より早く出雲市へ着いた。ほんとはθOの実家のある米子を観光したかったが、肝心のθOが実家に帰っていないので今回は断念。でもしっかり大山の風景は見ておきましたよ。
 出雲市からは出雲大社へ。日本の神社の中心だけあって、さすがにデカい!暑さも加わってバテそうです。名物の出雲そばも食った。
 その後はひたすら山陰の海沿いを鈍行列車で西へ。夕方、ようやく萩に着く。今回お世話になる母親の実家は寺です。母方の親戚はだいたいが寺です。そう、亡くなったうちのじーさんは住職なのさ。いまはおじさんが継いでいて、その息子夫婦(いとこ)の家族も住んでいます。その子供達がまた可愛いんだわ。7歳、4歳、1歳の子供(全部男)がいて、会う度にどんどん成長していく。この前まで赤ちゃんだったのに、今では小学生かー。
 そんな萩の親戚の人々と、今夜は寺の境内でBBQと流しそうめん!夜は花火もやりました。でも子供の相手でこっちはいっぱいいっぱいです・・・。まぁそれが楽しいんだけどさ。

2004/08/04(水) 出発〜!!
 妹と、母親の実家のある山口県萩市に行ってきま〜す。寝台列車で、とりあえず沼津から島根県の出雲市へ向かいます。

2004/08/02(月) 男のカレー祭り
 θO、@皮と共に「夏だ!カレーだ!男のカレー祭り&フルーチェ祭り」を開催した。カレーは夏野菜たっぷり。フルーチェはイチゴづくし。カレーは確かにうまかった。前日の昼以来、まともなモノを口にしていなかった俺の胃もようやく満足。ただ、そこには大量のフルーチェを消化する能力はすでになかった・・・。
 子供のころ、3年に1回食えるか食えないか、という垂涎の品であったフルーチェ。ただ、こうして大人になっていざ食い放題!となると気分が冷めてしまうものだ。フォアグラだってキャビアだって、目の前に山のごとく盛られたら価値も半減だろう。そう、ヤクルトだって同じだ。あのアルミのふたに犬歯でプチッと穴を開けてちびちび飲むからうまいのだ。あのガブ飲みを可能にしてしまったサントリービックルは罪である。ビックルは、ヤクルトの神秘的とも言える美徳を打ち壊した無礼者である。やはりあの味は、一滴一滴味わってこそ味わえる味なのだ。そこまで考えてヤクルトがあの小容器にこだわっていたらスゴイ。

2004/08/01(日) 山へ分け入って
 サークルで奥多摩の山奥へ分け入って探検してきた。久し振りにクルマ運転♪だいぶ慣れてきた。でも山奥過ぎて一方通行。対向車が来ようものなら待避所までバックしなきゃならんし。「警笛鳴らせ」の区間の連続。あ、道路標識の話になったついでに、もうひとつ道路標識のおハナシを。なんと、中大付近(一般道)で中大オリジナルの道路標識を発見!高さ制限の標識なんだけど、なんと中大のCマークがあしらわれているんです。ちょっと感動。右の絵がそれです。中大生のみなさん、ぜひ探してみてくださいな。
 あ、なんだか探検とは全然関係ない話になっちまった。探検は、奥多摩のとある滝(?)のほとりでBBQ。satomiが持ってきたダッチオーブン大活躍。タマネギの甘いこと甘いこと!その後少し滝付近を登ってみた。でもイラクサっつー草にやられて足がかぶれてしまいました。
 その後、奥多摩湖にも行ってきました。なぜかダムの上で徒競走をすることになって、みんなで裸足で走ったら見事に血だらけになってしまいましたとさ。俺ももう若くねぇなぁ・・・。


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