まさみ じゅん
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2007/02/27(火) そば作った。
 お昼に昨日買っておいた、そばを作ることに挑戦する。
インスタントラーメン以外初めて。おなべに、たっぷり目のお湯を沸騰させ、その中に面を入れ30秒。水で、よく流して器にいれ、めんつゆをおわんに入れて水で適当に薄める。

 なんとこんな簡単なことすら、出来なかった。ていねいに水切りしたそばは、うまかった。

 子どもの頃ふしぎと、そばを食べると頭が痛くなった。

頭が痛くなったといえば、映画館で映画を見ていると頭が痛くなった。こちらは酸素不足であったのかもしれない。子供は背が低いので、感じるのもはや方のであろう。

 そんなそば一つ作っただけで、いろんな、おもいで、お祭りが終わったあとの静けさ。

2007/02/23(金) なべ子さんまるちゃんにあえた
 結局眠れないまま朝を向かえ、雨が降っていたので9時半には車で送っていった。
これは、眠れないのでテレビを見ていた。雨が降っていたので、天気予報をたびたび見た。
昼間大荒れになるが夕方6時には晴れる、という天気予報が夕方大荒れになり、朝には夜大荒れという予報になったから送っていった。

 帰宅してパソコンの前に座っても、天気が気になりメールの返事を出しながらも、交通は何を使おうか、など調べる。荻窪なら大泉学園や石神井公園まで行けば、バスがある。西武新宿線を利用すれば、下井草や井荻、そこからバス。小金井街道まで出て、バスで武蔵小金井まで出るという方法もある。

など、考えているうち時間なんてあっという間に過ぎて、4時になり、外を見ると薄日がさしてきている。これならいつもどおりひばり団地まで自転車で行き、三鷹駅までバス、そこから電車で行くのが、なれていて良い。と今まで悩んでいたのが無駄となる。

7時半荻窪駅南口待ち合わせ、いつも約束30分前に行くのが、癖、6時にはついてしまう。

マッドハウスへ来たことが無いので、先に、マッドハウスまで歩いて見る。正面はすでにしまっていて、ビルからの人たちは、横のドアから帰っていく。戻って7時前、改札口からでてくる人から目立つ場所に立って、なべ子さんが出てくるのを待つ。時々地上の出口もチェックする。7時半再度地上を見に行こうと思ったところへ、携帯がなり、なべ子さんは地上の出津地で待っていた。すれ違ってしまったのであった。

ライターのイタリア人の人と一緒に来ることを伝えられていたので、あいさつ、Buona sera や はじめまして、Piacere di conoscerLa. 自己紹介 Mi chiamo やSono しもやん、など必死に覚えておいたが、会ったとたんそんなもの一言も出なかった。

丸山さんについたむね、連絡するとそのまま、マッドハウス方面へ歩いてきて、途中で会おうということになり、線路沿いの道を歩いていく。
 向こうから人影が現れひょうきんに体を降って両手を広げ、丸山さんが駆け寄ってきた。
こんなところも昔と変わらない、丸山さんの気使い、すぐに大昔の青春時代へ戻ることができた。
是風という、丸山さんのお店に案内された。そこには、今日の表彰式へ一緒した身内の方々が居た。そして、表彰式を私たちに会ってくれるため途中で抜け出したことがわかった。

 今回は出来るだけなべ子さんと丸山さんの会話を優先すべきで、おしゃべりな私には少し辛かった。しかしやっぱり丸山さんに聞いてしまった。それは私が入院したとき、浦和の病院へすぐにお見舞いに来てくれた。しかし当時の丸ちゃんは、いつも下駄履き、そして機械音痴、その上自転車さえ乗れなかったのであった。それを知っていたので、どのような方法で来てくれたのか疑問であったのだ。やはり友人の熊五郎さんに車で連れてきてもらっていたのだが、熊五郎さんのことは思い出から消え、(申し訳ない)丸タンのことが深く刻まれて気になっていた。虫プロ時代からそうであったが、特にあしたのジョーのときなど、裏方に徹して、ジョー班を助けていた彼の姿を目の当たりに見ていたものとして、変わらぬ、彼の姿に感激した。

なべ子さんも全く変わらす、恋人でもないのに、私が連れまわしたことなど、気にかけていないようで(忘れたのだと思う)安心した。やはりなべ子さんは、同期の同士、そして、手塚派の人であった。

名残が惜しかったが、明日研究会がある。嬉しくてそっちの準備を全くしていない。最終のバスの時間も迫っている。

私がそろそろお暇を、を切っ掛けに、なべ子さんも、帰る事になり、丸山さんは外まで見送ってくれた。

三鷹まで電車、 なべ子さんと一緒のライター Giovanni Masi さんに、ここで使わなければと 今日はありがとうのつもりで、「グラシアス」 おっとこれじゃスペイン語 Grazie といわなければ、気劣りなおして、「アディオス」 arrivederci でしょうに、最後まで恥をかいた、私でした。

2007/02/19(月) のだめ見終わる
 西崎さんのことなど思い出し、腹を立てている1日、結局寝巻きを着たまま、のダメを読んでいる、ヨーロッパということで、なべ子さんが思い出され、来日したら連絡くれるといっていたが、本当に来るのだろうか、まだ連絡が無い、手塚プロに行って見たいが、年賀状の件で、行きずらい。
「のだめ」パリの話も面白い、夜明けやっと見終わる、ヨーロッパ編はテレビ化難しいだろうね。引きつづいて「商道」見なければまた寝不足続き。

2007/02/18(日) 市役所ロビーで、取材を
ドラえもんでライターの安藤さんの取材を受けるため、バイクで市役所まで行こうとしたが、天気雨が降ってきた。
 市役所ロビーへはいつものように30分前の1時半に行く。
展示館があって、込んでいたので、喫煙の出来るいつもとは違う場所で待って、その場所で、5時過ぎまで話をした。
 新たにウィキペディア(Wikipedia)に書かれている記述、
日本テレビ版終了以降の『ドラえもん』の映像化権は、自動的に日本テレビ動画から東京ムービーへと移動していた。
というお話をしたが、興味をもたれたようだった。

 状況を知らない人には、なんでもない期日であるが、深い意味がある記述で、これを書いた人は当時の事情をかなりで、良く知っている人で、佐々木さんのことも存じているはずであることが判る、誰だかわからないが会いたい。

のだめのまんがを息子に借りて、見はじめる。10巻見てテレビとおなじ、限度で寝る。

2007/02/11(日) ファンタジアのおもいで
昨日書いたと同じことをしている。違うのは、全く乗らないのでスカイラインのバッテリーが上がってしまい、
借りている駐車場へ行って、バッテリーをはずしてきて、お勝手で、充電をしていることぐらい。
「オールイン」を見終わったので8日秋葉原で買ってきた、「ファンタジア」のDVDを見た。
昭和42年、展覧会の絵が売れたので、全社員にこのファンタジアの映画の切符を配った。そのとき見て依頼であったが、こんなにも長い作品であったとは思っていなかった。約2時間あるのであった。そして内容も、ほとんど「始めてみた」という感覚で見た。
 覚えているのは「魔法使いの弟子」ぐらいで折角の作品をどんな見方をしていたのだと、後悔しきりであった。
 あらためて、手塚治虫の偉大さを思い知った。くるみ割り人形のところで、森の精が飛んでいるところ、「まさに手塚先生の夢」が描かれていて涙が出た。
 よく若いスタッフと作りたいアニメの夢を語った、そのイメージがファンタジアであったのだが、今の今まで理解できていなかった。展覧会のあと手塚先生から、絵を渡され、それを彩色して欲しいと頼まれ、預かっていて欲しいとわたされた絵があるが、まさにその絵はこの森の妖精の絵であったことが、はっきりわかった。
 何べんもディズニーの漫画映画を見たとは聞いていたが、まさかそんな細部まで覚えられるとは、転載とは、そういうものなのかと、あらためて思い知ったのであった。
 チャンネルネコで放送した「笑傲江湖」を見始める。

2007/02/10(土) 最近事情
 あさ起きると、メールのチェックをする、整理して返事のために資料を調べたり、受信拒否の登録などをする。掲示板の管理もする、時々変なリンクが張られたりしていると、発信先などをチェック記録しておいて、削除などの処理をする。
 これが結構面倒で時間もかかってしまう。
早ければその後ブログの文章を、書き始めるのであるが、最近は、昼を過ぎてしまうようになってしまった。そうなると、当然ブログをかき始める時間も遅くなる、文章力がないので、それでなくても時間がかかってしまう。するともう夕食の時間、すっかり疲れて、ページの作業ができない、そんな日が、半年以上続いている。それに、夜はDVDを見ている。これがいけない、チャングム依頼、韓国や、中国のドラマを見ている、日本の、大河ドラマのようなもので、50話以上あるDVDである。ドラマなので、続きが見たくなるように制作されている、それは当然のことなのだが、その術中に見事はまってしまい、ついつい深夜まで見てしまうのだ。最近見た「24」などはシーズン5まであり、1シーズン12枚のDVDで50枚もあった。私にとっては、最低の作品で、皆駆れば良かった、と思う映画であったが、今東洋の映画界は一言で言えば「良い」のであるので、ついつい見てしまう。
 時代劇でない「宮」に続いて「オールイン」を見ているが、夜明けとなり、眠くてもう見ていられない。

2007/02/08(木) 秋葉原へ原チャリで行く
妻に卵を買っておいてと昨日頼まれていたが、パソコンに夢中になっていて忘れてしまった。息子が休みが取れ寝ているので、静かに、バイクで、ヨーカドーへ出かける、だいぶ暖かくなってきた。帰宅しても起きる様子もなく、メディアの残りが3枚になってしまったので、勇気を出して、バイク(50cc)で秋葉原へ行くことにする。せっかく行くのだから、虫プロへ通っていた頃の道を走ってみた。旧早稲田通りに出て、石神井のお寺から中古車や、すでに無くなっていた、途中で左折、知っていたはずなのに忘れていて、環八に突き当たってまっすぐには突っ切れない、手前で右折し迷いながら、何とか、聖マリアガーデンスクールの道へ、村野さんが住んでいたあたりもすっかり様子が変わってしまっていた。千川通りから右折、中村橋は裏通りで、通過環七を突っ切り江古田スタジオを懐かしんでその先で目白通りに出て、トキワ荘に思いを馳せ、田中角栄さんを思い出し東京ドームの裏から漫画少年の学童社の幻を追い、秋葉原へついた。交渉して1番安かったのが8倍速で二千円+消費税、ここで3個購入、目の前のDVD屋さんで、ディズニーのDVDを安売り、欲しかったファンタジアと白雪姫だけ、買って、新青梅街道で帰宅1時半には帰れた。妻が帰宅して昼食、「宮」のNG週などの宮1.5を見ていると、息子が起きてピザを取ったので、おやつにご馳走になる。
今日からは、韓国ドラマ「オールイン」を見始める。現代劇だが、興味を持てるか判らない。12チャンネルの「宮」も今日が最終回。

2007/02/07(水) DVDメディア
研究会に来ていただけるというご返事で、予定の半分となった。めるもののことをブログに書き始めているが、メルモノときのことが、ドラえもんに影響していることが、あらためてわかった、ドラえもんは、いろいろな意味で、虫プロ色が出ていた。
 DVDのメディア100枚で3,000円ぐらいの安いものを使用していたが、歩留まりが多いので、気になっていた。1番評判がよいのが,太陽誘電のメディアであると、比較したものなど読むと書いてあるので、残り少ない太陽誘電モノで、焼き比べてみた。信号が1と0の配列だから、画像的には変わらないはず、安物の輸入品は、最後まで、録画できなかったが、その映像も、明らかに劣化して見える。そんなはずは無いと想い、見直してみるのだが、太陽誘電で焼いたほうが、画像がきれいに、感じるのである。これが「人」というもののふしぎであるのか、感覚というもののせいなのか、説明がつかないけれど、私的には「確か、」である。DVDレコーダーが、4倍速までしかメディアを使用できない関係で、安物を買っていたが、次回パソコン用には、太陽誘電を使用しようと思う、それにしても値段が高くなっている、50枚で3,000円未満で変えていたのが、4,500円以上してしまっている。お店の人に尋ねたら、口コミで太陽誘電の良さが広まり、品切れが続いたので値段が上がってしまったという。これでは、太陽誘電の売りが、なくなってしまう、秋葉原へ行って、安くしてもらうしかないようだ。

2007/02/06(火) 研究会の案内メールを出す
なにか騒がしい音が聞こえる、芝刈り機のような音、毎年聞いている、懐かしい音、窓を開けて、音の出所を探す、すぐにわかった。近くの桃の畑の枝を切る、電動のこぎりのエンジンの音であった。毎年、1日をかけて、桃の枝を切る作業、残された桃の木は、無残な姿で立っているが、次の年には枝を出している。

 切り取った枝は、しばらくの間調整し、桃の節句間際に花を咲かせて、出荷させるということを、昨年知った。その音で、毎年の事、1日だけなので、懐かしい音だが、思い出すのに。、時間がかかった
2月24日のドラえもん研究会のお知らせメールを出すため、東京近郊の、ドラえもん会員の方の、メールアドレスと、会員番号を整理する。150人選び、メールで、案内を送る。朝から作業を始め、終了したのが、4時、結構疲れる作業であったが、すべて送り終わる前に、早速2名の方から、申し込みいただけたのは、うれしい。宮〜ラブ・イン・パレスを見ている、12チャンネルで、明け方、寝ぼけて見ているより、字幕であっても、こうして,通しで見ていると、最近の話が、暗くなっていたと思っていたが、なかなか、なかせる話であったんだと、あらためて思う。DVDで見られるということは、見直せるということで、大変便利な世の中になったし、演出家が、何を伝えようとしているのかが、見直せることによって、より伝わりやすくなったんだと思う。

2007/02/03(土) 24見終わる
帰りが遅い、12時過ぎまで24を見て何とかすべて見た。心には後悔が残って作品、いい作品ではないし、面白い作品でもない、嫌いなオカルト映画のほうが、まだ少しまし、肉体的にも、精神的にも、疲れすぎて、帰りを待たず寝てしまった。

2007/02/02(金) 今日も24
メモ代わりにDVDのメディアを使いすぎた。この前100枚買ったメディアが、残り少なくなってしまった。
「24」シーズン5を見始める、初っ端、友人の元大統領が狙撃されるが、助かるのだろうな、と思っていたら、助かるのはいつも主人公、ジャックだけ、あっさり殺してしまった。
 それにしても、なんと命の軽いこと、国家の安全のためなら、600人の国民を殺すことに、アメリカ人は、仕方ないことと、思うのだ。安保条約などまずは自国優先で、アメリカの国益のためなら、見捨てられることもある国だということが感じられた。

2007/02/01(木) 「24」は私にとって耐え難い作品
「24」のDVDシーズン4の3枚目を借りなおしに行く。
24を見ているのだが、見なければ良かったと後悔している。
 アメリカ人のエゴ、冷酷さ、日本人とは違った正義感、命のなんという軽さ、出世良くと、足の引っ張り合い、裏切り、拷問の肯定、残酷さ、数え上げると、私が最も嫌う、映画として、えがいてはいけない最低線をはるかに越えている。
 これがお茶の間に流れていた、テレビもの、だとはとても思えない、なにしろ、その描写にならされていくことに、恐ろしさを感じる。絶対に子供には見せてはいけない、暴力映画である、成人指定にしてもらいたい。
 誰も彼もが面白い、といっていた。しかしその人たちは、何にも感じないのであろうか、日本もそんなことが、平気な世の中になってしまったのであろうか、それともすでに、見ていて麻痺してしまったのか、ここまで見たからには、すべて見なければいけないと思う、それにしても、私の見たくない映画で、早く終わらせて、次の、クン、やオールインを見よう。


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